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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
一章 見習い侍女編
27/365

27 のどかな魔将のバスタイム

 ──同時刻。

 家の側の水場では、男が楽しそうにその大きな犬の背を犬用ブラシで梳いていた。


「おー少し乾いてきた。フカフカしてきたなー」


 邪気なくリードに話しかけられた犬……こと、魔界の武将ヴォルフガングは──壮絶に微妙そうな顔をして耐えていた。……フカフカされるのを耐えていた。


「お前、案外筋肉質だなぁ」

「(……くっ…………)」


 気安い調子で身体を撫でられながら、そう言われたヴォルフガングは心の中で苦悩の声を上げる。

 魔王軍の中でも特に勇猛と恐れられた己が、間抜けにも、大きなタライの中に座らされ、泡だらけにされて。腹毛も尻尾の裏も……足裏の肉球と肉球の隙間までもをピカピカにされた。

 そこまでしてやっと終いかと思えば……ご丁寧に綺麗に爪まで切り揃えられる始末である。

 そして今、ぽかぽか日当たりの良い石段の上で毛を乾かしながら、全身の毛をリードによって整えられているヴォルフガングは思った。


「(……屈、辱……)」


 ヴォルフガングは犬の姿になりはしたが、何もこうがっつりと犬扱いされたいわけではまったくない。


 しかし、そんなヴォルフガングの心中にはまるで気付かずに、リードは鼻歌交じりに魔将の背中をブラシで梳いている。なんとまあ、呑気な男だろうと思った。

 この男は今、己が何を毛づくろいしているのか分かっているのだろうか。

 やれやれ、とヴォルフガングはため息をついた。

 すると、リードの後ろにいたものが、驚いたようにヴォルフガングを指差した。


「にいちゃん犬がため息ついた!」

「ん?」

「…………」


 指された魔物は今度はげっそりとため息をつく。

 するとようやく飽きてくれたと思った子供たちが、再び傍に集まって来て。ヴォルフガングと、傍にいたリードの周りには、あっという間に小さな人垣が出来ていた。


「(う、チビ共め……なんと弱々しい……くそ、苦手だ……)」


 ヴォルフガングの三角の耳がやや後ろへ倒れる。

 この子供たちは、この近隣に住む子供たちだった。

 こんな通りの傍で、近隣住民の人気者、皆の兄ちゃん的存在モンターク家のリードが、この辺りでは珍しい立派な大型犬を洗っているとあって……近所の家からは、彼と親しい住民たちがどんどん、どんどん集まって来た。

 見知らぬ人間たちに囲まれて、毛を洗われ、物珍しそうに次々と頭や毛並みを撫でられていくヴォルフガングは、非常にうんざりしていた。

 いや、大人たちはまだいい。年配のいかにもお節介そうな婦人や、犬好きそうな老爺、リードに気がありそうな若い娘たち──は、まだ分別がある。

 それよりも、ヴォルフガングが大いに戸惑ったのは──

 リードの周りにいる、はち切れんばかりの好奇心で瞳を輝かせた子供たちである。彼等にとっては、泡だらけの巨大犬の存在は猛烈に面白いものだったらしく……ヴォルフガングは先程まで彼等に揉みくちゃにされていたのだった……

 けれども、飽きっぽい子供のこと。暫し嵐のように撫で回されて、気が済んだらしい子供たちは傍で別の遊びに興じ始めていたのだが……

 ヴォルフガングの犬らしくない疲れたため息が、再び彼等の興味を引いてしまったらしい。

 そうして図らずも、再び無垢な興味を復活させてしまったヴォルフガングは、内心で、「うっ」と呻いた。ため息くらいの一体何が面白いのだ、意味分からん、と。


「にーちゃん、にーちゃん、おれも犬にブラシしたい!」

「わたしもやってみたい! 貸して貸して!」

「おれが先!!」


 えー!? ……と、耳の傍で劈くような声を聞かされたヴォルフガングは、心底やめてくれ、と思った。

 子供の相手などしたことがない。何より子供の身体はひ弱そうで……己が僅かでも動けば捻り潰してしまいそうで怖かった。

 しかし、そんなヴォルフガングの願いも虚しく、リードはにっこり笑ってねだってくる子供たちにブラシを渡してしまう。


「はいはい。優しくするんだぞ」

「!?」


 それからヴォルフガングの前にしゃがみこんだリードは、魔物の黒い鼻頭の間近に顔を突き合わせると、もっふりした両頬を手で挟み、言い聞かせた。


「ヴォルフ、大丈夫だぞ、こいつら怖くないからな」

「…………」


「お利口にしてるんだぞ」と、にっこり爽やかに微笑まれた白犬は……げっそりしながらも、その場から動くことはしなかった。

 ──何せヴォルフガングは、先ほど、主ブラッドリーに「リードに逆らうな」と命じられている。激恐ろしげな威圧を添えて……

 ヴォルフガングとしては、無闇に主の意向に逆らうわけにはいかなかった。

 どうにもこの人の良さそうな青年は、主の厚い信頼を得ているらしい。ヴォルフガングは……今度は子供たちにばれない様に、小さく小さくため息を零すのだった。


 そんなふうに魔物を激烈に疲れさせているとも露知らず……子供たちは、リードからブラシを受け取ると、途端にヴォルフガングの周りにわらわらと群がってきた。思い思いに小さな手を伸ばし、柔らかな毛並みを堪能する。毛並みを掴まれたり引っ張られたり……ヴォルフガングのこめかみがピクピクと動いた、が……


