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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
二章 上級侍女編
32/365

2 汗と筋肉の鍛錬場にはレディファーストが存在しない件


 エリノアは緊張しながら侍女頭の後ろから前に進み出た。


「……エリノアと申します。よろしくお願いします」


 目の前の長椅子には男が座っていた。彼は静かに書を読んでいたが、緊張して上ずったエリノアの声に顔を上げる。男は一瞬エリノアの顔を見てから眉を顰めると、すぐに娘の隣に立つ侍女頭に視線を移した。


「……また入れ替わりがあったのか」

「はい……申し訳ありませんブレア様」


 侍女頭が頭を下げるとブレアは短く「いや」とため息混じりに答える。

 上級侍女として働く最初の日。エリノアは侍女頭に連れられて、王宮内にあるブレアの部屋を訪れていた。

 これから主人となるブレアに初めの挨拶をするためだった。

 ──緊張した。エリノアは、あれ以来、初めてブレアと顔を合わせるのだ。

 視線を下ろしたまま両手を握りしめていると、隣の侍女頭が「殿下に顔を見せなさい」とエリノアを促した。

 その言葉に従い恐る恐る顔を上げると、灰褐色の瞳が静かにエリノアの方を見ていた。

 数日前に間近に見たのと同じ瞳は新参者を探るような色をしていた。

 思わずエリノアは呼吸を止めて彼の次の反応を待った。が──

 ブレアは一瞬怪訝そうな表情をして見せたが……それだけだった。

 次の瞬間には、彼は普段通りの無表情に戻り、隣に立っている侍女頭へ、了解したと言うように頷いて見せる。その呆気なさには、ビクビクしていた分だけ、エリノアは驚いた。


「分かった。だが、すぐ音を上げるような者は要らぬぞ」

「は、はい! 頑張ります!」


 低い声はどこまでも素っ気ない。が、その素っ気のなさにどこかほっとしながら、エリノアは勢いよく頭を下げた。

 ──良かった、王子の記憶は本当に消えている。

 普段魔法というものに触れる機会のないエリノアには、老将メイナードの忘却術の効果がどうしても半信半疑だった。

 しかし、今、ブレアはエリノアの顔を見ても、驚きもせず、動じることもなかった。いや、老将の言う通り、消すことができなかったと言う王子の持つ不審な感情がちらりと見えたような気もしないでもなかったが……少なくとも追い出されるようなことはなさそうだった。

  

 勿論だからと言ってまだ安心は出来ない。今後も行動には気をつけるべきだ。

 変なことをして彼の不信感を煽るわけにはいかないし、それを取っ掛かりとして聖剣や魔物のことを思い出されても困る。

 弟+α……の生活の為にも、エリノアは、しっかり仕事もさせて貰わなければならない。

 新しき主人である彼に、不信感があるというのなら、これからの働きで少しずつ解消していこうと、エリノアはそう思うのだった。


 が──


「はぁ……ほう……なるほど……こういう仕組みか……」


 エリノアはどこか遠い目で言った。

 腕には何枚もの拭き布を抱えていている。ずっと走っているものだから汗がひどい。


「おーいそこのブレア様の侍女! さっさとしてくれ!」

「……はい、ただ今!」


 急かすような声に、一体何往復させる気だとげっそり思いながら、エリノアはその大柄な青年騎士のもとへ急いだ。

 人の良さそうな笑顔に栗色の短髪のその男は、どこか長閑な森の熊を思わせる。しかしエリノアが頼まれた品を手渡すと、男は笑みを深めて、「よし」と言う。


「今度は飲み水がきれた。用意してきてくれ」、と。

「…………」


 さっき持ってきたばかりだが、と、エリノアはいささか消沈してカクリと頭を落とす。

 少々腹立たしく思ったが、確かにエリノアの横でわあわあ言っている連中は、既に先ほど彼女が運んできた水を飲みきっている。

 およそ40名ほどの騎士や兵たちが居るだろうか。まだ若そうな彼らは、いかにも楽しげに剣の鍛錬をしているのだが──

 その中心に、エリノアの新しき主人となったブレアの姿があった。


 ここは王宮内の鍛錬場である。

 それは数十分前のこと。エリノアがブレアの後ろに伴われてこの鍛錬場に足を踏み入れた時、確かにここは無人だった。それなのに。

 人気のなかったはずの場内には、気がつくといつの間にか人がわらわらと集まって来ていた。

 突然賑やかになった場内の様子にエリノアがぎょっとしているうちに……エリノアは次々に男たちに声をかけられる。

 やれ「水を持ってこい」だの、「汗を拭うものを持ってこい」だの、「訓練用の剣が折れたんだが代えは……」だの。あれやこれや声が掛かる。立ち止まっている暇もない。


「……いえ、良い事なんですよ……皆さん国の為に鍛錬なさっているんですからね……ええ。でもね、私め、新人の初仕事にしては少々ハードすぎるんじゃないかと……一人でこなす仕事量ですかこれは……」


