女豹婦人に、抜け目などあろうはずがない。
「ですからね」と、黒猫は言った。
──マリーたちに思い切り拒絶されて。しゅんと肩を落とした娘の膝の上にモッフリしたその身を預け、母猫コーネリアグレースは、微笑んでエリノアを見上げる。一見慈悲深く見える笑顔は、しかしどこか黒い。
『──あらあらぁ、そぉんなに猫に触りたいのでしたらあたくしが化けて差し上げますわよ? こう言ってはなんですが、あたくしの毛並みは極上のシルクタッチ。そんじょそこらの小娘どもには負けぬ手入れの行き届いた自慢の被毛ですの、ほほほほほ!』
──と。そう言って。ずかずかとエリノアの膝の上に登ってきた美意識の高そうな黒猫。その愛想のいい言葉を聞いたエリノアは、もちろんこれは自分を慰める為というよりは、きっとなんらかの目的の為、懐柔する為の手段なのだろうなぁ……とは……思ったが…………。
中身が腹黒そうな魔物婦人だとは分かっていても。ふっくら魅惑的な猫の姿で膝に登ってこられると。膝の上で誘うようにコテンコテンと寝そべられ、しっぽで誘惑されると……。
癒しに飢えていたエリノアには、とてもではないが、その誘いに争うことなどできなかったのである。
──と、いうことで。
「…………気持ちいい……」
まだちょっぴり子猫たちに未練がましいしょんぼり顔を向けてはいるが、エリノアは猫姿の婦人の背中を素直に撫でさせてもらうことにした。婦人が自慢げに話すだけあって、彼女のわがままボディを覆う毛並みは確かにとても手触りが良かった。指に優しい感触は繊細で暖かくて。その背中に手を行き来させていると、悔しいが……幸せを感じた。
(…………魔物に癒されている不思議……)
エリノアは複雑な心持ちで、己の膝の上をのっすり占領した猫婦人の背中の毛をもふもふしながら彼女の話を聞いた。
「ほぉら、リードちゃんはメイナードの添え木を与えられて魔力を得たでしょう?」
「……はい」
「困ったことに、その魔力、とても魅惑的なんですの」
「……魅、惑的……?」
婦人のその言葉に、エリノアが一瞬説明を求めるような困った顔をした。と、猫姿の婦人は、毛並みの中に埋もれた黒い鼻先で、あれを見よと示してくる。──その先にいたのは、相変わらずマリーたちや双子たちに囲まれ、わいわいと賑やかなハーレム状態……と、いうよりは。園児に囲まれ取り合いされる保育士状態のリードが。
「ちょっとマリー! なんでいっつもアンタばっかりリードの隣に座るわけ⁉︎」
「だって、まおうさまのつぎに、あたしがリードとなかよしなんだもん!」
「嘘おっしゃい!」
リードの隣で飄々と言ってのけ、青年の腕にぴったりくっついて座る少女に。姉妹たちは口を揃えて「ずるい!」と唸っている。と、牙を剥く娘たちに臆することもなく、リードが彼女たちの頭を「落ち着こうな?」と撫でて──。途端、優しくされた娘たちが、青年にとろけるような顔で彼の傍に侍って──……。それを見た母コーネリアグレースは生温かく鼻で笑い、エリノアはくらっと来た。なんという可愛らしい諍いだろうか。羨ましさが爆発である。
──因みに。リードは現在大人数用の長机の一番端に座っているが、マリーが陣取った反対側の席、一番上座の席は必ず空席にしておくことが魔王によって定められている。……もちろんそこはブラッドリーの特等席だというわけだ。大切な兄貴分の隣を絶対に誰にも譲る気のない君主を持つ彼女たちにとって、つまり、リードの隣に座ることのできる場所は一席しかない。
ゆえに、この毎食ごとに繰り返される娘たちの大騒ぎを見たコーネリアグレースは、微笑みにうんざりした様子を滲ませるのだ。
「……ほーんとに姦しいこと。若い娘たちのエネルギーには圧倒されます。エリノア様もあの熱烈さを見習ったらいかが? たまにはああやってブレアに熱烈に迫ってごらんなさいよ」
