53 彼女の不在
「……かーさま……なにやってるの?」
「あら! おかえりマリー」
幼い声が呼びかけると、コーネリアグレースが顔を上げた。化けた人顔で娘ににっこり笑いかけ、愛用の金棒をブンッと回し肩に担ぐ。……地面に積み上げられ山となった男たちを踏みつけたまま。
「陛下はどうしていらっしゃった? 問題はなさそう?」
「うん……まあ……」
男たちを横目に見ながらマリーは建物の上から降りてくる。壁の凹凸を器用に伝って降りてきて、そのまま母の身体にぽんっと跳び乗った。そして毛もじゃのチビ猫は、微妙そうな顔で母のヒールの下に敷かれた男たちにちょっとだけ同情する。
(…………おもそう……)
でも賢い魔物っ子マリーはそれを口には出さなかった。
「(かーさまに、めかたのはなしはようちゅうい)……へいか、あそんでないで、ちゃんとやれっておっしゃってた」
「あら! ほほほさすが陛下。あたくしのこと、なぁんでもお見通しなのね。……でも困ったわ……まだマールたちがこの者たちの仲間をどこかで弄んでるはずなのだけど……」
コーネリアグレースは娘たちの気配を読むように町に目を向ける。マリーもそれに倣ったが……どうやら姉妹たちはまだ市中でチョロチョロ駆け回っているようす。コーネリアグレースは諦めたような顔で言った。
「久々の狩りだから帰ってきやしない……仕方ないわ、もうこちらはこちらで尋問をはじめましょうか」
コーネリアグレースは、娘を肩に乗せたまま、男たちの山からひらりと降りる。と、その山から頭目らしい一人を引っ張り出し、片手で軽々と持ち上げる。その男の顔をマリーはチラリと見た。男はどうやら生きているようだが、意識はない。青白い顔でぐったりしている男の襟首を掴み、母は自分の鼻先近くまで引き上げて、冴え冴えとした魔眼を向けた。爛々と光る青い瞳に刺されると、失神しているはずの男が悪夢にうなされるように苦しみ出す。男は不明瞭な言葉で何かに向かって助けを乞いはじめ、コーネリアグレースはそんな男に向かって耳打ちする。
「ぅ、ぅうう……た、助けてくれ……やめてくれ!」
「ふふ……苦しい? その悪夢から逃れたかったら大人しくおっしゃい。お前たちは何者で、どんな目的があって付け火などしたのかしら?」
弄ぶような声音だった。
すると、瞳を閉じたままの男が抗うように苦しげにわめく。
「あああっ! 俺たちはただ命じられただけだ! お願いだ! 苦しい助けてくれ!」
身体をくねらせて悶え苦しむさまを見て、男が術中にはまったことを確信し、コーネリアグレースは口の端を持ち上げる。残忍で、わざとらしい顔をした婦人はなおも大袈裟な調子で甘く囁く。
「あらあら……随分悪い奴がいること。あなたたちはきっとその悪党どもの命令に従わざるを得なかったのねぇかわいそうに……その卑怯な輩の名前が知りたいわ、教えてちょうだい、それはだぁれ?」
コーネリアグレースに耳元で囁かれると、男はぶるぶると震えながら、うめくようにその名を口走った。
「ク──……クラ、ウス、王子……ビク、トリア、妃…………」
「……クラウス?」
それを聞いた瞬間、男の襟首を掴んだコーネリアグレースの眉間にシワがよった。婦人の顔からは笑いが消え、訝しげにグッと眉が持ち上がった。そんな母にマリーが問う。
「……クラウス? ビクトリア……? だれ?」
「…………」
不思議そうな娘の頭を手のひらでひと撫でして。コーネリアグレースは、何かを考えるような顔をした。
「……これは……参ったわね……ことによってはまた陛下がお荒れになるわ……」
クラウスとビクトリアといえば、その昔、ブラッドリーとエリノアの父を死に追いやった張本人たちである。その配下たちが、この時期に城下で暗躍しているとなると、これはまたかなりきな臭い。コーネリアグレースはとても嫌な予感を覚えた。
