勇者の挙動には王子の鉄仮面も脆く…
その時ブレアは、エリノアと共に離宮に戻りながら、ずっと魔物対策について考えていた。
現在はいくらか友好的(?)ではあるとはいえ、エリノアや国民を守るためには何か安全策を練っておく必要があった。エリノアの弟たる魔王は彼にとても刺々しいが、よほど姉を慕っているらしく、今のところブレアには言葉での攻撃しか向けてはこない。まあ……今回は魔法で排除されてしまったわけだが。
問題は、彼の配下たちだった。困ったことに、魔王配下の中には油断のならない性格の者も複数いる様子。(コーネリアグレースとか、双子とか、グレンとか、グレンとか、グレンとか……)
“エリノア至上主義”の魔王の手前、彼らが彼女に非道なことをするとは思えないが……それでも人と魔物の間に立つ者として、エリノアが困らされるようなことは多々ありそうだった。そのような時に、自分が何もできないままではいられない。いざという時、変幻自在の魔物たちを取り押さえることも、触れることすら叶わないようでは、話にならないではないか。
ブレアは、以前王宮で巨人のエゴンと対峙したものの、はじめはその巨躯に傷ひとつつけられなかったことを思い出して苦々しい顔をする。そんな彼が、まず策としてはじめに考えたのは、女神の徒として天に加護を請うこと。
しかし……それはそう簡単なことではない。王族とはいえ、ブレアは聖職者でもなく、ただの人間だ。そのような者が魔物に対抗しうるほどの女神の加護を得るということは大変なこと。それこそ聖剣を手にしたいと願った多くの者たちが、何十年も己を磨き、挑み、敗れ続けたような……。
エリノアのように天に選ばれた者でも無い限り、それを得ようとすれば大変な苦労が伴うものなのである。(……いや、選ばれたエリノアもある意味かなり苦労をしているが……)
ブレアはどうしたものかと考え──と、その脳裏に、ふとある一人の魔物が思い浮かぶ。
(……あの時のように“彼”に助力を申し入れてはどうだろうか……)
ブレアが思い出したのは、灰色の獣人の顔。黒猫軍団の父、魔道具使いのグレゴールだった。
エゴンとの戦いの折も、自分とルーシー・タガートは、彼の魔道具の力を借りて魔族たちに対抗した。今回も、あの時のようにできないだろうかと、ブレアは彼との取引の可能性について考える。『魔物と取引』というと、魂でも取られそうな危険な響きだが、魔王が『人間に手を出すな』と命じているアンブロス家の領では、彼らは驚くほど人間たちに無害である。そして彼らは獲物にできない人間には興味がなく、ブレアにも同様。せいぜいが魔王に無礼を働かないか監視されている程度で。それもエリノアに対する口論なら、『ああまたか』と、生温かく見守られる始末。
魔物らにとって取るに足らない存在である人間との取引に、グレゴールが応じるかは分からないが……彼の見立てでは、あの収集癖があり、人間界の物質や生物に妻が呆れ果てるほどに執着している魔物なら……好物で釣れば(※蝶々とか)なんとかなる気がして。(多分なる)
ブレアは近々、博識なジヴやハリエットにでも、希少な蝶でも手に入らないか相談してみるかと考えて──………………
……そう。それは、彼がこんなことを真面目に考えていた直後に起こったのである。
──夜を過ごして──……!
──胸の谷間が──……!
……頭の中が、すっかり物騒な魔物のことで満たされていたところに。いきなりそのようなあらぬ妄想を掻き立てるような言葉が愛しい声で挟みこまれたとあっては……。
さすがのブレアも、いったい何事が起こったのかを理解するまでにかなりの時を要してしまった。青年は唖然として、目の前でその言葉を発したばかりの娘の顔を見下ろしていた。耳の奥ではその一言一言が、何度も何度も反響している。
「…………」
「…………」
互いに顔を強張らせ、見つめ合い、黙りこくった二人に。周囲では、離宮のエントランスで並んで彼らを出迎えていた使用人たちが、ブレア同様エリノアの『谷間』発言にギョッとしていたが……彼女らはすぐ何かを察したように、素早く気配を消して。まるで──最初からエリノアたちの帰宅になど気が付いていなかったような顔で、抜き足差し足コソコソとそこから立ち去っていく。さすがうっかり者のエリノアの離宮に仕えるだけあって、なんとも優秀な人々である。
さて、己の可愛い婚約者を、目をまるくして見つめていたブレアは。その直前、彼女が突然足を強く踏み鳴らしながら宣言した叫びを驚きを持って反芻していた。その中には、彼女が口走るにはやや大胆な言葉が含まれていたような気がして──一瞬聞き間違いではとも思ったが。エリノアの呆然とした顔を見る限り、そうではなさそうだった。
ならばとブレア。彼女はあの台詞をいったいどういうつもりで言ったのだろう? 言葉だけを聞けば……それはかなり積極的な行為を想定してのそれに聞こえたが……。何故、今? ここで? ……いや、エリノアが自分に積極的になってくれるのはとても嬉しいことなのだが……。
戸惑ったブレアは、今すぐエリノアに真意を尋ねたい衝動に駆られたが……そうしてはいけないような気もしていた。何故ならば、彼女はこうも続けたのだ。
『……、……、……まさか……私……声……、……出てました……………………?』
その表情は引き攣っていて、おびただしい汗が流れていた。細い声の語尾は震えていた。……つまり、どうやらそれは、ブレアに聞かせるために発した言葉ではなかったらしい。そう考えているうちに、はじめは果実のように赤かったエリノアの顔色が、今は生気が消えゆくようにすっと白くなって……。己の口走ったことが信じられないというように見開かれた瞳は、『聞いていなかった』、そうブレアが言うことを強く願っているようであり──。ブレアはどうすべきか迷った。うわずった声で訊ねてくる娘のためには、ここは聞かなかったフリをしたほうがいいのだろうか。偽りでも、彼女がそれで救われるのならば……と、も、思った、……が……。
青年はつい、先ほど彼女が『ご披露する』と豪語したそれに、視線を落としそうになって……。そんな自分に気がついて、慌てて自分を制し、そちらを見ないようにすることで精一杯だった。
そうして彼は気がついた。いつの間にか、自分の頭が焦げつくように熱い。全身はもぞもぞとこそばゆく、心臓の鼓動は耳まで届き──ブレアは察して表情を歪める。
──これは……絶対に己の顔が真っ赤になっているのだ。その状態を悟った途端、気恥ずかしくて堪らなくなった。別に二人は恋人同士。悪いことではないのだが、ただ──ヘタレ歴が長い彼は、ただひたすらに恥ずかしかったのである。
そしてブレアはつい──視線をエリノアの顔から外してしまった。そうしてやっと出た重たい一言が……。
「……………………すまん」
……だった。
しかし彼は、言ってしまってからしまったと思った。自分よ、何故今謝った⁉︎ それでは、エリノアの『声でていましたか?』という問いに、『聞こえていた』と、肯定したも同然ではないか。
だが、時はすでに遅し。ブレアが己の不甲斐なさに更に狼狽えた瞬間。目の前では──エリノアが、床に沈む……。
「──っあああああああ‼︎‼︎‼︎」
それはまるで……土下座するような姿であった……。
どこか遠くで……誰かがキャハハと転げ笑うような声がしたような気がしたが……。
今の二人には、それが誰だなどということを考えている余裕などなかった…………。
お読みいただきありがとうございます。
いよいよ、エリノアの物語ラストまであと数話。寂しいですが、最後までお楽しみいただければ幸いです。




