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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
二章 上級侍女編
46/365

16 麗しきタガート嬢

 ブレアの部屋を辞すると、もう窓の外の空は夕陽色から紫色へと変わりつつあった。

 部屋の扉を閉めると、娘がやっと緊張が解けたように息を吐く。


「……」


 扉の両側にいる衛兵が、扉に手を添えたまま身動きしない娘を何だ何だと見ているが、それでもエリノアはぼうっとしたままだった。

 娘のため息には何だか複雑な感情が滲み出ていて、衛兵たちは首を傾げて目を見合わせる。そんな彼らの姿すらも、エリノアの目には映っていない様子だった。

 無言で見つめる衛兵二人の前で、エリノアは。

 ホッとしていたかと思えば突然眉間に皺を寄せて呻く。天井を仰いだかと思えば、今度は切なそうな顔になって頭を抱える。そして……それも長続きせず、赤くなる。


「…………おい新人」


 衛兵はついにエリノアに声をかけた。

 面倒臭い事この上なかったが、彼らからしてみれば、いつまでも挙動不審な人間を王子の部屋の前でずっと呻かせておくわけにもいかない。呼びかけると、娘がハッと顔を上げて。初めて衛兵に気がついたかのような間抜けな顔をする。


「……お前な、そういう挙動不審はやめておけよ」

「そんなことをするからオリバー様に目ぇつけられるんだぞ」


 次々に侍女が入れ替わるとこっちも顔覚え直すのが面倒なんだけど、と言う二人に。エリノアは慌てて頭を下げると、廊下を逃げるように駆けて行った……


「び、びっくりした……衛兵の方々のこと忘れてた……」


 エリノアは、赤い頬のまま廊下を進む。変なところを見られてしまって物凄く恥ずかしかった。

 しかし、それをも越えて気掛かりなのが、ブレアとの先ほどの出来事だ。

 まさか、練習とはいえ……自分がブレアと手を取り合って踊ることになろうとは。

 ブレアは言わずと知れた王族で。

 彼らは普通、身内を除けば、ダンスの腕前が王宮に認められた娘か、ダンス講師などの指導者としか踊らない。当然そのお相手は、ある程度の身分を備えている事がまず大前提となる。

 思わぬところでブレアの優しさを垣間見て、つい開き直って練習に付き合ったが……本当に大丈夫だったのだろうかとエリノアは心配だった。

 どうしてだかブレアはあれを喜んでくれていたらしいが……


「…………!」


“──感謝する”


 ……ブレアの穏やかな声とその表情を思い出したエリノアは、思わず引き止められたように足を止める。

 ──喜んでもらえた……

 そう思うと、自然と心が温かくなった。


「…………ちょっと、楽しかった……かな……」


 父が死んで以降、エリノアはダンスを楽しむ機会なんてなかったし、それにブレアのような若い異性と踊ったのも初めてだった。弟は病気がちで踊りを習ってはいなかったし、明日の家計を心配する日々の中には娯楽に興じる余裕なんてものもありはしなかった。

 だから──

 恭しく取られた手、背に添えられた手の感触、注がれる凛々しい眼差しを思い出すと……

 思わず廊下の真ん中で、ほわっとうっとり華やいだ空気を醸し出してしまう。

 