表情を硬くした婦人は、無言で苦しむ男を睨む。と、同時にその襟を握りしめていた婦人の手が大きな異形の手へと変化した。黒々とした毛に覆われ鋭い爪のついた手は、男の襟を離すと今度はその首を鷲づかむ。
「──言いなさい、目的は?」
目を据わらせながら問い、ゆっくり異形の手に力をこめていく。
「ぐ、ぁ……っ、」
すると男は一層苦しそうに呻きはじめたが、だが、今度の彼女は甘い笑みも余裕も見せない。ただ冷酷な表情で男に苦しみを与えていく。
「さっさと吐いたほうが身のためよ」
「……かーさま、あんまりしめるとこたえられないわ」
マリーが無表情でつぶやくと、少しだけ母の手が緩む。その隙間でやっと呼吸を通すことができた男がぜいぜいと荒く喘ぎながら──大きく叫んだ。
「エリノアッ、トワイン!」
「!」
「エリノア・トワインをっ、連れてこいとの命令だ!」
その発言を聞いた途端、コーネリアグレースの姿が元に戻り、毛が総毛立った。瞳に殺気が踊り、獣の口が笑うように裂ける。
「……なんですって? あらあらあら……随分度胸のいい人間がいるかと思ったら、ただの愚か者だったようね……お前の主人たちはその方の価値も知らず、いったい何をしようって言うの?」
コーネリアグレースに持ち上げられた男は、もはや口から泡を吹きながら、息も絶え絶えに彼女の尋ねに応じる。
「ぅ、ぐ……で、殿下は……ブレア王子の追及を逃れるべく……あの方のもっとも警戒しないものを使って……。娘を脅し、兄王子の暗殺を……」
「…………」
そこまでを聞き出したコーネリアグレースは、敵の考えのすべて悟った。
次の瞬間、婦人の手がもう不要というように、まるでボロ布でも放り出すように男を投げ捨てる。放り出された男は路地の壁に当たってそのまま地面に転がった。男の苦悶に歪んでいた顔は、コーネリアグレースの悪夢から解放され落ち着きを取り戻したが、身体はもうピクリとも動かなくなった。
そんな男の様子など気にもかけず、女豹婦人は目を細めて王宮の方向を睨む。
「はぁん、なるほどねぇ……つまり……こいつらの主人は、痴情のもつれか何かにでも見せかけてエリノア様にブレアを暗殺させるつもりということね。……良い手じゃない」
ふっと婦人は笑い、それから弾けるように嘲笑を高く響かせて天を見上げた。そんな母をマリーが不思議そうに見ている。
「かーさま?」
「おおマリー、人間は怖いわねぇ。こいつらは、エリノア様を使い捨てのコマにする気だったんですって。……多分、ブラッドリー様を使って……ふふ、愚かだこと」
母の言葉を聞いてマリーがグッと不快そうな顔になる。
「まおうさまを?」
そんな娘を宥めるように撫でながら、コーネリアグレースは男たちを振り返って鼻で笑う。
「ええおそらくそうよ。人間が考えそうな手だわ。エリノア様を思い通りに動かすにはそれほど楽で確実な方法はないものねぇ……ふん、まあ表向きはね……」
コーネリアグレースは、やれやれという顔で彼らの愚かさを嘲笑う。
世間的に見れば、ブラッドリーとエリノアはただの町民の姉弟で。病弱な弟と、それを健気に守る姉であった。王族たちが調べようと思えば、ブラッドリーの病歴などもたやすくわかるに違いない。没落し、親もなく、弟を守りながら生きる娘を、邪魔な兄が見染めた。──彼らから見れば、エリノアは格好の駒と映るに違いない。だが、
コーネリアグレースは少しだけ憐れみを覗かせる。
「馬鹿ね、あの方たちの正体も知らず……。それは天にも見放されかねない一番恐ろしい手段だわ……ふふ、その滑稽さにはグッとくるわね……」
コーネリアグレースが心底愉快そうに肩を揺すると、その上に乗っていた娘は、どうするの? と首を傾ける。
