72 令嬢の野生的勘
「おらーっ‼︎ エリノアぁぁああ‼︎」
──と。トワイン家の玄関扉を華麗に蹴り開けたのは──ルーシーだった。
令嬢の後ろには、必死について来ていたはずのタガート家の者が誰もいない。──どうやら……俊足すぎる令嬢は、無情にも彼らをどこかに置き去りにしてきたらしい……。日頃から、時に彼女自身がしごき、鍛え上げた家の者たちならば、これくらいの事態、自分が手厚く保護してやらずとも大丈夫だと──根っから体育会系な令嬢は思っている。
さて、そんなことより。令嬢が今心底案じているのはエリノアだ。──もちろんルーシーはブラッドリーの正体など知らない。が、彼女の野生的勘が言う。
──多分……あの最近くそ生意気な弟は、自分が心配せずとも大丈夫だ。しかし──エリノアは違う。(断言)
(……あの子はバカ真面目の弟バカだから……きっと──弟は真っ先に逃してるはず……そして自分は周辺住民を助けに行って、うっかり自分のほうが大怪我するとか、そういうことするのよきっと! あああ女神様、エリノアにご加護を! 怪我してませんように!)
ハラハラしながらトワイン家に押し入った令嬢は、姉弟を探して声をあげる。
「エリノア! 生意気坊主!(ブラッドリー※ついで)」
しかし応える声はない。家の中もしんと静まり返っていている。ルーシーは、グッと眉間にシワを寄せて、急ぎ足でトワイン家の廊下を奥へと進んでいった。エリノアの寝室を覗き、次にその弟の寝室の扉を開けて──ルーシーは、片眉を吊り上げた。
「──あ……? な、に、これ……」
ドアノブを握ったまま、ルーシーが戸惑った顔をした。
その視線の先──ブラッドリーの寝台の上には、何やら大きな物体が。黒く萎れた葉に覆われた岩のような──……言うまでもなく、それはリードを治療中のメイナード老将、……なのだが……
もちろんルーシーはそんなことは知らない。令嬢は険しい顔つきで、なんなのとつぶやく。
「こ、れ……は……」と、言ってから、令嬢はカッと瞳を見開いた。
「ブラッドリーったら……! 家にいったい何を持ちこんでるのよ!」
とりあえず、ルーシーは憤慨した。
いくら察しがいいとはいえ……流石に魔王や魔物の存在を知らぬ令嬢には、それが何か分かるはずもなく……何も知らないルーシーは、それがブラッドリーの工作物──悪ガキが作った泥団子的な何か──それにしてはやや規格外の大きさ──か、何かなのだと判断した。ルーシーは荒いため息。
「は! やれやれ……! 若い男って意味が分からないわ……いったい何に情熱を費やしているやら……はー部屋の掃除をするエリノアが可哀想じゃないの!」
まったく! ……とは、男性の趣味がやや渋いルーシー嬢(枯れ専)のお言葉。
ルーシーは思い切りムカついた顔で物体を見て(メイナード可哀想)。そして唐突に──……何を思ったか。彼女は腰元の剣(※パパの部屋からかっぱらったやつ)をスラリと抜いた。その瞬間、令嬢の背後で、ひっと慌てたような声が上がる。
「え、ちょ……⁉︎」
それは幼い声だった。が、ルーシーは止まらない。ブラッドリー作、はた迷惑な青春の芸術的物体(※ルーシーの勘違い)を睨み、片手で握った剣をゆっくりと物体に近づけて──……
それを見た声の主──たくましき母、コーネリアグレースに言いつけられて、密かにルーシーをつけていた黒いちびっ子マダリンは慌てた。子猫には、令嬢が、守りの姿のメイナードにいきなり斬りかかろうとしているように見えたのだ。
