66 放浪癖のグレゴール
──阿鼻叫喚。人々が逃げ惑う街中を、人の流れに逆らって優雅に歩く大きな人影があった。
「ふ、ふ、ほ……ほぉほぉ、……人間界、か……ほ、ほ、ほ……」
人影の頭には特徴的な三角の耳。鼻の潰れた猫のような顔は朗らかで、ペロンと口からはみ出した緊張感のない赤い舌が、なんとも周囲の修羅場とそぐわない。灰色の毛並みはもっさり長く、特に長さのある首周りの毛は、先が永い時を経たようにやや色がくすんでいるが、そこを可愛らしく三つ編みにしたなんとも愛嬌のある風貌。ずんぐり大きな図体にゆったりしたローブ。その裾で地面を掃くように揺らしながら、楽しそうに、ふわりふわりと独特のテンポで周囲を見回し、ゆったりと歩いている。一見年齢は中年といったふうに見えるが、キラキラした瑠璃色の瞳はキョロキョロとまるで子供のように物珍しげに周囲を泳ぐ。どうやらよほど人間たちの町並みに興味があるらしい。なんとものんきに物見遊山という風情だった。
「ほ、ほ、ぅ……なんとも脆そうな素材で家を造っておる……よく壊さず住めるものだ」
獣人男は楽しげに民家の壁を軽くつついて感嘆の声を漏らし、にほり……と猫顔が笑う。
「こ、れは……この機会にあたりを見物するしかないのぉ……さ、あ、て……同胞に見つからぬうちに……なぁに、これだけ雑然とした人間界なら、ワシの一匹ぐらい……」
と、彼がにんまりした時。
遠くから、雷のような怒号が。
「グレッグッッッ‼︎‼︎‼︎」
「きゃ⁉︎」
瞬間獣人男は飛び上がって。そこへ大地を叩き割らん勢いで現れたのは──魔術師のような格好にエプロンをつけた婦人。波打つ黒髪を風になびかせたバッチリアイメイクの──……コーネリアグレースだった。
「お?」
人間態。しかも鬼のような形相をして現れた婦人に──怒鳴られた猫顔獣人はつぶらな瞳をパチクリと見開いて。一瞬、二瞬……三瞬……くらいの間を置いて(遅い)ハッとした。※この間に、待たされるコーネリアグレースは沸々と怒りを溜めている。
「ん? ……おや? おやおや?」
ほてほてと、やはりどこかのんきな調子で低い鼻をヒクヒク動かしながら駆け寄ってくる獣人に我らがママンは──……
容赦ない一閃。
男の顔面目掛け、愛用の金棒を力一杯振り切った。その動きのたくましいこと……。──が……
その瞬間、空を切った金棒に、婦人が鞭打つような激しい舌打ち。
「──ほ、ほ、ほ」
聞こえてきたのはフクロウの鳴き声のような笑い声。
「相変わらずの剛腕よの、コーネリア。そ、れ、にしても……随分愛らしい姿をしておる」
笑い声を向けられたコーネリアグレースは、金棒をおろしながらギロリと背後を睨みつけた。……そこに立っていたのは、先程ののんき顔の猫獣人。婦人は大きくため息をついた。
「………………はぁぁ……そちらこそ、相変わらず。こんなところでキョロキョロして……あなたったらいったい何をしているの! 陛下に会いにきたんじゃないの⁉︎」
婦人の口からシャーッと威嚇音が出た。何を隠そうこの、『グレッグ』であり『あなた』であるもっさりのんきな獣人魔物は、コーネリアグレースの夫。グレンやマリーたちの父グレゴールであった。
まあそれはいいのだがこの男……少々放浪癖がある。昔から、何かに興味を引かれるとふいっと消えてしまうから困りもの。気になった蝶々を追って、魔王との会議中に姿を消して何日も戻らなかったこともある。
グレゴールはにこやかな顔で妻を見下ろして言った。
「ぃやぁ、陛下の手勢は他にもおるだろう? ワシごときが馳せ参じてもどうせまた娘らに押しのけられるだけ。それに人間界なぞ久しぶりでつい……えぇと前に来たのは千年前か? ん? 二千年前か……? お、やぁ?」