「あ、駄目だわ……私浮き足立ってる……」


 弟のためにも早く家に帰らなければと思ってはいるのだが、どうしても頭の中をブレアの顔がちらついて落ち着かない。


「あああ、どうしようこれじゃあまるで……」


 ──と、そこへ。

 低い声が掛けられた。


「……エリノア……」

「ん……? わ!?」


 それはちょうどブレアの居住区外に出ようとした時だった。

 沈んだ声に呼び止められて、そちらを見たエリノアは、一瞬そこに迫っていた幽鬼のような女の顔に飛び上がる。


「おばけ!?」

「……失礼ね……馬鹿言ってないでちゃんと見なさい! 私よ私!」

「あ……ルーシー……様……?」


 その柱の陰に張り付くようにしてこちらを睨んでいたのは、将軍タガートの娘、ルーシー・タガートだった。

 赤い巻き毛が豪華な印象の令嬢は、青白いが気の強そうな顔をこちらへ向けてエリノアを呼んでいる。


「ちょっと早くこっちに来なさい!」

「は、はあ……なぜにここにお嬢様が……」


 いくら将軍家の娘だとは言っても、こんな時間に王宮の王子の居住区をうろついていいわけがない。しかしルーシーはエリノアの問いには答えずに、エリノアの腕を鷲づかむ。

 可憐なように見えて、その実、屈強な将軍タガートの娘らしきしっかりとした筋肉を衣服の下に備えているルーシー嬢。に、半ば引きずり込まれるようにして柱の陰に連れ込まれるエリノア。

 ──と……

 エリノアが物陰で目を白黒させながら令嬢を見上げた途端、ルーシーの勝気そうな顔がくにゃりと歪む。


「エ、エリノアぁ……う……」

「へ……? ど、どうなさいましたかお嬢様?」


 それは──猛獣がチワワの仔犬にでも化けたかのような極端な落差だった。

 エリノアはビックリしてルーシーの手を取る。


「どうしようエリノア……ブレア様……どんなご様子だった!? 怒っていらっしゃらなかった!?」

「…………ブ、レア様……?」


 急に出てきた名にエリノアが怪訝そうに首をかしげる。するとルーシーはべそべそ泣き出すもので、エリノアは慌ててエプロンのポケットから白いハンカチを出して娘の涙を拭ってやった。


「いいえ分かっているの。殿下……私のことを牢に入れろとか、パパを左遷させろとか、鞭で打てとか言ってたんでしょう!? そうに決まってる!」

「……へぇっ? 鞭!?」

「私のせいでパパが冷遇されて辺境の地で苦労したらどうしよう……! パパは西部のお酒が大好きだけど、手に入らないような辺境に送られたらどうしたらいいの!? あんななりして実はお腹も弱いのに……!!」

「…………えっと……」


 ルーシーはわっと顔を両手で覆い嘆き始める。……因みに、普段彼女が自分の父親を呼ぶときはいつも「クソ親父!」……であるからして……現在令嬢はかなりの動揺状態であるらしい。

 エリノアは、ひとまずルーシーを宥めるようにその背をさすった。


「落ちついてくださいお嬢様……お酒は地方にもいいものが幾らでもあるでしょうし、お腹は出来るだけ冷たいものを飲み食いするのをやめて頂けば……けど……どうなさったんです? なんでタガートのおじ様が左遷されるんですか?」

「そ、それが……」


 ルーシーは鼻をすすりながら顔を上げる。エリノアのハンカチは既に涙と鼻水でぐちゃぐちゃで彼女の手に握り締められている。

 そんな令嬢の話によれば……

 彼女は今日、ダンスの名手として王宮に招かれて王子たちの練習会でブレアの相手を務めていたらしい。

 それを聞いたエリノアは、微妙そうな顔をする。


「……あら、ブレア様のおっしゃっていた本日のお相手とは……お嬢様の……ことでしたか……」

「そーなのよぉ……」


 呟くと令嬢はひーんと泣いてエリノアの肩に頭を乗せた。


「よーしよし……泣かないでお嬢様」


 エリノアはルーシーの赤毛を撫でながら、つい一時間程前のブレアのぼやきを思い出した。


(そうですか……お嬢様のおかげで私めはブレア様と踊る事になったのですか……)


 そう思うと、なんだか複雑だ。令嬢が泣いているだけに、浮かれていた自分がなんだか申し訳ない。

 しかしまあ、状況自体はありえない話ではないとエリノアは思った。

 ルーシーのパパ(もしくは“クソ親父”)こと将軍タガートは、普段から王太子派筆頭としてブレアとは親しい。きっとその筋での抜擢だったのだろう。

 が……

 エリノアは首をかしげる。


「……でも本当に? だって、ブレア様は練習相手に沢山足を踏まれたって仰ってましたよ? お嬢様に限ってそんなこと……」


 一時期同じ家で暮らしていたこの娘が、どれだけ踊りが得意が知っていたエリノアは不思議そうに問う。

 しかし、彼女がそう言った途端、ルーシーの顔色はさらに悪くなる。

 ルーシーは鼻をすすりながら訴えた。


「だって! 友人からブレア様はダンスで相手が少しでもミスをしたら激怒なさるって聞いたのよ! ステップを間違えた子は後日父親が左遷されたり商いの権利を剥奪されたり……ブレア様の足を踏んじゃった子は殿下の護衛に袋叩きにされたって聞いたわ!」

