エリノアと教育係と再会と ③
娘の顔は心底疲れて魂が口から抜けそうという表情。
──しかしそうなのだ。
この、とても有難いやら微妙やらな人事は、王により下されたものだった。……仕方なかったのである。
国王や王妃にとって、エリノアは、待ちに待った第二王子ブレアの婚約者。しかもそれが……一千年越しの女神の勇者とあっては、信頼の置けない人物に教育や世話、警護などを任せるわけにはいかなかった。けれども王国は今王都の復興で慌ただしく、じっくり人事に取り組んでいる余裕もあまりない……と、いう訳で。
そうして国王らが“ブレア陣営にとって信用のおける優秀な人材”を選んだ結果──抜擢されたのが……この、相手が王子の婚約者だろうが、勇者だろうが一切態度を変えることがなかった容赦ないソル・バークレムだった……。
「………………バークレム書記官……」
「ソルとお呼び捨てくださいと──何度も申し上げていますよエリノア様」
にべもなく冷たく訂正する男の眼鏡が、これまた冷たく鋭く光るのだ……。そんな、レンズ越しの冷酷な瞳に睨み下ろされたエリノアは──渋い顔で沈黙。色々思うところがありまくる……という表情。
しかもだ。彼はただの教育係という立場ではなく、エリノアの教育全体の監督役という立場に据えられた。つまりそれは、彼が教えられない教科中も彼が監視しているということで……エリノアはここのところずっと彼に叱られ続けている。
……因みに。作法などは侍女頭が担当し、ダンス教師はタガート家が信頼のおける(日頃からルーシーによく揉まれた)者を手配した。
諸々の事情を聞いたハリエットは、エリノアに同情の眼差しを送っている。
「あらぁ……まあ、確かに優秀そうだし信頼はおけそうよ、でもねぇ……」
「大丈夫なのですか? あんな方に教わってしまって……あの方、人間感情にはかなりの欠如がある気がするのですが……エリノア様の人類愛にかなりの影響が出るのでは……」
心配性のクレアはとてもハラハラしているようだ。
「うーん……そんなことは、ないとは……思うんだけれど……でもねぇ……」
ハリエットも、いかにも困ったわねぇという顔。が、そんなことはキッパリ気にしないのがソル・バークレムという男である。
「さ、エリノア様お席にお戻りください。いつまでもハリエット様に惚けていては今日の課題が終わりませんよ!」
「ぅ、うう……だ、だって久しぶりの……久しぶりのハリエット様なのにですか⁉︎」
「それは後程晩餐会ででも存分に堪能なさってください! ハリエット様にも成長したご自分を見ていただきたいでしょう⁉︎」
「た……確かにいいぃいいい!」
エリノアは、結局ハリエット様ー‼︎ と叫びながら、ソルにテーブルに戻るよう追い立てられていった……。
見送るハリエットは、どうしようかしらと。ここは王女の権限で止めて、もうちょっと優しく教えてあげなさいよと声でもかけておくべきかしらと、なんならクレアでも送り込んでソルのストッパーとして仕えさせるべきかなどと迷っていると──そこへ朗らかな声が聞こえた。
『あ、大丈夫ですよ、ソルは心優しい子なので』
「え?」
聞き馴れぬ声にハリエットがキョトンと瞬いた。──その時だった。唐突に、王女の目の前にドスッと一振りの剣が落ちてくる。
「⁉︎」
剣は鋭い切っ先を床に深々と刺し、王宮の床に敷かれた絨毯をさっくりと切り裂いていた。
「え? あら?」
「王女!」
その唐突さに驚くハリエット。すぐさまクレアら付き人たちが慌てて彼女を守るように飛び出てきたのだが……
彼女たちが、いったいどこの不届き者が王女に剣など投げつけたのだと、鋭い視線を送っていると──再び声がする。
『あれでもですね、ソルは心の中で必死にエリノア様を案じてくれているのです。ふふふ、ブレアの妃となった時困らぬよう、とてもとても心配していて、すごく胃が痛いそうですよ。はい、だから、ソルはエリノア様の真の敵ではありません』
