エリノアの外出希望とお目付役たち
──テオティルが無垢な顔で言った。
「……エリノア様……大丈夫ですか? お口から魂が出そうですよ?」
夕刻。終業時刻きっかりにソルが折目正しく去っていったあとの勉強部屋。
魂が身から分離しそうですよとあどけない調子で続けた聖剣は、テーブルに突っ伏したままの主人の後頭部を困り顔で見下ろした。すると、それまで卓上で溶けたように伸びきっていたエリノアが、よろよろと頭を持ち上げて。げっそり疲労の滲む顔で僕に応じる。
「あ……だ、大丈夫大丈夫……勉強部屋を出れば……バークレム書記官のテリトリーから脱出できれば……復、活する、から……ぁ……夕日が、目に染みる……」
目を眩しそうにしぱたたかせながら窓の外を見るエリノアのボサついた髪を、テオティルは心配そうによしよしと撫でつけた。この、黒髪の見事な鳥の巣状態は、ソルの出す難解な問題に……と、いうよりも。ソルがしばしば見せるトンチンカンな生真面目さにイラついて、エリノア自身が何度も頭を抱え、掻きむしった結果出来たものであった。
……エリノアは思った。
もし、あんな人が自分の弟だったなら、きっとものすごく大変だっただろう。──いや……むしろ面倒見甲斐があるのだろうか……と。鮮やかな夕日の色に目を細めながら、ぼんやりそのようなことをもくもくと考えていると……テオティルが生温かい顔でエリノアの肩を揺する。
「エリノア様エリノア様、疲労でおかしなことを考えてますよ。その妄想は大変危険です」
「? 危険?」
ダメダメと言いながら、何やら周囲を気にしている様子の聖剣の化身に、エリノアが不思議そうな顔をする。と、彼は、あ、と一瞬だけ視線を上に逃して。それから改めてエリノアを見て言った。
「あ、だってほら……えーと、そういう姉活動的なことを考えはじめると、エリノア様、魔王のことを思い出してすぐ落ちこんでおしまいになるでしょう? あ……」
言ってしまってから、テオティルがしまったという顔をした。
「………………」
「あ! いけません、いけません! 間違いました!」
案の定彼が危ぶんだ通り、すぐに主人の顔が曇ってしまい、テオティルは己の過ちを悔いる。どうやら──聖剣の一言で、いなくなってしまった弟ブラッドリーのことを思い出してしまったらしいエリノアは。ずずーんと暗雲を背負って、再び前のめりになってテーブルの上に突っ伏していってしまった。昼間はなんだかんだと忙しくしていて気もまぎれるようなのだが……こうした予定の合間の時間、特にテオティルやヴォルフガングなどという身内だけの時間が危険。エリノアはよく弟のことを思い出しては、こうして寂しさに心を苛まれている。
「あ、わ……エリノア様!」
すっかり落ちこんでしまった主人の姿を見て、そんなつもりがなかったらしいテオティルは、焦った様子で彼女の背後をウロウロと行き来する。
「ごめんなさいごめんなさいエリノア様! あ、あ……悲しまないで! あ、どうしよう……! ヴォルフガングを召喚して大うさぎに化けさせますか⁉︎ また腹毛を捧げさせましょうか⁉︎」
「……、……おい……」
そこで誰かの声がして。しかし、慌てふためいているテオティルは、主人のことに必死でその憮然とした声を完全無視。と、舌打ちが聞こえ、ため息が続く。その主、開けた戸口に立っていた男は、仕方ねぇなぁとぼやきながら落ちこんだ聖剣の勇者と、聖剣の化身に向かって近づいていく。
「!」
不意に、てしっと頭に何かを乗せられたような軽い衝撃があって。エリノアが思わず顔をあげると、目の前に、ポテッとハンカチが落ちてくる。紳士用のただ白いだけのそれを見ていると、面倒臭そうな声が上から降ってきた。
「……勇者殿よぉ、出かけるところがあるんだろ? さっさと泣き止まねぇと時間がなくなるぞ」
今日はハリエット様を歓迎するための晩餐会があるだろうと言う声。エリノアが横を見ると、声同様面倒くさそうな顔をしたオリバーがそこに立っていた。