「⁉︎ え⁉︎」
急な流れ弾的提案にエリノアがギョッとする。あんな猫丸出しな甘え方を自分がブレアに出来るはずがない。──いや、できることなら、してみたいが。
「⁉︎ ⁉︎」
己のうちなる願望を感じ、エリノアが真っ赤になったのを見て。コーネリアグレースが愉快そうに笑う。
「きっと面白いものが見れますわよぉ、おほほ誘惑慣れしていなくてしくじるエリノア様と、恥じらい震えるエリノア様に慌てたブレアが目に浮かぶようだわぁ……」
「⁉︎ ⁉︎」
「ま、それは今は置いておくとして……」
エリノアを動揺させるだけさせておいて。相変わらず、婦人はいつものようにケロリと話題を変えてくる。
「それで。リードちゃんに添え木を与えたメイナードは、元々ずっと魔王様の魔力を養分として育った樹木なので、その一部を与えられるということは、僅かとはいえ、リードちゃんは魔王様の魔力を授けられたも同然なのです。……それでまあ、我が娘たちはああしてリードちゃんに執着しておるというわけで……」
力こそすべてという魔界の住人にとって、魔王ほど力に溢れた存在の眷属ともなれば、いやでも注目を浴びると婦人は言う。
「おまけに魔王様が一心に大事にしているお方でしょう? まーあ、うちの子たちじゃなくても魔界勢は放っておかないというわけなんですの。リードちゃんは見目も可愛らしいし、気立てもいい。そして何より気遣い上手です。……娘たちなどイチコロですわ。ま、今現在のところ、あれが恋情かと言われれば、まだどちらとも言えませんけれど」
「は、はぁ……なるほど……」
婦人の説明はなんとなく分かったが……エリノアは一抹の不安を感じて尋ねる。
「でもそれって……リードは大丈夫なんでしょうか……」
魔物に近い存在になったとはいえ、人の身でブラッドリーの配下たちに注目されるなんて大丈夫なのだろうか。リードがいくら人当たりがよくとも、相手は魔物である。今後ブラッドリーは、リードを側近として傍に置き続ける気のようだが……元はただの人間だと侮り、リードに変なちょっかいをかけてくるような者もいるのではないか──コーネリアグレースの娘たちの羨ま可愛い好き好き攻撃だけならまだしも──と。エリノアは、眉尻を下げてコーネリアグレースを見下ろす。すると婦人は何故だか嬉しそ〜うにニンマリするのだ。
「え……な、なんですかその……如何にも目論見通り……みたいな表情は……」
「あらおほほ。さすがエリノア様あたくしのことがよくお分かりで♡ あたくしとあなた様の間には、種を超え確かな友情が育まれておるようで感動ですわ……」
「ぇ……あ、ああ……私も? 嬉しいです?」
突然しみじみと目を細めた猫婦人に。エリノアが戸惑ったような顔をする。
「そう、これからは種を超える友情、愛情もこの領地には必要だと思うのです。なんたって、魔王と勇者が家族という領地ですのよ? 共存は大切。それにね? リードちゃん、とぉっても心配、でしょう?」
「え、とぉ……? そう、ですけ、ど……?」
婦人の遠回しな言葉の数々が、どう繋がるのか。いったい何を言いたいのか計りかねて。エリノアが怪訝そうに首を傾ける、と。婦人は、エリノアの膝の上から急にポォンと跳び上がり、獣人態へと戻った。そして驚くエリノアにグッと顔を近づける。
「⁉︎」
そのバッチリメイクのまつ毛が突き刺さりそうな距離にエリノアがうっとのけ反る。が、その肩をガッツと掴み、コーネリアグレース。
「何せ、あたくし共は魔物ですので。いかに同胞といえど、中にはよからぬ企みでリードちゃんに近づこうとする者もあるかと思います。だって、なんといっても。リードちゃんはとにかく人がいい! リードちゃんの善良さを利用して、魔王様に取り入ろうとするものもいるかも」
「ぅ……は、はい、おっしゃる通りで……」
