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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
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77 賭け

 

 ……正直な話、咄嗟にはこうすることしか思いつかなかった。


 エリノアは昔、弟の喜ぶ顔が見たくて、虫を探しに家を出たことがあった。

 そのうち道に迷い、捜索に駆り出された見習いの騎士に手を引かれ、家に戻ってきたエリノアは、擦り傷だらけ。父はまずほっとしたような顔をして。それから呆れたように『どうしてこんなことを』とこぼした。

 その時幼かった彼女が言った答えは、単純だ。

 ただ、弟が不憫だったから。

 いつも同じ部屋の同じ寝台のうえにいて、ただ、医者や看護人や家族だけが出入りするのを眺め続けるような幼児の生活が、とても不憫だったから。

 だからエリノアは何度も家を抜け出した。……大抵はすぐに連れ戻されて、勉強や行儀見習いの教師のところに連れて行かれたのだけれども。何度も怒られたけれども、エリノアは。そんな自分のちょっとした無茶で、弟の狭すぎる世界に、少しでも新しい何かを持ち帰ることができたら万々歳だと思っていた。少し自分が怒られるくらい、怪我したくらい、どうってことなかった。それは勉強ばかりさせられていた小さな令嬢エリノアの、ささやかな趣味のようなものになった。

 ──小さなバッタ。──幸運を運ぶという葉っぱ。──金運を呼ぶという蛇の抜け殻の切れっ端。──謎のコイン。──美しい鳥の羽。──おかしな形の石。──綺麗な色の木の実に、すごい色のキノコ……──いや、キノコは毒キノコだと言って取り上げられたのだった。

 でもエリノアはめげなかった。大人はとても困っていたようだが……それらを見せた時の、弟の驚き、瞳の輝き、もしくはギョッとした顔でも。とにかく辛そうで、青白い弟の顔に少しでも変化を見つけられれば、それがエリノアの大きな喜びとなった。


 そうして二人は成長して行き、その間に父が亡くなって。エリノアが懸命に取り組むべきは、家計を支えることに変化したけれど。それでもやはり、弟の為に無茶をする性格とは縁が切れないようだ。こんな時に、いつも身体を張ることしか思いつかない。


 ──一か八かだ。


 エリノアは眼下の景色を見据えた。その中で禍々しい槍を手にこちらを見る魔王の、無感情な顔。あの中から、弟を引っ張り出す。無理矢理にでも。

 考えている暇はそんなになかった。弟の握る闇色の槍のすぐ向こうには、ビクトリアやクラウスが蒼白な顔で身を縮こませへたりこんでいる。今すぐ、あの二人から弟を引き離さなくてはならない。──もし弟を信じるとしたら、その為には、これが、一番手っ取り早い。そしてエリノアには……ひたすらに簡単なのだ。愛弟ブラッドリーを信じることが。


「──っ!」


 エリノアは、決心して聖剣から手を離した。ただ泣いているくらいなら、無謀でもやってみるのだ。

 ──たとえ弟が魔王でも、彼が健やかであることができるのならと彼を受け入れた自分には、弟を守ると同時に責任がある。彼を、止める責任が。

 今のエリノアには、弟だけじゃない、昔以上に守りたいものがあって。

 ずっと支えてくれたリードたち。ルーシーやタガートたち親子。毎日一緒に働いた同僚や王室の人々。……前触れもなく彼女の生活に押し入ってきた聖魔の人外たちも。


(それに、)


 エリノアは、脳裏にブレアの顔を思い浮かべる。

 彼は生きていた。父と同じように、一度は失ってしまったと思った彼を──もうこれ以上危険な目には合わせたくなかった。あの絶望は、もう二度と味わいたくもない、ひどく苦しいものだった。父の死で心の中にできた穴の横に、また別の誰かの穴ができるには──今はまだ早いと思う。


(──誰かを失って動かしようのない悲しみに、後で絶望するくらいなら……)


 エリノアは前を見据えて、ただ、自分を奮い起こすように命じた。


(──行け!)


 力の限りに屋根の端を踏み切り空に飛びこむと、エリノアは背中にテオティルの悲鳴を聞く。

 そんな彼にもごめんと思いながら。眼下を見ると、吸い込まれるように近づく地面や景色がいやにゆっくりと見えた。やけに周囲が冴え冴えとよく見渡せて。魔物たちが愕然とした顔をしているのが見えた。

 ああと、エリノア。こんな瀬戸際に思わず苦笑が浮かぶ。これは、この無謀は、確実に叱られるやつだわ。


(──そう、だから)


 叱りに来て貰わなくては。





「っ」


 塔の上にいた娘が徐に駆け出したのを目撃したヴォルフガング。魔将は驚いて、思わず痛む脚に力を入れる、が──それをグッと引き留めるものがあった。ハッと見ると、隣に倒れていたコーネリアグレースが彼の腕を掴んでいる。地面に伏したまま、震える手で彼の腕を強く握りしめた婦人は、苦しげな瞳でやめろと訴える。──耐えろ、ここは邪魔をしてはならない。その訴えを咄嗟に理解して。魔将はあらん限りに叫ぶ。


「っ陛下‼︎」


 ──娘が塔の上で屋根を踏み切ったのは、その瞬間のことだった。

 息を吞む魔将の傍で、無感情に娘を眺めていた魔王──の、口から、ほとばしるような悲鳴が上がった。




 魔王の中の闇を、誰かが内側から叩いていた。そこからはい出そうとするように、あがく小さな者の苦しい悲鳴が、王の身体の中に響き渡る。


 ──っ姉さん!!