「ゆうしゃ、いま、ここにいないけど……」
娘の問いに、コーネリアグレースは考えるまでもないと肩をすくめた。
「ま、後処理だけはあたくしたちがしておきましょう」
この者たちの目的のエリノアは、マリーが言う通り今この王都にはいないのだから。もとより接触しようがない。──本物のエリノアには。
……この時、コーネリアグレースはまだ知らなかった。
彼女たちの君主が、その“エリノア”に化けているなどということは……。だから、これならば問題はないと判断してしまった婦人は、軽い調子で言う。
「さて、ではこいつらをどこかに捨ててきましょうか」
「? いのちは? たべない?」
娘がキョトンと言うと、婦人は肩をすくめる。
「いらないわ。不味そうだし、憐れすぎて痛めつける気も起きないもの」
やれやれ──と、堂々とのたまう母の言葉に。マリーは男たちのコテンパンにやられたぼこぼこ具合を見て沈黙した。
「……」
「まあそれに、どうせこいつらが動かされているのは、今エリノア様たちが動いている一件絡みでしょう……エリノア様たちが王太子とやらを連れ帰り、こいつらの主人の罪が明らかになればことは終わるわ」
まったく人騒がせよねぇとこぼしながら、婦人は金棒を振って男たちをどこかへ転送してしまった。それから、ああそうだわともう一度金棒を振る。
「マール! マダリン! 帰ってらっしゃい!」
婦人が呼ぶと、上空に一瞬魔法陣が現れて、そこからふたつの黒い毛玉が落ちてくる。それらはポコポコと彼女の肩の上にへばりついて、キョトンとした顔で、同じく母の肩の上に乗っていたマリーを見つめた。
「おかえり、ふたりとも」
「え、マリー? かーさま?」
「えー! もう! いまいいところだったのにぃ!」
獲物が逃げちゃったじゃないかと憤慨するマダリンは、自分たちを強制的に転送した母に文句を言う。コーネリアグレースは面倒くさそうだ。
「あーはいはい、もういいのよ。遊びはおしまいです。雑魚は放っておきなさい」
まだまだ遊ぶ気満々な娘に婦人はため息をついた。それよりも、早く王の元へ帰ろうと言う彼女に、キョトンとしていたままだったマールが上目遣いに言う。
「えー……でも、あたし、あいつこわがらせようとおもって……」
「ん?」
聞けば、マールは賊の一人を森の中で一番高い木の上に置いてきたという。あのままだと落ちて死ぬかもという娘に、コーネリアグレースは「はぁぁ!?」と、眉を持ち上げて、爆風のようなため息をついた。
「駄目じゃない……! 死者まで出したら……絶対にあとでエリノア様が怒るわ!」
──それすなわち、ブラッドリーの不興を買うことである。
ヒィッと、コーネリアグレース。げっっっそり娘に問う。
「……ど、どこ? どこに置いてきたの!?」
仕方ないから賊を降ろしに行こうと言う母に、マールはぽやっとして頼りない。
「? わすれちゃった」
「な、なんですって……」
がっくりと項垂れるコーネリアグレース。──しかし、そのままにもしておけない。トワイン家の主人エリノアは、以前いきなり自宅に現れた正体不明の魔物をも、傷つけてはならぬと、あの溺愛する弟すら引っ叩いて怒ったらしい。
「エリノア様なら……相手が放火犯でも、悪の親玉でも怒りそうよね……はぁ……」
つまり……彼女たちは今から森へ行ってその男を探し出さねばならぬということだ。
「……どうしてよりによって木の上になんか置いてきたの!? ……はぁぁ……まったく面倒な……!」
コーネリアグレースはげっそりした顔で大きくため息をついて。再び転送魔法を発動すべく、やけくそ気味に金棒を振るのだった……。
お読みいただきありがとうございます。
人間の賊には遠慮のないコーネリアも、魔王の溺愛的加護を得るエリノアには弱い様子。




