イビキのうるさそうな監視者
離宮で義理の姉と聖剣が結託していた頃……。こちらアンブロス家の庭では、ブラッドリーに媚を売りまくる双子の背後に立っている大男を、エリノアがまさかという目で見ていた。その男は両手に大きなカゴを抱えており、その中には何やら植物やら石やら、さらに小ぶりのカゴがあるなと思ってよくよく見れば……それは中に昆虫が入っているのである。それを、まるで宝を持ち帰ったと言いたげな顔でほくほく頬を緩めているこの男。
「…………そちらのモッフリ紳士はもしや……コーネリアさんの旦那さんの……」
戸惑い気味のエリノアがそこまで言うと、温厚そうなひげの紳士はニパッと笑う。
「おう、わしだ、グレゴールだ。久しいな、勇者よ、ほ、ほ、ほ、ヴォルフガングの前脚の調子はどうだ?」
「え、えと……すこぶるよい前脚で……す…………?」
戸惑うエリノアに、グレゴールらしき大男はぐいっと小さな虫籠を突き出してくる。
「見てくれ勇者、人間界の森で色々採取してきたぞ、どれも可愛いであろう? ほぉれ、この蝶など格別ぞ」
「──ねぇパパ」
「それ食べるの? おやつ?」
「む、何を言う娘たち。これはわしの研究用じゃ、手を出すでないぞ。やれやれ……この繊細な生き物を見て食に直結させるなど乱暴な……まあ確かに新鮮そうで美味そうだが……のう勇者、どう思う?」
──意見を求められ、エリノアは言った。
「…………食べないでください」
「……、……エリノア……彼も魔物なのか?」
微妙そうな顔で返したエリノアに、彼女を抱いたままのブレアもさすがに戸惑ったように父娘を見ている。それはそうだろう。以前攻撃的な顔を見せたそこの双子は分かるとしても、蝶々を持ったこののどかな男は伝承にある凶悪な魔物とは似ても似つかない。ブレアの戸惑いももっともだった。
「……ええっと……そう、なんですが……」
ブレアにそう返し、エリノアは、やいやいと言い争っている父娘や、庭から寄ってきた小蛇たちに囲まれる己の弟を複雑そうな眼差しで眺めていたが……不意にその口がポツリとこぼす。
「…………みんないる…………」
……その瞬間、エリノアはハッとした。そして何かに気がついた娘は、慌てて庭を見回した。
「エリノア?」
「姉さん? どうしたの?」
げっそりしていたエリノアが、急にアグレッシブに頭と目をキョロキョロ動かしはじめたことに、ブレアも、傍にいたブラッドリーも、いったい何事かという顔をする。
エリノアは、どうやら蛇だらけの庭に必死で何かを探している様子。そんなエリノアを見た──グレンに『上の双子は悪魔』と言わしめた娘達が──お互いの額を寄せてクスクスと笑い出した。
「うふ、なぁに魔王様のお姉様ったら。見てよカレン、動きがちょこまかしててネズミみたぁい」
「本当ねコーラ。狩りたくてウズウズしちゃう♪」
「コーラ……! カレン……!」
それを殺気の籠る目で射てから、ブラッドリーは姉の顔を覗きこんだ。……ちなみに主君に叱咤された双子は首をすくめたが、ぺろりと舌を出して懲りた様子は全然ない……。
「姉さんどうしたの? 何か探してるの?」
「だ、だって……」
声をかけると、忙しなく視線を彷徨わせていたエリノアが、動揺した声で彼に応じる。
今この場には、あの時魔王に呼び寄せられて現れた魔物のほとんどが存在している、が……そこに、足りない者に気がついたのだ。エリノアはブレアの腕から降ろしてもらうと、心配そうな弟の両腕を掴む。
「ま、まさかあの人はいないよね⁉︎ だ、だってあんな、あんな大きな人がここにいたら大騒ぎになっちゃう──」
その言葉で、うろたえる姉がいったい何を探しているのかを察したブラッドリーが、「ああ、」と数回頷いた。
「なんだ巨人のエゴンを探してたの?」
“巨人の”と聞いて、エリノアの背後でブレアの眉間がピクリと動く。彼もそれが、先の戦いの時、自分が相手取った巨躯の鎧将であることを理解したらしい。確かにあの、尋常ならざる大きさの鎧将がこんなところにいれば、目立つし領民達がそれを見たら大騒ぎになるだろう。エリノアが心配するのも無理はない。が、そんな不安そうな姉に、ブラッドリーは苦笑する。
「さすがにエゴンは大きすぎて、あのままじゃ庭にも屋敷の中にも置けないよ。まあ、エゴンは僕の傍を離れるのは嫌だって嘆いてたけど……」
「そ、そうよね⁉︎ そうよね!」
「……(あのままじゃ?)」
弟の言葉にエリノアは、どうやら彼は魔界に還されたらしいと思ってホッとしたが──しかし、ブレアは魔王の言葉に引っ掛かりを覚えたようで、怪訝そうに眉間にシワを寄せている。そして何故か……グレゴールや双子がいつの間にか言い争いをやめていて、やけにニンマリとしたいい笑顔でエリノアを見ている……。
「え……?」