「な、なんてらんぼうなにんげん……!」
ゾッとしてしまったマダリンの背中の毛が逆立つ。子猫は泡を食って物陰から飛び出して、剣を手にメイナードに近づいていこうとする令嬢の前に立ち塞がった。そして怯えを振り払い、精一杯の威嚇音。
「──え?」
シャーッという声にルーシーがキョトンとマダリンを見る。
──気がつくと、自分と物体の間に小さな黒い子猫。
「?」
不思議そうに、怒れるマダリンを見つめるルーシー。彼女は何も……メイナードである物体を斬り捨てようとしたわけではない。ただ、初見の気味の悪い物体を前に、流石に素手で触るのが嫌で。ちょっと剣で突いてみるかと思っただけだったのだが……そこへ唐突に現れた子猫に、ルーシーも戸惑っている。
ここで一つ、魔物の子マダリンが偉かったのは……彼女が何も知らないルーシーに向かって、人の言葉で怒鳴らなかったこと、だったのだが……
ルーシーは、眉間にシワを寄せて視線を左右に動かした。
「猫? どこから……」と、言って。令嬢はすぐに「あ!」と合点が入ったと言うように叫ぶ。
「エリノアったら! また飼い猫を増やしたのね⁉︎ まったく、あの子ったら……! 蓄えもそうないくせに!」
ルーシーは剣を手にしたまま、今度はエリノアに向かって憤慨しはじめる。
どうやら……何も知らない令嬢は、エリノアが白犬、黒猫に続き、またどこからか子猫を拾って来たとでも思ったらしい。……が、そんな勘違い令嬢を前に、子猫マダリンは必死だった。耳はイカ耳、か細い四肢はブルブル揺れて、背中は山形に盛り上がっている。全身の毛を逆立たせ、しっぽは虚勢を張るようにピンッと伸ばされているのだが……その先端は怯えたように震えていた。
ここまでマダリンが令嬢を怖がっているのには理由がある。何せ──マダリンはここに来るまで、このヤンキーお嬢様が、闘牛のような勢いで、さまざまなものを退けてここまで猛進して来たことを知っている。『おやめください危険ですお嬢様っ』と、追い縋ろうとする家の者。避難しろとうるさい騎士兵士。さらには──どうやら王城からさまよい出てきたらしい、同胞の手下である魔物蛇たちまで……。皆、令嬢の厳しい一喝──『邪魔よ!』の、一言とともに足蹴にされてあっさりと一蹴されていた……。
エリノアのことを心配するあまり。立ち塞がる者たちなど、どーでもよかったルーシーは。それらを異形の魔物と認識した様子はなかった。──が、マダリンはそれが怖かった。
同胞である魔物たちが、人間どもと同列状態で、令嬢の健脚によってあっけなく退けられた。愕然とした。あの蛇たちは、人間が噛まれれば魔障のつく危険な存在だ。見た目だって毒々しくて地面を蠢く姿は気持ち悪くて……マダリンだって大嫌いなのだ。──が、令嬢はそれを躊躇いなく蹴り、踏みつけ、そのあと一瞥すらもしなかった……。なんという女だと、子猫は正直引いた。
まあつまり、そんじょそこらの令嬢とは根性の入り方の違うルーシーは、蛇ごときでキャーキャー言う精神を搭載していないというわけなのだが……
マダリンは嘆いた。ちびっ子は、そんな恐ろしい娘から、今はメイナードを守らなければならないのだ。子猫は泣きたかった。必死である。うるうるした目で、シャーシャー言って、なんとか令嬢を睨むが──……そんな哀れな子猫を上から睨み下ろすルーシー。ジロリと見られたマダリンはまた怯える。
(きょ、きょわい!)
