騎士の密かな誓い
エリノアが店主に挨拶をして店を出ると、そこにブレアが待っていた。
石畳の道路脇に立っていた男は、商店の戸口をくぐってきたエリノアを見ると笑みを浮かべて静かに傍まで歩いてくる。──ただ歩いている。なんてこともない光景のはずなのに……愛する人から醸し出される悠々とした風格に、エリノアはただただ瞳を奪われていた。
「──エリノア」
穏やかに呼ばれると嬉しくて。咄嗟に、顔をパッと明るくしたエリノア──……では、あったのだが……
彼女はすぐにしまったという顔でハッとして彼を凝視した。そして慌てて周りを見て、ちゃんとそこに護衛兵がいることを確認し、ひとまずはホッと安堵する。口に出さずとも、表情だけでその場にいた誰しもがわかった。こんな夕刻に、また王子を自分のせいで往来で待たせてしまったと慌てている表情だった。
人々が見守る中で、勇者がパタパタとブレアの元へ駆けていく。
最近こうしてブレアが城下まで自分を迎えにきてくれるようになって。エリノアはそれがとても嬉しい反面、王子を城下の街頭などで立たせておくのが申し訳なくて仕方ない。だったらエリノアがモンターク家の手伝いをそこそこで切り上げればいいじゃないかという話なのだが……どうにもリードの両親の顔を見てしまうと、息子を失った彼らが悲しそうに見えてしまい。『リードの代わりに役に立たなくちゃ!』と、気負って手伝いに夢中になると、いつも早めに切り上げようという考えをうっかり忘れてしまう。情に流されやすいのは、エリノアの弱点である。
「あ、あ……す、すみませんブレア様、またお待たせしてしまって……」
「気にしなくていい。私はきたくてきている」
申し訳なくて身を縮めて謝るが、そんなエリノアにブレアは微笑んで手のひらを差し出した。と、その広げて見せられた大きな手を見下ろして、エリノアがうっという顔をする。まるで神々しい何かを急に見せられたかのようにたじろぎ、そして顔を赤くして、ゴクリ……と、喉を鳴らしながら王子を見る。当然その手は、“手を繋ぎたい”という意味合いで差し出されたものであろう。視線が合うと、ブレアは嬉しそうに笑みを深める。彼が普段寡黙なだけに、その和らいだ顔は、勤務明けで疲れたエリノアのハートにドスっと刺さる。
「げふ、あ──ちょ、ま、待ってください?」
「……」
よろり、と、よろめいて数歩後ろに下がったエリノア。ブレアはその言葉に従い手を差し出したまま、無言で大人しく彼女を待っている。
しかしその動じぬ様子の彼の表情も、自分の出方如何でしょんぼり悲しげに曇らせてしまうことを、エリノアはもう重々承知している。だからこそエリノアは身構えた。
「す、すみません、さんざんお待ちいただいておきながら大変心苦しいのですが……い、今、その、度胸を整えます! ちょ、ちょっとお待ちいただけますか……⁉︎」
エリノアは赤い顔で必死にはーはー息を整えようとしている。
悲しくも毎度のことながら……元侍女たるエリノアにとっては、王子ブレアの手を取るという行為は、事前にあらゆる気力を総動員しなければならないものだった。上司に叩きこまれ染み付いた使用人としての教え、それに身分差ゆえのためらい。そこに加えて最近厄介なのがブレアが好きすぎる自分だ。己に手を差し出してくれる王子が尊すぎて。なまなかな精神のままそこに挑むと、握った途端、ブレアの見ている前で悲惨にも鼻血でも流してしまいそうな気がして、とても気楽にはその手を取れないのである。
「で、でも大丈夫ですよ? さ、最近結構慣れてきましたからね……ちょっとの勇気でなんとかなるはず……」
だって両想いなんですもの、両想いなんですもの! と必死な顔で両手を擦り合わせて唱えている娘。──に。その『好きすぎてちょっとタイム』という気持ちがとてもよく分かるらしいブレアの方も従順なもので……
ここらで周囲の者たちは「またはじまったぞ……」という顔をするわけだ。
必死すぎるエリノアは、またうっかり忘れているが……そこには勇者を一目見ようと集まった町民や、警備、護衛の兵らが大勢集まっているのである。彼らは皆、その恒例行事化しつつある焦ったい光景を生温かく見守り──中にはこの勇者と王子の恋愛事情を記事にしようという記者までがそこにいるのだが……。
そんな状況に、特にげんなりしているのがこの男、オリバー。
差し出された主君の手を睨むように見たまま、大いに動悸に悩まされているらしい勇者の赤い顔を見て。それを生真面目に、じっと身動きもせず待ち続けている王子を見て……騎士は、深々とため息をついた。
──この二人、いつもこうなのである。
恋人同士、手を握り合うだけのことが、どうにもスムーズにいかない。
エリノアがモンターク家の手伝いをしに城下に降りてきて、もう5日ほどにはなるが……毎度毎度これである。いちいちが大袈裟で、そんなことでは毎度疲れ果てるだろうに……と思うのだが……