その愉悦を含んだ表情に、何か不穏なものを感じたエリノアが、な、なんですか? と、顔を強張らせた、時。
ブラッドリーの指が、スッと動いた。
「あいつなら──そこ」
「え」
その指の動きにエリノアがポカンとした。
ブラッドリーの指は──何故か自分の胸元を指さしている。
「へ?」
エリノアがその弟の指し示す先を探して、恐る恐る視線を下げる。と、そこには……先日の王城での晩餐会の折、ブラッドリーから託された彼女たちの両親の形見たるペンダントが──……
「……え?」
……とてもとても嫌な予感がした。困惑顔のエリノアが、その銀の鎖のついた飾りを両手ですくいあげる。
トワイン家の紋章の刻まれた鈍い色の古いペンダントトップ。紋章は盾のモチーフを土台に、領地に広く自生していた花エリカや、剣、雄牛などが描かれている。
弟が何故これを指差しているのかが分からずポカンとするエリノアに、ブラッドリーがペンダントに顔を寄せ、言った。
「──起きろ、エゴン」
「──は……?」
と……。
ふぁああ……と、寝ぼけたような声が聞こえた。
『? ぉ……おお、陛下でいらっしゃいましたか』
「っ⁉︎」
これは失敬失敬、ワシをお呼びですかな? と──
ペンダントの紋章の中で、そこに刻まれていた逞しい雄牛が大きな欠伸をしたのを目撃して。驚きすぎたエリノアの口が、ぎゃぁあああああっ⁉︎ と、声無き悲鳴をあげる。
「っ、ぅ、な……」
言葉を失くし、身を凍らせて動けなくなった姉をよそに。ブラッドリーはペンダントの雄牛に向かって渋い顔。
「お前、寝ていたのか……ちゃんと姉さんの警護はしてるんだろうな……」
「…………」
言いながら、ブラッドリーにジロリと睨めつけるように視線を送られたブレアが無言。と、雄牛が笑う。
『いやぁ、もちろん警護は怠っておりませぬぞ! しかしながら……メイナードに守りのまじないをかけて貰ってはおってもですなぁ。こう勇者の傍におると、どうにもワシを封じる気が強うて眠気が……ガハハ!』
誤魔化すようにだみ声で笑う雄牛に、ブラッドリーはため息をこぼしている。
「……まったく……のんきなんだから……」
「っっっまったくじゃないよ⁉︎ ちょ、う、嘘でしょ⁉︎ どう、どういうこと⁉︎」
「……、……一旦……落ち着こうエリノア……」
途端、エリノアが鬼の形相で再び弟の両肩をつかみ、激しく前後に揺らした。と、ペンダントの雄牛が文句を言う。
『おい貴様! 陛下に乱暴を働くな!』
「ヒィッ⁉︎ ぶぶぶぶ……ブラッド!」
叱咤する声に驚いたエリノアは、ペンダントの鎖を慌てて外し、己から遠ざけようとするように、ブルブルした手で鎖の端っこを摘んで腕を精一杯伸ばしている。と、そんな姉にブラッドリーが拗ねたような顔で言う。
「だって……姉さんのこと心配なんだもん。離れて暮らすのすごく久しぶりだし……」
「だ⁉︎ 可愛い顔しても駄目よ! だって私の傍にはヴォルフガングとかいるでしょう⁉︎」
何も親の形見に魔物を仕込まなくても! と、青くなっている姉に、ブラッドリーはニッコリ首を振る。
「駄目。だってヴォルフガング、最近姉さんに甘いところあるし。大丈夫、そいつ口はうるさいけど、持ち主の姉さんには危害は加えられないから。エゴンは便利なんだよ。見てくれは大きいけど、本体は死霊みたいなものだから物質に宿らせやすいんだ」
「⁉︎ し、し、死霊⁉︎」
死霊と聞いて……おばけの類が怖いエリノアがいっそう怯えたような顔になる。と、そんなエリノアにブラッドリーは追い討ちをかける。
「あ、ちなみに、もちろんそれ、首から外してもいいけど……その場合はエゴンはぷかぷか浮いて姉さんについてくるからね。そのペンダントスタイルで」
「⁉︎」
……王宮でそんなことをされたら、勇者の後ろには変なペンダント型の背後霊がいるとか噂されるのではないだろうか……。エリノアは、愕然とした。と、傍で見ていた魔物たちが言う。
「諦めなよ♡ 勇者ぁ」
「そうそう♡ そういうものでもないと魔王様、お姉様が心配で不安だとか言ってずっと怖い顔してるんだもの、私たちも迷惑よねぇ?」
「まさにまさに。ほ、ほ。今生の陛下は心配性でいらっしゃる、ま。諦めるが賢明よの」
『よぉし、娘! 慰めにワシが夜な夜な陛下の魔界時代の話でも聞かせてやろうぞ!』
「⁉︎ ⁉︎」
それで手を打て! と……。
代わる代わる魔物たちに諭されたエリノアは、ものすごく奇妙な顔で唖然としていた。
──かくして勇者エリノアは。しゃべる雄牛のペンダント──先々の新婚生活にいろいろ支障を与えそうなそれ──を、手に入れた。
お読みいただきありがとうございます。
長々終章を書いておりますが…けして寂しいから長引かせているわけでわ…っ!(笑
あとは、もう1人と1チーム、そして2エピソードほどでしょうか…あ、あとルーシーの恋の話も…!
更新頑張ります!




