王都の坂道
エリノアたちは夕暮れの町の中を静かに進みながら、これまでの様々な打ち明け話や答え合わせをして歩いた。
ブレアは以前、彼が何も知らない頃。エリノアと共にいたテオティル(とルーシー)と遭遇した時。自分はとてもテオティルに嫉妬したという話などを照れ臭そうに聞かせてくれた。当たり前のようにエリノアの手を握る青年がまさか聖剣だったなんてことは思いもしなかったと。(※三章37『奇妙な三人組と。』)
しかし彼の話の中でもエリノアが特に驚いたのは、彼女が彼の茶会に招かれた時。その前にあった騒動でエリノアが目を回してしまったことがあったのだが……その時、なんとブレアの前にテオティルが現れたという。その話をまっっったく聞かされていなかったエリノアは、今更ながらにとても冷や汗をかいてしまったのだった……。(※三章58『逃亡劇顛末。羞恥、エリノアのターン。』)
(テ、テオったら!)
ブレアの頭をのんきに撫で撫でしていったという聖剣の気の遠くなるような非礼を謝ると同時に、エリノアは、身内の魔物の内に一人とてもいたずら好きな者がいて、度々ブレアに化けて自分を驚かすものだから、時々勘違いして己もブレアに無礼を働いてしまった旨をげっそりした顔で謝罪した。ブレアはそれで、ここに来てやっと出会った当初にエリノアが自分に向かって『猫』だの『悪魔』だの、『魚をあげるから!』とか『(ブレアを)抱いて逃げる』、『腹毛を撫でたい』『女装して』……などなどと言っていたあらゆる奇妙な発言の意味が分かったのだった。
そうしてもうすぐ王城門へ辿り着こうかという頃。
石畳の坂道を進みながらエリノアはふと、並んで進んでいく二人の足に感慨深く視線を落とした。
こうして落ち着いて二人で歩き、ゆっくり話すのは久しぶりのこと。共にいる時間がなかったわけではないが、ここのところはどうしても『この人の妃になるのだ』という照れがあって。顔を見てしまうと、どうしてもソワソワして落ち着かない。城下で細々暮らしていた自分が王家に嫁ぐなんて本当なのだろうか──? と、時々困惑することも多々である。
でも、本日はこうして、見守る者たちの奇策によって、久々ぶりに落ち着いた気持ちでブレアの隣に立つことができた。
エリノアは不思議な心持ちだった。心臓はドキドキするのに、今は精神が穏やかだ。それはとても心地よくて──エリノアが抱える悲しさを和らげてくれた。
(……ブラッド……)
こうやって穏やかな時間を過ごしていると、やっぱり思い出すのは弟のこと。自分が幸せを感じる時、彼は今どこで何をしているんだろうと、ふっと心にその顔が現れる。
あの時、弟は、『きっと幸せになって』とエリノアに言い残し消えてしまった。でも、エリノアにとって、幸せはずっと弟ありきだった。彼がいてこそ幸せで、彼が笑っていてこそそれを感じることができた。そのことを思うと、今どんなにブレアが愛しくても、寂しいと思う気持ちは止められなかった。ブレアのことは世界一好きだが、それは弟も同じ。弟のいなくなった悲しみは誰かの存在で埋まるようなものではない。
ただ、彼はその気持ちにとても寄り添ってくれる。
──本当ならば、エリノアはブラッドリーたちを探して世界を彷徨いたいくらい弟が恋しい。ブレアもそれでもいいと言ってくれた。エリノアは婚姻の約束をしておいてと躊躇ったが、それはエリノアがブラッドリーを探し出したあとでもかまわないとブレアは微笑む。そう言われてエリノアも多少は迷ったのだが……今のこの王都の現状を考えると、魔王の姉として、それはできなかった。
「…………」
エリノアはなだらかな坂道を歩きながら、下に広がる景色を眺めた。夕焼けに染まる建物の密集した街並み。その至る所には、まだまだブラッドリーが正気を失った時に破壊してしまった家々の痛ましい光景が広がっている……。
壁の崩れ落ちた家、火災の痕の残る家。当然怪我人も出て。そういった家の者たちは、今は国の支援を受けながら家屋の再建をしつつ、国の施設での避難生活を余儀なくされていて。彼らが元通りの生活に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。
──エリノアが責任を感じているのはそこだ。もちろん、それらの全てがブラッドリーの仕業ではない。中にはクラウスの放った刺客が付け火をしたことで燃えてしまった家々もたくさんある。それに元はと言えばすべてはクラウスらによる謀の結果である。……けれども、事情があったとはいえ、弟が町に災いをもたらしたことには間違いがなかった。
……エリノアは細く長く息を吐く。
これらの被害を思うと……今、王都の人々に、『女神の勇者!』と、喜んで迎えられているエリノアは、ここを離れて彼らを落胆させるわけにはいかないのだ。もちろんブレアから離れがたいということもあるけれど……。
