ブレアの選択
「……あ……」
しまった、という顔をエリノアがする。と──傍でブレアが少し複雑そうな顔で微笑んだ。彼女が弟を恋しがっていることを知っているからこその気遣うような表情だった。けれども青年は、目の前でうろたえている娘に、今彼女が考えていただろう少年魔王について尋ねることはしなかった。
ただ、角のない柔らかな視線が、彼女の表情に暗い影が落ちていないか確かめるようにじっと注がれている。
……どうやらブレアは、彼女の弟については進んでそのことには触れないと決めているようだった。
勇者であり、魔王の姉であるという複雑な立場のエリノアには、もちろん彼も一国の王子として尋ねたいことはたくさんある。
──が……
もちろん一番は、弟の話題に不用意に触れて、エリノアを悲しませないよう慎んでいるのだが──それを抜きにしても、彼女が勇者として王都を守ってくれたのは確かで。その魔王も、結果的には王都に害をなしてしまったものの、彼には人々を害する気持ちはなく、元はと言えば、自分の弟クラウスや父の側室ビクトリアの責任が大きいと、彼はきちんと理解していた。
すべては王家の後継者争いに端を発しているのだから──まず裁かれべきは騒動を起こした者たちであり、加担した者。そして綱紀粛正が必要なのは国家だった。
エリノアはもう十分に勇者として人々に貢献し、希望となってくれているし……そのことを考えても、謀に巻きこまれたこの不遇な姉弟に責任を追求するという考えはブレアにはない。だからすべてを思い出した彼が、彼女の弟の正体を周囲に対して沈黙することを選んだのも、当然といえば当然の流れだった。
人間という、矛盾に満ちた者たちの集合体たる国家の安定の為には、時には柔軟さも必要で。何もかもの真実を明らかにすることだけがよいとも限らないと、ブレアは分かっていた。
それに、今のエリノアは、他の誰かには語らないようなことも、ブレアが尋ねればなんでも正直に打ち明けてくれる。だからこそ彼も、安心してエリノアを信頼し、聞かずにいられたのだった。
──ただ、その代わり。彼は彼女の顔をそれとなくよく見るようには心がけている。エリノアが一人で何かを抱えこんでいないか。何か話したそうな、聞いて欲しそうな顔をしていないか。それだけは見落とさないようにと決意していた。
「……大丈夫か?」
じっと見つめられて。あわあわしていたエリノアは照れ臭そうに頭を上下に振る。
「は、はい……す、すみません、えっと……ぼうっとしていました……」
「疲れもあるのだろう? 歩きながら長々と話をしてすまない。まだ話しておかなければならないこともあるのだが……もう切り上げて、聖剣殿に部屋まで転送していただいては?」
残りの話は、晩餐会の準備が整った頃に迎えに行くからその時にでもと言い、ブレアは後ろを歩いているテオティルたちに顔を向けようとする。と、その言葉に「え⁉︎」と思ったエリノアは、慌てて己の左手を振って──咄嗟に彼と繋いでいた右手を、離すのは嫌だと言わんばかりにぎゅっと握りしめた。ブレアが驚いたように少し目を瞠ってエリノアに視線を戻した。
「あ、す、すみません、大丈夫なんです!」
「だが……」
心配そうなブレアに、エリノアは今度はもう片方の手も添えて、ブレアの手をぎゅうぅぅうっと、握りしめる。
「ほ、本当です! えっと、お話し、なんでしたでしょうか⁉︎」
……エリノアが……必死過ぎる。
だがこの城門に着いても、まだ王宮やエリノアの離宮までは距離があるわけで……彼女としては、そこまではまだブレアと共にいたかった。もう離宮のほうでは準備が万端で、エリノアの到着を待つばかりとはなっているが……晩餐会の準備に入ってしまうと、どうしてもバタバタして気忙しくなってしまう。その前に、もう少しブレアと落ち着いて話をしていたかった。……と、いう思いに駆られ過ぎのエリノアは、もうすでに必死すぎて、気持ちはぜんぜん落ち着いているようには見えないが。
自分の手を握りしめ、大切なものを取り上げられないようにと懸命な娘の顔に……
ブレアが人知れずグッと奥歯を食いしばった。身体は少し斜めに傾いていて……分かりにくいが、どうやらとても嬉しかったらしい……。