「ぇえ? ……や……まさかそんな……」

「エリノア! お願いよ! 私、これから将軍家の娘らしく潔くブレア様に土下座しに行くからついて来て!!」


 青白い顔で高らかに拳を握りしめる令嬢の足は震えているのか、青いドレスの裾がプルプルしている。その様子を見たエリノアは「えっと」と、一瞬の間を置いてから、令嬢の背をよーしよしと撫でる。

 

「……あのですねお嬢様、ちょっと冷静になりましょうか……お嬢様の勇ましきところは、私めもよく存じておりますが……」

「だってこのままじゃパパが!」


 途端、ぴーっと嘆き始めた令嬢(エリノアより1つ年上)に、エリノアは、よしよしとその背を撫で続ける。そんな彼女の様子に、エリノアはそれでなのかと納得する。

 恐らく令嬢はブレアの足を踏んだ時点で相当彼に謝り倒したはずだが、それでも不安が消えなかったのだろう。彼女はそのあまり屋敷に帰ることも出来ず、それでこんなところでうろうろしていたのだ。


「……大丈夫ですよお嬢様。ブレア様は一言もそんなこと仰っていませんでした。あの方はそんなささやかなことで片田舎におじ様を左遷したりするような、激恐ろしげなお方じゃありませんから……だいたいどこの誰がそんなことを……お嬢様はあれですね、ちょっとご友人関係見直された方がいいかもですね……」

「で、でも……ブレア様、ずっと怒ってらっしゃったのよ!? 眉間にシワが……私怖くて上手く足が動かなくて……」

「大丈夫、あれは標準装備みたいです。……お嬢様があんまり緊張なさっていたから、気の毒だなぁと思ったか、面倒だなぁとでも思われていたのでは? ああ見えてブレア様は結構お優しいんですよ、顔には出ないみたいですけど」

「ほ、本当に……?」


 エリノアが頷くと、揺れるルーシーの瞳が少しだけ和らいだ。


「それにブレア様の御配下も……まあ……あの人たちにはレディファースト精神はありませんし、下手したらお尻くらいは撫でられることはあるかもしれませんが……うら若い娘を袋叩きにするような人達ではないかと」


 不安そうなルーシーの目を見て、エリノアははっきりと言った。


「あの人達は基本筋肉と武道にしか興味のない脳筋馬……いえいえ。純粋なブレア様大好きっ子ですね。正直世話する私には害がありまくりですが、お嬢様のような方々には害ないと思いますよ」

「………………“子”……?」


 ルーシーはやや皮肉交じりのエリノアの言葉に、筋骨隆々なブレアの配下たちを思い出して……

 あいつらそんな子供じゃねーだろと心の中で思った。


「……」(突っ込んだらやや冷静になったルーシー嬢)

「ああ、でもお嬢様は綺麗な筋肉してますからあいつらにはお気をつけなさいませ! 飴やるからとか言われてもついて行っては駄目ですよ!? 熊みたいな騎士は特にレディファースト精神道においては相当非道です」