「(う、陛下陛下陛下……陛、下……ブラッドリー陛下っ)」


 何かの呪文のように、延々と敬愛する主人のことを考えて。彼はひたすら耐え忍ぶ。

 そんな──子供たちに抱きつかれても、尻尾を引っ張られても。ひたすら岩のように耐えているヴォルフガングを見たリードは、「随分と我慢強い犬だなぁ」と密かに感心していた。

 この犬ならブラッドリーの傍にいても大丈夫かな、とリードは思った。


 と、不意に、地蔵のように動かないヴォルフガングをいいことに、子供の一人がその大きな背中によじ登り始めた。毛並みを掴んで引っ張るもので、さすがのヴォルフガングもぐらぐらと身体を傾かせている。


「(お、おのれ、人間の子め……我が背に跨ろうとは……!! 陛下に向ける我が忠心を試しているのか……!?)」(違う)


 思わず唸り声をあげそうになった時、「おっと」と、リードがヴォルフガングの背の上から子供を抱き上げた。


「おいおい……お前たち、あんまり無茶するな。ヴォルフが困ってるぞ」

「えー? だって、ぜんぜん吠えないよ?」

「でもだめ」


 リードはにっこり笑って、その男の子を肩に担ぎ、さりげなくヴォルフガングの頭をそっと撫でた。


「…………」

「ほら、代わりに俺が少し遊んでやるから。な?」


 肩車された子供は、きゃっきゃっと声をあげてはしゃぐ。それを見た別の子供たちが、我も我もとこぞってリードの足元に集まって、ヴォルフガングはやっと解放されてほっと安堵する。


「(助かった……これでやっと陛下のお傍に行ける……)」


 ヴォルフガングはこの時初めて少しだけ、リードに感謝した。

 ちらりと様子を窺うと、青年は子供たちを相手に楽しそうに遊び始め、「親父にサボってるって怒られるなー」と、笑い声を上げている。

 今が好機とヴォルフガングはその隙に、賑やかな人々の輪をこっそりと離れていく。と──


 慎重に数歩歩いたところで、ヴォルフガングの足がギクリと止まる。


「っ!?」


 瞬間的に、ゾッとするような重い気配が空気の中に混じって行った。


「(……これは……)」


 強烈な、闇の気配だった。

 ヴォルフガングの魔物の目を通すと、周りの景色に赤黒い煙のようなものがはっきりと見えた。

 周囲では──それが目に見えないらしい人々も、それでも何かを感じるらしく……手をこすり合わせたり、腕をこすったりと……悪寒に身を震わせている。


「あれ……? 急に気温が下がったな……」

「にいちゃん寒い……」


 子供がそう訴えると、リードは彼を肩から降ろし、子供たちに早く家に帰るように促した。


「どうしたんだ、これは……」


 季節に見合わぬ寒さに、リードは怪訝そうに周囲を見回している。けれども、そのヴォルフガングには、その原因がすぐに分かった。 


「(……っ、陛下か!)」


 視線を気配の根本に走らせると、それは、やはりエリノアと彼の主人の家であった。

 ヴォルフガングは脚に力を込めて地を蹴った。


「ヴォルフ!?」


 背後で青年の声がしたが……ヴォルフガングは振り返ることもなく、主人の元へと急ぐのだった……







──私は……一体何をしましたか…………


 真っ白な頭の中で、エリノアは懸命に思い出そうとしていた。


 彼女がずっと行動を共にしていた男は、魔物グレンの悪ふざけの変化などではなく……本物の、ブレア王子だった──……

 と、知らされたエリノアは、己の所業を思い出そうとしたわけだ。

 なんだか非常に不味い事をたくさんしてしまったような気がして……

 だが、焦れば焦るだけ頭の中は混乱した。それともただ単に、思い出すのが怖いのか──

 ただ……断片的に、“窓からの逃走の強要”とか……“膝枕”とか……“猫になれ”と言った事などを思い出し──


「……意味が分からないっ!!」


 エリノアは、己の行動に突っ込み、ついに呻きながら頭を抱えて床に崩れ落ちた。


「うぅ……し、死にたい……いや、処刑される処刑される処刑されてしまう……王子の腹毛に埋まりたいって……変態かっ!!」

「姉さん!」


 ぁあああっ、と、床に沈んだ姉に、ブラッドリーが慌てて駆け寄ってその肩を抱く。

 しかし、姉からの反応は鈍く、その顔色は今にも爆発しそうに赤い。


「姉さん顔色が……大丈夫!?」

「後悔です……後悔と懺悔の赤色です……」


 今にも気が遠くなりそうだと言わんばかりの表情を見たブラッドリーは──険しい顔で金の髪の青年を睨む。

 

