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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
307/365

89 弟の選択

 

 その哀れな男は、歓声を聞いて瓦礫の影でよろよろと頭を上げる。


「な、ん……だ……? お、わった、の……か……?」


 周囲は喜びに満ちていた。見上げると、城の者たちが、熱狂したように何者かを褒め称え、喜んでいる。

 それを見て、どうやら悪夢のような時間が過ぎ去ったらしいと知った彼は、身を縮めて隠れていた瓦礫の後ろから這い出した。あの、恐ろしい者はもうそこにはいなかった。そのことに、心底安堵して。しかし、身体中が痛み、重くてたまらなかった。


「っ! く、そ……っ、あ、の馬鹿ども、め……!」


 恐怖から解放された途端、男の目は生来の気難しさを取り戻し、観衆たちをきつく睨んだ。

 騒いでないでさっさと自分を助けにこいと口汚く罵りながら、しかし、永遠にも思えた恐怖の時間は彼の心に深い傷を残したらしく。男は汗と砂塵に塗れた顔を怯えに歪めながら周囲を見回した。──その瞬間。


「……あ、れは──……」


 地面に伏したまま、男がつぶやいて言葉を失くした。

 彼の視線の先に、輝くものが落ちていた。己が作らせた紛い物のそれとは明らかに違う、燦然とした清らかな輝きに、彼の目は魅了されたように見開かれる。

 それは、地面の上に放り出されてもなおまばゆい聖なる剣。

 男の口が、あぁ……と、喘ぐ。

 それは、ずっと彼が喉から手が出るほどに欲したものだった。

 ずっと、兄たちを蹴落としてそれを手に入れることを夢に見た。狂おしいほどに望んだ栄光の輝き。その先に見える偉大なる王座。


「……聖、剣……」

 

 地面に腹這いになっていた男の身体が、じりっとそちらに動く。その暗い瞳は聖剣に釘付けになり、危うい光を覗かせていた。抗い難く引き寄せられるように──男は瓦礫の上を這い進む。






 呆然とした耳には、周囲の声はただごうごうと、まるで強い雨が身に打ち付けているかのように感じられた。

 目の前で行われそうだった凶行をなんとか止めようとして、熱くなっていた身体が次第に冷たくなっていき。今度は身動きが取れないくらいに手足が冷たくなっていた。

 たった今、目の前で起こったこと──白い炎の中に消えてしまった“魔王”と黒い獣の姿が目に焼き付きついて、その声が耳に奥に響き続けていた。


「……な、んで……」


 エリノアは、戦いの痕跡もあらわな地面の上で、膝を突いたまま力なくつぶやいた。視線はふらりっと周囲に誰かを探すようにさまよった。──しかし、そこには求める者たちは見当たらない。


「……どういうことなの……ブラッド……グレン、なんで……」


 確かに、初めに今エリノアがいる場所に──魔王の足元に現れたのは、小さな小さな赤子だったのだ。この地面の上で助けを求めるように悲しそうに泣いていて……。

 だけどエリノアにももう分かった。


「変化、していたの……? グレンが……? なんで……」


 吐き出すように悲痛に言ったエリノアの瞳に涙がもり上がる。疑問は多かった。──が、次第に……グレンの……そして魔王の意図が分かってきたような気がした。


「……まさか……」


 エリノアは、荒く呼吸をしながら最後に見た魔王の顔を思い出す。

 ずっと、戦いの最中には血の色のように赤かった瞳。それがあの時、最後に魔王を見た時、白炎の中でそれは澄んだ緑色に戻っていた。

 そして彼は間違いなく彼女に言ったのだ。儚い声だったが……耳に鮮明に、ありありと聞こえた。


 ──幸せになってね

 ──必ず…………


 その瞳が自分に最後に見せた、物悲しく慈しみに満ちた表情は、間違いなく──……


「──……っ」


 エリノアは震えながら地面に向かって喘ぐ。瞳から溢れた雫が鼻筋を伝って鼻先から地面に落ちた。これ以上ないくらいに混乱していた。


(どこから……⁉︎ いったいいつからブラッドだった⁉︎)


