安全第一エリノアの、ルーシー対策
王宮の廊下で、男が二人立ち話をしている。
一人は正装したブレアで、もう一人はソルだった。ソルは神妙な顔つきで、声を潜めて言った。
「……人を偵察にやったのですが……アンブロス家の当主はかなりくせ者のようです……王妃様との面会時間は、しっかりと時間の定められたものです。それにも関わらず、ああだこうだと言って時間を延長させたばかりか、やはり勇者の縁者として様々な要求をしてきたということでした」
「そうか……」
配下の苦々しげな報告に、ブレアは考えこむ仕草を見せた。
この晩餐会直前の慌ただしい合間に、二人がこうして話し合っているのは、もちろんアンブロス家への対策について。ひとまずブレアは、アンブロス家の要求についてはまだエリノアには伏せておくようにとソルに命じる。
「こちらでも接触を試みたが、どうやら避けられたようだ。アンブロス家がエリノアと会う前に、話をしておきたかったのだがな……」
対策を立てるには、まず相手を知ることが大事だが……ブレアが彼らに面会を求めても、あちら側も釘を刺されることが分かっているのか……『長旅で具合が悪く立て続けに王族の方に会うのは負担だ』『会うのは晩餐会の時に』と拒まれた。その話をすると、ソルは信じられないという顔で「殿下の要望を無下にするとは」と目を吊り上げる。
「花嫁となるお方の血縁として呼ばれたのに、そのお相手に事前の挨拶もなしとは……勇者の縁者であるからといって、何か自分たちが手柄を立てたものとでも思っているのでしょうか……⁉︎」
ソルは主君に対する子爵の無礼に憤っている。が、ブレア本人としては、相手の出方がある程度予測できていたのか、冷静な顔を崩さなかった。
「まあ、そう怒るなソル。子爵としては当然の選択だ。明らかに、取り入るなら私よりも母からのほうが容易い」
世間でも王妃の性格の優しさは広く周知されていて、反対にブレアの厳しい性格はよく知られた話。巷に流れていたブレアの悪評については、出元であるクラウス周辺が調べられるにつれて、徐々に根も葉もない話だったと広まりつつあるが……それでも元より評判のいい王妃と、見るからに気難しそうな第二王子とでは比べるまでもない。
アンブロス家は、ビクトリア側室妃と繋がりがあったことも明らかにされているから──かなり焦りも感じているはず。つまり、“勇者の縁者”として恩恵を受けることができるのか、“勇者を裏切っていた血縁”として追及を受けるのかの瀬戸際というわけだ。もちろん彼らがこの先ずっとブレアを避け続けるなどということはできないだろうが……先んじて慈悲深い王妃の情に訴え、『あれはビクトリア様に強要されたこと』とでも言い、一定の言い訳をしておくことは必要だと考えたのだろう。加えて王妃に気に入られでもすれば、アンブロス家にとっては更に塩梅がいい。
「……それに妃となるエリノアの処遇は、王妃の管轄。それを考えても、やはり彼らとしては、私よりも母上を優先しておくほうが利があるというわけだ」
「ブレア様……ご冷静でいらっしゃるのは結構ですが……このまま奴らの思い通りにさせておく気ですか?」
納得がいかないのだろう。窘めるような書記官の顔に、ブレアは苦笑して。しかし、ここは堪えてほしいと宥める。
子爵が一国の王子の求めを断るのは確かに無礼だが、これは自分たちの婚約や婚姻にまつわる話。初手からエリノアの縁者と揉めていては、周囲から縁談にケチがついたと思われてもまた厄介である。相手は利益の為になら、実兄を陥れたビクトリアと通じることをも厭わぬような油断ならぬ相手。彼らが自分たちのことを『勇者エリノアの縁者』と声高に触れ回れば、きっと擦り寄る輩もいるはずで、アンブロス家とブレアが不仲だと世間に思われれば、そこにつけこもうという者も出てくるだろう。
「──とはいえ、もちろんただ機嫌を取ってやる気はない」と、ブレア。
