アンブロス家へ
エリノアは顔を強張らせて弟を凝視した。たった今耳にした聞き捨てならない告白はいったいなんなのか……。目一杯に見開いた瞳は驚愕に満ちている。
「リ、リードが……」
「ね、姉さん……」
長椅子から硬い床の上に見事にダイブした姉を見たブラッドリーは驚き、慌てて姉を引っ張り上げようとするが……
その前に、エリノアがゾンビのような顔で弟の膝に這い上がった。
「ブラッド⁉︎」
「わっ……、え──えーと……」
エリノアの素早い動きに一瞬驚いたブラッドリーだったが、説明を求める姉の声の必死さには、さすがに気まずそうで。観念したように続ける。
「その……リードはひどい怪我を負ってしまったけど……やっぱり人間の身体のままだと脆くて……。今にも魂と身体が分離しそうだったから、ひとまずメイナードの洞の中に入れて魂が逃げるのは防いだけど、身体は修復しなくちゃいけない。だからメイナードを折って添え木にしたっていうか……ま、そんな感じ」
ざっくりとした説明ではあったが──それは仕方なかった。
魔法やメイナードという魔物の生態を詳しく説明されても、それらに知識のないエリノアにはちんぷんかんぷんなのだから。だがざっくりなあまり、それを聞いた姉がギョッとするのもまた仕方のないことだった。
「おっ……⁉︎ メイナードさんを……折っ……たっっっ⁉︎」
老人を折るという非常にショッキングな説明にギョッとしたエリノアは悲鳴のような声をあげる。その脳裏には、バッキバキに骨折させられてシクシク泣きながらリードに腕を差し出すメイナードの姿が思い浮かべられて──エリノアは蒼白になった。が、そこへすかさず本日のツッコミ役が鋭く待ったをかける。
ヴォルフガングはいかめしい顔で青ざめた娘の想像を叱った。
「こら待て! 変な妄想をするなこの心配性娘め! 大騒ぎせずとも大丈夫だ、メイナード殿の本体は樹。多少枝を失くされても死にはしない」
しっかりしろ! と、唸るような顔で言われ。
「え──」
悲壮な顔をしていたエリノアは、ヴォルフガングを見て、それから目の前の弟の顔を見上げる。すると、弟は心配そうな顔ではあったが、頷いて。それを見たエリノアは思い出した。
そういえば……以前にもコーネリアグレースがそんなことを言っていたような……と。
「確か……メイナードさんは、魔王が自分の魔力を注いで育てた樹木精だって……」
「僕というより……前世よりもさらに以前からの話だけどね」
ただと、ブラッドリー。
「さっきも言ったけど、あの時は僕がメイナードからその預けていた魔力を取り上げてしまっていたから……メイナードも普段通りにはリードを修復できなくて……」
ブラッドリーは瞳を伏せながら悔やむような顔で言った。その苦しそうな表情を見て、エリノアは慌てて弟の頬に手を伸ばす。久々に包みこんだ弟の両頬は、そんなに柔らかくはなくひんやりしてはいるが……それでも、その確かな感触に。こんな時ではあったが、エリノアはとても安堵した。
そしてそんな姉に心配そうに頬を撫でられた弟もまた、少しだけ勇気づけられたような表情で話を続ける。
老将から分け与えられた添え木を頼りに肉体を修復したリード。しかし魔の属性のものを身に取りこんだことで、身体の性質が変わり、そして弱りながら本体を与えた老将もまた、そのままの存在ではいられなかったと。
弟の頬に触れて、こちらも少し落ち着きを取り戻したエリノアは、ゴクリと喉を鳴らして恐る恐る尋ねた。
「──つ、つまり……リードは魔物に……?」
「……その……ほんの少しだけ……完全に身体が癒えても添え木はリードと融合しちゃうし……」
と、傍にいたテオティルが平然と言う。
「本性が植物だというのなら、他の生命には寄生しやすい性質がありますからねぇ」
「お、おいこら! 今は口出しをするな!」
のんびり言う聖剣には、隣にいたヴォルフガングが慌てて叱咤する。──が、
「……なる……ほど……?」
言いながら、案の定エリノアは……真っ白な顔で消沈し、床の上でガクーンッッッと、項垂れる。
「ね、姉さん、ご、ごめんなさい相談もなしに勝手なことして……!」
どうしたらいいんだ……という悲壮感を背負い、顔面を両手で完全に覆ってしまった姉に。弟は慌てて「で、でも今は二人とも本当に元気だし、リードは見た目も全然変わらないんだよ!」と、急いで付け加える。が……衝撃を受けたらしいエリノアの頭は俯いたままだった。
それを見たブラッドリーは、しゅんとして。魔王は、やっぱり叱られるよね……という泣きそうな顔をした。
他でもないリードのことである。でも……あの時は、とにかく彼を死なせられないとした老将のその咄嗟の決断を、ブラッドリーは責める気にはなれなかった。
