9 ブラッドリーの初仕事。店主は息子を励ましたい。
──リードは、涙ぐんでいた。
看板息子が店の真ん中でハラハラ泣いているとあっては、やって来た客たちは皆一様に「なんだなんだ」と彼を眺めていく。
そんな彼の視線の先で、箒を手に、照れ臭そうに彼を見返しているのは、
ブラッドリーだった。
「リードやめてよ、なんで泣くの……僕の掃除の仕方……変なの?」
ブラッドリーは今、モンターク家の商店の中を箒で掃いていた。
けれども生まれてこのかたずっと病床についていた彼は掃除なんか殆どした事がない。もちろん前世の魔王時代にもあろうはずがなく……
とりあえずは、いつも家で姉がしてくれていた姿を思い出しながら自分なりにやってみたつもりだった訳だ。が……
そうすると、何故か背後でリードの瞳が潤み始めて……
ブラッドリーは困ったような様子でリードの顔を見る。
すると、泣き顔までもが爽やかなその青年は、笑って首を横に振って見せた。
「いや……悪いつい。ブラッドが働けるまでに回復したんだなぁと思うと感慨深くて……」
何てことない。単に嬉し泣きである。
ブラッドリーは思わず苦笑いする。
「それで……ええと、次は何をしたらいいのかな……?」
「そうだな、じゃあ、商品を棚に並べてくれるか?」
リードは涙をぬぐうと、床に置いてあった箱の内の一つをブラッドリーに手渡す。
「場所は分かるか? 重くないか? 疲れたらすぐ言うんだぞ?」
「大丈夫だったら……」
心配そうに付いてくる青年にブラッドリーがやれやれという顔をする。手渡されたのは、調味料の小瓶が1ダースほど並んだだけの箱である。そう幾らも重いはずがなかった。
──そんな彼らの様子を──窓の外から、うっとりほのぼのと見ている犬がいた。その巨体の背後にくっついた白い尾は、ぶんぶんとしなりながら大きく左右に揺れて喜びを振りまいていた。
「陛下のエプロン姿……初々しい……あんなお姿初めて見たぞ。なあ、なんと言う可愛らしきお姿だろ……」
うか、と言いかけて。隣を振り返ったヴォルフガングは──
そこでギリギリとハンカチの端を噛みながら唸っている婦人を見て、その異様さにぎょっとする。
言わずと知れた、魔界の女豹コーネリアグレース(人型)だった。
「あ、あ、あ……あたくしの陛下が……労働を……あああっ、つまずく! ええぃ邪魔な箱め……消し炭にしてやりたい! あああっいやっ! あたくしっ、もう見ていられない!!」
「……落ち着け。騒ぐなコーネリアグレース……」
人型に化けた女豹婦人は、ついにハンカチで青い顔を覆って涙し始めて。ヴォルフガングはやれやれと犬らしからぬため息をつく。
「お前がそう騒ぐから、店内から追い出されてしまったんだろうが……」
本当なら、犬であるヴォルフガングとは違い、人型に化けたコーネリアグレースは店内に入れてもらえるはずだった。
が、ブラッドリーの初仕事に本人よりも緊張した彼女は、ブラッドリーの傍で甲斐甲斐しく、甲斐甲斐しく世話を焼き過ぎた。それがあまりに店の邪魔になっていたのか、単に暑苦しかったのか……
結局コーネリアグレースは、にっこり笑ったブラッドリーに仕事にならんと、退店を命じられてしまったのである。
「だって……心配なんですもの! あんな、あんなちっぽけな小瓶どもなんか、陛下が触れただけで塵になってしまうんじゃないの!? それで陛下が自信を失っておしまいになったらどうしたらいいの!? 人間が作った些末な物共が陛下を傷つけたら……」
泣き出した婦人は、ガッと仲間の白犬の首元を掴むと、激しく前後に揺すり始める。
「ヴォルフガング!! 今すぐ店の全ての物に強化魔法をかけるようにメイナードに言ってらっしゃい!!」
「…………落ち着け……」
(……やっぱりリードは凄いな……)
ブラッドリーは手伝いをしながら、モンターク家の看板息子の、気持ちのよい仕事ぶりを眺めていた。
リードは店を訪れる買い物客を次々に接客して行くのだが、その手際の良さと人当たりの良さには目を見張るものがあった。
モンタークの商店には、食料品から雑貨、煙草などの嗜好品など、様々なものが所狭しと取り揃えられている。その分訪れる客も様々で、なかには気難しそうな客もいるのだが、
眉間に皺を寄せて歩いて来た紳士も、口うるさそうな夫人も、リードの笑顔に照らされるとたちまち笑顔になった。さすが看板息子と称されるだけはあるなぁ、とブラッドリーはつくづく感心していた。
ブラッドリーは、本当にリードが好きだった。
彼は昔から、大変だったエリノアを親身に支えてくれて、病弱だった自分にもとても親切だった。
ブラッドリーはリードのことを実の兄のように思っていたし、それは、人間を「取るに足らないもの」と見なしていた頃──“魔王”としての自分を思い出した後でも変わらなかった。