エリノアを守る為には、ブレアも手をこまねいてアンブロス家のやりようを見ているばかりではいられない。アンブロス家に事前の面会を拒絶されて、ならばとブレアは代わりにタガート将軍を傍に呼んだ。長くエリノア達の後ろ盾となっていたタガートは、当然アンブロス家のこともよく知っている。話を聞いた獅子のような将軍は、『今頃あのような小物が……』と実に不愉快そうではあったが……彼も自分の養女たるエリノアの為に、ブレアに喜んで協力すると請け負ってくれた。
そうしてブレアはタガートから、ある程度アンブロス家当主の人柄や領地の事情を聞き出し、要求してきそうな事柄と、その対応について協議した。──その流れでタガート親子も勇者の養家として晩餐会への参加が決まったのだが……それを聞いたソルが深々とため息をつく。
「心配です……」
「ソル?」
この男にしては珍しく苦悩が露で、いったい何をそこまで案じているのかと思えば……書記官はキッと視線を上げて生真面目に訴える。
「ここ数日ご指導致しました経験から申し上げまして……正直、エリノア様はかなり人に流されやすい傾向にあります!」
「……、……、……そうだな」
数拍の無言のあと、ブレアは「……急になんなんだ」という顔で一応の同意。思い切り苦悩しているらしい配下の調子はいささか大袈裟すぎる気もしたが……自身の婚約者へのその見解は認めざるを得ない。
確かにエリノアは、人の情や圧に流されやすいところがある。特に対象を憐んでしまうと警戒心がなくなるし、よほど見習い時代にでも女社会の恐ろしさを目の当たりにしたのか……職場の女の圧にはおもしろいくらいに無抵抗である。まあ現在は……そんな恐ろしい職場の侍女達が、皆エリノアを守る方向に動いてくれているので、ブレアとしてはそちらは心配してはいない、が……。
ソルはその情に流されやすいエリノアの気質を問題視しているようだった。
「……永年縁を切っていたとはいえ、一応身内です。アンブロス家当主がエリノア様のそういった気質を知らないとは言い切れません。ああいった厚かましく、口が上手く立ち回るような人間たちは間違いなくエリノア様の弱点を遠慮なくついてくるでしょう……!」
翻弄されて、あっぷあっぷと困らされる勇者殿が目に見えるようです! と、苦悩して、今にも廊下の壁を拳で打ち付けんばかりの様子のソルを見て。ブレアは、この書記官が、己の婚約者のことを大袈裟なほどに案じてくれているのだと知って──少しだけ表情を和らげた。
が──……。
その認識はややずれていた。
ソルは、イライラと心配さとが混じり合ったような表情で頭を抱えて訴える。
「心配なのです! アンブロス家がエリノア様をあたふたさせて……それに腹を立てたタガート嬢が激怒して晩餐会が台無しにならないか……!」
「……何? ……、……そちらか……」
どうやらソルはエリノアを心配していたというより、ルーシーのことを危険視していたらしい……。
「確かにあの方々はとても頼りになりますが……でもっ、両陛下やハリエット様もいらっしゃる王家内々の晩餐会ですよ⁉︎ もしタガート嬢が暴れてしまったら……」
下手をしたら晩餐会の会場が乱闘会場になってしまうのでは⁉︎ と、ソル。なんと言っても……ルーシーには様々な逸話がある。ルーシーは、身内の為なら、ブレアのこともさらったような令嬢である。ソルが危惧するのももっともと言えばもっともで……。真剣な顔で訴える配下に、ブレアは沈黙した。
「…………いや、さすがに……タガートも同席することだし……」
「何をおっしゃいますか。将軍がいらっしゃるから余計恐ろしいのですよ殿下」
ブレアの取りなしを、ソルはキッパリと斬る。万年反抗期で、ツンデレファザコンというややこしい性質にある令嬢は、父親がそこにいることで余計に火がつきやすいのだと滔々と説明されて……ブレアは少し頭が痛くなった。
「…………」
