12 エリノアなグレンの色仕掛け ②
「………………」
エリノアは、羞恥と呆れとムカつきの狭間でめまいがした。
彼女の見守る先では、黄昏色の往来で、段差に腰掛けたリードと偽のエリノアが壁を背にして話をしている。
偽エリノア、ことグレンはリードの肩にもたれ、腕を絡ませて、今にも猫のようにごろごろと喉でも鳴らしそうな様子である。
それに対し……どうやらリードは、エリノアが酒に酔っているとでも思っているらしかった。
そりゃあそうだろうとエリノアは思う。
姿形はまったくそのまま同じだとは言え、これまでエリノアがリードの前であんなにしなを作って見せたことなど一度もない。
偽エリノアを気遣うようなリードの様子を見たエリノアは、何とも申し訳ない気持ちになった。
が、それをいいことにグレンの無遠慮なことと言ったらない。
自分のものにしか見えないその手の平が、青年の太腿を撫でるたびに──エリノアは、恥ずかしすぎてそれを今すぐへし折ってやりたいと思った。
時折チラリとこちらに流される愉快そうな視線の何と憎たらしいことだろうか。エリノアの真っ赤なこめかみがピクピクと動く。
「……ブラッド! 今すぐやめさせて! 恥ずかし過ぎて見てられない!」
このままじゃリードがグレンに誘惑される、と、エリノアは弟を振り返る。ブラッドリーがリードを特別に慕っていることはエリノアにだって分かっている。あんなセクハラを弟が許すわけがないと思った。
が、リードと姉を添わせたいブラッドリーは静かな微笑みを姉に見せる。
「大丈夫。リードが“姉さん”に誘惑されても何も支障はないよ」
「はぁ!?」
「まあまあ。もうちょっとやらせておこうよ……姉さんたちもそろそろ関係に変化があっていい頃だと思うんだよね……」
「っ!? 変化!?」
もうちょっとって何だ、と、姉は愕然としているが……弟は平然と「それに」と続ける。
「この際だし、ご近所さんたちにも姉さんたちの関係を知っておいて貰おうよ」
「か、関係……? 関係も何も……だいたいそんなことして何になるの……」
ブラッドリーの言葉にエリノアが戸惑っている。
このままでも十分恥ずかしいのに、それを更に近隣住民に晒そうという弟の言葉がエリノアには理解できなかった。もちろん、既に幾らかの近隣住民には目撃されてしまっている。
リードと偽のエリノアの傍を不思議そうな顔で通り過ぎていく通行人を見て、エリノアが慌てている。
「こ、このままじゃ私、近所でも有名な破廉恥娘になっちゃうんじゃ……」
わなわなと打ち震える姉に、ブラッドリーは何言ってるのと笑う。
「相手がリードだけなら問題ないでしょ。……リードって誰にでもモテるし、早くご近所内でも公認の仲になっておいた方が悪い虫も寄ってこないかなって、僕思うんだよね……」(にこり)
「わ、悪い虫……? いや!? どう見ても私がその悪い虫なような……!? いえ、あれ私じゃないですけども!!」
エリノアは引きつった顔でエリノアなグレンを指差す。
どう見ても、夕暮れ時の往来で困惑顔のリードに絡む偽エリノアはたちの悪い酔っ払いか、でなければ、良くて肉食系女子。悪くすれば色情魔である。なんせ、中身があのグレンであるからして──エリノアは、あの魔物が今にも悪乗りして過激な事をしだしやしないかと猛烈に不安だった。
しかし、ブラッドリーはそれでもやはり姉の不安を軽く流す。
「大丈夫、大丈夫」
「!? ど、どこらへんが!?」
エリノアは1㎜も大丈夫な気はしなかったが、ブラッドリーはかまわず朗らかに笑っている。
いよいよ弟の意図の掴めないエリノアは困り果てた。が──そこへ歌うような声が。
「ブラッドリー様ぁ~お夕飯出来ましたわよ~……て、あら、お帰りでしたのエリノア様。お仕事どうでした? 御局様にでもイビられたらすぐに仰ってね。あたくしがとっておきの呪いを教えて差し上げますわ。呪いってスリルがあっていいですわよ。失敗したら律儀に跳ね返ってくるところなんて健気で愉快じゃありませんこと? おほほほほ」
居間に料理用の木ベラと皿の乗った盆を持って現れたコーネリアグレースは、微笑んでそう言った。あたくしの呪い人形はよく効きますのよとか言いながら浮かべられる笑みの、何と邪悪なことだろう。
しかし、その婦人を見たエリノアは、ハッと希望を見た気がした。
「!! そうだった! グレンのママン……コーネリアさんがいた!」
「はい? あたくし間違いなくグレンのママンですけども?」