 ──はじめは絶対に違ったはずだ。

 リードを傷つけられたことに怒り、我を忘れ老将から力を奪っていた彼は、間違いなくブラッドリーではなかった。そしてエリノアが最初に追いついた時の、冷たい拒絶するような背中の主も、間違いなく弟ではなかった……いや、弟だったかもしれないが、少なくとも魔王というものに飲み込まれた彼だったのだ。

 エリノアは必死に考える。身体の震えが止まらない。


(……どこかで……入れ替わってた⁉︎ どこで……いつ戻っていたの⁉)


 頭の中がぐちゃぐちゃで、エリノアはもどかしげに顔を歪める。しかしその苦悶の顔が唐突にハッとする。一つの光景が目の前に甦る。


 ──無茶をして飛び込んだ空。恐ろしい速さで近づく地面と、そこへ現れたブラッドリー。


(塔──……あの時……)


 クラウスらに襲いかかりそうな弟をその場から引き離そうとして、塔の上から飛び降りたエリノアを彼は助けてくれた。あの瞬間は、確実に弟だった。


(そう、それで……)


 エリノアは歪めた顔に拳を押し当てて懸命に思い出す。

 あの後彼は、ビクトリアの攻撃的な言葉を聞いて、再び魔王性を強めて彼女のもとを去っていってしまった。──だが……

 その時のことを記憶の中から引っ張り出したエリノアは──……悲しみに紛れて自分が見逃していたある違和感に気がついた。


 あの時、ビクトリアを睨む者は間違いなく魔王だった。──しかし、口調が歪だったのだ。まだ少年らしさの残る弟の声と、まったく別人の低い、憎しみのこもった声とが混じり合ったような──歪で、異質な口調。

 それを思い出したエリノアの鼓動が、焦燥感に煽られて高まっていく。だんだん追い詰められていくような気持ちだった。ワナワナと震える唇に、思わず手をやる。


(そうだ──でも、次に会った時は違った──……)


 次にエリノアが魔王に追い付けたのは、彼とブレアが戦っていた場面。

 その時の彼の声音は低く弟のものとは違ったが……乱暴な口調には歪さも、誰かの声と重なって聞こえるような違和感もなかった。──おそらく、あれは魔王の声音であるのだろう。が──


「っ……!」


 その考えに、エリノアの目が愕然と瞠られる。

 彼女の考えが正しいのなら、もし炎に包まれた魔王が弟であったというのなら──ここでブレアと戦い、淀みなく一人の声で、堂々と高慢に語っていたのは、すでに弟であったのではないのか……。


「嘘で、しょ……」


 なんでとエリノアが喘ぐ。瞳は恐怖したように見開かれて、涙はそこからぱたぱたと地面に落ちていく。


(──あそこで……もう戻ってた……? で、でも……)


 そうだとすれば、ブラッドリーは、凶暴な魔王として振る舞い、故意にエリノアを騙して敵対していたことになる。

 そしてエリノアは更に、新しい疑問に眉を顰めた。慌てたように振り返った娘は、背後に何かを探すような視線を走らせる。と、目当てのものはすぐに見つかった。彼女が放り出したままの、聖剣に。


(……そうよ──だって……テオが、ブラッドリーの魂は、消えたって……)


 聖剣は言った。『もう、あそこに弟君の魂はいません』と。


 しっかりと魔王を見て言ったのだ。だから、エリノアは絶望し、死ぬほど辛い決断をした。

 エリノアは混乱に瞳を揺らす。だって、テオティルなのだ。彼が、女神に遣わした人ならざる者が──これまで共に過ごし、常に彼女の味方で、時には途方もない頓珍漢さを見せても、それでもずっと純真さしか見せてこなかったテオティルが、そう彼女に告げたから──……


