令嬢と聖獣様の恋バナ?
──その時、魔将ヴォルフガングは悩んでいた。
この己の現状を、いったいどうしたらいいのか。
人間の国で、聖獣として敬われる居心地の悪い日々。毎日侍女たちに楽しそうに骨つき肉を献上され、ブラッシングをされ……。いや、街中で子供たちにいいようにされていた以前を思えば、分別のある離宮の人間たちはまだマシな気がするが……。時々、彼は思うのだ。
(俺は──……いったいいつまで犬のふりをすればいいんだ……?)
なまじ聖獣などというものに据えられてしまったせいで、勇者エリノアの傍を離れられなくなった。挙句、主君、魔王ブラッドリーは、笑いながら自分に命じたのだ。
『……聖獣? お前が? ……ははははは! いいじゃないか! そのまま人間どもを騙して姉さんの警護しっかりやってね』
……もちろんヴォルフガングは、そんな……と思った訳だ……。
敬愛する主君の傍という名誉ある居場所の代わりに与えられるのが、人間の国での落ち着かない娘の警護なんて。これが主君にとっては重要な任務であることは分かっているが……。忠実なる自分ではなく、あの捻くれ者のグレンの方が主君の傍にいられるということもまた皮肉なことである。
「……おまけにせっかく陛下にお会いできる機会に、俺だけ聖剣のお守りで留守番だと⁉︎」
いかに人間の世界といえど、今や魔王の根城と化したアンブロス家の屋敷であれば、彼もこのような犬のなりではなく、立派な将の姿で主君の傍にあれたものを。エリノアのやつめ! 不公平だ! と、嘆く白い犬に──……。容赦のない声が放られる。
「あんたね……さっきからジメジメして……いつまでその愚痴を続けるの? いいから聞きなさいよ私の話を」
聞き飽きたわ、今度は私の番よというルーシーに。ヴォルフガングは、いじけた顔でそっぽを向く。
「うるさい! ……ふん! お前の話はどうせジヴがどうしただの、ジヴの瞳がどうだの、ライバル女を退けてやっただのそんな話題ばかりではないか! 聖剣の面倒を見るだけでも大変なのに、どうして俺様が貴様の恋愛話まで聞いてやらねばならぬのだ!」
「あんた……自分は散々私に愚痴っておいて……」
ヴォルフガングは、侍女たちがソファの横に据えてくれた大型犬用の寝床からギロリと令嬢を睨むが──ルーシーはびくともしない。一瞬呆れの表情を見せた令嬢は、相変わらず魔将にも怯まぬ平然とした様子で肩をすくめて返す。
「だって、あんた毎晩エリノアの恋バナ聞いてあげてるんでしょ? いいじゃない、私の話も聞きなさいよ」
義理の妹エリノアから、彼は口うるさいが、なかなか聞き上手だと聞かされているルーシーは完全にヴォルフガングを、恋バナの相手としてロックオンしている。
……仕方ない。はじめに彼女が話相手に選んだ聖剣テオティルは、ジヴの昔話を聞ける貴重な存在なのだが……
正直、返答がいちいちトンチンカンすぎて。恋の話題にふさわしい相手ではなかったのだ。今も彼女たちの正面の椅子には聖剣の姿があるが……彼はソル・バークレムに与えられた課題の紙の綴りを前に、楽しそうに机に向かっている。そのほのぼのした様子に、ルーシーは消化不良という顔でため息をつく。
「……聖剣様はちょっとね、ときめきを解されないのよね……そこがちょっと物足りないっていうか……やっぱり恋の経験がある人が相手じゃないと話が盛り上がらないわ。……で? あんた、恋したことあるんでしょうね?」
少し顎を上げたルーシーに、ジロジロと圧の強い視線を注がれたヴォルフガングがギョッとする。
「⁉︎ き、貴様……なんなんだその高圧的な……」
「まさか千年以上も生きといて、一回も恋愛経験がないなんて言わないわよね? どんな女性が好きなの? ああ、もちろん別に男性でもいいけど?」
「⁉︎ ⁉︎」
座っていた長椅子を立ち、顔面に迫る勢いで捲し立てて来る令嬢に。ヴォルフガングは目を白黒させている。が、聞いといて話を聞かない令嬢は、彼の様子などお構いなしで話題をどんどん進める。
「ね、紳士的な殿方相手には、慎ましく行くのと、それとも大胆に迫るのと、どっちがいいと思う?」
「や、やめろ⁉︎ 俺は聞かぬ! 俺はお前の話など聞かぬぞ⁉︎」
白犬は牙を見せながら、己の前脚で器用に耳を塞ぐ。そうして侍女たちからもらったふっかりした毛布に潜りこんでルーシーの恋バナから逃げようとする魔将を見て。令嬢はヤンキー顔で「あーら」と笑う。
「あーらあらあら、そうですかぁ。エリノアはよくて私の話は駄目だっていうんですかぁ? ふぅん、聖獣様はよっぽどエリノアが特別なんですねぇ……もしかして──エリノアが好きなんですかぁ?」
「⁉︎」
途端、ヴォルフガングが毛布を跳ね飛ばしてギョッとした。
それは、あからさまなる挑発だった。非常に分かりやすい煽りであり、それによって相手を思うように動かそうというヤンキー嬢の意図が見え見えの──……。
しかし、それが分かっていてもなお、ヴォルフガングにはそれに乗るしかなかった。
白犬は慌てて毛布から出てきて令嬢に反論する。
「ば──き、貴様、馬鹿なことを言うな! だ──誰が……っ⁉︎」
面白いくらい狼狽え、見事に釣れた白犬に。ルーシーが勝ち誇った顔でニヤリと笑う。その表情の、意地の悪そうなこと……。