「ともかく! ブレア様もけして油断なさらないで下さい! アンブロス家も油断なりませんが、恐ろしいのはルーシー嬢です! この勇者様を挟んだ両家の戦いをけして楽観視してはいけません!」
「…………」
王宮の晩餐会でそのような争いが起これば、女主人として会を取り仕切る王妃様の面子にも傷が──と、必死で訴える書記官に。ブレアはなんと返したものかと困惑した。脳裏には、ヤンキー顔の令嬢と、まだ見ぬアンブロス家当主との睨み合いの様子が浮かぶ。
「……いや、ソル、論点がずれてはいないか? これはそのような戦いでは……」
と、ブレアが言いかけるも。どうやら書記官は納得しそうにもない。どうしたものかと考えていると、廊下の奥から騎士が一人、彼らに向かって駆けてきた。
「ブレア様! 急報です! 勇者様からブレア様に!」
「? エリノアから……?」
すぐさまブレアの顔色が変わる。慌ててやってきた騎士に駆け寄り、ブレアは騎士が手に持っていた手紙を受け取ると、急いでそれを開く。エリノアのことは、このあと離宮まで迎えに行くことになっていた。それなのに急報とは……彼女の身に何か起こったのかと心配したが……。
折り畳まれた白い紙を開き、書かれている文章に目を走らせたブレアは──灰褐色の両目を丸くした。
「……これは……」
「どうなさいましたブレア様? 何かございましたか?」
手紙に視線を落としたまま一瞬沈黙したブレアに、ソルが不安げな顔をする。と、息を呑みこんだまま手紙に視線を落とし、黙りこんでいたブレアが、そこで思いがけず──噴き出した。
「「⁉︎」」
王子の口から、聞いたことのない「プッ」と短い、珍しい音が漏れ出たことに、ソルも騎士もギョッと目を瞠る。しかしそんなことにはお構いなしで。ブレアは笑いながら「なるほど」と頷き、困惑している騎士に向き直る。
「承知した。──これはすでにタガートにも話が通っているのだな?」
「え──あ、は、はい、そのようです!」
噴き出したブレアに驚いていた騎士は、王子の問いかけにハッとして慌てて頭を上下に振った。それを確認したブレアは、「分かった」と、こちらも頷きながら、どこか楽しげな様子。
「エリノアの言う通りに。すぐに手配してやってくれ」
「……ブレア様……?」
にこにこと騎士を送り出した主君に、ソルがいったいどうしたことかと怪訝そうである。が、そんな配下を振り返って、ブレアはまたくつくつと笑った。
「──確かに、流されやすいところもあるが……さすがは、我らが勇者様だ」
「それは──いったい……」
不思議そうな書記官に、ブレアは微笑みを浮かべる。
「どうやら……お前の心配もどうにかなりそうだぞ?」
「?」
「ファ⁉︎」
さて、時は少し進み半時ほど後。こちらでもドレス姿の令嬢が、彼女にしては珍しい変な音を口から吐き出していた。瞳は目一杯に見開かれて、頬は真っ赤。唇はワナワナと震えている。
目の前に立っている背の高い男性を見つめたまま、彼女は思わずといった様子で一歩後ろに下がり──そして呆然と、震えながらその名を呼ぶ。
「ジ……ジヴ様……⁉︎」
「こんばんは、ルーシー君」
綺麗に整えられたヒゲの紳士は、ルーシーに呼ばれると、にこりと落ち着いた微笑みを浮かべる。その顔を穴が開きそうなほどに、瞳を目一杯に広げて見つめていたルーシーは、途端、顔が更に真っ赤になった。
「な、何故ここに、ジヴ様が……⁉︎」
思い切り動揺するルーシーに──その様子を傍で見ていたエリノアが、ふっと謎に悪い顔で笑う。
(ふ、ふ、ふ……ザマァみろ姉さんめ、ほほほほほ、思いっきりうろたえるがいいわ……!)
私だっていつも驚かされっぱなしじゃないのよ! と、密かに自慢げに胸を張るエリノアを。隣のブレアは面白いなぁと思いつつ、ほのぼのと眺めている。
お読みいただきありがとうございます。
説得したものの…不安が残るエリノアが、ルーシー対策でジヴ様を召喚しました!(^^)