朗らかで、のほほんとした声だった。
「……⁉︎ だ、誰⁉︎ 出てきなさい不届き者!」
「クレア、落ち着いて……」
どこからともなく聞こえてくる声に、うろたえたクレアが叫ぶが……。
エリノアやソルらは部屋の奥のほうへ行ってしまったし、身内の声ではなさそうだ。それに、廊下側にいる衛兵たちも喋っている様子はない。それなのに、その声はとても間近で聞こえて──。
と、ハリエットが気がついた。
「え……あ、ら……?」
怪訝な顔をして周囲を見回していたハリエット。その瞳が目の前に突然放り出された剣に留まる。それは、昔、王太子に見せてもらった女神の大樹に刺さっていた頃の聖剣と柄が酷似していて……
「え? ま、さか、これは──」
王女が唖然とつぶやいた、その時、声が、あっ! と、高く言った。周囲の者たちは思わずビクッと身を竦ませる。
『あ、違った。間違いました。エリノア様にこの格好で民らとしゃべってはいけないと言われていたのでした』
声はのんきな調子でそう言って。ハリエットらが瞳を瞬かせた瞬間に、その剣は消え、そこには、銀の髪に橙色の美しい目をした青年が立っていた。
突然現れた男に、皆ギョッとしたが──……そこへ……鬼のような顔のエリノアが走って戻ってきた。
「こ、こら! テオ! 何やってるの! ハリエット様を脅かすなんて! 急に出たりしたらダメって言ったでしょ! す、すみませんハリエット様、うちの子が……あ⁉︎ テオったら! また絨毯と床に穴が……! 剣の姿であっちこっち突き刺さっちゃダメって言ったでしょ⁉︎」
「だって……ソルはいい子だから……」
エリノアにテオと呼ばれた青年は、しょんぼりした様子で、縋るような目で鬼顔の娘を見ている。
そこへソルがやってくる。
「……エリノア様……もうちょっと聖剣をきちんと制御してくださいませんか……」
“聖剣”という言葉に、ハリエットら、何も知らなかったアストインゼルの面々が驚いたような顔をした。が……ソルはそれに構わず続ける。
「おかげで王城のあちらこちらで様々なものが傷つけられております! 修繕費は国費なんですよ!」
「す、すみませ……申し訳ありません! ちゃ、ちゃんと働いて弁償します!」
厳しい顔でエリノアと、彼女に庇われている聖剣テオティルを睨むソルに、エリノアは慌ててそう謝罪するが……するとソルは冷たく言い放つのだ。
「なるほど。そういうおつもりがあるのでしたら課題を増やします」
「ぎゃ⁉︎」
「聖剣の勇者、そして次期ブレア様のお妃様としての現在の一番重要なお仕事は、一刻も早く相応の教養を身につけることですから。さ、行きますよエリノア様! ついでにその聖剣にも課題を課しましょう! まずは……幼児教育から始めるのが妥当かと!」
真顔だがやる気満々で、再びエリノアと、キョトンとした青年──どうやら聖剣──を引きずっていくソルに……
それを見送ったハリエットは……しばしの沈黙のあと、思わずつぶやく。
「……、……、……、ええと……幼児教育から、なのね?」
色々微妙すぎて。とりあえず咄嗟にはそれしか出てこなかったらしいハリエットに。クレアが強張った顔で呆れている。
「……王女……そこですか? 私は……バークレム書記官の、相手が勇者でも聖剣でも変わらぬ対応が恐ろしゅうございます……何なんですかあの人は、不気味すぎます……」
「……本当ねぇ……でも、女神様の聖剣って、あんな感じだったのねぇ」
すごいわぁとハリエット。
「さすがエリノアさんが授けられただけあるわ……天界の意思ってやっぱり人の考えが及ぶものではないみたい……色々予想を超えてくるわ。斜めな感じで。すごいわ、エリノアさん」
──しみじみと言う王女の視線の先では……エリノアとテオティルが、ソルに思い切りスパルタ教育を施されている……。
お読みいただきありがとうございます。
テオ「…だってエリノア様が剣の姿でフヨフヨ浮いていたら危ないって言うから……」




