エリノアと教育係と再会と ②
思わず椅子を倒しそうな勢いで立ち上がると、後ろで教育係たちが嫌そうな顔をしたのは分かっていた、けれど。
そんなことより、憧れの君ハリエットである。
驚きの眼差しで見つめると、エリノアが自分に気がついたのを見た彼女も破顔して。エリノアに向かって大きく両手を広げてくれた。
「エリノアさん!」
「!」
途端エリノアの表情はぱぁあああっと見事に晴れて。心の中で、うぁああああ! と、喜びの絶叫を上げながら、転がるようにして一目散に彼女の元へ走っていった。その背中に「こらエリノア!」「淑やかに!」と、叫んだ者があったが……これはエリノアの教育係のうちの一人、侍女頭のもの。だが猫にまたたび、猫まっしぐら(?)。そんな声くらいで止められようはずがなかった。もうエリノアの目には、目の前でキラキラと輝きを放ちながら、腕を広げて自分を待ち構える美しい乙女の姿しか入っていない。
あっという間に彼女の元へ駆けて行ったエリノアに、座学中にはおよそ発揮されないその機敏さを、侍女頭たちはとても呆れつつ、まあ相手がハリエット様では仕方ないか……という諦めのため息をついていた。
「ハリエット様! ご、ご到着になられたのですね!」
「エリノアさん……お元気そうね。よかった……」
ハリエットは、駆けつけてきたエリノアを嬉しそうに抱きしめた。
──事の起こりの直前。危険を察知し、彼女を案じた王太子によって、自国に帰国させられていた彼女。エリノアを抱きしめる腕には、この再会に対する心の底からの喜びが溢れているようだった。
しかし、まさか憧れの王女に抱きしめてもらえるなどとは思っていなかったエリノアは、顔を真っ赤にして。再会してものの数秒で再びの見事な骨抜き状態と化していた。
「は……はぁあああ! ハリエット様の素敵な香り……傍らにユニコーン(※紛れもない幻)……麗しい……ほ、本当に、本当にハリエット様なのですね!」
「あら、ふふふ。エリノアさんったら、相変わらずなのね」
王女が離れても瞳がハート状態のエリノアに、ハリエットがころころと笑う。近隣国の知的な王女は、優しくエリノアを見て、安堵したような声で言った。
「あなたが無事でよかった。……びっくりしたのよ、まさか王都に魔王が現れるなんて。それに……」
と、言って。ハリエットは表情と言葉に驚きを滲ませながら、まじまじとエリノアを見た。
「まさか、あなたが聖剣の勇者様だったなんて……」
「ああ、その……」
しみじみと顔を見つめられたエリノアは、表情に小さな緊張を走らせる。最近は、こういう場面がとても増えた。ブレアから、他国からの賓客たちなどに、“聖剣の勇者”だと紹介される時。廊下でエリノアを目にした、どうやら女神の降臨時に居合わせなかったらしい使用人たちが、ひそひそと廊下で顔を突き合わせて話をしているのを見た時など。
いつもエリノアは、『きっと“あれが勇者なの?”“見えないな”と思われているんだろうなぁ』と、思ってしまい、気まずくも、とても申し訳ない気持ちになってしまう。
「あ、ええと……似合いませんよね? なんだか、申し訳ないです……」
だから今回も思わずそう言って視線を落としてしまう。──と。
しかしハリエットは「あら」と、笑うように言った。
「そんなことはないのよエリノアさん。“勇者”という雛形に惑わされることはないわ。どんな姿でも、あなたが当代の聖剣の勇者なのだから」
「……」
キッパリとした口調に、エリノアが顔を上げると、ハリエットは瞳を更に和らげて微笑みを深める。
「新しい勇者の姿を、その誕生を喜べばいいのだと、わたくしは思うの。女神様も理由があってあなたを選んだのだから、あなたに備わっている資質が女神様に必要だったのよ。もし文句を言ってくる者がいたら、女神に直接言えと言わなくちゃ。だって、こう言ってはなんだけれど──女神様が勝手にあなたを選んだんでしょう?」
「ハリエット様……」
ハリエットは言って、ふふふと愉快そうに笑う。エリノアは、そんな王女を瞳を瞬きながら見つめた。すると王女は再びエリノアの顔を優しく見返して、はっきりと言った。
「わたくしは、あなたが勇者様で嬉しいわ」
それを聞いた途端。エリノアの瞳からダッと涙がこぼれ落ちる。憧れの女性から貰った言葉は格別心に沁みるものだった。ずっと胸につかえていたものが少しずつ溶かされたような思いで。
エリノアは思わず言葉を詰まらせて、それから叫ぶように言った。
「せ、聖母様! お言葉深く胸に刻みますっっっ‼︎」
「あらあら……」
泣き出したエリノアに、ハリエットは、控えていたクレアからハンカチを受け取って感涙咽び泣く娘の涙を慌てて拭った。
(本当に、相変わらずなのねぇ……)