が、青年はすぐに、こほん、と、小さな咳払いと共に身を正し「……では、」と、先ほどまで話しかけていた話題を切り出しはじめる。顔は照れ臭そうだったが、何故だかすぐに表情が改まり、瞳は複雑そうに変わった。どうやらその話題は、あまりエリノアには聞かせたい話ではないようだ……。
「──今宵の晩餐会の参加者に関する話なのだが……。いずれ私たちは結婚式を挙げるだろう? 実はその時に、君の親類を呼ばないわけにはいかないという話になってな……」
ブレアの顔はいつの間にか困ったような表情をしていて。そのことに気がついて、エリノアも自然と真面目な顔つきになっていた。
「親類……というと……」
途端理解したエリノアの顔がサッと曇った。気持ちもスッと冷えていた。
「──アンブロス家だ」
ブレアの口から、案の定その家名が出て。エリノアは思わず黙りこむ。
アンブロス家とは、王都から東の地方に小さな領地を持つエリノアの父方の親戚である。元はトワイン家から分家された子爵家で、今の家長は彼女たちの父の弟のはず、なのだが……
彼らは昔、エリノアの父がビクトリアらに攻撃を受けた時に、自分たちが巻きこまれるのを恐れて、エリノアたち姉弟を見捨てたという経緯がある。もう十年近く会っていない顔も朧げな親類たちである。……とても会いたい気持ちにはなれなかった。
そんなエリノアの事情をある程度知るブレアも、申し訳なさそうな目でまずは彼女に頭を下げる。
「まずは知らせるのが遅くなってすまない。君にとってはあまり嬉しい話ではないだろうが……伝統的には妃となる者の親類は呼ぶ決まりゆえ……その話をするために母がアンブロス家の者を王都にお呼びになったのだ。せっかくだから晩餐会の席で君とも話を、と──おっしゃっておいでなのだが……もちろん君が会いたくないのなら、今回の晩餐会は見合わせてもらい、明日にでも私が彼らと面会しておく」
確執があるとはいえ、彼らがエリノアの親類であることは確かで、ブレアとしてはエリノアの未来の夫として彼らに敬意をはらわなければならない。──ただ、当然それは表向きの話。ブレアが彼らに会う本当の目的は、勇者であり自分の妃となる予定のエリノアに、信用のならないアンブロス家が今後、何か無茶な要求をしてこないよう強く釘を刺しておくことである。それにそのような輩をあまり冷遇すると、エリノアが逆恨みを受けてなんらかの被害を受ける可能性もあった。それらを防ぐ策を練る為にも、彼は必ずアンブロス家の領主に会い、その人となりを知らなければならなかった。
「──だが、君は会いたくなければ会わなくていい。私がうまく話をつけておく」
「…………」
ブレアに安心するようにと言われたエリノアは……しばしの間考えた。
もちろんその件をブレアや周りが自分に知らせてくれるのが遅くなったのは、今は王都復興で忙しいゆえのことだと分かっている。
確かにエリノアは、今更アンブロスの人間には会いたくはない。
しかし──王妃がブレアとエリノアの結婚式のことを見据えて、わざわざ彼らを呼び寄せたのであれば……エリノアとしてはそれを無碍にはしたくなかった。嫌でも、アンブロス家には確かに父と血の繋がった弟がいて。彼らがどんなに薄情でも、エリノアとも血が繋がっていることは間違いがないのだから。
硬い顔で考えこんでいるエリノアを見て、ブレアはもう一度すまないと言った。
「母の元に、数日前アンブロス家側から書状が届いてな……勇者は自分たちの血筋ゆえ絶対に結婚式には招いてくれと。その要求にはタガートも憤慨していたのだが……亡くなった君のお父君のことを引き合いに出して、哀れな娘の晴れの舞台だから是非にと言われて……母も無視するわけにはいかなかったようだ」
「そう、ですか……」
その話を聞いたエリノアは少しため息をついて。しかし彼女は、申し訳なさそうにするブレアの顔を見て、できるだけ元気に「分かりました!」と応じた。ドンと己の胸を叩き、頼もしく請け負う。
「ブレア様、私大丈夫です! そういう人たちなのです。それは前々から分かっていましたから」
エリノアも、自分が勇者であることが国に知れ渡って、きっといつかは彼らが何かを言ってくるだろうと覚悟していた。東の端にあるような領地までよくもまあこんなに素早く噂が広まったなとは思ったが……打算的な人たちである。女神の勇者という立場を手にした姪を放っておくはずがない。