 だがエリノアが、乱れる心で聖剣を凝視していると。頭の中に沈んだ声がする。

 その申し訳なさそうな声は、すみません、と、言った。エリノアが驚いたような顔をする。


「……テオ……?」

『申し訳ありませんエリノア様。……あの者に、頼まれました』


 その静かな言葉に、エリノアの口が息を吞みこんだ。細い声は続く。


『あの者が、“エリノア様に自分を討たせろ”と。“自分はもう死んだものと言え”と』


 頭の中に響く声を聞きながら、エリノアは地面の上でグッと拳を握りしめる。そんな主人にテオティルは、彼と彼の主人の弟であった者との密かな会話を明らかにした。


『彼はもうそれしかないのだと言っていました。憎しみに負けて争いをはじめてしまったのは自分だから、自分が罰を受けて去らなくては……あなた様がこの地で生きられないと』


 それは今の彼女と自分との会話と同じく、他の者には聞こえぬ音なき声でなされたやりとりだった。

 その時交わされたやりとりはそう多くはなかったが、テオティルにはしっかりと、彼が姉を想う気持ちを理解した。

 だから協力した。主人の行く末のために。もとより彼は“魔王を王国から退ける”ための存在。女神に与えられた精神に痛みは感じたが、使命に沿うその魔王の提案に異議はなかった。

 主人はおそらく悲しむだろうとも分かっていた、が、事はもうその時には国を巻き込み、民を巻き込んだ争いに発展していた。

 ──決着をつける必要があったのだ。

 それならばと、魔王は──いや彼女の弟は。姉に、その時点で一番より良い形での決着を望んだ。


 ──姉を、国に聖剣の勇者と認めさせる。

 ──ずっと周りには隠れて過ごしてきたが、もう国民たちの前に魔王は現れてしまったのだから。……その一番いい方法は、暴力的な行いで国を蹂躙した自分を、国民たちの前で討たせること以外にはなかった。そうすれば、少なくとも姉は、自分が去ったとも国の英雄として扱われて行く末を保証される。

 ……侍女だから、没落した家の娘だからと侮るものはいないはず。なぜならば……彼女は国民の目の前で魔王を退けるのだから! ……それがきっと、何よりの栄光となり彼女を守るだろう。

 

 ……けれども、とテオティルは伝える。

 魔王は懸念していた。そんな彼の企みを姉に伝えてしまえば、きっと良しとはしないはずと。

 そんな小賢しい手を使ってまで、聖剣の勇者になりたがるような姉ではないと、魔王は言ったのだとテオティルに聞かされて──

 それが、弟自身が、エリノアに『私はやつを消した』と言っていた、あの絶望の瞬間の直前に交わされた会話なのだと知って──……

 エリノアは……自分の身がグラグラと揺れるような途方もないめまいを感じた。


「──そ、んな……っ」


 エリノアは、顔を歪めて涙した。胸が潰れそうに痛かった。

 自分だって、弟と共にありたいと極端な手段を選んだが──弟の想いも分からないでもない。でも! と、エリノアは強く思う。魔王がブラッドリーに戻っていたのなら、他にだって手はあったんじゃないか。


(国に……人に認められたりしなくたって、そんなの、どうだっていい! ここで生きられなくたってよかった! ただ──……一緒にいたかった……死んだっていいから傍にいたかった! なんで──なんで私を置いてくのブラッド!)


 涙はどんどん落ちて地面に落ちていく。

 地面に落とした頭を腕で抱えて。ここまでの奮闘ですでに数多の擦り傷のできた腕に砂利が食いこんだが──そんな痛みより、己の片割れのように、もしくは我が子のように愛しんできた弟が、自分のために消えたのだ思うと──胸のほうが痛くて、裂けそうで。

 ──分かっている。

 弟はきっとエリノア以上に自分を大切に想っていてくれたのだろうと。

 エリノアを大切に想い、彼女の大切にしているものを守ろうとしてくれたのだ。──あんな芝居までして。人々の敵となり──配下達を欺き、エリノアに敵対するような真似までしてだ。