「コーネリアさん! お願いです! あれを……ご子息を何とかして下さい!」
「あれ?」
エリノアの訴えに、太ましい女豹婦人が不思議そうにその指先が示す方を見る。と、その表情がすぐに怪訝そうなものに変わる。
「あら? あの子ったら……暗がりで男の身体を弄ったりして何してるのかしら。もうすぐ夕飯だっていうのに……」
一目で偽のエリノアを自分の息子だと判別したらしい女豹婦人は、片眉を上げて不審そうだ。が……彼女はやれやれと首を振る。
「はー男の子ってホント不思議。時々母親でも分からないんですの、ま、意味の無い事に懸命なのが男の子の可愛いところでもありますわね。ほっとくのが一番ですわ、ほほほ」
言いながら。何事もなかったかのように食卓を整え始めた婦人に……エリノアはついに泣きながらそのエプロンに縋り付いた。
「コーネリアさん! ほっとかれると困るんですってばっ!!」
「……はい?」
嘆くエリノアを、婦人はきょとんと見下ろすのだった。
──訳を聞いた婦人は、あらまぁ、とエリノアの真っ赤になったり青くなったりする顔を気の毒そうに見た。
しかし──彼女は首をきっぱりと横に振る。
「ごめんなさいねぇエリノア様。そんなにお願いされたらあたくしも愚息をどうにかしてあげたいですけれど。それが陛下のご命令なら、あたくし、どうにも出来ませんわぁ」
「っ!? そ、そこを何とか! これじゃあ私、これからリードとどんな顔して会えばいいのか……ぎゃっ!?」
婦人に懇願していたエリノアは、一瞬窓の外を見て、真っ赤な顔で悲鳴をあげる。
視線の先ではグレンがリードの首元に大胆な仕草で腕を回している。その婀娜っぽい己の姿にエリノアが飛び上がる。
「ひぃっ!? 色目が過ぎて見てられない!! あんな表情自分でもしたことないって言うのに……あ、胃痛が……コーネリアさんっ!」
「まぁ……エリノア様ったら、顔色が魔物トカゲみたいに真っ青ですわぁ……面白い……」
助けを乞うエリノアのあまりの血相に、婦人は一瞬チラリと主人の少年の方を見た。
「……そうですわねぇ……あたくしちょっとエリノア様の泣きじゃくるご様子に心を打たれてしまいましたわぁ……じゃあ、こうすることに致しましょうエリノア様。ご自分で何とかしていらっしゃいな」
その言葉にエリノアがエッという顔をする。
「で、でも今、私が出て行ったら……」
「だーい丈夫、あたくしお助けしますわ」
困惑顔のエリノアに、コーネリアグレースはドンと己の豊かな胸を叩き、にんまりと笑う。
その息子そっくりの笑顔に一瞬胸に嫌な予感が過ぎるエリノアだったが──
けれどもエリノアが二の句を告ぐ前に、婦人は持っていた木ベラを空でまぁるく振った。
と──
きょとんとしていたエリノアが、次の瞬間に、「あれっ!?」と、高い声で言った。瞳は丸く見開かれ、そして忙しなく瞬いている。
そんな“エリノア”を見たコーネリアグレースは満足そうに頷き、それから主人に向き直った。
「如何ですか? 要するに、陛下はエリノア様をリード坊とを恋仲にしたいのでしょう? それならばこれも効果が期待出来るかと」
それを聞いたブラッドリーは、キョロキョロしている姉を無言で見ていたが、不意にくすりと口の端を持ち上げる。
「やれやれ。コーネリア、お前ときたら……随分と強引な手を使うね……流石に姉さんが可哀想だよ。心を打たれたんじゃなかったの?」
「あら、おほほ、勿論心打たれましたわ。あたくしは背中を押して差し上げたんですの。若人ですもの。時には荒波にダイブしませんと運命に打ち勝つことなど出来ません」
婦人は己の尾をくねらせながら抜け目のない顔で笑っている。
「男女の愛なんてものは流され易いものです。目の前にその尻尾が来た時にしっかり掴まねばたちまち逃げて行ってしまいますわ。それに心の距離を縮めるには、まず身が近づかなければ話になりませんわ」
おほほ、と木ベラを高らかに掲げる女豹婦人に、ブラッドリーが苦笑する。
と、そこで、床の上にいた“エリノア”が、つまらなそうに口を尖らせた。
「もう母上ったら……! 息子の仕事に手出ししないでよ! せっかく姉上の顔が面白いことになってたのにぃ!」
「お黙り! お前が楽しんでどうするのです、いいからさっさと夕食の用意を手伝いなさい!」
「ちぇー」
コーネリアグレースたちがそんなやり取りをしていた頃。
エリノアは……
「…………え……?」
思わずぽかんと瞬いていた。
弄ばれるエリノアと、リード回。③もチェック後連投予定。