空を見ながら呆けたように首を傾ける夫に、コーネリアグレースは再び大きなため息をついた。言っても無駄だと思ったらしい。
「まったく……よくもまあその調子で他の配下たちを差し置いてここにこられたものね……」
「ほ、ほ、ほ。簡単なこと。おぬしたちが行ってしまって以降、次はワシの番と思い、ずっと門の前を塞いでおった。この巨体での。すっぽり。ふふふ前回はうっかり居眠りしている隙に、マリーたちに脇の下をくぐり抜けられてしまったが、……ほほ」
「…………(呆れ)」
コーネリアグレースの脳裏には、魔界に作られた門をみっちり塞ぐ夫の姿が思い浮かぶ。魔界の王宮には、かつての謁見の間にこちらを覗ける大水晶があって、門はブラッドリーの転生が分かってからそのすぐ傍に作られた。とはいってもそう大層なものではない。彼らが王に呼ばれるのは大変な栄誉であるため、まあ……ちょっとした花道のようなものだ。……いやそんなことは今はどうでもいいとコーネリアグレース。
「…………とにかく! こっちに来たのならフラフラしていないで手伝ってちょうだい! 今からあたくしと一緒に──」
と、早口でまくし立てて、夫のヒゲを鷲掴みどこかへ引っ張っていこうとするコーネリアグレースに、グレゴールが「おやおやおや」と笑う。これまで見せていた長閑な表情に少しだけ狡猾な色が覗いた。
「妻よ、ワシになど構っておっていいのか?」
「⁉︎」
夫の言葉にコーネリアグレースがギクリとする。青ざめた顔が振り返った。
「まさか……」
「いやぁ……どうにもまたチビたちに先を越されてしまってなぁ……どうやらその辺りに散っていったようだが……おや、陛下についていったか?」
「な、なんですって⁉︎ どこっ⁉︎ どこなの⁉︎ なぜちゃんと見ていないの!」
「……ふふ、ほっ」
コーネリアグレースが慌てて周囲を見回すと、その隙に彼女の傍から夫が消える。
「⁉︎ あなた⁉︎」
ハッとして声を張り上げる妻の耳に、悠長な声だけが聞こえた。
『ほほほ、あの者らがこのような新しき狩場を前にして、しかも陛下から狩りの許可が下りておるというのに親の言うことなど聞くわけがなかろう。まあ町をいくつか壊したら満足して帰ってくるだろうて。さぁて、ワシはひとまず人間界見物じゃあ。さらば♪』
「⁉︎ あなた!」
その瞬間気配が消えて。コーネリアグレースの額には青筋が浮かんだ。
「…………あの野郎、グレゴール……」
婦人がボソッと低く言った瞬間、彼女の手の中で、金棒の柄がミシッと音を立てる。まあ王都の破壊に加担しないだけマシかもしれないが……こちらの事情も知らず、さっさと去っていった夫には怒りが募る。コーネリアグレースは、ここにきて一番の般若の相。……間違いなく、このあとグレゴールは彼女にとっ捕まってぶん殴られるだろう。その怒りに我を忘れて……コーネリアグレースが身内の説得を忘れないかがとても心配である……。
グレンの気ままさはこの父譲りかもしれません……
グレゴールは鼻ぺちゃ猫。エキゾチックショートヘアのイメージです( ´ ▽ ` )
…いいじゃないですか、そんな可愛い魔物がいたって!笑
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ぼちぼちいろんなところで書影も出てきましたが、私のTwitterにもステキな表紙のイラストを載せさせていただいてます(^ ^)♪
今回は可愛いエリノアと、ブレアとブラッドリーの仲良しショットです♪ぜひ見かけた際はお手に取っていただけると嬉しいです!