ただ先出の通り、彼はエリノアが弟のために王国を離れることを嫌がってはいない。そのために、周りがエリノアに教育などでスケジュールを詰めこもうとするのを嫌がってくれたくらいで……。彼女がもし旅立つようなことになれば、きっと王国は大変な騒ぎになるだろうし、ブレアに降りかかってくるものも多いはずなのに。
だからそれでもいいと言ってくれた王子の言葉を聞いて、エリノアは決めたのだ。
勇者というものが人々の希望となるのなら、今は王都で償いをするためにも、ここで頑張ろうと。自分の弟がやってしまった被害をそのままに、その後始末を、この人と、その周りの人々だけに負わせるわけにはいかないと。エリノアにはまだ、己が王国にどのような貢献ができるのかは分からないが……今はここでできることを精一杯やりたいと思っていた。
(……大丈夫)
エリノアは弟の顔を思い浮かべながら、片方の手で胸の中央を押さえ、心の中で唱えるようにつぶやいた。
(……だって女神様が、『まだ聖剣は必要』だとおっしゃっていたもの……)
王国では魔王は滅されたということになってはいるが……エリノアはそうではないと固く信じている。
女神の残した言葉は、きっと『まだ魔王がこの世に存在している』という意味なのだと。弟たちには何か今は帰れない事情があって、無事を知らせるのも遅れているだけなのだ。……そう信じている。
(大丈夫、きっと。みんな戻ってくる。だから……それまで一生懸命励むのみだわ……)
弟は自分に負けず劣らず心配性だから、今もきっとどこかで自分のことを心配しているに違いなかった。彼がエリノアにここで幸せになることを望んだのならば、彼の知らせが来るまでは、ここで精一杯幸せになっていようと思っている。
勇者という栄光を手にしても、いろいろなことがあるものだ。けして、愉快なことばかりではない。王家や貴族の人々と付き合うのはなかなか難しいし、ちやほやしてくる顔の裏で、何か、『うまく取り入ってやろう』という気配を滲ませてくる者もいた。それに人々の期待も裏切らないようにしなければならない。重責に見合った難しい問題を突きつけられることだってたくさんある。
(でも、それでも私、ブラッドリーに心配かけないように、ここで頑張るから。きっと幸せになってみせるから……)
だから、お願いだから。あなたも無事でいてと。エリノアは、日々祈り続けている。
そんなことを考えていると、瞳にじんわり涙がこみあげてくるが──なるだけ泣かないでいようと彼女は決めていた。それはこの感情豊かな娘には、とても難しいことで、度々泣いてしまうけれど──もし自分のために姉が泣いていると知ったら、きっとブラッドリーは悲しんでしまうから。
だからこんなふっと心の中に寂しさが湧いてきてしまった時は、彼女はある一つの目標のことを考えるようにしている。
(大丈夫、きっと機会はある……多分……ブラッドリーなら、私の結婚式だったら、きっと見にきてくれるよね……?)
互いに慈しみあってきた姉弟だ。生きていれば、きっと自分の結婚式という人生の節目には、顔を見に来てくれるのではないか──エリノアはそう考えていた。自分だったら、ブラッドリーが誰かと結婚するとなったら、絶対に駆けつけたい。──号泣する気しかしないが──這ってでも、死んでも、絶対に。
(だから……私は頑張って、勇者としてうんと国の役に立って、ブレア様の婚約者としてみんなに認められて結婚式まで辿り着かないと……!)
……なんだかそのようなことを考えるのは、愛するブレアを利用するようで失礼な気もしたが……背に腹は変えられないというか、そこはちょっと許して欲しいところである。
(……ゃ、そこはあの、ブレア様を大事に大事にいたしますから! お、お許しください! だ、だって私、ブラッドに、あ、会いたい!)
このような邪な企みのある女で申し訳ありませんと──エリノアがブレアと女神に懺悔したい気持ちになった時──ふっと耳にブレアの呼ぶ声が聞こえた。
「……ア──エリノア?」
「あ……す、すみません、よ、邪です! ブラコンで……ごめんなさいっ!」
咄嗟に思わず叫ぶと──こちらを覗きこんでいたブレアがパチパチと瞳を瞬いていた。気がつくと、二人はとうに城門についていて。エリノアのブラコン謝罪を聞いた門番が、思い切り怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。少し離れた背後では、ヴォルフガングとオリバーが「あいつは何を喚いているんだ……」という呆れ顔で、テオティルはのほほんと「愛ですねぇ」などとつぶやいている。
お読みいただきありがとうございます。
長くなったのでちょっと分けます。
こうして並べてみると…エリノアのブレアに対する無礼の数々はちょっとひどいですねw腹毛って。
でも多分まだたくさんあったような気もいたします( ´ ▽ ` ;)




