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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
終章
336/365

姿を見せぬ子爵

 

 エリノアが立ち向かうはアンブロス家──……ではあるのだが。

 彼女は今、それよりも差し迫った問題に直面し、当惑を余儀なくされていた。


(……ぅ…………)


 目の前のテーブルには、およそ今生では自分の前になど絶対に並ぶことがないだろうと思っていた高級料理。気品すら滲む牛肉のパテ。圧倒され、ナイフとフォークを手に呆然としていると、その隙に隣の席の王太子が、「これも食べてね」と、給仕係が持ってきた皿から彩りよく野菜料理を取り分けてくれて……。エリノアの皿の上は更にゴージャス感がアップした……。


(……、……、このお料理って……ブラッドリーのお薬代一月分くらいかな……)


 難しい顔で、ついついそんなことを考えてしまう染み付いた貧乏性が悲しかった。

 ──いや、もちろんエリノアが離宮に居を移してからは、そちらでも初めは豪勢な料理が出てきたのだ、が……。

 それは思い切って食べた初日に、あまりにも贅沢が過ぎてエリノアの胃には合わぬということが早々に証明されて(※胸焼けと腹痛を起こして寝こんだ)その結果、現在は、離宮で提供される料理はかなりランクを落としてもらい、彼女の胃は一応の平安を得ている。

 ……のはまあ余談だ。


 ともかくエリノアは、ここでブレアの婚約者たるに相応しい振る舞いをしなければと気負っていた。貧乏性はもはや治らぬエリノアの性分だとしても。こんな自分を妻にしてくれようという彼や、迎え入れてくれようとしている王家の人々、送り出してくれるタガート家の顔を潰さない為にも。そして──アンブロス家につけこまれる隙を与えない為にも、ソルたちにみっちり叩きこまれたテーブルマナーをしっかり守り、晩餐会にふさわしき振る舞いをしなくてはと──……。


(……だ、駄目だ……!)


 皿を見下ろした額には思わず汗が滲む。美しい芸術品のようなパテにはどうしても恐ろしくて手が伸びない。ならば野菜だ、ニンジンくらいならいくら高級食材を食べつけていない己の胃でもいけるはず。いや、そう大丈夫なんだけど、と、エリノアは。困惑に満ちた視線を恐る恐る横に向ける、と……

 そこには清廉な瞳でこちらをじっと見つめる王太子の姿が。他意のない期待に満ちたその顔に、何故か焦燥感を感じてしまい……エリノアは、ぎこちなくニンジンをナイフでゆっくりカットする……と──……。

 途端、王太子が満面の笑みを浮かべて嬉しそうに両手を合わせた。


「そうそう上手だよエリノア! すごく上手にできてるよ」

「……ぅ……さ、左様ですか? こ、光栄、です……」


 思わず返す言葉がうわずった。野菜を切っただけなのに……王太子にものすごく褒められてしまったエリノアの顔が歪なことになっている。

 ……王太子はずっとこの調子なのである。いや、彼だけではない。国王も王妃もハリエットも……エリノアがパンを千切って食べただけで嬉しそうに褒めてくれる。エリノアは思った……。


(……これは……いや、ここは……ものすごい甘やかし空間……?)


 あまりにもぬくぬくしすぎていて……なんだか自分が小さな子供になってしまったような感覚に陥る。


(……バークレム書記官たちとのしつけの寒暖差がひどい……褒めてくださるのは嬉しいけど……)


 王妃たちのこの、「なんでもいいから早くブレアのお妃におなり? え? 作法? しきたり? いいのいいのそんなことは後回し、後回しよ♡」……という空気を真に受けて作法を適当にしていては──……きっと後々ソルにものすごく叱られるだろう。ここはしっかり自分を律しなければと、逆に危機感を抱き、いっそうマナー順守に必死になるエリノアであった。


 ともかくこうして晩餐会は和やか(?)に進み、人々はそれぞれに王宮の豪勢な料理や歓談を楽しんでいた。が……

 不可解なことに、エリノアの隣の席に座るはずのアンブロス家は未だ姿を現さない。人々の関心が空席の主らに向かうのは致し方ないことであった。

 ハリエットがそのことをさりげなく王妃に尋ねると、彼女はやはりそれを「余興のために」と説明した。しかし、その表情にも少しずつ戸惑いが滲みはじめている。


「料理が入る頃までには準備を整えるということでしたけれど……」


 王妃はそう言いながら困ったようにテーブルを見る。そこにはすでに定刻通りに提供されたはじめの料理が並んでしまっている。王妃も客が揃うのを待ちたかったようだが……あまり遅らせて他の客や、己の息子たちの婚約者らを空腹で待たせるのも嫌だったらしい。