べそべそと頬を涙で濡らす娘を見て、王女はホッと安堵する。
──ハリエットは、自国でその知らせを聞いた時、本当にびっくりしたのだ。
ずっと、婚約者である王太子のことが心配で、前々からクライノートに潜入させていた密偵とは常に密な連絡を取り合っていた。そこで、知らされたのは驚きの連続。いや、恐怖の連続だったと言ってもいい。
王太子が聖剣偽造と殺人の嫌疑をかけられたこと、彼の消息不明。しかも王都には魔王が現れたというではないか。
もうこの頃にはハリエットもいてもたってもいられず、なんとか自国を抜け出そうとしたが──……それは父に見つかり阻まれた。父は、王太子の嫌疑を知って以降、クライノートとの付き合いにもとても慎重になってしまっていて。以降は密偵との伝令役をさせていた魔術師も取り上げられてしまった。そうして、ほぼ軟禁状態となったハリエットには、父にクライノートへの救援を訴えることくらいしかできなくて……
だから、窮地を脱した王太子からの報せが届いた時は──ハリエットは跪いて天に感謝し、涙ながらに彼の無事を喜んだ。……どうやら頑なだった父も、ちゃんとクライノートに救援を送ってくれていたらしい。その部隊は今、ハリエットたちと共にやってきた後続部隊たちと共に、クライノート王都の復興に携わっている。
……けれどもだ。
彼女が仰天したのは、王太子からの二通目の手紙を見た時だった。
初めの手紙は取り急ぎ自身や家族らの無事のみが書かれた簡単なものだった。しかし、その後より詳しく事情を説明した手紙がくると、その初めには、なんと、あのブレアの想い人たるエリノアが、聖剣の勇者だったのだと書いてあった。これには──
普段は頭の回転が早いハリエットも、手紙を手に握りしめたまま、唖然と数分間固まってしまったのだった。
……そんな彼女がクライノートを再訪して、実際にそのエリノアを前にして思うことは──……
(……、……、……面白い、面白いわエリノアさん……)
と、いうことだった。
いや、もちろんハリエットは、別にエリノアのここまでの奮闘を面白がっているのではない。
ただ、そんな栄光を手にし、魔王を退けたことを多くの人々に感謝され、今や国内外の注目の的となっているはずなのに──実際本人と対面してみると、まるきり以前別れた時とそのままな彼女がとても興味深かった。
彼女は聖剣で魔王を倒した猛者であるはずなのに……いや、ハリエットもまさか、だからといってエリノアが屈強な戦士と化しているとは思っていなかったが……
先ほど、まっしぐらにこちらに駆け寄ってきてくれた姿なんか、相変わらずの仔ねずみ感というか……ちょこちょこ走りまわって、こうしてあどけなく泣く姿は以前とそのままで。普段から様々なところで、栄光を手にした途端傲慢になったり、横柄になったりする者たちを見ているハリエットにとっては……それが非常に不思議なのだった。
──と、そこでハリエットは、でもと一抹の不安を覚える。
先程、ハリエットがこの部屋を訪れた時。扉のところから見たエリノアの横顔には、少しだけ影が見えたような気がしたのだ。その遠くを見るような瞳が、少し気になっていた。
(……どうしたのかしら……何か、胸に深い傷があるような……。わたくしの気のせいなら……いいのだけれど……)
──と、その時だった。ハリエットが不安そうにエリノアの顔を覗きこんだ時。
「…………そろそろよろしいでしょうか」
不意に、堅苦しい声が二人にかけられた。
どこか聞き覚えのある……礼儀正しい口調だが、淡々としていて。何事も狂いを許さぬといった厳しさの滲む声だった。その声を聞いた途端、エリノアがビクッと肩を震わせて涙を止めて、ハリエットがあらという顔で声の主を見る。(※ハリエットの後ろで彼女の侍女クレアがイラッとした顔をした。)
「あら……? バークレム書記官。お久しぶりね」
「ハリエット様。無事のご到着お喜び申し上げます」
部屋の奥からやって来たソルに気がついて、ハリエットがにっこりと微笑む。ソル・バークレムは生真面目な顔のまま、胸に手を当て王女に向かって頭を下げて。──が、「しかしながら、」と彼が顔を上げた時、その険しい眼差しはエリノアを見ていた……。その視線を受けたエリノアも、どこかそこはかとなく威嚇の体勢である。
「申し訳ありません、ハリエット様。現在エリノア様はお勉強中でございます。お早めに解放してくださると助かります」
その言葉にハリエットが、またあらという顔をした。
「もしかして……あなた、エリノアさんの……」
「はい、陛下から教育係を拝命いたしました」
それを聞いた途端、エリノアの身がげっそりと横向きに折れ。そのあまりの角度に……後ろにいたクレアが慌てて彼女の背中を支えていた……。
…ええ、やつです。笑