オリバーが思うに、エリノアは王子との恋愛に気負いすぎだし、王子は忍耐がありすぎる。初々しいのは微笑ましいが……二人に進展がないと王妃に責められるのは、何故かいつもオリバーだった。
(……まあ、でも、俺は借りを返さなねーとなんねーしな……)
オリバーは諦めを感じながら、チラリとエリノアを見る。
──それは先の戦いでのこと。
騒乱の中で、彼らの前に現れた奇妙な黒い獣になじられた言葉が、彼はずっと気になっていた。
『せいぜい……“それ”を、一生懸命繕って、聖なる加護を恵んでくれた女に感謝するんだね……お人好しをいいことに無理言って押しつけたんだ……こんなどうしようもない女なんか守ってないで、どうせならその人を守って恩を返してよ……お前たちが生きているのは、全部あの人のおかげなんだぞ……』
青い瞳の魔物は、とても歯がゆいという顔をして、きつくそう言い残して行った。
オリバーは、何故、あの魔物がそのようなことを言うのかは分からなかったが、魔物が言う“あの人”というのが、彼らの制服を繕ってくれたエリノアのことを指すのだということだけはなんとなく理解した。
ゆえに彼は、騒動後にそのことをエリノアにそれとなく尋ねたのだが……当の娘はなんのことだか分からないという様子。……というか……娘のほうは、自分と黒い獣との関係を騎士に誤魔化すのにいっぱいいっぱいという顔で……全然埒があかなかった。
おまけにオリバーが追求しようとすると、ブレアがやってきて問答無用でエリノアを庇う。そんな主君の様子を見て、やはり自分には知らされていない事情があるのだと確信したオリバーではあったが……
まあしかし。主君が探るなというのだから、それ以上オリバーがエリノアを問いただすようなことはしなかったわけだ。……けれども騎士の制服のほうはどうにも気になってしまって。己がほぼ毎日袖を通すものである。そりゃあ気になるに決まっていた。
仕方なしに彼は、その制服を女神の神殿に持ちこんでみた。聖職者であれば、魔物が言った“聖なる加護”について何か分かるかもしれない。まあたとえ分からずとも、魔王が去った今となっては加護などどちらでもいいかと、聖職者たちに害がないと保証でもしてもらえれば気が済むだろうと、なかば軽い気持ちで神殿へ行ったのだ。
……が。
オリバーの軽い気持ちに反して、持ちこんだそれは、女神教会の者たちに大きな衝撃を与えてしまったようだった。
聖職者たちによれば……オリバーの制服には、強力な加護縫いが施されており、それによって彼は女神の加護を得ていたのだという。まるで神聖な宝でも扱うかの如く、聖職者らにまじまじと観察される己の制服を見て……オリバーは唖然としてしまった。
でも思い起こしてみれば、魔王が襲撃してきた王宮で、オリバーやトマスらは何故か魔物にとても嫌がられていた。彼らが進むとたむろしていた魔物の蛇が逃げるように道を開けて──……そのおかげで彼らは無傷でブレアまでたどり着くことができたのである。
それが──勇者たるエリノアのおかげだったということに、オリバーはここでやっと気がつき、魔物が言った言葉の意味を理解し、愕然とした。
“加護縫い”──それ自体は昔から魔除けとしてある手法ではある。元々は大昔、魔物との戦の最中に、戦旗や王や勇者の外套に聖なるモチーフを縫い付けたもの。聖職者たちが戦勝を祈り、特別な図案を数日に渡り縫いとることで女神の恩寵を受けていた。しかし、千年前に魔王が退けられてからは魔物も出ず、女神教会という組織の上ではそれは廃れた習慣となっていた。が──……
エリノアが、オリバーへの苛立ちを込めてザックザクに縫った制服を見て、聖職者たちは感嘆し続けた。
『──すごい! こんなに荒々しい縫い目なのに! 聖なる加護はものすごく強力だ!』
『ど、どうしたらこんな縫い目で──聖なるモチーフすらなしにここまでの加護が⁉︎ 猛烈な怒りすら感じる荒ぶった縫い目なのに⁉︎』
『不思議だ……慈愛と怒りが凄まじく絡み合っているように見える!』
『………………』※オリバー
一体どういう仕組みなのだ⁉︎ と、興奮する聖職者たちを前に……オリバーは……それが己が勇者に無理矢理押し付け繕わせたものであっただけに……とてもとても複雑な……申し訳ない気持ちになったらしい。
お読みいただきありがとうございます。
ここにきてやっと反省するオリバーでした。
何故だか…とてもスランプ中です…( ;∀;)
もうすぐ終わりだからち難しく考えすぎていたのか…発売日うつというやつだったのか…面白いくらい文章が書けず…
うーんやっと更新できたので、これで抜け出せるといいのですが(^ ^;)もう少しもがいてみたいと思います!




