60 ヴォルフガングの選択
「っヴォルフガング!」
苦しそうに身を折る魔将にエリノアが慌てている。魔将の身体からは、黒い煙が上がっていた。いや……上っていると言うよりも……まるで煙がヴォルフガングを鷲掴み、この場から引き剥がし連れて行こうとしているかのようにも見えた。それでもエリノアを抱えたまま苦痛に耐える彼に、テオティルが問う。
「……君、魔王の召集に応じなくていいのですか? それに逆らい続けるのはつらいでしょう」
と、テオティルの平静な顔にヴォルフガングが噛み付く。
「っうるさい!」
ヴォルフガングはテオティルを睨み、さらに怒鳴る。
「ここでこの阿呆を放り出す訳にはいかんだろうが!」
「ヴォルフガング……わ、私自分で歩く! 自分で歩いてブラッドのところに行くから!」
すでに騎士たちが出立し、誰もいなくなった地上に一行は場を移していた。エリノアはみぞおち辺りにまわされた魔将の太い腕を押して必死に脱出を図る……が。押した途端ヴォルフガングが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「貴様……それで押しているつもりなのか⁉︎ ──おい聖剣! なんでこいつを勇者に選んだ⁉︎ 非力にも程がある!」
「無理を言わないでください。あれだけお力を放出なさったあとです。ビギナーな主人様はもう空っぽなのです」
聖剣は困ったように返し、そのやりとりを聞いていたエリノアは泣きたくなった。
不吉な報せを聞いて。一刻も早くブラッドリーのもとに駆けつけたいのだが……如何せん、身体が馬鹿みたいに重かった。原因は聖剣を初めて操作しようとしたこと。慣れない力を使い、さらに連投したせいでごっそり体力が削がれたらしい。素人仕事で力み過ぎ、不必要に力を消耗したということなのだろう……。
抱えてくれるヴォルフガングの腕を外そうとしても、信じられないくらい重かった。自分の足で立つことすらつらく、支えなしで立とうとすると膝が笑った。長く王宮で勤めてきたが、経験したことのない疲れ方である。まるで身体の中にあるものがすべて抜け落ちて空洞になってしまったかのよう。全然力が入らない。
エリノアは焦燥に駆られる。こんな状態で、自分は本当にブラッドリーのもとへ辿り着けるのだろうか。しかし……エリノアは即座にグッと奥歯を噛む。
(だめ! 私がしっかりしなくてどうするの! あの子の唯一の肉親なのよ!)
エリノアは間近で苦痛の息を吐く魔将を見る。ヴォルフガングもつらそうだが、そんな彼を頼りにしなければ、今すぐ家に帰れないエリノアの目も、とてもつらそうだった。もちろん徒歩でも家には帰れるが、それには途方もない時間がかかるだろう。
「ヴォルフ……ごめん、もう一回だけ……転送術、お願いできないかな……? そのあとは私自分でなんとかする! 這ってでも、絶対ブラッドを止めるから! 本当に最後に一回だけ……」
エリノアの声は弱々しい。そのあとで、彼が、グレンのようにブラッドリーの元へ行ってしまっても仕方がないと覚悟していた。もとより彼らは弟の配下。弟をとても慕ってくれていて、その命令に背き続けるということは、精神的にも苦痛であるに違いない。そのあとは、なんとか自力で弟を探すつもりで。エリノアは魔将に懇願する。
泣きそうな顔でお願いと言われ。その硬く握り締められた掌を見て──魔将は……グッと眉間にシワを寄せた。
「……っ信用できるか!」
「ヴォ、ヴォルフ……」
切り捨てるような言葉に、エリノアがそんなと顔を悲壮に歪める。が……
魔将は猛烈な三白眼でエリノアを睨みつけながら、その頬にドスッと指を突く。
「う゛⁉︎」
「貴様の体力なんぞ信用できるか! 這ってでもなどと言っておいて、秒で行き倒れるのが目に見えるわ! 冗談ではない! そのようなことになれば後々、俺様が陛下にお叱りを受けるのだぞ!」
「ぇ、痛、あ……だ、だって……」
不安で押し潰されそうという顔色だったエリノアは、急にキレる魔将に目を白黒させている。
「実力の伴わない根性論など笑止! 貴様は黙って俺様に抱えられていろ!」
「…………」
馬鹿め! と……。ゼイゼイと肩で息をしながら魔将に怒鳴られたエリノアは……