「っ」


 その小さな人格に、不意に王の身体が動かされた。思い出せよと少年が絶叫している。


 ──姉さんを見捨てるならお前(ぼく)なんか存在する価値がないだろ!


 ここまで生きてきたのはなんのためだ。病いに冒された惨めな命でも、姉に縋って生きてきたのは、いつか普通の健康な男になって、今度は自分が姉を助ける。その為だったはずだ。

 復讐なんてものの為に姉を死なせたら、僕らには存在する価値もない。


 ブラッドリーは死に物狂いでもがいて、もがいて……姉を呼び続けることで、わずかだけ魔王を怯ませた。

 分かっていた。自分が想うのとは形は違えども、もう一人の自分の中にも、姉への感情は必ず残っている。ブラッドリーは、王が見せたそのほんの一瞬の迷いに飛びつくようにして。自分を凌駕していた強大なものから自我の主導権を奪い取った。


 瞬間、ヴォルフガングの目の前で魔王の姿が影となって消えた。

 影は王宮の庭を走り、塔の上から真っ逆さまに地面へ落ちてゆく娘へ追い縋る。


 瞳をぎゅっと閉じていたエリノアは──ふと自分の身体が宙で止まったのを感じて。瞳を開ける前に、身体に感じた固く抱きすくめてくる感触に、ああと深い安堵のため息を落とす。涙が出た。


「──やっぱり来てくれた」


 震える声でそう言って。縋り付くように抱きしめ返すと、嗚咽が聞こえた。すぐに浮遊感は消え、瞳を開くと間近には弟の顔。自分を抱えて地面に座りこんでいる少年の顔を見上げて。エリノアは、やっと彼をつかまえられたと胸が熱くなった。


「ブラッド」


 瞳を伏せて俯く弟の頬に、エリノアの手が触れる。と、弟は顔を上げて。


「──っ、ね、えさん、リードが──僕は──……」


 泣き顔が、姉に何かを訴えようとした。

 エリノアも涙ながらにうんうんと頷いて──……しかし。


 姉弟の再会はそこまでだった。一瞬の安堵に胸を撫で下ろしかけたエリノアの耳に、鋭い女の声が届いた。「今よ!」と、鬼気迫る女の声に、腕の中の身体が硬くなったのを感じて。ハッと目をやると、魔王が離れたその場所で、ビクトリアが座りこんだクラウスの腕を必死で引っ張り上げているところだった。妃は怯えた息子を急き立てながら、エリノアを憎しみの目で刺していた。


「おのれ……トワイン家の娘……お前の仕業だったの⁉︎ 父親の復讐のつもりか!」


 怒鳴られたエリノアは呆気に取られながら腕の中の弟を固く抱きしめた。するとビクトリアは髪を振り乱しながら、そうだわと叫ぶ。


「……そうよ、以前も何か……似たようなことがあったわ……! あれは、いつ? お前が王宮に化け物を呼びこんで……ああどうして⁉︎ 思い出せない!」


 ビクトリアは己の記憶を探らんとするように頭を抱えて、それが思うようにいかぬのか。イライラした調子で怒鳴り散らしている。その言葉に……エリノアが息を吞む。


(──もしかして──……舞踏会の時の……⁉︎)


 察した瞬間、身が凍ったような気がした。

 それは、以前舞踏会の折、彼女が父を侮辱したことでブラッドリーの怒りを買った時のこと。しかしビクトリアはその時の記憶を消されているはずだった。まさか、思い出したのかと目を瞠っていると、しかしどうやらはっきりとはその時のことを思い出せないらしいビクトリアは、歯噛みして荒い息を繰り返し、充血した瞳でエリノアを睨む。


「使用人風情が! 絶対に、絶対に処刑してやる!」


 思い出せないが、この事態はエリノアのせいなのだと妄信じみたものを感じ、すっかりそうだと決めつけているらしい。あるいは恐怖のあまり既に正気ではないのか……妃は狂気じみた目で息子を急かす。


「立ちなさいクラウス! お前は未来の国王でしょう! こんなところで終わってはなりません! 兵を動かして今すぐ母の為にあの邪悪な者たちを退けて! 何しているの! ほら早く蛇をなんとかして!」

