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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
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82 聖剣の明示


 エリノアは声の限りに怒声を張り上げた。……こんなに訳も分からず叫んだのは初めてだった。最近のエリノアの暮らしには困惑することが多くて、驚いたり、怒ったり、叱ったりして悲鳴を上げる機会はたくさんあった。──でも、こんなに強い恐怖と不安、悲しさにパニックになり、ヒステリックにわめいたことは、これまでなかった。


 エリノアの激しい拒絶に呼応するように、手の甲の輝きはかつてないほどの光を帯びていた。ほとばしった光は暴れ回り、その激しさは彼女を捕らえていた魔王を瞠目させた。闇に属する身は光に蝕まれ、炎に焼かれたような痛みを感じた腕がわずかに怯む。──その好機を、その者は見逃さなかった。


「──我らの勇者、返してもらう」

「⁉︎」


 魔王が咄嗟にエリノアの拘束を緩めた瞬間、彼らの背後から飛び出してきた影は、剣の柄頭で魔王の頬を殴りつけていた。魔王は衝撃でのけぞり、襲撃者はその腕からエリノアを一思いに引き剥がす。

 突然腕を引かれて視界が降り動かされたエリノアは、あっと驚きながら──離れていく仰天したような顔の弟──弟であるはずの存在を見た。エリノアの目は哀願に濡れていた。

 ──もういないなんて。嘘でしょう? そんなことは言わないでと。お願いだから嘘だと言って欲しいとわめき散らしたい衝動に気が狂いそうだった。


 ……気がつくとエリノアは、先ほど魔王に地中に叩きこまれたはずのブレアの腕の中に収まっていた。感情を失くしたように呆然としていたエリノアは、砂まみれの王子の顔を見て、途端、見開かれた瞳からどっと涙を溢れさせた。


「……エリノア」

「──」


 名を呼ばれたが、苦しさのあまり、声を出すことも叶わなかった。口がワナワナと震えてまともな言葉が出てこない。そんな娘の悲壮な顔を痛ましげに見て。ブレアはエリノアの頭に添えていた手に、慰めるようにそっと力をこめた。


「──すまない」


 その短い言葉が、魔王──ブラッドリーを彼が殴りつけたことに対する謝罪だと、エリノアはすぐに分かった。思わずブレアの胸に額を押し付ける。

 ──しかしそれもほんの一瞬のふれあいだった。ブレアはすぐに瞳を険しくして、エリノアを自分の背後に押しやった。彼の視線の先には、憤怒した魔王が。聖なる力の蝕みに気を取られた一瞬に見事エリノアを奪われた王は、男を猛然と睨みつけていた。


「……命知らずだな、私に手をあげたうえ、最愛の者を奪うか……」

「……」


 その平然とした様子には、ブレアは内心で舌を巻く。相手はエリノアの弟である。急所となる顎やこめかみは外したものの、思い切り殴りつけたはず。だが魔王には少しも堪えた様子はない。複雑な心持ちだったが、それでも僅かに安堵した。背後の娘の為に。

 しかしここからは潮目が変わってしまったと彼は苦く感じた。目の前の者が何者であろうとも、エリノアの命を奪うなどと言う者に対して、彼も防戦一方ではいられない。ブレアは剣の柄の感触を確かめながら、静かに返す。


「……最愛とはなんだ。永遠に捕らえて傍に置くことか? 活き活きと生きて、かけがえのない笑顔を振り撒く人からそれを奪うと? ──とても承服できん」


 ブレアは手首で回した剣の切っ先を魔王に向けて、あくまでも抗戦する意志を示した。


「──引け。お前が我が(クラウス)を標的としている理由は分からぬでもないが……それはお前が最愛と呼ぶエリノアを苦しめてまですべきことなのか?」


 静かな怒りを向けてくる青年の姿に、魔王は少しだけ顔をうつむかせる。影になった表情の中で薄く笑いを浮かべる。


「……引く訳にはいかない。まだ十分でないから……」

「……? なんだと?」

「これではまだ、」


 そう言って暗い目をする魔王に、ブレアは眉を顰める。──しかし、その真意を見定める時間はなかった。ブレアが怪訝そうな顔をした瞬間、魔王は地を滑るようにして彼に襲いかかった。手には黒き剣。