「あ、飴……? わ、分かった。熊に注意ね……」


 ルーシーはやや話がずれているなと思ったが、エリノアの憤慨する様子に思わず頷いた。

 するとその耳に……廊下のどこかから微かに笑いを押し殺したような息遣いが届く。

 それを聡いルーシーは敏感に察して柳眉の片方を持ち上る。笑い声の主がどこにいるのかと視線を動かすが……

 それが見つかる前に、下から黒髪の娘に袖を引かれ、令嬢はまあいいかと視線を戻す。

 大方どこかで聞いていた衛兵が笑っているのだろう。


「エリノアなあに?」

「えっと……」


 問いかけに、エリノアは、一瞬どう言えばいいだろうかと考えるような仕草を見せた。


「?」

「その……お嬢様はダンスお上手ですし、また練習会に呼ばれることもありますよね……?」

「え? まあ……それは……王宮に呼ばれれば仮病使う訳にも行かないし……パパの為に行くけど……」


 それがどうしたの、とややげっそりした顔で返して来るルーシーに、エリノアは一瞬眉尻を下げる。


「……エリノア?」

「ルーシー姉さん……もしまたブレア様と踊る事があったら……あんまり怖がらないで差し上げてね」

「え……?」


 昔のように呼ばれて、ルーシーがきょとんとエリノアを見る。エリノアは少しだけ恥ずかしそうに両手の指をいじっている。


「えっと、私が言うのも差し出がましいとは思うんですが……殿下はそうやってお嬢様方に怯えられるのが本当はお嫌なんだと思うんです。あんまり顔には出ないみたいなんですけど……お嬢様だってビクビクした方がお相手だったら踊りにくいと思いません?」

「そりゃあ……まあ……でも噂が……何しろブレア様は王族なのよ、気に入らない相手を罰するのなんてお手の物。これまでにも幾人もそうして来たって話だわ」


 そうして地方に追いやられたらしい貴族の名をルーシーが幾つか上げると、エリノアは困ったような顔をする。


「そんな王子を相手にしろって言われたら、誰だって萎縮するわよ。呼ばれれば拒否する訳にもいかないし……下手したら累は一族にまで及ぶのよ?」

「そうですよね……」


 確かにエリノアも、その者たちがブレアの怒りを買って役職を解かれたという噂は耳にしたことがあった。

 が……

 エリノアは、先ほど自分の相手をする令嬢たちの評判が下がるのが忍びないと言っていた青年の顔を思い出しながら、ルーシーの顔を見た。


「……何か……理由があったんだと思います。そう無闇に感情だけで人を裁くような方だとは、とても思えないんです」

「エリノア?」


 静かな声ながら、きっぱりと言ったエリノアにルーシーが驚いている。

 そんな令嬢に、エリノアはにっこりと笑って見せた。


「きっと大丈夫ですよお嬢様。タガートおじ様は立派な将軍様ですもの。あんなに実力も実績もある方がそれくらいのことで地方に送られたりしませんよ」

「……本当?」

「事実……私も殿下の足踏んだことありますし……」


 かっくりと首を曲げ、ややげっそり達観したような眼差しでエリノアが言うと、ルーシーが目を剥く。


「はぁ!? だ、大丈夫だったの!?」

「ええ……もう、むしろ“踏め”と言われましたからね……」

「……何それ怖い……エリノア本当にそれ大丈夫なの!?」


 どういう主従関係だと、ルーシーに詰め寄られたエリノアは苦笑する。


「まあまあ。とにかく、侍女の私にすらこれだけ寛大に接して下さるのですから。お嬢様たちは大丈夫ですよ」

「……」

「ブレア様はそんな事はなさらないと、私は思います」

「……ふーん……」


 ルーシーは意外そうな顔をしてエリノアを見る。


「パパからあんたがブレア様の侍女になったって聞いた時はどうなるやらと(怒ってタガートに“クソ親父”を連発した)思ったけど……あんたってば随分ブレア様を信じちゃってるのね……」

「あら……(多分おじ様に迷惑掛けたような、予感……)ま、まあ、そりゃあ……我が主人様ですし……」

「ふーん……」

「お、お嬢様……?」


 高身長の令嬢は、じろりとエリノアをきつく睨む。口がムッとへの字に曲げられていて、その如何にも気に入らないと言いたげな顔にエリノアは戸惑った。



お読み頂き有難うございます。

ちょっと長めになりました。切りどころに迷い…(^_^;)


エリノアよ…早く家に帰れ…ブラッドが心配で家の中で暗黒面して徘徊していそうで怖い…


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