抜かりのない王女と、アンブロス家の要求
声をかけると複雑そうな顔が自分のほうに向いて。ハリエットは、その不器用な第二王子が、兄の熱烈さに困惑している様子がどうにもおかしくて仕方なかった。思わず笑うハリエットに、ブレアが困ったような顔をする。
「……殿下」
「あら、申し訳ありませんつい……でもね、仕方がありませんわ。エリノアさんは、他ならぬあなた様の妃となる女性ですから殿下の喜びもひとしおです。それに……リステアード様は前々から『実は妹も欲しかったんだよね』なんてことをおっしゃっていましたからね。きっとエリノアさんはこれからとっても大変ですよ。王太子殿下に方々連れ回されてしまいますし、国王陛下と王妃様も虎視眈々とエリノアさんと遊ぶ機会を狙っておいでですしね」
「…………」
自分も含めた王家の行く末を思って、ハリエットは楽しそう言った。その想いには共感するものの、ブレアは己の妻を独占できぬ予感に複雑そうな顔をしている。と、兄に構われ倒しているエリノアを見つめていた彼の灰褐色の瞳が、不意に隣に並んでいる王女へ向いた。少しだけ声を低くする。
「……ところで殿下。アンブロス家の者たちですが……あの者たちはまだここへ来ていないのですか?」
見たところ、応接間の中にそれらしき者たちの姿はない。しかし壁際の豪奢な飾り時計を見ると、もう間も無く晩餐会は開かれるという時間。招かれている者たちは皆ここに集まっていていい刻限だった。すると、ハリエットが含みのある顔で答える。
「ふふ──いえ、エリノアさんのご親戚なら、一番最初にここにいたようですが、ルーシー嬢がいらっしゃる前に退室されましたよ」
「退室?」
何故と、ブレアが怪訝そうな顔をする。会に欠席するつもりなのかと思ったが、どうやら違うようだった。
「なんでも、晩餐会で王家の皆様やわたくしに余興を披露したいとのことでした。王妃様に許可を得て、準備のために出て行ったようです」
「余興、ですか……」
ハリエットの言葉にブレアが考えこむ。確かに晩餐会では楽団を入れたり役者を入れて演劇が披露されることもあるが……彼らがこの晩餐会に王妃に招かれたのは本日のこと。参加の準備をするだけでも大変なはずで、そのようなものを用意する余裕があったとは考えにくい。すると、彼の隣で王女が笑う。
「そう手のこんだものではないそうですよ。あくまでささやかな、と、王妃様もおっしゃっておいででした。歌や演奏でも披露するつもりなのかしらと私は思っております。が……」
言ってハリエットは、不意に手にしていた扇を優雅に開き、さりげなく口元を隠す。そしてその扇の内側で、彼女は断言する。
「──でも、それは建前だと思いますわ」
囁き声だがキッパリとした口調に、ブレアも平静な表情を動かさずにそれを聞いた。
彼女の説明によれば、アンブロス家の当主はハリエットたちよりも先に応接間にいたが、ルーシーとジヴがここに入ってくる直前に、呼びに来た配下を伴って退出して行ったという。
ハリエットは小さく肩をすくめるようにして苦笑する。
「アンブロス家の配下は、子爵に耳打ちをしたので声は聞こえませんでしたが、私の侍女が唇を読みました。『もうすぐ奴らが来ます』……そう言っていたようです。あれは意図的に避けたんじゃないかしら、ルーシー嬢か……もしくは殿下とエリノアさんを」
「……なるほど」
王女からの情報に、ブレアは多少の落胆を感じてため息をつく。
こうなって来ると……『口うるさい言葉は聞くつもりがない』というあちら側の反発が見えるようだった。アンブロス家は、ブレアやルーシーに会う機会をギリギリまで減らし、彼らが勇者の縁者としての権利を主張するに邪魔な忠告をさせる暇を与えないつもりなのか。
晩餐会がはじまってしまえば、自分や……特に将軍家の娘ルーシーは、国王や王妃がハリエットのために催した席では、さすがにアンブロス家に苦言を呈しにくい。それを見越してのことなのか。
(……ここまで徹底して避けるということは……やはり何かあるのか……)
できれば穏便に済ませたいところだが……どうやらそうは行かぬらしいとブレア。この先の自分たちの姻戚関係がとても難しいものになるような予感を感じて、やや頭が痛くなったが……その苦労を、エリノアにはできるだけ感じさせたくはないと思った。
案じるような瞳でエリノアを見つめていると。そんな彼に、ハリエットに目配せされたクレアが何かを差し出してきた。
「?」
分厚く折り畳まれた紙を受け取り、ブレアがハリエットを見る。
「これは……?」
と、ハリエットは、扇で隠した口元で可憐に笑う。
「殿下はお忙しいご様子でしたから、わたくしが代わりに♡」
──何やらやけに含みのある言葉である。ブレアはやや警戒した眼差しで王女を見て、その紙を開くと──……。
「……これは……」
開いた紙を見下ろして──ブレアは目を瞠った。紙面には、びっしりと並んだ文字。
「ええ、ざっとですが──今回アンブロス家が王妃様に要求した内容を書き留めたものです」
「…………」
ブレアは思わずハリエットの顔を凝視する。
その要求は、本日の王妃との面会で出たものだろう。──だが、今宵は内々とはいえ晩餐会。その準備やタガートとの面会、それに何よりエリノアと過ごす時間を優先させたブレアのところには、まだその情報は届いていなかった。
「……配下には入手するよう命じたのですが……要望が多すぎて、記録係の帳面から写すのがことだと……」