「…………(……かわいい……)」
不良ヅラでマダリンを睨みながら。ルーシーは咄嗟にそう思い──ハッとする。
「⁉︎ そうじゃないのよ! エリノアよ! 避難させなきゃいけないのよ!」
「⁉︎」
令嬢の目がカッと見開かれ、途端マダリンがビクッとして飛び退る。──と、不意にその令嬢がまたハッとして。何かに思い当たったという顔をする。ヤンキー顔が、再びマダリンを見下ろした。
「………………」
「⁉︎ ⁉︎」
その視線に戸惑いマダリンが身を硬くする。と、次の瞬間、令嬢は……何を思ったのか──おもむろに、マダリンに向かって手を伸ばした。
え⁉︎ と、マダリン。見開かれた瑠璃色の瞳に映るのは──光の加減で影になった令嬢の顔に、獲物を狙う鷹のような瞳が爛々と光っている光景だった。令嬢の手が己の顔の上にかざされて──……
「──っ⁉︎」
驚いた子猫は息を吞み、咄嗟に身をすくませて避ける余裕もない。
「……よし」
ルーシーの手が、わっしとマダリンの首根っこをひっ捕まえた。
「にゃ゛⁉︎」
「この猫も避難させるべきよね」
エリノアの猫ならば、と、ルーシー。
令嬢はマダリンを見た。子猫はギョッとした顔のまま、もこもこの胴体から突き出した四肢をピンッと伸ばし、身を凍り付かせている。……こんな可愛い子猫だ。放っておいて、もし迷い猫にしてしまえば、こういう庇護を誘うものにめっぽう弱い義理の妹は、絶対に探しに戻るとか言って町をさまようだろう。
今、城下町は火災や正体不明の襲撃者のせいで混乱している。こういう時は混乱に乗じ、火事場泥棒なども出て町の治安は悪化するもの。それにこの先トワイン家の家屋が、破壊された他の家々と同様に破壊されない保証はどこにもない。家が壊れて猫が怪我をすればエリノアは悲しむだろうし、行方不明にして、エリノアを治安の悪い場所に出すわけにもいかないのだ。
チッと、ルーシーは凶悪な顔で舌打ち。※その顔にマダリンがビクッと身を震わせる。
「まったく……世話の焼ける子だわ……」
やっぱりエリノアには護身術を叩きこんでおくべきだった……などとため息を吐きながら──……
「⁉︎」
決断力に優れた令嬢は迷うことなく、マダリンを自分の服の胸元へ放りこんだ。
「そこでじっとしてなさい」
この緊急事態に、両手が使えないのは動きづらい。ゆえに彼女はそこにマダリンを保護したのだが──……ギョッとしたのは怯えきっていたマダリンである。
なにゆえか──怖い令嬢の胸元へ閉じこめられてしまった……。
……──温かい。
そして……──何だか……
足元が──ぽよんぽよんしている……。
子猫は──……とても混乱した。
「っ」
マダリン──恐怖の叫び。
「ぴっ……」
ピィヤァああああぁあ⁉︎ と、高く上がった泣き声に、ルーシーは驚きすらしなかった。
「あ゛?」※顔怖い。
なんなのよ、別に取って食いやしないわよ、と、令嬢が子猫に向かって言おうとした瞬間のことだった。
突然ブラッドリーの寝室内に、シャー! と、威勢のいい威嚇音の四重奏。
「え゛?」
「──こらー!」
「にんげんめ!」
「マダリンに」
「なにすんだ‼︎」
どこから現れたのか──ルーシーの頭上に黒い影が四つ。バラバラと降ってきた黒い毛玉の集団に──
「!」
ルーシー、神業的回避。
マダリンを胸元に入れたままの令嬢は、跳びかかって来た四つの毛玉生物の鋭い爪を避けて、部屋の壁際に素早く退く。
「敵襲⁉︎ っ──……ん? ……なんなの?」
やっと敵にまみえたか! と──一瞬殺気を滲ませた令嬢──……で、あったが──……
次の瞬間、その瞳がまるく見開かれる。
彼女の視界に現れたのは、もふもふした小まるい四匹の生物。
床やブラッドリーの寝台の上で、それぞれ興奮した様子で、ルーシーに向かって唸り声をあげている──毛玉。