そうして店の手伝いをしながらの事。そういえば、とブラッドリーが棚に品物を並べながら呟いた。
「聞こうと思ってたんだけど」
「ん?」
店を出た客に、爽やかな笑顔で手を振りつつ応じるリードの背に、ブラッドリーは何気ない調子で言った。
「リードって姉さんのこと好きなんだよね?」
次の瞬間、店内に、ぶほっと盛大に間の抜けた音がした。
ブラッドリーが驚いて後ろを振り返ると、リードが店の出入り口の柱に手をついて赤い顔でむせかえっている。その拍子に傍にあった商品を倒してしまったらしい青年に、店奥から店主が何をやってるんだと言う顔で眉をひそめている。
「……どうしたのリード?」
「ぐっ……は、は…………はぁ!? な、お、俺……っ!?」
「あれ? 違うの……?」
ぜいぜい言っているリードの様子に、ブラッドリーの顔が曇る。
「僕、いっつもリードと姉さんが二人でいるところ見て、もう夫婦みたいだなぁって思ってたんだけど……」
「ふ……!? い、いや……なん、なんだよ急に…………ちょ、やめてくれ……」
ブラッドリーの率直な言葉に、リードの顔が尚のこと赤くなる。
「だって、姉さんも年頃だし……そろそろはっきりさせてくれないと」
「……は、はっきり……?」
「うん」
頷く少年の食い入るような視線を受けて、リードの額にじわりじわりと汗が浮かぶ。
「お、俺は……」
「うん」
「…………エ、エリノアの事……」
「……」
ブラッドリーは静かに言葉の先を待った。
が──
その言葉が出る前に、リードの手が傍にあった箒を、ガッと掴んだ。
「ちょ……俺……外、掃いてくるわ!!」
「え」
叫ぶように言って。リードは真っ赤な顔のまま、店外へと飛び出していった。
その──つい先ほどまで爽やかな笑顔で働いていた青年の──
あまりに素早い逃亡に。驚いたブラッドリーは目をパチパチと瞬かせている。
「……リード?」
「あーダメダメ、ブラッド坊ちゃん。リードのヤツいっつもああなんだ」
「おじさん……ああって?」
手をひらひら振りながら近づいて来たリードの父は、口元に笑いをたたえて肩をすくめている。
「どうにもエリノア嬢ちゃんの事となるとあいつもデリケートでねぇ。商売には頼もしいんだけど、そっち方面はからきし」
「……そうなの……?」
店主は頷く。
「あれでもけっこう好いてくれるお嬢さん達はいるんだけど。そういう浮いた話がちっとも出ないのはエリノア嬢ちゃんのせいだって俺も思ってんだけどねぇ……どうにも煮え切らない」
ため息をつく店主の言葉に、ブラッドリーは意外そうな顔をする。
「……でも、僕、二人がまとまってくれないと困るんだけど……」
「ん?」
「リードが貰ってくれなかったら姉さん一生結婚できなくなっちゃうじゃない」
いかにも困ったというふうのブラッドリーに、店主が不思議そうな顔をする。
「へ? なんでだい? エリノア嬢ちゃん働き者だし、元気だし、そこがいいって男もいるんじゃないかい?」
と、少年は穏やかに笑った。
「そりゃあ勿論姉さんは、誰よりも器量よし(※ブラッドリー主観)だよ。でも、リード以外の人間男に僕の大切な姉さんをやるなんて。ふふふ、考えただけでも虫唾が走るよ」(にこり)
「………………へぇ………………なるほど……虫唾が、……ねぇ……」
「本当は相手がリードでも、姉さんをあげたくないなって思うときもあるけど……それは姉さんも可哀想かなって。でも、リードが駄目ならもう僕が一生守っていくしかないかな。まあ、それでも全然いいんだけど。僕、人間がそんなに好きじゃないし……取り敢えず姉さんが、リード以外を恋人だって連れてきたら許せる気がしないかな」
「……」
店主は押し黙った。色々に思うこともあったが……ひとまず、にこにこ微笑む少年が、エリノアのこととなるとやけに饒舌になるんだなぁ、と思った。
「……知らなかったよ、ブラッド坊ちゃん……そういう性格だったんだねぇ」
「ふふふ。あ、大丈夫、僕おじさんの事は好きだよ」
「そうかいそうかい、ありがとね…………煮え切らない息子で、悪いねぇ……」
「ううん。でもリードのあの様子なら充分希望はありそうだし……僕もリードを応援しなくちゃね……!」
「……」
どこか根深そうな闇を感じる表情で笑う少年に……
店主は思った。
──息子よ……、頑張れ。
「……うん……よし。とりあえず、ブラッド坊ちゃんも色々……頑張ろうな!」
「? うん。」
何かを飲み込んだような表情の店主に背を叩かれて。不思議そうな顔をしながらも、ブラッドリーは朗らかに頷いた。
お読み頂き有難うございます。
今話はちょっと気分を変えて、リードとブラッドリーです。
最近考えすぎているのか…楽しく書くことが出来ていませんでした。反省です。ここからまた頑張ろうと思います。