 王妃は壁際に控えていた侍女を呼び寄せ、最後の客がどうしているのか見に行かせるよう命じた。心配そうな彼女の様子に広間の中には一瞬重たい空気が流れた。その己の親類に向けられた空気が居た堪れず、エリノアの顔にも肩身の狭そうな表情が浮かぶ。と……。


「まあ……ほとんど身内だけの会だ、そうしきたりにめくじらを立てることもないだろう」


 そう取りなすように言ってくれたのは、目元がブレアによく似た国王である。


「心配せずとも料理はまだまだ出てくるのだし、子爵もそれを楽しめるはずだ。彼には私も会ったが──なかなか良心のある感心な男だったよ」


 言いながら国王はエリノアに向かって微笑みかけてくれて。明らかに、アンブロスの縁者である己を気遣う言葉に、エリノアはそれが有難いような申し訳ないような、とても複雑な気持ちになった。すると王の言葉を受けて、隣の王太子までもがエリノアに気を遣う。


「大丈夫、きっと余興の段取りで手間取っているだけだよ、気にしないで料理を楽しんで」

「あ、ありがとうございます……」


 気がつくと、反対側の席でブレアとルーシーも自分を心配そうに見ていることに気が付く。


(ぅ……皆様にものすごく心配を掛けてしまっている……叔父さんはどうしたの……? 何故現れないの?)


 エリノアは焦りに満ちた瞳を広間の扉に向けた。

 せっかくアンブロス家との対決を覚悟したのに……こんな形で困らされることになろうとは思わなかった。

 エリノアの顔には大量の冷や汗が流れたが──そうするとまたまずいことに、隣の王太子が彼女を心配し、恐ろしく肌触りのいいハンカチで汗を拭ってくれるもので……。エリノアの恐縮緊張が尚のこと悪化している……。


「……」


 と、そんなエリノアの困りきった八の字眉を見て。彼女の様子にずっとハラハラしどうしだったブレアが、とうとう席を立った。


「あらどうしたのブレア?」

「……申し訳ありません母上。食事の最中ですが、私が子爵たちの様子を見て参りましょう。何か不測の事態が起きたのやもしれません。これだけ遅れているということは、侍女らでは対処できていない可能性があります。私のほうが適任でしょう」


 配下を向かわせてもいいが……ここはブレアが直接アンブロス家と会うチャンスでもある。申し出ると王妃も、このままではさすがにエリノアが可哀想(青ざめた顔で汗を掻き掻き、王太子に言われるまま料理を口に運んでいる……)だと思ったのか、彼女もすんなり頷く。


「そうね、そうして差し上げなさい」


 許可を得たブレアは、早速ハリエットやルーシーら来賓に目礼して早速広間を出ようと足を扉のほうへ向けたが──……その足は扉を通り過ぎ、向かい側のエリノアと王太子の傍へ。その眉間には小さなシワが……。


「……兄上、少々エリノアに構いすぎです。もう少しだけ自重なさってください……」

「おや? そうなの?」


 弟の苦言に王太子の手が止まる。彼は今、汗だくのエリノアを扇で仰いでいたところだった。兄は兄でエリノアの緊張を和らげてやりたいと思いやってくれているようだが……王太子にそんなことをされた元侍女エリノアの緊張は高まるばかりである……。


「ごめんね、困らせちゃったかな?」


 王太子が申し訳なさそうにエリノアに言うと……エリノアは、やや据わった目つきで(※けして睨んでいるわけではない。気持ち的に息も絶え絶えなだけ。)


「とんでもありません……っ、お気遣い……っ、恐悦至極に存じます‼︎」


 と、喉の奥から絞り出すような声で言った。

 その鬼気迫る様子には……新たな義妹の誕生に少々浮かれ気味だった王太子にも、さすがに彼女が必死に自分に合わせてくれようとしていたのだなということが分かり、彼も深く反省した様子であった。リステアードは困ったなぁと苦笑い。


「ごめんねエリノア。……(義)妹って接し方が難しいんだね? 構いたくて仕方がないんだけど……」


 王太子はいまだ名残惜しげにエリノアを見ている。が、即座にブレアが駄目ですと断じる。


「いきなり距離をつめ過ぎです」


 同じ血を分けた兄弟であるが……堅物なブレアに比べると、王太子は誰に対してもフランクな性格である。それは分かっているが……すんなりエリノアの名前を呼び、あっさり手すら取る兄がブレアとしては悔しい。自分は彼女の名前を呼ぶだけでも散々苦労したのに……というやや嫉妬めいた恨みがましさが言葉に滲んでいた。なんとなくそんな弟の気持ちが分かったのか、リステアードはごめんごめんと(ほんの少しだけ)エリノアから離れた。


「そうだった? ごめんね、気をつけるよ」

「……エリノア、大丈夫か?」


 心配そうなブレアに、エリノアは笑って大丈夫ですと言ったが、やはりその表情はどこか陰っている。ただもちろんそれは熱烈な王太子のせいではなく、アンブロス家のことを気に病んでいるせいである。