「は?」
咄嗟には状況が掴めず、ルーシーの動きが止まる。と、その途端、彼女の胸元に放りこまれていた子猫が泣きべそで助けを求めた。
「マ、マーヤぁ、マルタ、マクシーネぇ、マルゴットぉぉお!」
たちけてぇぇ(※助けて)と泣き声をあげる子猫を、ルーシーがギョッっとして見た。
「え⁉︎ しゃ、しゃべっ……た……?」
唖然としていると。現れた四匹の生物がシャーシャー威嚇音を出しながら怒鳴る。
「「「「しまいをはなせ! にんげんめ!」」」」
「え……何よ……姉、妹……?」
ルーシーはハッとする。そういえば……現れた四匹も、胸元の子猫と瓜二つ。五匹の子猫たちを見てルーシーは困惑の表情を浮かべる。が、それはルーシーのヤンキー顔を険しくする結果となった。
「……、……、……なんなのあんたたち……」
「う……」
睨みの効いたルーシーの訝しげな顔がマダリンに向けられると、またマダリンの目がうるうるした。
「あた、あたち、かー、かーさまからアンタをまもれって……エリ、エリノアのために……」
子猫は怯えた声で言ったが、その言葉がまた悪かった。
「はぁぁ⁉︎ エリノアのためぇぇ?」
「ピィッ! (こ、怖い!)」
不思議生物の口から己の義妹の名前が出てきたことに、どういうことだと思ったルーシーの顔はまるで般若のよう。すっかり怯えきったマダリンは、その視線から逃れようとするように、ルーシーの服の中に引っこんでしまった。ルーシーは眉を顰めて。仕方なく、今度は新しく現れた子猫たちにギラリと視線を向ける。と、そちらの子猫たちも、マダリンの怯えきった様子に戸惑ったのか、部屋の隅に一塊になってビクビクした様子でルーシーを見ている。
「にんげんひきょう!」
「マダリン」
「ひとじちに」
「された!」
怯えながらも、口だけは元気にキーキー自分を責めてくる子猫たちを眺めながら──令嬢は、ぴーんときた。……こと、野生的勘に関しては、ルーシーの右に出る者はいない。
「さては──あんたたち……あの気味の悪いものについて何か知ってるわね……?」
ルーシーの指が、ブラッドリーの寝台の上に置かれた大岩のような物体──内部でリードを治療中のメイナードを指さす。流石のルーシーも、あれをブラッドリーの創作品と位置付けるのにはちょっと無理があるような気がしてきていた。このトワイン家で、何やら不可思議な問題が起きているらしいと勘づいた令嬢は目を細め、さらに「もしかして」と続ける。その顔が次第に高圧的になっていくさまが、子猫たちはとても怖かった……
「あんたたち……エリノアの行方についても何か知ってるんじゃないの……?」
その声を聞いた途端。マダリンの小さな身体にゾゾゾ……ッと震えが走った。──おどろおどろしい声音だった。ゆったりとした詰問に、
「しょ、しょれは……」
令嬢のブラウスの閉じ目の奥で、マダリンが顔をひきつらせて口ごもる。その動揺を、見逃すルーシーではなかった……。
令嬢は、己の服の襟元を両手で開いて覗きこみながら……そこでぶるぶるしている子猫(※齢四十歳程度)を無慈悲な顔で追い詰める。
「……言いなさい? この私にエリノアのことで何か隠し立てしようなんて、タダじゃ置かないわよ……?」
「ぴ、ぴぃいぃいいいい!」
どすの利いた令嬢の声に、子猫が余計に震え上がったのは──言うまでもない。
お読みいただきありがとうございます。
無事退院しました(^ ^)
さて、これでグレンの妹が全員出てきました。はからずして、何故かルーシーの元に黒猫軍団が集う結果に……
どうやら令嬢は、エリノアのように可愛いものに惑わされはしないもよう…ほんと、ルーシーこそ女勇者的ですね( ´ ▽ ` ;)w




