64 マダリンの疑問
「…………なんなのよ、この状況は……」
イラついた声が聞こえる。
瓦礫の上に立ち、手にした直剣をそこに突き立てて。荒れ果てた王都の町を睨むように見渡す娘がいた。身には可憐な花柄のワンピース。長い足には、彼女の父に『ちょっとは大人しくしろ!』と、命じられつつ贈られたものの──令嬢の身体能力が高すぎて、ちっとも枷にならない踵の高いハイヒール。顔はどうしたことか煤で汚れていて、髪は埃をかぶっていた。だが、彼女に気にした様子はない。彼女は風に踊る赤髪を手で押さえながら、王都のそこここに立ち登る黒煙を見て忌々しそうに目を細めている。
その小脇には少年を抱えている。どうやら彼女の家の使用人らしいが、令嬢とは反対に少年は泣きべそをかいて令嬢の腕の中でぶるぶる身を震わせていた。
「お、お、お嬢様ぁぁっ」
「ショーン! 後にしなさい! 泣いてると敵が見えないわよ!」
「て、敵⁉︎ 敵ってなんですか、ぅえぇえええ」
「まったく……。知らないわよ! だけど屋敷が壊れたんだから誰かが攻撃してきたんじゃないの? ええ、ええ、いい度胸よね、当家を攻撃しようなんて──と、思ったけど……どうやらうちが標的だったってわけじゃなさそうねぇ……」
言いながら、令嬢は隙のない雄々しい瞳で町の様子を伺っている。
彼女がよじ登っている瓦礫は、彼女の屋敷の三階部分の一角が崩れ落ちたものである。
この日、彼女は父の部屋に忍びこんでいた。父がいないうちに掃除でもしてやろうと思って──別に隠れる必要はないが、こっそりしたのは、そう。彼女のねじれまくった素直さのカケラもない“パパ愛”のせい。しかしそうしたら。いきなりこのような有様である。
「パパがいない時でよかった……」
半壊した父の私室を見回して、ルーシーは不幸中の幸いとため息をつく。
しかし父の部屋は無惨な様子。壁は崩れ、すっかり空が見えるようになってしまった。そこから外を見回すと、周辺にも同じように、崩壊した家々があることが分かった。
「……なんなの……? 火災のせいじゃないわよね……まるで巨大な大蛇か何かが町をはって町を壊して行ったみたい……」
と、階下の地上から、男の狼狽した声が飛んできた。
「ル、ルーシー様! 危ないです! 早くそこから降りてくださいませ!」
外から不安そうに叫んでいるのは彼女の家の執事。青い顔で彼女を呼んでいるが、彼女はそれには従わなかった。大声で追い払うように怒鳴る。
「お黙り! お前はさっさとお母様と家の者たちを連れて避難しなさい!」
と、言ってから。ルーシーは自分の小脇でべそをかいている少年を思い出した。自分は絶対に避難する気はカケラもないが。この少年は逃さなくてはならない。
「あーもうっ」
令嬢は、不機嫌顔で視線を戻し、瓦礫の向こうの王宮に掛かった黒々とした不可解な影を睨んだ。それから反対側の城下町のほうを一瞥し、ぎりりと奥歯を噛んでから。屋敷の、元は三階であるそこから身を躍らせて、下から見ている使用人たちに息を吞ませた。
しかしルーシーは、ヒールをものともせずに瓦礫の坂を華麗に駆け降りる。もちろん──少年を小脇に抱えたままである。
「ぅ、ひえぇえええっ!」
「お、お、お嬢様⁉︎」
執事も少年も真っ青だったが──ルーシーは平然と地上にたどり着くと執事に少年を預け、「急ぎなさい」と叱咤し彼らを避難させた。そして足早に外に集まっていた家の男衆の元へ向かう。
ルーシーは使用人らの顔を見回すと、キッパリ宣言した。
「──私、今からトワイン家へ向かうわ」
「お嬢様⁉︎」
そう言う令嬢の手に直剣が握られているのを見て、男たちがさらに青ざめる。もちろんその剣は、父の私室から無断で拝借したものである。何せ、父タガートは、彼女の度が過ぎた豪快さを案じ、剣の使用を禁じている。──ただ、彼女は刺繍の教室に通うと偽って、週二で剣術道場に通っているから無駄ではあるが。(ちなみにルーシーは他にも乙女の教養をつけると偽って通う武道の手習いが三つある。ジヴとの結婚が叶わなかった場合に備え、彼の働く王宮図書館の警備職につくつもり)
そんなわけで。恋と身体を張る方向にとんでもなく努力家であるエリノアの義姉は、まるで己が手を振るうかのように剣を操る。将軍譲りの身体能力と豪胆さ、母譲りの苛烈な性格を持ち合わせた彼女を止められるものはそう多くない。悲壮な顔で縋り止めようとする男衆に、ルーシーは噛み付くように怒鳴る。
「うるっさい! ガタガタ抜かすんじゃないわよ! エリノアが家でぴーぴー泣いてたらどうするのよ! あああ心配すぎてイライラしてきた!」
「「「……⁉︎」」」
ルーシーは、柄を握りつぶしそうな剣幕で将軍の剣を握りしめている。彼女がイライラしはじめたら──もうおしまいである。男衆には止めようがない。特に……義妹のこととなると。
男たちは大人しく令嬢から身を引いて、ちょっと青ざめた顔でそこに整列し彼女に服従の意を示した。
ルーシーは彼らに指示を出す。
「義妹たちを回収するから何人かついてきて。あと、誰かすぐにジヴ様の安否を確かめさせて! 分かったわね⁉︎ ああ……ジヴ様……愛しいあなた様を後回しにする私をお許しください! だって義妹はとんでもなくドジだから私が守ってやらなくちゃ……! ……あとの者は周辺住民の避難を急がせて! いいわね⁉︎」
ジヴのいる図書館の方向であろう先に向かって懺悔し──ていたかと思うと猛獣の相となり男たちに吠えるルーシー。そうして駆け出した令嬢を、男たちが慌てて追いかけていく。
──そんな人間たちの様子を……。
瓦礫の影から見ていたのは──魔物の仔マダリン。子猫は懐疑的な顔で、つぶやいた。
「………………あのオンナ、こわい……」
どうしようとマダリン。まるで鬼神のような気迫だったが……あれは……本当に自分が守る必要があるんだろうか。
ちびっ子は心底疑問に思うのだった……。
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