 思わずぼやくエリノアは、先輩侍女に王子の鍛錬中の補助をするようにと言われてここに来た。

 まさかそれが──こんなに大勢の世話であるとは思ってもみなかったわけだが、そう言えば先輩侍女が変なことを言ってたな、とうっすら思い出す。


『……運よ』

『運?』


 一体何のことだろうかとエリノアが彼女を見上げると、先輩侍女は真顔で言うのだ。


『あいつらブレア様がお稽古なさってるとハイエナみたいに嗅ぎつけてくるから気をつけて。ま、運がよければ誰も来ないから頑張ってね』

『? はぁ、頑張ります……?』



「……」


 最初は新人侍女に対する通過儀礼的なアレかと思ったのだが……エリノアは悟った。

 ハイエナ、とは、今目の前でブレアの周りで子犬がじゃれるような顔で訓練している彼らの事なのだろう。武勇に優れるブレア王子は軍や騎士連中からの人気が高い。運とは、おそらくこの集まって来た者たちの人数のことだろう。運が良ければ少なく、悪ければ多いと……つまりはそう言うことなのだ。

 世話係からしてみればこの人数を一人で世話するのはかなりキツい。

 しかも私新人なのに、とエリノア。

 男衆は皆ブレアしか見えていないのか、エリノアが忙しさに目を回しかけていても、次から次に用事を言いつけてくる。

 ブレアが何かを落せば「やや! ブレア様何か落とされましたよ!?」と、大勢が群がるのに、新人侍女が自分たちの用事で、ぜーぜー肩で息をしていても欠片も目に入らないようだ。汗と筋肉成分の高いこの鍛錬場には、レディーファーストなんて言葉は転がっていないらしい。残念ながら。


「(……なんなんだ。ブレア様は筋肉っ子たちのアイドルなのか……)」


 しかしそれにしたって、とエリノアは走りながら呻き──叫んだ。


「はい! お水持ってまいりましたっ!」


 やや自棄っぱちな言い方であったが、応じる男はそれを意に解することもなく、からりとした笑顔をエリノアに向ける。


「おう、ご苦労。では次は針と糸を持って来てくれ。稽古着がほつれた」

「……くっ、」


 朗らかな熊のような男は、あっけらかんと破れた上着を差し出してくる。勿論頼まれればやるが、恐らくこれが終わったら、次も何やかんやと走り回されるのだろう。

 これではまるで持久走か我慢大会ではないか、とエリノアは思った。この男、見た目はかなり人の良さそうな顔をしているのに、笑顔の裏にどこか小さな悪意を感じる。なんなんだ、とエリノアは若者たちの中央で厳しく彼らを指導している新しい主人を見た。

 その当のブレアといえば、鍛錬場に入ったきりエリノアには目もくれない。(筋肉っ子たちの壁が厚すぎて見えないのかもしれない。)

 もしかして、とエリノアは疲労に引き寄せられるようにして不安になった。

 やはりブレアは己が気に入らなくて、この男を使い、遠回しに辞職を促されているのだろうか。


「(……今朝私の顔見た時、一瞬顔をしかめていらしたものね……)」


 そう思うと何だか悲しかった。が──目の前のへらへらした男の顔にはムッとした。

 ここでしんみりしょんぼり出来ないのがエリノアだった。エリノアは思った。おう、そっちがその気なら受けて立とうじゃあないか。ブレア様親衛隊だかファンクラブだか何だか知らないが、こっちは可愛い弟との生活が掛かってるんだ、新人だからって舐めてもらっては困るぞ、と。

 エリノアは鼻息荒く高い位置にある男の顔を見上げた。


「(……見てろよ、私はしぶといんだから……没落娘の根性が伊達じゃないってところを見せてやる)」


 エリノアの闘争心は静かに燃えていた。


 ──そうしてエリノアが若干キレ気味に針箱を取りに走っていった後……その後ろ姿を、青年騎士は笑いながら見送っていた。


「ははは、今度の新人は目つきが悪いな」

「……オリバーまた侍女をこき使っているのか? やめてやれ。またすぐに辞められては面倒だ」

「ああ、ブレア様」


 近づいて来た王子に、オリバーと呼ばれた男が親しげな顔で一礼をする。


「しかし中には良からぬ人間もおりますからねぇ。よく働かせてしっかり人となりを見ておきませんと。本性を見極めるためには追い詰めるのが一番ですよ。あの侍女は……少々短気ですな。ははははは」

「…………」


 この男はブレアの側近の一人で、騎士位を持つオリバーという者だった。側近達の中でも特に腕が立つので、平時はブレアの護衛としても傍にいることが多い。

 カラカラと笑いながら言う男に、ブレアはため息をつく。

 しかし男の言うことにも一理ある。これまでにもブレアの身辺では、何度か敵対勢力や他国からの間者らしき者が見つかっている。その侵入方法も年々巧妙化しているようで、なかなか見抜くのが難しい。故にブレアに近しい者たちは、常に彼に近づく人間には目を光らせている状況だ。