彼自身が大きな責任を感じていることももちろんだが──それ以前に、リードは絶対に失うことのできない人だった。なりふりなど構っていられない。もし、自分と彼を天秤にかけるなら、ブラッドリーは絶対に彼の命を選ぶ。もし女神の聖なる光に身を焼かれたとしても。あの晴れやかな空のような彼とその人生を失えない。──そんな自分の想いを、身を挺して汲んでくれた配下を、どうして彼が叱れるだろうか。
ゆえに、こうして姉に必死にごめんなさいと繰り返しながらも、彼は決心している。
幸いなことに、リードは一命を取り留めた。
(だから──こうなったからには、僕がリードの人生に全責任を持っていかなくちゃ……)
本当は彼は、姉がブレアと結ばれた以上、彼女たちの未来を邪魔をしないように、手勢を引き連れて魔界に帰ろうかとも思ったのだ。華々しく勇者としての人生がはじまった姉の弟が、もし世間に魔王だと知られたら。いつか彼女の足を引っ張ってしまうかもしれない。
それくらいならいっそ、あのまま姿を消して魔界に帰ってしまおうかと──……エリノアのことはきっとブレアが守るだろうし、そうでなくてもエリノアはあれでいて結構強い。だからきっと大丈夫だと──……。
けれども。リードの存在が、彼らをこの世界に引き留めた。
魔物寄りの身体になってしまったとはいえ、リードの本体は人間だ。皆で全力で防護したとしても、きっと魔界の瘴気には長くは耐えられない。それに、リードが情熱を注いできたものはすべて人の世界にある。……だから、彼らはここに留まった。
(……あんなことをしておいて……さらにリードに魔界で不自由な暮らしをさせるなんて、できない……)
「…………そうよね……」
「っえ……?」
静かな姉の声にハッとする。ほんの一瞬だけ自分の意識の中に沈んでいたブラッドリーは……そこへ差しこまれるようにして聞こえた姉の声に驚いた。彼女を見ると。姉はまるで、弟の心の中の決意を聞いたような顔で、彼の瞳を真っ直ぐに見ている。
「……姉さん?」
「…………」
エリノアは、もちろんブラッドリーの心の中の言葉が聞こえたわけではない。だが──ずっと自分たちに親切にしてくれたリードのことに関しては、この姉弟には共通する固い想いがある。
「……そう、ブラッドがリードを大切に思っていないはず……ないよね……」
弟の目を見たエリノアには、それが彼らなりにリードを守るためできる最大限の行動だったのだと分かった。いや、姉としてそれを信じただけだったかもしれないが……ただ、こうして沈んだ目を見せながらも、その奥には弟の不動の意思が感じられて……。そこには、どんな事情があれ、ブラッドリーが、リードの身に──ひいては彼の人生に手を加えてしまった以上、これからその償いをしていこうと考える気持ちがあるのだと、この姉にははっきりと伝わった。
だから、エリノアは、分かったと、息を吐く。ならば、ここでいつまでも被害を受けた本人でもないエリノアが嘆いているわけにはいかない。
「………とにかく──今すぐ私をリードたちに会わせて」
エリノアは固い表情で、弟にはっきりとそう言った。
無事だということは信じたとしても、彼が魔物に近づいたなんて話を聞かされては、やはり顔を見なくては安心はできなかった。ブラッドリーがリードに責任を感じているのと同様、王都で彼の両親に寄り添ったエリノアは、彼らのことも心配で。彼らのためにもリードの様子をきっちり確かめておかなければならない。彼を助けてくれたメイナードのことも気がかりだった。
(それに、リードには……お礼も、ごめんねも、言わなくちゃいけないのよ……)
彼は、自分の姿をしたブラッドリーを助けようとして負傷した。命を賭けて自分たち姉弟を守ろうとしてくれた彼に、エリノアは、どうしても会わなければならなかった。
「っ!」
エリノアは気合を入れ直すように自分の顔をぐいぐいと手でぬぐって、それから弟から離れ、勢いよく立ち上がる。
「ね、姉さん?」
無理矢理擦った頬や鼻の頭がひどく赤くなっていたし、せっかく施されていた化粧ももはやボロボロだが……姉の表情は勇ましかった。
──とにかく、リードもメイナードも、他のみんなも生きていた。それが、エリノアはとてもとても嬉しい。
命があること。
生きていてくれること。自分たちの手の及ばないところへ行ってしまわないこと。
幼い頃に両親を亡くした。
ずっと、唯一の弟の命が病に取られてしまうのではないかと怯えて暮らしたエリノアにとっても、それが一番大切なことだ。
(みんな、無事でいてくれた……)
でもだからこそ、いつまでも立ち止まってはいられない。これから自分にできることを探すためにも。
「……さ、早くブラッド! 私を、みんなのところへ連れて行ってちょうだい!」
──アンブロス家へ。
お読みいただきありがとうございます。
終わりに近づくにつれて、しみじみとお読みくださる方々の存在が有難いと感じる今日この頃です。




