エリノアと教育係と再会と ①
ふっと弟の顔を思い出して、ぼうっとしてしまって。手に持っていた本をゆっくりと傾かせていたエリノアに、眉を顰めた者があった。
「──エリノア様……」
「ひ! は、はい!」
咎めるように低く呼ばれたエリノアは、慌てて背筋を正し、傾いていた本を持ち直す。すると教育係たるその男は、感情の感じられない声で「結構です」と頷きながら言い、エリノアに次のページをめくるように促していった。
──あの騒動から十日程が経った。
正式な発表はまだだが、勇者と認定され、ブレアの婚約者となったエリノア。しかし、王子の妃となる為には、エリノアは王家のしきたりや相応しい教養、作法を学ばなくてはならなかった。……これが結構大変で……。
昔、没落前に父から受けた教育が多少の役には立つものの、今のエリノアは侍女根性に染まり切っている。というか、今考えれば、侍女という身分での生活はかなりエリノアの性に合っていた。それを今更のように正すのが……かなりの労力なのである。
しかしこういった事情を、当初一番嫌がったのは、実はエリノア本人ではなくブレアだった。
彼は王子という立場でありながら、はじめはそれを堂々と拒絶した。
──そんなものはいらぬ世話である。そんなものは望んでいないと。エリノアがエリノアらしくあれば、別に苦手な座学の類を課してまで、妃然としていてもらわずともいいと。もちろん彼にも身分相応の振る舞いを身につけることが、結局回り回ってエリノアの身を助けるということは理解していたが。そんなものはおいおいでよく、急がずとも良いのだというのが彼の考えだったようだ。
エリノアは大きな戦いに挑んだばかり。きっと、あまり負担をかけたくはなかったのだろう。
が……そんな男の気持ちを敏感に察知し、キューンと来てしまったのが……我らが勇者様であった。
エリノアは、ブレアが自分のために、当然妃が受けるべき教育の類を後回しにてまで休養を取らせようとしていることに気がつくと──例の如く、萌を糧にして猛烈に燃えてしまう。……本当はそんなことを気にしている余裕など、ブレアにはないはずだと重々承知していたから。
現在、国は魔王に襲われた城下や王城の復旧に追われている。しかも事件が起こる前から、聖剣が消えた騒動のせいで王太子とハリエット王女の結婚式も先送りになっている状態。それらは改めて進める必要があるうえ、さらには王太子が謀られた一連の事件の真相究明や、関わった者たちの追及もブレアに一任されていて。
おまけに弟王子クラウスが王位継承権を失った。本来なら、このような事態である以上、地方で軍務についている第四王子が呼び戻されて然るべきだが……彼はビクトリアの次男。今は呼び戻すのは新たな火種となる可能性もあると判断された。
しかし故に、クラウスが担っていた職務はそのまま王太子とブレアに重くのしかかり──しかも、詳しく調べてみると、クラウスらが行っていた不正が多々見つかるやらで……
寂しいことに、エリノアはここ数日ブレアとはほぼ別行動。お互いに職務や勉強が終わったあとになってやっと少し共に過ごす時間がある程度なのである。
けれども、そんな身を粉にして働いている彼に思いやられてしまうと……俄然やる気になってしまうのが……このエリノアという娘であった。
そうしてエリノアは、言ったわけだ。
『できます! やってみせます! ブレア様にふさわしき妃となってみせます! そしていずれはブレア様をお助けできるような立派な女性に──!』──と娘は拳を天に突き上げて。その意気込みを、ルーシーや、やはり体育会系な養父タガートが猛烈に支持した。
『よく言ったわ私の妹! やるからには、天下を取る(?)わよ!』
『よし! ならばよき教育係の選定を──‼︎』
『お姉様! お義父様‼︎』
……と、義理の父と姉共々、エリノアもやる気になってしまい、現在に至る。
そんな彼らの猛々しい意気込みに、ブレアはとても驚いていたが……(無口な自分の何がそんなに娘を奮い立たせたのかが彼には分からなかった。)
しかし、そんなエリノアを見て、ブレアがとてもホッとしたのも事実だった。
無理はしてほしくない。しかし……自分の想いを受け入れてはくれたものの、弟を失い、なかば呆然としていた彼女。
けれどもその決起以降は、瞳の輝きを取り戻し、活き活きと以前の働き者ぶりを取り戻してくれた。それがブレアはとても嬉しくて……それに。
そんな聖剣の勇者の奮闘は、彼だけでなく、王宮の広い部分が瓦礫と化し、途方に暮れていた人々をとても励ました。それが……第二王子ブレアにとっては、とてもとてもありがたく尊く思えたのだった。
──と……そういうわけで。エリノアはこうして日々王宮で頑張っているわけだ、が……。
ただ、とエリノアはげっそりとため息をついて。両手で持った本の隙間から、彼女の傍を、教本を読みながらぐるぐる歩き回っている教育係を見てボソリと言う。
「…………この人さえ、もうちょっと人情味があればな……」
「……聞こえておりますよ、エリノア様」
「……」
思わずこぼしてしまった言葉をしっかり聞いていたらしい教育係は、淡々とした顔でエリノアを見る。
エリノアもムッとその顔を見返して。来たる彼の頓珍漢な口撃を迎え撃つべく身構えた。
──と。
その時のことだ。
教育係がすかさず彼女に注意をしようとした、その時に。彼らの背後から──エリノアにとって、大きな喜びとなる人物の声が、部屋の中に響いた。
「──エリノアさん」
涼やかな声に呼ばれて。え? と、エリノアが弾かれたように後ろを振り返る。すると──……
そこには、部屋の両扉が開け放たれた真ん中に、白薔薇のような乙女が彼女に向かって天使の微笑みを向けていた。途端、エリノアの疲れた顔に、大きな驚きが広がった。
「⁉︎ ハリエット様!」
お読みいただきありがとうございます。
皆、なかなかに忙しいようですね。
第四王子については詳しく書こうか悩んだ挙句…大幅カットしました笑
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