一瞬黙りこみ、まじまじとヴォルフガングを凝視した。それから細く泣きそうな声で「……いいの?」と聞いた。瞳には涙が盛り上がっている。
ブレアの為と思い、やっとの思いで王太子やオリバーを助けたのに、喜びかけたところに弟の不吉な報せ。ホッとしたところに冷や水を浴びせられたような急展開に正直心がついていっていなくて。不安で不安で。でも、これ以上ヴォルフガングを酷使するようなことは可哀想だと思って。
彼を呼ぶのは彼の王で、“勇者”である自分は、本来は彼の敵。けれども。
「……っ」
エリノアは、彼の乱暴だが、共にいてくれるという言葉に途方もなく安堵していて。ありがたくて、泣けてきて。
「……ぁ、ありがとうぅ」
「黙れうるさいさっさと行くぞ!」
濡れた目元を腕でぬぐうエリノアの礼を、ヴォルフガングはキレ気味に流そうとする。が、それは照れ隠しだと──傍で見ていたテオティルには分かった。
聖剣の陶器のような顔がふっと和らぐ。二人とも、必死すぎて忘れているようだが……実はテオティルにも転送術は使える。だから魔王のもとには別にヴォルフガングがいなくても向かえるのだ。……が……
(……まあいいか)
テオティルはそれを黙っておくことにした。なぜならば。このきついことばかりを言う魔将のおかげで、肉親への不安という大きな闇の中にあった主人の心に、深い喜びが湧いたからだった。それはすべての不安を取り払うほどのものではなくとも、小さな灯りとなり主人を支えようとしている。その灯りは魔将に対する彼女の愛情であり、それを頼りに彼女は自身の力を少しずつ回復させることができる。──それを、聖剣は知っていた。
ふむとテオティル。
(……魔物を相手に聖なる力を回復しようとは……本当に、不思議なお方です)
まったくもって奇妙。だが、この奇妙な関係から生まれる情がどう行き着くのか。それを見届けるのも悪くはないと聖剣は思った。
その異様な雰囲気に、エリノアはまず目を瞠る。
「⁉︎ コーネリアさん! こ、れは……」
ヴォルフガングの転送術で自宅に戻ったエリノアが最初に目にしたものは、ブラッドリーの寝室の戸口で不安そうに中を覗きこんでいるコーネリアグレースの姿だった。辺りには何かが燃えたような異臭が漂っている。
ヴォルフガングの腕から降りて、テオティルに支えられながら慌てて駆け寄ると、婦人がハッと振り返る。
「エリノア様⁉︎ よかった! お戻りですか……!」
婦人の瞳に小さな安堵が浮かぶ。しかし、彼女の表情の影は晴れず。その顔を見て、まず真っ先にブラッドリーの安否を尋ねようとしていたエリノアは、不安を覚え、言葉をつぐむ。
まさか、と、足が固まっていた。彼女が不安そうに覗きこんでいた弟の寝室に、昔のように彼が青ざめた顔で横たわっているのではと想像すると……恐ろしくて。コーネリアグレースの身体もヴォルフガングと同じように黒い煙を立ち上らせていたが……エリノアにはそれを気遣ってやれる余裕もなかった。
(……ブラッド!)
次の瞬間彼女はテオティルの腕を振り払い、震える足をもつれさせながら寝室の中へ駆けこんでいた。──と……
「っ……ぇ……?」
途端、エリノアの瞳が再び大きく見開かれる。
そこにあったのは、ぐったり横たわる弟の姿……などではなかった。
ブラッドリーの寝台の上に横たわるのは、大きな大きな卵型の物体。
それは寝台からはみ出そうな大きさで、表面は黒い葉と枝で覆われていた。その周りには霧のようなものが薄く漂っていて、家の中に漂う焦げるような匂いはそこから出ているようだった。
物体の周りを漂う霧は、物体の上方へ集まりそこから天井に向かって筋を作るようにしてサラサラと流れ消えていく、が──
エリノアは気がついた。その度に、物体を覆う葉が一枚一枚萎れていっているのだ。次々と黒く縮んで燃えかすのようになっていく葉は不吉で──まるで、その物体が、“死”に向かっているような気がして──不安を覚えたエリノアが、悲鳴をあげる。
「な、何これ……なんなんですか⁉︎」
とてもとても嫌な予感がした。
明けましておめでとうございます。
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