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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
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90 願いと妄執

 

 瓦礫の山の上で、ブレアは涙するエリノアの肩に回していた腕を、そっと彼女の後頭部に添え直した。

 己のほうに引き寄せるようにすると、エリノアが彼に額を預けるようにして俯く。そこから胸に響き伝ってくる嗚咽を悲しく思いながら、ブレアは娘を慰めるようにその頭を撫でた。

 癖のある黒髪はこの奮闘ですっかり乱れてしまっていて、服もボロボロ。袖やスカートの裾にはいくつもの裂け目があって、大きな怪我こそないものの、細かな傷は無数に負っているようだった。


 ──けれどもとブレアは思う。

 この痛々しい傷のどれよりも。きっと今は、彼女の内面のほうが多くの傷を負ってしまっているのだろう。

 肩を震わせながら泣くエリノアを見ていると、心臓が裂かれるような痛みを感じた。


「……っ頑張ったなエリノア、君は本当によくやった」


 いろんなものを抱え、家族を案じ、敵対し──ここまでどんなに苦しかっただろうか。彼自身もその経験があるゆえに、余計に心が痛かった。


「……思う存分泣くといい。ずっとここに、傍にいる。君が憂うことはすべて私も共に取り組む。だから……」


 無理だと分かってはいても、そんなに悲しんでくれるなと言いたくて。でも、やはりエリノアの立場では悲しまずにいられようはずがないと思った彼は、それ以上は何も言えなかった。

 しかし消えた言葉に、彼女はブレアの自分を想う気持ちを察したらしい。次の瞬間に、エリノアの俯いていた顔が上を向いた。その表情は、額も耳までもが真っ赤で。涙を湛えた瞳がブレアを見ると、彼女はもう堪えられぬと破裂するように、今度は声を上げてわんわんと泣きはじめる。


「エリノア……」


 ……その悲しげな叫びのような泣き声を聞いて、ブレアは苦しいほどに痛感する。

 もし、今このエリノアの中にある痛みを癒すことができるなら、自分はなんでもすると。その為ならば──国も、責任(みぶん)も、家族や仲間ですら捨ててもいいとすら思った。──自分がそう思ったことに、戸惑いすらなかった。

 王国という大きな家族と、王室という家族とを何よりも大切に思ってきたこの男が、ただ一つの想いのためにここまで思い詰めるのは生まれて初めてのこと。

 しかしそれでも。全責任を負って、大きな代償を払ってでも、エリノアを守りたいと彼は願った。



 ──そうして苦悩と慈しみとを共に分かち合うように抱きしめあった二人を。周囲は大きな歓声で包んでいた。瓦礫と化した王宮に響く、熱狂とも言える国民たちの喜びの渦、その中で。

 しかし彼らは。主君と、戦いを終えた聖剣の勇者たる者をただ静かに見つめていた。

 そのうちの一人、騎士オリバーが視線を逸らさずに、傍にいる仲間に冷静につぶやく。


「……おい、トマス、今は泣くんじゃねぇぞ……」


 その瞳は一心に、すべての悲しみを吐き出すように涙しているエリノアと、彼女を抱きしめている主君に向けられている。彼はとても、今は周りと一緒になって、魔王を退けた勇者を讃える気にはなれなかった。二人の姿からひしひしと伝わってくるものは、大きな悲しみに満ちている。

 魔王を見事倒して見せたというのに、何故二人があんなにも悲しんでいるのか……その事情は、魔王の正体を知らぬオリバーには分からない。が……彼は瞳に硬い決意を滲ませる。

 彼にとって重要なのは、寡黙な主君が今そこで、これまで誰にも一度も見せたことがないような悲痛さと激情とを表情に露わにしていることだった。オリバーは、そこに危ういものを感じながら……仲間たちに言った。


「……この先、あの方たちのためにやって差し上げなければならないことがごまんとある。ちゃんと守って差し上げねぇと、ブレア様は一途で意思もお強いからな……ここにいるのがあいつの為にならないなんて思っちまったら、国も捨てるとか言いそうだ……」