 でもそれじゃあとエリノア。悔やむような顔は歯を硬く噛んで、悲しみを呻く。

 そんなことをしたら、ブラッドリーの人生はどうなるのだ。確かにブラッドリーは王都を襲った。その罪はある。でも、不遇な幼少期を過ごし、病を負って。やっと身体も元気になって人並みの生活ができ始めたところだった。

 ビクトリアたちの横槍さえなければ、これからは、リードたちモンターク商店のみんなや、グレンやヴォルフガングたちと共に活き活きと生きていってくれることだと思っていたのに……そう願っていたのに。何か道を模索するとしたら、何よりそれを一番に大事にして欲しかったと姉は嘆いた。


 しかし、そこでエリノアはハッと顔を上げた。


「そ、ぅだ……、リ……リード……メイナードさん、ヴォルフとコーネリアさんも……グレン、グレンは……⁉︎」


 彼らのことを思い出したエリノアは再び喘ぐ。あちらもこちらも気がかりで、弟のことも悲しくて、もうどうしていいのか分からなくなった。とても抱えきれなくて。まるで世界に一人きりにされてしまったような気がして──……呼びかけるテオティルの言葉も耳に入らなかった。

 一人では、みんなをどう助けたらいいの分からないと切迫感に襲われると、恐怖と困惑とに身体が震えて。立ち上がろうとするが足に力が入らない。


「っ! しっかりしてよ! 私!」


 泣きながら己を叱咤する。歯痒くて、思わず自分の足を叩こうと拳をグッと握りしめて振り上げた。


 ──弟がいなければ、私はこんなに弱いのかと。悔しくて、悲しくて。自分が情けなくて。


 なぜだと泣きながら拳を振り下ろし──……

 けれども。

 その苛立ちのこもった拳がエリノアの足を打つことはなかった……。


「!」


 振り下ろした瞬間。拳が綺麗に受け止められた。そのままそっと包みこむように、支えるように手に添えられた大きな両手にエリノアが目を瞠る。


「──落ち着きなさい。大丈夫だから」

「あ──」


 低く穏やかな声に、エリノアの泣き顔が見上げる。──いつの間にか、傍らにブレアが跪いていた。

 悲しげに微笑んで戻った青年は、エリノアに優しく語りかける。


「エリノア……大丈夫だ。私が共にいる」

「──っ」


 優しくも断固とした口調だった。その途端、唖然としたエリノアは。ブレアの声に、暖かい色の瞳に。その大きな手のひらの温もりに、自分のすべてが彼に包みこまれたような気がした。それは彼女の身に染み入って。失ってしまったものを埋めるではなかったが、しかし、その悲しみごと自分を温めて、支えてくれているような気がして──。


「……っブレア様!」


 エリノアの瞳から、感情とともに一気に涙が噴き出した。

 止めどなく喉の奥から嗚咽が溢れてきて、とても止められなかった。悲しいのに、不安なのに、心はズタズタなのに。でも、途方もなく安堵してしまっている自分がいて。エリノアは、ひたすら泣いた。


 そんな彼女の姿に。

 ブレアはただ無言でその背に手を添えて、己の胸に彼女を優しく迎え入れたのだった。









お読みいただきありがとうございます。

これからいろいろと明らかになっていくと思います。

しかし……ブラッドもテオも手段を選びませんね(_ _;)ま…エリノアもどっこいどっこいですが;


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― 新着の感想 ―
[一言] 意識低下! コメディさんが息してない! 声かけて!はやく!! などどわちゃわちゃと心の中がざわついています 某夏戦争のようにブレア様は「ちゅー」するのでしょうかねぇ(こら と期待しながら…
[一言] 事後処理が終わってエリノアがトボトボと家に帰ると、ブラッドや魔物たちが何食わぬ顔で「姉さん、お帰り♪」と出迎えるオチ希望(笑)
[気になる点] 泣きすぎて、エリノアさんの水分が無くなっちゃうんじゃないかと心配です。 [一言] エリノアさんの笑顔を早く見たいです。
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