「む、無理です母上がなんとかしてください!」

「何を言っているの! 息子なら母を守って当然でしょう!」


 ビクトリアは嫌がる息子に金切り声でわめき、怯える息子は母を蛇たちの方へ押し出した。親子はどうやら、魔王が自分たちの傍を離れたこの隙に逃げだそうとしているようだが……

 そんな二人の様子をはたから見ていたコーネリアグレースは、痛みに喘ぎながらも果てしなく呆れた。──この二人は事態を自身ら打開するつもりがまるでないらしい。それはその高い身分のせいなのか……互いに人が自分のために動くと信じ、助けられて当然と思っているようだ。


(──果たしてそれがここでどれだけ通用するやら……)


 愛すべき姉弟のために、この者たちを守らなくてはと思ったが……その高慢さ、その滑稽さを笑わずにはいられなかった。そうして婦人が密かに唇の端を持ち上げた時。彼女たちから離れた場所で、エリノアの腕の中に固く閉じ込められていたブラッドリーの身体が奇妙に蠢いた。


「あ⁉︎」


 喚く親子に気を取られていたエリノアが短い悲鳴を上げた。

 次の瞬間、弟の身体からは何か──闇色のものが勢いよく噴き出して。その風圧に押されたエリノアは、弟の膝の上から放り出されてしまった。


「っ! ブラッド⁉︎」


 地面に転がり落ちたエリノアは、慌てて身を起こして振り返るが──そこには既に弟の姿はなかった。


「!」


 冷たい顔で立ち上がった魔王の周りには、殺気のような禍々しい風が吹き荒れている。それはあっという間に悲しげな弟の表情を消し飛ばして、冷酷な憎しみだけがそこに残った。


「や、やめ──待って!」


 エリノアがしがみつこうとした瞬間、弟の身体が黒い霞のように形を失った。エリノアの手は空を掴むように空振りし。エリノアが悲鳴のような息を吞む。

 逃亡しそうな獲物の気配を察した魔王の身には、再び憎しみが溢れていた。それは彼らの意識の中からブラッドリーを押しのけて。一心不乱に目的が為に飛んで行く。その後ろで置いて行かれたエリノアが悲痛に絶叫する。


「っブラッド‼︎」


 ──途端、一瞬だけ魔王の影が引き留められる。後ろ髪を引かれるように、獲物に向かう足を地に縫い留められて、よろめいた魔王は表情を歪め、煩わしそうに唸る。


「っヤめろ!」

「ブラッド!」

「──違ウ!」


 魔王はエリノアを怒鳴り、赤い爛々とした瞳で彼女を睨みつける。


「お前ノ弟は、いずれ消える……!」


 言い捨てられた言葉にエリノアが戦慄する。


「馬鹿なこと言わないで!」


 悲鳴のように言い返したが、魔王は取り合わなかった。慌てて立ち上がり、駆け寄ってくるエリノアの手が彼を掴む前に、魔王は言った。


「愛シき枷よ……」


 待っていろと魔王は笑って空の上に舞い上がる。


「あやつらノ首、オマエに差し出そウ。墓前に添えてやレば、父モ喜ぶだろう」

「! っそんなもの!」


 いらないとエリノアが怒鳴った時。──既に魔王は上空高く飛び上がり──追いかけるように見上げたエリノアの目前に、突然大きなものが降ってきた。


「⁉︎」


 どすんと大きく地面が揺れて、砂煙に煽られたエリノアがたまらず転倒すると。ガラガラと岩が割れるような大きな笑い声。


「おうおうおう! お前が女神の勇者か? なんとちっぽけな……女神は正気か⁉︎ 足腰がなっとらん! そのような有り様で、ワシの相手が務まるか⁉︎」

「な……」


 その巨体に思わずエリノアの足が一歩後退する。

 ──大鎧の巨人エゴンが、エリノアの前に立ち塞がっていた。


 




お読みいただきありがとうございます。

少々間があいてしまいましたm(_ _)m

お話しはまだまだ騒動の渦中ですが…もしかしたら、いずれ少し良いお知らせができるかもしれません。


ちなみに…冒頭でエリノアの手を引いていた誰かが誰なのかは、コミカライズ版の書き下ろし小説をお読みくださった方にはもしかしたら分かるかもしれませんね(^ ^)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一瞬でもブラッドリーさんが出てきて嬉しかったです。 [気になる点] 聖剣も、エリノアさんと一緒にいる事で心配で胃が痛い…とかを、これから覚えるのでしょうか?
[気になる点] 魔王「あやつらノ首、オマエに差し出そウ。墓前に添えてやレば、父モ喜ぶだろう」 エリノア「! っそんなもの!(いらない)」 いや、遠慮せんと貰っときな♪ 亡き父はともかく、王太子や…
[一言] ピンチに次ぐピンチ展開が燃える。
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