 彼らの敬愛する主君は、決断してしまえば梃子でも動かない。もしそんなことになってしまえば、彼は王位継承権も何もかもキッパリと捨ててしまうに違いない。──それを防ぐには、彼ら側近の力が必ずいる。


「メソメソしている暇なんてねーからな」


 何があっても、彼らを守り抜かねばならない。

 そう彼は、仲間に厳しい声で言う。が……意外にも、すぐに声が返ってくる。


「分かってるよ」


 オリバーがおやという顔で、チラリと横目でそこにいる仲間を見た。すると、きっとこの事態に、誰よりも大泣きしているだろうと思われた感激屋の騎士トマス・ケルルは。オリバーの予想に反し、澄んだ瞳で主君たちを見ていた。オリバーが意外そうに眉を持ち上げると、同僚は口の端をくっと持ち上げてニヤリと笑う。


「俺ぁあ、そんなにヤワじゃないぜオリバー! 俺様はこの筋肉にかけて! グスッ……泣かずにブレア様と嬢ちゃんのために働くぞぉぉおほぉおおおっ!」


 ……なんか変なスイッチが入ったらしいちっちゃな筋肉騎士は、両手を掲げて雄々しく唸っている。と、その後ろにいたザックが彼を肘で小突く。


「よく言うぜ、目がうるうるしてんじゃねーか。あ、それとオリバーお前、嬢ちゃんのこともう“あいつ”って呼ぶな! 無礼だぞ!」


 ギロリとオリバーを睨んで憤慨するザックの顔に。オリバーは、(“嬢ちゃん”はいいのかよ……)と思いながらも、ぶっきらぼうに「わぁかってるよ!」と睨んで返す。


「あーやれやれ……分かってらぁ。はぁ……、……あの方が……聖剣の勇者様だ。俺たちの、恩人でもある」


 まだ分かっていないことが多かったが……やっぱりあの時隣国で見た謎の箱女の正体はあいつだったのかとオリバー。どうやら色々と、彼らの知らぬ事情が裏にあるらしい。(そしてあの奇怪さ(※箱)も挙動不審も、あいつならなんか納得できるな……と思った。)


 しかしそうは思っても。ずっとエリノアと喧々轟々やり合ってきたオリバーは、どこかに複雑な思いがあるらしい。言って即座にチッ、と、素直でない顔で舌打ちする騎士に。同僚たちは即行突っ込んだ。


「いや、その前にブレア様の恋人様だ」

「そして王妃様猛烈熱望の婚約者候補様な」


 分かってんのかお前、とギョロ目で睨まれて──オリバーはげっそりしている。どうやら……騎士ら(トマスとザック)にとっては勇者云々より、そこが一番大事なのは変わらぬらしい……。真剣な顔の男二人に、オリバーは呆れを滲ませ。いやそれも一理あるのかとため息を吐きつつ。そしてその視線がスッと横を見る。


「──で?」


 トマスたちとは反対側。そこでは勇ましく意気込んでいるトマスやザックたちとは裏腹に、大号泣中の男が一人……。

 オールバックの髪も無惨な姿で、煤と砂に塗れた書記官は、嗚咽を漏らして眼鏡を真っ白に曇らせ咽び泣いていた。おびただしすぎる涙は、彼の制服の胸元を大洪水状態にしている。


「ぅ、うぅ……っ、ぶ、ブレア様っ! エリノア嬢っ! ご、ご無事で何よりっっっ!」

「……こいつが一番感激屋だったか……」

「俺、自分より泣くやつ初めて見たぜ」

「…………ソル……お前……そろそろ泣きやめ……! 水分なくなるぞ!」

「無情なことぉおおお!」


 ……どうやら普段ほとんど感情を表に出さないソルは、一度泣き出したが最後、止め方が分からなくなったらしい。ドバドバといつまでも滴り落ちる涙に、はじめは放っておこうと思っていたオリバーも、さすがに無視が難しくなった。