「あーららぁ! 分っかりやすいワンちゃんですことぉ!」
「ワ⁉︎ き、貴様……俺様を誰だと──」
「え? エリノアが大好きなワンちゃんでしょう?」
「⁉︎ ち、ちが……っ、違うぞ⁉︎ 俺様はあくまでもあやつの保護者としてだな……⁉︎ き、貴様ぁ! そのような見当外れな与太話を吹聴して回ったら許さ……」
ないぞ、と、言いかけた魔物を、ルーシーは「はーあ?」と、片眉を持ち上げて睨む。
「黙って欲しかったら、どうしたらいいか分からないんですか? ──ちゃんと付き合いなさい。私の恋愛話に」
キッパリ言われたヴォルフガングは愕然とする。
「な──なんだと⁉︎ な、なんというふてぶてしい……人間貴様、まさか俺様を脅しているのか⁉︎」
憤慨するヴォルフガングを、表向きヤンキー顔で見下ろしながら、その実、冷静に魔将を観察していたルーシーは、心の中でニンマリする。
(……面白い……これは……なかなか面白い聖獣様の弱点を見つけたわ……)
怒るということは、つまり、ルーシーの指摘もまるきりの見当違いということでもないらしい。まあおそらく、要するにこの魔物はエリノアにとても懐いてしまっていて、しかしそんな自分を素直に受け入れられないのだろう。ルーシーは口の端を持ち上げて、美麗に微笑む。
「……ふふ、これは利用できそうね……」
「⁉︎」
令嬢のあまりの不敵な顔に、魔将がギョッとしている。
ルーシーは、これを好機と見ていた。魔将は非常にプライドが高そうである。それはつまり弱点の使いようによっては、きっとタガート家にとって有益。魔物という稀なる力を自分の家門の糧にするよき機会である。
ルーシーは……恋する乙女ではあるが、将軍家の勇ましき一人娘でもある。家の者たちの生活を己が支えていくという自覚と責任とがしっかりある彼女は、その為になら、どんなものでも利用しようという気が満々なのである。──そう、例えばそれが魔物や聖剣であろうとも、いや……魔王でさえも。
ルーシーは、そんな強かさを隠そうともせず、ニッコリと笑う。
「ふふふ、聖獣様♡ これから仲良くしましょうね♡」
「お、お前……恋バナはどうした……」
すっかりやり手の商人、もしくは勝負師のような顔になったルーシーに、ヴォルフガングは非常に身の危険を感じた。
そんなやり取りを、はたから見ていたテオティルがなんとなしに、「何やら邪な気が漂っていますねぇ」と漏らし──と、その聖剣の顔が、急にハッと輝いた。
「あ! エリノア様がお戻りです!」
テオティル嬉しそうに立ち上がって。ソルの課題をテーブルの上に放り出し、居間をスキップで飛び出していった。それを聞いたルーシーも、ジロジロ見ていたヴォルフガングから身を離し、嬉しそうに立ち上がる。
「あ、じゃあ私もエリノアと恋バナしなきゃ♡ ではそういうことで♡ ご機嫌よう聖獣様♡」
「⁉︎ ちょ、待て貴様⁉︎」
調子のいい顔でそそくさと居間を出ていくルーシーに。帰ってきたエリノアにおかしなことを言われては身の破滅(※ブラッドリーに伝わったら怖い)とヴォルフガングは慌てそれを追い。テオティルに少し遅れて帰宅者たちを出迎えた二人は──……………。
「──っあああああああ‼︎‼︎‼︎」
「「…………」」※ルーシー、ヴォルフガング
「? エリノア様?」
そこで早々に、呆れ果てて黙りこむ羽目となった。
玄関ホールの中央で、両膝を大理石の床に打ち付けて呻き声を響かせるエリノア。
打ち震える彼女は頭を抱えていて、その顔は真っ赤である。彼女の傍に立っているブレアは何故か呆然と固まっていて──……。
ルーシーたちよりも先に二人を出迎えた離宮の使用人たちは、どこか気まずげな顔でこっそりこっそりとその場を立ち去ろうとしていて……。
その有り様を見たルーシーが思わずつぶやいた。
「……、……、……今度は……何……?」
「…………(多分、くだらぬことのような気がする……)」
呆れ果てて思わず並んで見守ってしまった令嬢と白犬に、その隣でチクタクとエリノアの様子を測っていたテオティルが朗らかに言った。
「えーと、エリノア様は……あ、大丈夫。いつものことですよ。なんだか羞恥に打ち震えておいでです。どうやらブレアに愛を囁き間違えたと悔やんでおいでのようですね」
「「…………」」
よかったーと安心したように微笑みながら、るんるん主人の元へ走っていく聖剣に。ルーシーとヴォルフガングの気持ちが静かに通う。
──…………見守る? 助力が必要かしら……?
──……いや……やめておけ……。のんきな聖剣はまだしも、我らに気がつけば、エリノアの羞恥心に拍車がかかって状況が悪化するぞ……。ここは……当人らだけで解決させろ。
──……そうよね……。すごく気になるけど……。
ここは我慢するしかないわねと令嬢は、この時ばかりは白犬の提案に従い、素直にその場を退散することにした。
魔物の弱みは平気で突くが、大事な義理の妹に対してはそうもいかないのである。
お読みいただきありがとうございます。
前話の流れのままストレートにラストに向かおうとしてうまくいかず(^^;)急遽、ルーシーの高圧的な恋バナ?回を挟み込むことにしました。
さて…エリノアは今度は何をやらかしたのでしょうか。
続きも頑張ります!
誤字報告いただいた方お手数おかけしました、感謝です!