昔もなんだかんだと理由をつけて、エリノアたちを助けてはくれなかった。今回も、ブレアの母への手紙はきっと王妃が断れないように大いに哀れみを誘うような内容を並べ立てたに違いない。ここは王妃を困らせない為にも、今後の為にも、自分が毅然としていなければならないとエリノアは思った。
「来るならこいです! もう私も、あの頃みたいに幼いわけじゃありませんから! そうそう容易く利用されてなんかあげません!」
そう胸を張る娘の顔は勇ましく晴れやかだった。勝ち気な瞳はクリクリと輝いてブレアを見上げる。
「見ていてくださいね! 昔のお礼に逆にこっちが利用してやるくらいの気持ちで再会してやります! なんたって、わたくしめ、勇者ですから!」
「…………」
頼もしいエリノアのその言葉に、それがけして虚勢ではないと感じたブレアが、ふっと笑う。……ああもうこの者には叶わぬなというような……喜びと複雑さの滲む愛しげな目だった。家族を失うという大きな悲しみを抱えていても、気丈に立ち向かおうとする姿勢を失わないエリノアを見て、己も身が引き締まる思いだった。
「──ありがとう、エリノア。……だが、私にも必ず頼ってくれると約束してくれ」
青年の手が優しくエリノアの頭を撫でる。柔らかに、労るように髪の流れを整えられて。エリノアもとても嬉しそうだった。
そうして二人は再び手を繋いで歩き出した。肩を並べて話しながら王宮のほうへ去っていく二人を、門番たちが微笑ましそうに見送っている。
「──そういえば、小耳に挟んだが……最近城下に女神の御使が現れるそうだぞ」
「? 女神様の、ですか?」
「そう、小さな子供の姿で、先の騒動の折に負傷した者たちを癒していくらしい……聖剣殿では?」
「え……? 子供の、姿……? 確かにあの子はたまに縮みますけど……? でもそれは私の心が弱った時で……って、ブ、ブレア様⁉︎」
「「「⁉︎」」」
ヒェッという声を聞いて、一旦城外へ視線を戻していた門番たちが慌てて振り返る、と──……途端門番たちが小さく噴き出して苦笑する。──彼らの視線の先では、王子がまた勇者を抱き抱えているところだった……。
勇者の『心が弱った』という話を聞いて心配になってしまったらしい王子は、「おとなしくしていなさい」と、子供を叱るような顔で言って。いつも冷静な彼にしては慌てた様子で勇者を抱え、スタスタと早歩きで離宮のほうへ歩いていった。門番たちには王子が素早すぎて勇者の顔は見えなかったが……だいたいの想像はつくというものだった……。
門番たちは互いに顔を見合わせる。
「……うーん勇者様は、手を繋いで歩きたそうにしていたが……今日もやっぱり最後はあのスタイルになってしまったか……お気の毒に……」
「こないだ騎士らも言ってた(※密かに王宮の者たちに情報共有されている模様)が……ブレア様も、あの方を心配してしまうとどうにも冷静さを欠いてしまわれるみたいだな……惚れた弱みというやつかねぇ……」
「あー……あの勇者様はなんでもすぐに顔に出るしなぁ……昨日、侍女たちが勇者様のその辺鍛え直したほうがいいんじゃねーかって相談してたぞ……ブレア様の為にも、先々の妃生活の為にも」
「はぁ……? だってあのエリノ……いや、勇者様だぞ、そう簡単にいくわけねーよ……」
「いやいやまあ、まだ両思い十日目ぐらいだろう? まだまだ。これからだ、これから。な?」
きっとお二方共いずれ余裕も出るさ、そうだよな、がんばれ、ブレア様、勇者様、と──……
知らず門番らにわいわい応援されているブレアとエリノア。
その一部始終を後ろから見ていたオリバーとヴォルフガングは……なんとも言えない表情で同時にため息を落とした。
「……先は長そうだな……」
「……、……、……おい騎士! お前今度城の人間どもに、あいつらを変に観察するなと言っておけ! 余計な横槍を入れさせるなよ⁉︎」
あああ、まったく! 面倒臭い! ──と、白犬魔将は、色々心労がありそうな顔で呻くのだった。
お読みいただきありがとうございます。
エリノアは地位を得てしまったのでこれからは自衛も必要ですが、何かとわいわい王宮の人々に見守られているので大丈夫そうですね(^ ^)…ま、一部出歯亀のような気もいたしますが。笑
誤字報告いただいた方、ありがとうございました!感謝です!