「申し訳ありません……王太子様や皆様にもよくして頂いているのに……どうしても叔父たちの様子が気になってしまい……」


 絶対負けるもんかと思ってここに臨んだが、まさか相手が王妃主催の晩餐会に遅れてくるなどとは思ってもみない。


「あの、やっぱり私が叔父らの様子を見に戻りましょうか……?」

 

 困り顔のエリノアはそう椅子から腰を浮かせたが……ブレアはそれをやんわりと押し留め、そしてごく優しい声で言った。


「ありがとう、だがここは私が対応するほうが良い。大丈夫だから、不在の間は……」

「大丈夫だよ、私がきちんとお相手して──……そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だって、もう構いすぎないようにするから!」


 王太子がにこにこと申し出ると、弟に即座に不安そうな顔をされて──リステアードが苦笑。そんな兄の顔を見ながら、ブレアはエリノアに言い含める。


「…………エリノア、兄に言われるままにすべて食べることはないぞ? 食べたいものだけ食べなさい」

「は、はい、そう致します」

「何かあったらハリエット様に訴えれば兄を止めてくださるから──」

「ブレア? 子爵の様子を見に行くのではなかったの?」


 心配のあまりか、いつまでもエリノアの傍を離れようとしない弟の様子を兄は愉快そうに笑い、ブレアはどこかバツの悪そうな顔でやっとエリノアから身を離す。


「では……あとはよろしくお願いいたします。すぐ戻りますゆえ」

「分かっているよ」


 今度こそしっかり請け負う王太子にブレアはやっと安心し、彼の隣から自分を見上げているエリノアと目線を合わせた。と、彼女の緑色の瞳はやはりどこまでも申し訳なさそうな色で……。ブレアはそんなエリノアを安心させるように薄く笑みを浮かべて、小さく首を振った。


「──大丈夫だ。いってくる」

「はい、本当にすみません、お願いいたします。……お気をつけて」


 エリノアが最後に付け加えた言葉に頷いて。ブレアは身を翻した。

 こうなれば、このささやかな機会を最大限に活かし、エリノアの憂いを払っておこうとブレアの足取りは力強かった。エリノアの“勇者”という立場をアンブロス家が利用せぬよう釘を刺し──それともう一つ、と、ブレアは前を見据える。


(……彼らが以前、トワイン家の領地を巡って繋がりがあったとされるビクトリア側室妃らと……今はもう確実に手を切っているのか。せめてそこだけはしっかりと問いただしておきたいところだ……)


 もし彼らがビクトリアやクラウス、その残党らとでも、わずかな繋がりでも残していたら大変なことになる。もちろんその点は、先に彼らと面会した母らや官らも確認をしただろうが……より確実性を取るためにも、気の優しい母たちだけではなく、ここは自らの感覚で厳しく確かめておきたいところである。

 彼女らの陰謀に巻きこまれ多くを失ったエリノアを、もう二度と王家の争いで振り回したくはない。ブレアのその想いは強かった。青年は固く拳を握り、自らの足を急がせた。


 ブレアが扉前に来ると、王宮の扉係がそれを両側から押し開く。扉は音もなく滑らかに開いていき──それが開ききるまでのほんの一瞬、ブレアはもう一度だけエリノアのほうを振り返った。するとあちらでもまだブレアのほうを見ていたらしく、視線に気がついた娘が緑の瞳を和らげてにこりと微笑んだ。その微笑みを見て彼も微笑みを返し、改めて部屋を出ようと前を見た。──その時のことだった。

 青年の灰褐色の瞳に、重厚な二枚扉の先にある前室が見えた瞬間。唐突に──周りの明かりがフ……ッと……かき消えた。


「⁉︎」

「──え?」


 かろうじてカーテンの開けられた窓から月明かりが差しこんでいたが──いきなり薄暗く暗転した室内に、多数の戸惑いの声が上がる。しかし、ブレアには、「明かりを」──と、命じる暇すらなかった。人々が明かりを見失った瞬間、ブレアは、開け放たれた扉の向こうから己に迫る鈍い輝きを見た。


「──っ!」


 刹那の瞬間を貫くように、真っ暗な前室の奥から月明かりを受け走る、鋭利な光。己の見開いた瞳を、迷いなく貫かんとするそれが、白刃であると察した瞬間──彼の背後で高く大きな声が幾重にも上がった。





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― 新着の感想 ―
[気になる点] >それが、白刃であると察した瞬間 真剣白刃取りってこの世界にもあるのかな? まぁ、普通にかわす方が現実的だけどw
[良い点] 必死にマナーを守ろうとするエレノア。 けどマナーって相手を不快にさせない為に制定された「それをすれば失礼と捉えられないルール」であって、相手に対する敬意を感じられる人間の場合、それが多少不…
[一言] すわ、暗殺者?
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