「!」


 禍々しい刃が青年を捉える直前に、ブレアはそれを剣で受けた。


「っ」

「エリノアには貴様のような者を惹き寄せる輝きはいらない! 暗い闇の底でも、私だけのものであればそれでいい!」

「っ愚かな!」


 傲慢な叫びと共に剣を叩きつけられたブレアは、この──エリノアの弟である存在に対し、はじめて怒りを露わにした。燃えるような瞳が魔王を射抜く。


「力でねじ伏せるようなものは愛ではない!」


 その言葉を聞いて、魔王は狂ったような笑い声を響かせた。




「ぁ……」


 男たちの打ち合いがはじまった。しかし、まだ魔王の『弟は消えた』という発言の衝撃から抜け出せぬエリノアは、震えながら彼らに向かって手を伸ばす。と、苛立たしげに振り返って、唸り泣きながら己の脚を何度も叩く。身体が震え、脚はまるで生きる力が消えてしまったように力が入らなかった。叩いても、固い瓦礫を膝で踏んでもその痛みはどこか遠く、一向に動こうとしない。どうしてという声が掠れた。


「……待って、ブレア様、ブラッ………………」


 弟の名を呼ぼうとしたが、喉に重い塊が詰まってしまったようにそれが呼べない。名前を呼んでも、もしかしたらそこに弟はいないのかもしれないと思うと……恐ろしくて呼べなかった。


「っ」


 エリノアは苦しさに呻き、地面に覆い被さるようにうずくまった。

 ──最愛。疑いようがなく、ブラッドリーは彼女にとっての最愛だ。

 エリノアは怯えた。信じてはいけない。あの言葉を信じてしまっては、自分は身動きが取れなくなってしまう。

 自分という人間を支えてきたのは弟だった。生き、働き、前を向く理由。善良であることは、この娘の間違いようのない生まれついての性質だが、それすらも、彼女に言わせれば弟の為だった。

 あんなのは嘘だ。今、あの身体の表にいるのは魔王かもしれないが、きっとその中にはブラッドリーがいるはず。

 ああだけどと、心の中でもう一人の自分が怯えるのだ。

 もし本当に、弟が、消えてしまっていたら。

 誰にも看取られず一人きり、暗闇に消し去られてしまっていたとしたら……弟がどんなに無念だっただろうかという想像に囚われると、エリノアは、その恐ろしさを心から追い払うことはできなくなった。そうして彼女が震え上がった時、傍にふわりとテオティルが現れる。

 無言で涙をぬぐってくれる聖剣に、エリノアはハッとする。助けを求めるような目をして彼を見上げた。女神が造った彼なら、真実が分かるのではと──だが──


「テオ、テ──……」


 エリノアの声が先ぼそって消えた。

 そこにあったのは、いつになく静まり返ったテオティルの顔。生気の感じられない、陶器の人形のような彼は、厳かに口を開く。低い声で、ある意味、とても聖剣らしき台詞をエリノアに言い渡した。


「……エリノア様……魔王を討ちましょう」

「っ⁉︎」


 エリノアは、喉が引きつれて痛むほどに驚いた。予想だにしなかった言葉だった。

 自分がどんな顔をしてテオティルを見ているかも分からない。苦しくなって、どうしてと喘ぐと、聖剣は言うのだ。


「もうこうなっては……弟君をこの暴虐な行いから救うには、魔王を斬るしかありません」


 エリノアは悲鳴のような声をあげる。


「何を言ってるの! そんなことできるはずが……わた……私がブラッドを傷つけられるわけない!」


 しかしテオティルは無機質な声で言う。どこか──わざと感情を消しているようにも見えた。エリノアは、ああやめてと無言で首を振った。彼が次に言う言葉に察しがついて、耳を塞ぎたくなった。その瞬間テオティルが少し俯いて小さく申し訳ありませんとつぶやいたが、エリノアには聞こえていなかった。テオティルは主人を見る。どうか、負けないで欲しいと切に願いながら。


「…………エリノア様……残念ですが、魔王の言ったことはまことです」

「ゃ……やめ……」


 エリノアが、後退る。見開いた目で怯えたように見つめた聖剣の化身は、無情に、それを明らかにした。


「──もう──」


「──あそこに弟君の魂はおりません」





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― 新着の感想 ―
[一言] ( ゜д゜)ハッ! エリノアさんもブラッド君もリードの事頭から抜けてる( ˘ω˘ )
[一言] エリノアちゃんの決断は? 倒してしまうとリード君がやばい?
[一言] 魔王の中にブラッドリーの魂がいないなら、その辺でぷよぷよ浮かんでるのかな? 魔王を討って浄化させたら、その脱け殻の中に戻ってきて生き返るのかな? とか希望的観測を述べつつ、連載300回おめ…
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