エリノアが押されるように頷くと、婦人は再びニッコォリ口の両端を持ち上げて。「で、す、か、ら♡」と、媚び圧の強い流し目でエリノアを見る。その強烈な色香には不穏なものしか感じず。エリノアは慄くが……婦人はそんなエリノアを決して逃さなかった。
「コ、コーネリアさん……⁉︎ 企みが……企みがなみなみ過ぎて怖いのですが⁉︎」
「おーほほ! 企みなんてぇ♡ エリノア様だって、リードちゃんを守るためには頼もしい味方が必要だと思いませんこと? ね? そう……たとえば……配偶者とその婚家、なぁんてどうでしょうか?」
「……は……?」
笑みを深める婦人に、エリノアは一瞬ぽかんとして。
「え……と、それって……も、しかして……」
ここまでの婦人の言葉を思い出し、さらに己たちの傍で未だ話題の主リードを取り囲み、きゃあきゃあ言い争っている娘たちを見て──……。
どうやら婦人の言わんとしていることを理解したらしい娘。その目一杯に見開かれた瞳に、コーネリアグレースは満足そうに笑い、それから首を傾けて、どうしようかしらねぇと悩ましげにつぶやく。
「ふふ、最初はコーラかカレンなんかどうかしら? ──と、思っていたのですけれど。懐き具合を見る限り、どうやらマリーも良さそうな気がいたしますわ。あ、年齢なら大丈夫。マリーは魔物としては成人しているとはいえませんが、もうとっくにリードちゃんより年上ですし。魔物は、いろんな種族がおりますから、その辺りはバラバラなんですのよ。ま、マリーなら、適齢期まではあと数年ってところでしょうか、ほほほ」
「お、おおぅ……⁉︎」
驚きすぎたのか、奇妙な声を漏らすエリノアだが、そんなものはそっちのけで婦人はリードと己の娘たちをニヤニヤ見つめている。しかし、笑ってはいるが……婦人の瞳は狩人のそれ。エリノアは……まさかコーネリアグレースが、そんな目的でリードを狙う日が来ようとは、思いもよらなかったもので……唖然と顎を下に落とし、そして思わず想像する。
脳裏には、ぽよ〜んとマリモな姿でウェディングドレスを纏うマリーが、ちんまりリードの腕の中に収まっていて…………………。
なんだか激しく複雑な心持ちだった……。
そして、うろたえた娘は「あ、わっ⁉︎」と、思わず口走る。
「──っそ、それは──お嫁さんが、あまりにも可愛すぎませんかっっっ⁉︎ や、でも、リードが幸せなら……⁉︎ え⁉︎ いや、幼馴染とはいえ……外野は口出し無用案件⁉︎ ⁉︎」
どうしたら──⁉︎ と。……その叫びには。
──馬鹿、違う。そうじゃない、と──極めて真っ当に突っこんでくれる者も。
馬鹿者、うろたえすぎだ馬鹿者。と、叱ってくれる者も。残念ながら、現在不在。
ただひたすらに。娘を器量よしな彼に嫁がせるべく野望を胸に高笑うコーネリアグレースの声が、エリノアを愕然とさせるのであった……。
「ご、ご両親にも相談を──⁉︎」
「おーほほほほほ! モンターク家にはとっくに主人に貢物を山ほど持っていかせましたわ! 娘たちの身上書と共にね! ほほほほほ‼︎」
お読みいただきありがとうございます。
これから先、リード……というより、リードのお目付役としてブラッドリーと婦人が争いそうで怖いですねw
さてお知らせです。
まだまだ先のことになりますが、拙作ラブコメ「悪役令嬢に…向いてない!密かに溺愛される令嬢の、から回る王太子誘惑作戦」が、なんと、コミカライズしていただけることが決定いたしました!( ;∀;)
「侍女なのに…聖剣〜」よりも、恋愛メインにコメディなお話を書きたいと思って書いた、とってもおとぼけな令嬢のとんでも恋愛なお話ですが…;
このような機会をいただけて、本当にありがたいです!
詳細等はまだですが、ぜひこちらの作品も皆様にお楽しみいただけたら幸いですm(_ _)m