「……姉さんに、何をした……」


 その双眸の暗さには、娘の様子に幾らか罪悪感を覚え、駆け寄ろうとしていたブレアも思わず足を止める。


「何をしたんだ!!」


 瞬間、逆巻く風がブレアに向かって叩きつけられた。


「!?」


 ブレアはその風圧を腕で防いだが、身体には無数の傷が走った。赤い液体が床に散って、その鮮明さにエリノアがハッと我に帰る。


「ブラッド!? やめなさい!! 駄目よそんなことしちゃ!!」

「……っ」

「ひぃいブレア様!」


 王子の腕から滴る鮮血を見て、彼に駆け寄ろうとする姉の姿に、ブラッドリーは鋭く配下の名を呼んだ。


「グレン!」

「はいはいはーい、ただ今~」

「っ!?」


 呼ばれた黒猫はエリノアの前に躍り出ると、するりと変化を解いて。進路を塞がれたエリノアが瞬きする間に、グレンは黒いしなやかな豹の身体に戻っていた。

 そして、青い瞳の黒豹は、エリノアの身体を軽々と抱き上げる。


「さ、姉上……ここは危ないですからね」


 にっこり微笑まれて、エリノアが目を丸くする。


「あ、んた!! こら離せ!! ブラッド!」

「あいたたた……姉上乱暴……もー大人しくして下さいよぉー」


 怒ったエリノアに、少し丸みのあるネコ科特有の耳を引っ張られたグレンが薄笑いで抗議の声を上げている。が、エリノアはそれをまるっと無視した。

 抜け出そうと足掻くも……しかし、短い毛に覆われた黒いグレンの肢体は、しなやかな見た目に反してかなり力が強かった。

 ブラッドリーは、グレンに捕らえられたエリノアを一瞬だけ見ると、姉から視線を外しブレアを睨みつける。


「姉さんはそこで大人しくしてて。僕は、こいつに事情を聴かなきゃならない」

「ひっ」


 王子を“こいつ”呼ばわりしている弟に、エリノアが青ざめて悲鳴をあげる。

 が、ブレアを見るブラッドリーの緑色の瞳は、徐々に刺々しさを増していって。その敵意には、姉であるエリノアですら怯ませるものがあった。

 そして睨まれている当人ブレアは──その灰褐色の瞳でブラッドリーを注意深く見定めようとしていた。

 ブレアから見ても、青年の様子は尋常のものとは思えなかった。呪文も唱えず行使された先ほどの力が一体何なのか、今、己が対峙する者が何者なのかということを探らんと……男はじっと姉弟のやり取りを聞いている。


 そんな対峙する二人を見て、グレンがまたもや愉悦を含んだ声を出す。


「よしよし……いい具合に陛下の怒りが膨らんでますねぇ」

「呑気!! ブラッドが不敬罪に処されたらどうしてくれるの!?」


 このままでは不味い。非常に不味かった。自分が言うのもなんだが、ブレアは王族であり、一般庶民に無礼が許される相手ではない。

 おまけに弟が“魔王”だなんてことがブレアにバレてしまったら、話はよりややこしい事になってしまう。

 焦ったエリノアは……一瞬奥歯を噛んで。それから意を決して、己を拘束するグレンの腕に──思い切り、噛み付いた。


「! ……おや」


 が……しかし。

 決死の覚悟で噛み付いたというのに……

 黒豹はにやりと腕の中のエリノアを見下ろすと、その耳もとにふわりと息を吹きかける。


「姉上……私……マゾッけありますよ……うふふ」


 …………全然駄目だった。


「……くっ」


 こんな状況下でなんだが、エリノアは壮絶にムカついてしまった。 

 しかしグレンはエリノアの焦りや腹立たしさも意に介せず。飄々と笑う。


「だいたい何言ってるんですか? この場には陛下より高貴なお方はおりません。見て下さい、あの美しい魔力を。もうすぐ再び魔界への道が開きますよ」

「はぁ!?」


 グレンが指差す方を慌ててエリノアが見ると、ブラッドリーの足元だけが不自然に暗い。それは明らかにただの影ではなかった。

 影は、油を流された水面のように毒々しく照り光り、そこから赤黒い煙のようなものがじわじわと流れ出る。

 それを見てグレンはうきうき声を弾ませる。


「さぁて、誰が来るかなぁ~♪ 今度は私なんかよりもっと屈強で邪悪な配下が来るといいですねぇ、姉上」

「じゃ!? ば、ばか!! やめさせてよ!」


 グレンの言葉にエリノアが暴れる。こんな性悪猫より邪悪なものが現れたりしたら手に負えないと思った。

 が──楽しそうな黒豹は取り合わず、腕の力も少しも揺るまなかった。


「──っ、っ! ブラッド!!」


 堪らずエリノアが叫んだ時──


 黒煙から、闇色の塊が二つ──飛び出してきた。





ヴォルフガングが弟を好きすぎる…


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