「おまっ……とにかく鼻水拭け! 取り乱しすぎんな! まだ事後処理が山のようにあるんだぞ!」

「心配無用うううう! 泣いていても仕事はできま──できますともっ!」


 声を絞り出すようにして涙しながらも。ソルはキリッと勇ましく胸を張った。……顔は湿地帯のままだが……それでも真面目な書記官はそのまま身を返し、


「ではわたくしはタガート将軍や大臣様方と渡りをつけ事態の収拾に勤しんで参ります! あなた方はくれぐれも! ブレア様たちのことをよろしくお願いいたしますよ!」


 そう鬼のような顔で叫んで瓦礫の山を駆け去っていった。──が……途中で瓦礫に足を取られて何度も転倒。……おそらく……眼鏡が曇っているせいで前が見えてないのだろう。


「…………」※オリバー

「……あいつはいつでもあいつだな……」※ザック

「どん臭えとか言うなよ、あいつはあれでも一生懸命なんだぞ!」※トマス

「言ってねぇよ」


 一瞬、なんとも微妙な気持ちになった三名の騎士たちではあったが。

 とにかく主君たちをそろそろ安全な場所に移動させなければという気持ちは一致していた。オリバーが言う。


「ザック、お前は周囲で喜びまくってる奴らを統制しなおしてくれ」

「おう任せろ!」


 ザックはすぐに観衆たちの方へ駆けていき。オリバーは、トマスに向き直ってその顔を見た。限りある人員をどう動かせば主君の意に添えるかと、己たちのこれからの行動について思考を巡らせて──……

 ……この時。のんきにしていても、それでもブレアの周辺を警戒していたオリバーが、ほんの一瞬だけ、主君たちから意識を外してしまう。


「トマスは兵士たちと、どっかその辺に転がってるビクトリア様たちの保護を──」


 ……と。そう、オリバーが仲間に言おうとした時だ。

 彼の向かいにいたそのトマスが、何かを見て鋭く叫ぶ。


「っオリバー!」

「⁉︎」


 その危機感に満ちた声に。騎士は即座に振り返る。


「っ何⁉︎」


 ──と……

 身を翻したオリバーの瞳に飛び込んできたのは、エリノアを抱きしめている主君──から少し離れた場所で、“それ”を手に、身を退け反らせるようにして天に向かって高笑っている男の姿だった。

 煤や砂埃に塗れたその男は、狂気じみた目で“それ”を見つめて、ヒステリックな声を上げて己の勝利を謳っていた。


「ひははははは! 手に入れた……手に入れたぞ! この私が‼︎ ぁ、は、ははははっ‼︎」

「っクラウス様⁉︎」


 聞いているだけで不快になるような歪な笑い声に、オリバーの目が一気に険しくなる。

 いつの間にそこに回りこんだのか……どうやら瓦礫の影を這うようにして“それ”に忍び寄ったらしい第三王子は。手にしたものを、まるで縋るように固く握りしめ、そして誇らしげに叫ぶ。


「はははは! 馬鹿者共めが! 見たか! これで……これで私がこの国の王だ‼︎ やはり天は兄どもではなく私を選んだのだ!」


 傲慢さと嘲りを振りまいて、クラウスは身を折るようにしてゲラゲラと笑い、そうして皆が唖然とその姿を見つめる先で。彼は愛しげにその天の光を受けて輝くもの──……エリノアが赤子を守ろうとした時に手放していた聖剣を、今度はうっとりと己の胸に掻き抱く。するともちろん刃を押し当てた彼の頬や手には血が滲んだが──それでもクラウスはそれを厭わなかった。爛々とした瞳で、周囲の者たちの愚かさを嘲笑い、呪うような悪態を吐いている。


 ──とても正気の沙汰ではない。


 その妄執で恍惚とした男の目を見て、誰もがそう思い、ゾッとした。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] エリノアさんの心が悲しみでいっぱいになってしまっている今、テオティルさんは無事なのでしょうか? ブレア様がそばにいるから大丈夫だとは思いますけど…。
[一言] テオが「その汚い手で触らないでください」とか言いそう
[一言] なんか壊れかけて妄言吐いてる。 テオさん、やっておしまい♪
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