 オリバーは当然と言わんばかりの顔で微笑む。


「敬愛する我らが殿下のためには例え相手が侍女だとはいえ新参者は警戒するに越したことはありません」

「……あの娘も試験や侍女頭の推挙があって初めてここにいるのだがな……」

「まあまあ。念には念を入れませんと。間者や密偵なんてものは優秀であって当然ですし、試験も突破してくるかもしれないではないですか。ブレア様に何かあったら王太子様や王妃様を悲しませることになりますよ」

「……」


 にこにことそう言われるとブレアも弱い。朗らかな男の顔にやれやれと目を細めながら、ブレアは猛烈な勢いで鍛錬場に駆け戻ってきた娘に視線を移した。

 

「……どう見てもあれは密偵などと言うものには見えぬがな……」

「ははは、まあ、確かに些か感情が表に出過ぎですな。某、相当ムカつかれております。ははは」

「……」


 二人が窺う先では、娘が鍛錬場の隅に陣取り繕い物を始めたようだった。

 すると娘の傍を兵が通りかかって、何やら話しかけられている。かと思うと──娘はまたかと言いたげな顔で不承不承頷き、呆れつつもその兵からも何かを預かったように見えた。どうやら……また繕い物を頼まれたらしい。

 それを見たオリバーが愉快そうに笑っている。


「ははは、適当に断ればいいものを。しかもあのような場所で針仕事を始めては、他の連中にも繕い物を押し付けられてしまうだろうに」


 彼の言う通り、二人が様子を窺っていると……

 兵から繕い物を受け取るエリノアに周囲の別の兵たちも気がついた。すると彼等も続々と「ならば我も」「ついでに私も」……と、次々に衣類を持ってエリノアの前に並ぶ。

 基本的に、王宮からの支給品である甲冑や制服といったものとは違い、彼らの稽古着は自分たちで手入れをする決まりとなっていた。が……男性兵たちは繕い物が苦手なものが多いのだ。

 そうしてあれよあれよという間に、ぎょっとしている娘の前にはこんもりと繕い物の山が出来てしまった。娘はそれをしばしぽかんと見ていたが──唐突に、鬼のような顔つきとなり、その指は猛烈な勢いで針を動かし始めた。

 ──どうやら、ぼうっとしていては、繕い物が増えていくだけだと言うことに気がついたらしい……


 娘のそんな様子を──遠目に見ていたブレアは思わず小さく吹き出した。

 冷静な彼にしては珍しいことだった。隣で見ていたオリバーがぱちぱちと瞬きをして彼を見ている。

 ブレアは間の抜けた人間にはこれまでにも何人にも出会って来たが、それを面白いと感じたことはあまりなかった。どちらかというと愉快なことも冷静に見てしまって、逆に顔を固くしてしまう気質で。


 けれども──あの新しい侍女の必死な挙動には何故か自然と口の端が持ち上がってしまった。

 そして実はあの娘が今朝、侍女頭に連れられて己の部屋を訪れた時も──ブレアは同じように不思議な感覚を覚えたのだ。

 黒髪に、愛嬌のある丸い額。緑色の瞳は勝気そうだが、ブレアを見る目はどこか不安げで。

 その瞳を見た瞬間──ある言葉が彼の口をついて出そうになって──ブレアは咄嗟に口を固くつぐみ、怪訝に眉を顰めた。

 それは──親しくもない相手にかけるような言葉ではない。

 相手は侍女な訳だから、これまでも王宮の何処かで見かけたことはあるかもしれないが、こうして己の傍に上ってくるのは初めてのはずで。ブレアには、己が何故そんな言葉を娘に掛けそうになったのかがまったく不思議でならなかった。

 しかしどうしてなのか……娘を見た時、ブレアの中には、彼女の印象が既に存在していたような気がしたのだ。

 それもかなり間抜けなイメージで。


「……」


 ブレアは離れた場内の隅で懸命に針を動かしている娘を静かに見つめ、何事かを考えていた。そんな彼をオリバーは不思議そうに見ていた。


「ブレア様どうかなさいましたか?」

「いや……オリバー、少し娘を休ませろ」


 言われた長身の配下はキョトンとした顔でブレアの顔を見る。


「……説明は難しいが……あの娘は傍に置いておかねばならぬような気がする。厳しく指導するのはいいが、あまり負担をかけ過ぎぬよう皆に言っておけ」


 ブレアはそう言うと、踵を返し再び鍛錬中の兵たちの中へと戻って行った。残されたオリバーは目を瞠ってそれを見送っている。


「…………随分珍しいことを仰いますな……」



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― 新着の感想 ―
[良い点] リード、すごいいい男で濃いメンツの中のオアシスなんでまた出てきてほしい 主人のためなら忍耐できるヴォルフガングも真面目で良いです。 いまのところエリアナとこの2キャラが、自分が自分が!じゃ…
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