ブレアとしてはその検めは、ともかく晩餐会でのアンブロス家との直接対決を終えてから……と、思っていた。……いや、それ以前に、王太子の婚約者とはいえハリエットは他国の者。王妃の面会の会話の記録など容易く見られるものではないはずだが……。と、呆れを滲ませたブレアに、ハリエットはこともなげに笑う。
「あら、耳で聞けば十分な者もおりますのよ」
「…………」
微笑みながら平然と返してくるハリエットに、ブレアはさらに呆れたが……つまりハリエットは、王妃とアンブロス家の面会時に、そのような“耳がいい”密偵を送りこんでいたということなのだろう。ああ、もちろんとハリエット。
「当然、わたくしはその紙を見ていませんし、配下からも内容を聞いていません。クライノート王家の婚姻に関する情報ですからね。あくまでも、それは王妃様からのご許可をいただいてからと心得ておりますわ」
「…………」
飄々と微笑を浮かべる同盟国王女に侮れないものを感じながら──……ひとまずブレアは、げっそりした想いを呑みこんで。渡された書面に並ぶおびただしい文字を読み進める。……が、半分も読み進めぬうちに、ブレアの顔に困惑が浮かぶ。
「…………これは……」
言葉を失くしたブレアは険しい顔をしていた。王家への礼儀として、本当にその内容を知らないハリエットは、自分の渡した紙を読み進めるにつれて眉間のシワが深まっていく王子の顔を見て。どうやらアンブロス家の要望はよほどひどかったらしいと気の毒に思った。と、そんな心配そうなハリエットに、ブレアが重い声で尋ねる。
「…………殿下は……」
「──ええ、なんでしょうか」
「……アンブロス家と対面なさって、彼らにどのような印象をお持ちになりましたか……?」
いささか礼儀にかなわぬ動きの多いアンブロス家だが、まさか、同盟国の王女ハリエットや王太子と同じ部屋に居合わせて挨拶をしなかった……などということはないはず、率直な印象を聞きたいと請われて。ハリエットは少し考えて、扇の内側で「そうですわねぇ」とつぶやいた。
「……はっきり申し上げますと……あの方とエリノアさんとが血が繋がっているというのが不思議なくらいだと思いました。子爵は一見にこやかにしていても、どこか狡猾そうで不穏な感じのする方で。まあ……顔立ちはやはり血筋の方という感じではありましたけれど……わたくしはともかくとして、王太子殿下に対する態度がどこか不遜で……そこが気になりましたわ。口調や口上は立派でしたけれど、子爵もご配下も、どうにも横柄さが滲むと言いますか」
「…………」
冷静ながら、どこかハリエットの憤りを感じる人物評に、ブレアの表情がさらに曇った。王女の目利きの鋭さにはブレアも一目置いている。そんな彼女にまで“狡猾そうだ”と評されたアンブロス家とはいったいどんな癖者かと警戒する気持ちが増すが……
ブレアは思わずつぶやく。
「……そうすると……いよいよ得体が知れぬな……」
──このアンブロス家の要望に、いったいどういった意図があるのか。
「ブレア様?」
難しい顔で紙を睨み、考えこんでいる王子に、ハリエットは大丈夫ですか? と心配そうに問う。その気遣いに「ええ……」と頷いて見せたものの、ブレアの表情はすぐれなかった。相手の思惑が推し量れず、どうにも気持ちが悪かった。ただ思うことは、(……エリノアに、何も災いが降りかからぬといいが……)と、いうことだけ。
「……」
ブレアは紙面から視線を上げて、少し離れた場所で王太子と必死で語らっているエリノアを見た。(※というより王太子による質問攻め。「好きなものは何?」「好きな色は? 食べ物は?」「お花は好き?」「何か欲しいものってあるのかな?」「今度私とお茶してくれると嬉しいんだけど……」等々……)(それに気が付いたブレアはギョッとして「あれも助けなければならない」とハッとした)
──と。そこで応接間の扉が開いた。入ってきた扉係が声高に報せる。
「皆様! 晩餐会の準備が整いました。広間のほうへお越し下さい!」
「──あら、いよいよですわね。では参りましょうか」
ハリエットは、硬い顔をしているブレアに「わたくしたちもおりますから」と優しい言葉を残し、王太子のほうへ行ってしまった。入れ違いに、額までを真っ赤にしたエリノアが彼の元へ戻ってくる。
「ブレア様!」
──どうやら王太子との会話で恐縮しきりだったらしい娘は、ブレアの傍まで戻ってくると、とてもホッとしたような顔をした。彼女を解放した王太子は、名残惜しげにエリノアを見ていたが、苦笑したハリエットに引っ張られるようにして応接間を出て行った。
「エリノア、すまない、兄が……」
アンブロス家の件で王女と話しこんでしまい、エリノアを放っておいてしまったブレアは申し訳なさそうに謝ったが。エリノアは晴れやかな顔で首を振る。
「いいえ。とても緊張しましたが、ブレア様のお兄様に興味を持っていただけて嬉しいです」
照れ臭そうに自分を見上げて微笑むエリノアに、ブレアもホッと気持ちが和む。
──この笑顔を守らなくてはならない。
「……では、いこうか」
そんな熱い決意はおくびにもださず。ブレは静かな表情でエリノアに手を差し出した。と、エリノアは「はい!」と、元気よく頷いて。まだ少しだけ恥ずかしそうに彼の手に手を重ねる。そのぬくもりを感じながら……ブレアは、決意を新たにする。
(──何としても、守らねば)
さあ──いよいよ晩餐会のはじまり。
アンブロス家との対面の時だった。




