婦人のお言葉には裏がある
恋は障害があるほど燃え上がる……とはいうものの。これはちょっとありすぎなんじゃないだろうか……とはエリノアの気持ち。
長椅子に項垂れるように腰を下ろし、テーブルの上のティーカップに燻る湯気を見つめながら。思わずこぼれるのはため息だ。その音はげっそり疲れに満ちている。……その一因たる例のペンダントは、ティーカップの隣に置かれている。
この、魔王によってとんでもない迷惑機能を宿らされたトワイン家の紋章のついたペンダントは、エリノアの両親の形見である。……だからまさかエリノアも、それを廊下の先にぶん投げてから猛ダッシュで逃げる──なんてこともできずに現在に至るわけだった……。
エゴンはテーブルの上でガハハと笑う。
『おい勇者よ、ワシから逃げようなどと思っても無駄だぞ。まあ、先の戦いで見た限り、貴殿はあれだ、ちぃと足が遅いようだから、まあワシからは逃げられぬだろうがな! ガハハ!』
「……」
新しい“障害”は──おそらくあんまり空気が読めない。空気が読めないもの同士で、テオティルあたりとはもしかしたら気が合うかもしれないが……
多分、彼には、彼女とブレアとの甘いひとときをもぶち壊す機能が付いている。……そしておそらくそれを見込んでの、魔王ブラッドリーによる人選のような気がするのだ……とても……。
エリノアは、ちょっと気が遠くなった。
「……よく、考えられている……」
弟の周到さには本当に舌を巻く。一瞬諦観の念に囚われたエリノアは……しかし、いやいやと思い留まる。
「障害はなんとか乗り越えるべく励まないと……ま、まあそれに、私……今、王宮の皆様にはものすごく大事にしていただいているしな……」
王宮──つまりブレアや、その家族、国王や王妃、そして王太子と、並びに彼の婚約者ハリエットにも、今の自分がかなり甘やかされてしまっている……という自覚のあるエリノアは。この程度の障害は、人生のバランスとして仕方ないかもと諦めることにした。
「あんまり女神の勇者だ、王子の婚約者だってチヤホヤされすぎて調子に乗ったりもしたくないしな……そもそもブラッドリーも、私を心配してのことだし……」
ブラッドリーが言う通り、自分たちが別れて暮らすのは本当に久しぶりのこと。幼い頃のブラッドリーは病で名医の多い王都の町屋敷から動かせなかった。しかし領主たる父はどうしても領地にも戻らなければならない。そんな父に付いてエリノアも、弟を人に任せて領地に帰らざるを得ない時があった。──その時以来なのである。弟が自分を心配して多少過剰になるのも仕方ない……と。
そうこぼすエリノアの言葉に、あーらあらあらぁ……と、絹のハンカチでも翻すかの如きたおやかな声。
「これが多少ねぇ……そぉんなふうに言えるなんて。相変わらずの盲目愛。その普遍さには感服いたしますわぁ……」
丁寧に言いながらも呆れを隠そうともしない言葉に顔を上げると、テーブルの反対側に座って茶を飲んでいたコーネリアグレースが、例のペンダントをつまみあげているところだった。
「あたくしだったらこんな無粋な鎧男、押し付けられるのなんてごめんですけどねぇ」
『おい! コーネリアグレース! 無粋とはなんだ無粋とは! この粋な男に向かって……』
「黙らっしゃい」
途端、ペンダントの雄牛が野太い声で喚いたが……すぐさまコーネリアグレースに冷たい顔でテーブルにベシッと叩きつけられる。雄牛はそのまま婦人の肉球のある手とテーブルに挟まれて、モゴモゴ言いながら怒っていた……。
その奇怪さに、エリノアが非常に微妙そうな顔をしている。が、婦人はペンダントにモッフリした手を乗せたまま、素知らぬ顔で会話を続けようとする。……この強さを、今後は自分も見習わなければと心するエリノアである。
さて。ここはアンブロス家の屋敷内。男たちが書斎で今後について協議している間、居間に婦人が茶を用意してくれた。男たちの話し合いは主に、ブラッドリーが今後この領地をどうして行こうとしているのかということや、この密かに恐るべき兵力を抱える勢力が、王国にどう関わっていこうとしているのかということ。現状、色々と目を瞑ってくれているブレアだが、真実を知る唯一の君主家の者としては、その辺りをきっちり話し合っておかねば安心できないということらしい。まあ……確かに、国という大きなものの一翼を担うブレアの立場としては、魔王によるエリノアへの愛情だけが担保では。あまりに心配であろう。
そのような訳でエリノアも、是非その場に立ち会いたかったのだが……。
すでに野菜売りと蛇やペンダントの騒動でヘロヘロだったエリノアは、ここだけはしっかり結託した男たちに休憩しなさいと『N O』を突きつけられて、現在に至る。
その間の話し相手として魔王に指名された婦人が、ひとまず茶でもとこうして紅茶を出してくれて。
婦人はそろそろ少しぬるめになった紅茶を美味しそうに飲みながら、言った。……もちろん、雄牛のエゴンはまだ彼女の肉球の下である。