「今日は出掛けねぇっていうんなら、もう俺が速攻支度部屋まで放りこみにいってやるが? 今日は聖獣の野郎もいねぇようだから楽そうだ」
言ってひょいっと肩をすくめる騎士は、本日のエリノアの護衛担当。
女神の勇者の周りには信頼のおける者を、という方針のもと、エリノアの護衛には、彼や、トマスやザックたちブレア陣営の騎士が必ず一人はつく手筈となっていた。
だがしかし、それをヴォルフガングがあまり良くは思っていない。別に彼らが嫌いというわけではないらしいが、「なんで俺様がいるのにこんな奴らがぞろぞろついてくるんだ」的な鬱陶しさを感じているらしい。ヴォルフガングは、自身はエリノアには表立って優しくしないくせに、騎士らがエリノアを以前と変わらぬ雑さで扱うと非常にうるさい。エリノア自身は、彼女が勇者であると知っても、多少はブレアの婚約者ということもあって改まったとはいえ。ブレアの騎士たちが、以前とあまり変わらぬ調子で接してくれるのをとてもホッとしているが……
魔王ブラッドリーからエリノアを託されたのだという自負を密かに持っている魔将は、今や小舅化し、騎士たちにはやや当たりがキツい(※現在は所用で外出中)。
「──で? どうすんだよ勇者様」
騎士の指摘に、エリノアがハッとして椅子を立つ。
「そ、そうだった! 今何時⁉︎ うわ⁉︎ い、急がなきゃ!」
慌ててもたつきながら、テーブルの上に広げたままだった教材類をかき集めるエリノアに。それを手伝いながら、テオティルが心配そうな顔で尋ねてくる。
「エリノア様……でも……やっぱり今日はやめておきませんか? すごくお疲れでしょう? 1日くらい、あちらも分かってくださいますよ……」
聖剣には、主人の消耗具合がよく分かっている。案じる青年に、しかし荷物を集め終わったエリノアは、にっこりと笑う。
「本当に大丈夫よテオ。忙しいけど、王宮のみんなが毎日おいしいものをくれるし、気遣ってもらってるもの。心配しないで。ほら、」※王宮の使用人たちの間で密かに“勇者餌付け体験”が流行中だが、エリノアはそれを知らない……。
尚も心配そうな僕に、エリノアは元気よく両腕を肩からぐるぐると回してみせた。──と、その上下する肩を見た、テオティルのアンサー。
「……、……、……ブルブルしてます」
一刀両断に言う聖剣に、傍で腕を組んで立っているオリバーも即座に同意。
「してるな」
両者の厳しい眼差しにエリノアは、うっと顔を強張らせる。
……まずいと思った。
忙しいエリノアの外出はテオティルか、ヴォルフガングの転送術頼みなのである。ここでその聖剣と、口うるさい護衛騎士を納得させなければ、たとえ国王の外出許可があったとしても、城下に行けなくなる可能性大である。
エリノアは必死になった。身体は重かったが、一層のしゃかりきをこめて、今度は二人に屈伸運動をして見せる。
「そ、そんなことないでしょう⁉︎ ほら、ほらね⁉︎ す、すごく元気でしょう⁉︎」
これならどうだぁあっ⁉︎ と、勇者は、汗をかきかき、必死のドヤ顔で二人を見上げる。──が。
真顔になった聖剣と護衛は無情にも言う。
「──ブルブルしてます」
「いや──……ガクガクしてるな」
…………今日のお目付役はとても厳しかった……。
これがヴォルフガングなら、情に訴えればなんとかなるのに! と、エリノアは思ったとか思わなかったとか。
お読みいただきありがとうございます。
本日9月1日は、電子書籍「侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!」の配信予定日です。
素敵な表紙と挿絵をつけていただけて夢のよう…( ;∀;)ヴォルフ…もふ、コーネリア、もふ…グレン、悪そう…笑
これもお読みくださった皆様のおかげです!
続刊できるよう、応援していただけると嬉しいです!