「唯一の肉親とはいえねぇ、ここまで己の恋愛にわんさか障害を拵えられておいて……その弟愛がびくともしないなんてエリノア様ったら、魔物もびっくりの偏愛ですわねぇ」
それこそが女神に見こまれた才能なのかしらと、呆れ半分感心半分という視線でしげしげと見つめられたエリノアは少々居心地が悪い。
「だ、だって……可愛くて仕方ないんです……ブラッドリーが……」
言った途端、婦人が感嘆のため息を深々とついたもので、エリノアは一層肩身が狭そうだった。その感心が、決して称賛だけのものではないと分かっていたから。
ティーカップに向かって恥ずかしそうに、ゴニョゴニョと「だって……」と繰り返すエリノアに、コーネリアグレースは、やれやれという顔。
「──でもね、エリノア様? これからはそれもほどほどになさいませ?」
「え?」
「え? ……じゃありません。だって、エリノア様は、もう婚約した御身でしょう? ブラコンが過ぎて、ブレアに愛想を尽かされるなんて事態になったら……そりゃあ陛下は大喜びでエリノア様をお迎えするでしょうけど。──でもね、ブレアは陛下に抹殺されますよ?」
「まっ⁉︎ な、え⁉︎」
途端エリノアが口に含みかけていた紅茶を噴いた。そしてなんてことを言うんだという顔のエリノアに、婦人はアイメイクバッチリの目を細めて「だって」と続ける。
「陛下のマインドをご存知?」
「マ、マインド……?」
「そうです。……『姉さんが捨てるようなことがあっても、姉さんが捨てられるようなことがあってはならない』……これですわ!」
「は、はぁぁ?」
真面目くさった顔で指を突きつけてくる婦人に、エリノアはいったいなんのことだと困惑気味に彼女を見上げる。と、婦人は、ブラッドリーになりきっているかのような顔で、厳しい口調で言った。
「『僕の姉さんに愛想を尽かすなんて生意気な!』 ──と、いう廉で、ブレアはきっと今以上にブラッドリー様に憎まれること間違いなしです」
一転、けろりとした顔で断言されて。婦人のテンションについていけず、エリノアは目を白黒させている。
「⁉︎ ⁉︎ い、いやいやいや……そんな……」
「あーら、本当にないと言い切れますぅ?」
「ぅ……」
慌てて手を振るエリノアに、婦人はフッと笑って。今だってそんなに良好という関係でも無いのにぃ? と……そんなふうに言われると……絶対無い! とは……言い切れないエリノアであった。エリノアは、青い顔で、ぎゅっと酸っぱいものでも食べたような表情でテーブルに拳を押し付ける。
「……っ、いや、で、でも……!」
「ね? 心配でしょう? 怖いでしょう? ですからね──そのためにも、エリノア様は平穏無事な結婚生活を営まねば」
苦悩するエリノアに、コーネリアグレースは言い募る。その顔は識者そのものという威厳に満ちていた。
「弟愛をほどほどにし、夫にも愛情を注ぐ。両方に気を配るのは大変ですが──せっかく婚約にこぎつけたというのに、相手が自分より弟に構い倒していたら、そりゃあブレアだっていい気はしません。いかにそれが不動の愛に見えたとしても、やはり相手を大切にせねば永遠などというものは幻なのです」
「……は、はい」
つらつらと諭されたエリノアは思わず頷いて──しかし、その婦人は先ほど……屋敷に大量の昆虫や鉱物類を持ちこんだ自分の夫を、自慢の金棒で思い切り殴り飛ばしていた気もしたが……。
……まあ、それはそれなのかなと納得し。エリノアは素直に婦人のありがたいお言葉について考えた。
色々不穏なことを言われてギョッともしたが……つまり、これからは夫を大事にしろということだ。婦人の言葉は尤もである。相手を大事にせずして、相手に大事にされようなどとは傲慢もいいところ。エリノアは姿勢を正して心に誓った。この先きっとブレアを大事にしようと。
「頑張ります!」
「ええ、ええその意気ですよ! エリノア様の弟愛は、ぶっとい筋金入りですから大変だとは思いますが……あたくしも微力ながらお支えしますからね! 励んでくださいまし! 世の中の平和のためにも!」
「ぅ、は、はいっ」
がっしり婦人に両手を握られたエリノアは、その勢いに押されてもう一度頷いた。──が、コーネリアグレースの熱の入れようには少々違和感を覚えたようで……。エリノアは少し怪訝な顔をした。何やら……ニンマリした笑顔の裏に、策謀の香りがする……。
「…………あの、コーネリアさん……? もしかして……何か……企んでます……?」
疑わしげな目で尋ねると、婦人はほほほとわざとらしく笑った。
「あーら、別にぃ? ほほほ、あたくし、別にエリノア様がブレアと破局したら、まーたリードちゃんがエリノア様にアプローチしそうで都合が悪いわぁ……なぁんてことは思っていませんことよ♡」
「………へ……? リー……ド……?」
「おーほほほほほほ‼︎」
お読みいただきありがとうございます。
コーネリアグレースの企みには理由があるようです(^ ^;)




