閑話 酔っ払いたちの女子会③
「………………」
この状況はなんだ。
ブレアは、つい食い入るように己の膝の上でケタケタ笑っている娘の後頭部を見た。
黒髪の頭はゆらゆらと左右に動き、実に危なっかしい。思わず、地蔵のように固まって、ブレアは考える。……エリノアを膝に乗せたまま。
状況を説明すると、ブレアはたった今、私室で読書を終えたところだった。
腰を据えていた長椅子を立ち、読み終わった書物を棚の所定の位置に収め──……振り返ったらそこにエリノアがいた。
当然、ブレアは驚いた。だが、彼の部屋付き侍女を務めているエリノアがここにいること自体はおかしくはない。ただ──入室を知らせるノックが聞こえなかった気がしたが──。
しかしまあ、これもまだ彼には心当たりがあった。
彼女は結構なうっかり者。「さてはまた忘れたのだな……」としか思わず、当然のように不問にしようとする彼は、すっかりエリノアの勤務態度に対して甘くなってしまっている。好きになってしまえば失敗すら可愛く感じられるもの。これくらいのミスならば、まあ……わざわざ問題にするほどのことでもなかった。
だが、解せないことは他にもある。
どうにもエリノアの様子がおかしい。
まずエリノアは私服。いつものメイド服ではなく、王宮への行き帰りで身につけているようなこざっぱりした服でもなく。白に水色のストライプのゆったりしたワンピースは家着のようにも見える。髪は下ろされて、昼間にずっと編んでいた髪は形がつき緩やかに波打っている。それは、ブレアの個人的には好ましさを感じるが、とても……侍女が王子の前に出てくることが許されるような格好ではなかった。
そして私服に身を包んだエリノアは、先ほどまでブレアが座っていた長椅子の端に座り、少し背をまるめて両手で杯を持っている。頬はほんのり赤く、表情が緩みまくっていた。少し近づくと果実酒のような香り。ブレアはまたもや驚いた。
(……酔っている……のか……?)
驚いたブレアがマジマジと見つめても、エリノアはどこか眠そうなとろんとした眼差しで一人にやけている。どうやら本当に酔っ払っているらしいと察し、ブレアは唖然とした。
本来ならば、飲酒した状態で王宮に上がるなどあるまじき行為である。が──うっかりしているとはいえ、エリノアはとても真面目な侍女で。らしくないなとブレアは首を捻る。
例えば……広い王城内でも、侍女たちの住まいである居所でならば彼女たちも酒盛りが可能だろう。もしかしたら、今日はそこにエリノアも誘われたのかもしれない。──だが、まさかそこから、酔っ払ってうっかりブレアの部屋に迷いこんだわけでもあるまい。出入り口には門番がおり、廊下には衛兵がいる。
(では、いったいなぜ……?)
不思議に思ってよくよく見ると、エリノアの佇まいからはおかしな印象を受けることに気がついた。緊張感もなくブレアの長椅子にちょこんと座った姿は、何やら……誰かにどこぞから連れてこられて、そのままそこに置かれました……という風情。(※正解)
もしやとブレア。
どこかで誰かと飲んでいた酩酊状態のエリノアを、誰か──こういう時たいてい悪者にされるのは日頃の行いの悪いオリバーなのだが──が、面白がってそのままここに連れてきたのだろうか。
あの男はどうやらブレアのエリノアに対する気持ちを察しているらしいからありえない話ではない。ブレアの母である王妃にも、色々影でせっつかれていると聞く。
グレンというどうしようもなく悪戯好きな魔物の存在など知るよしもないブレアは、そのようなことでもなければ……こんな状態のエリノアが、自らここにやってくる訳がないと思った。ただでさえ普段からよく転ぶような彼女が、ふらついた足で王宮の警備を突破してこられる訳がないのだ。──もちろん……もしあの『ブレアの初恋尊し』と騒ぎたて、どうにかお膳立てしたいとうずうずしている騎士たちが企んだのであれば……話は別だ。
「まったくあいつらは……」
ブレアは赤らんだ顔で苦々しくつぶやく。
彼はこの珍事を、オリバーかトマス・ケルル、もしくは時々真面目すぎて突拍子もないことをするソルの仕業だろうと結論付けた。思わずため息がこぼれる。
しかし、そうこうしているうちに──事はおかしな方向に転がってしまう。
ブレアはエリノアをどう家に帰すべきか頭を悩ませて──下手をすれば、彼女は『酔ったまま私服で王子の私室に侵入した』と他の侍女たちに誤解を受けるかもしれず、それはあまりに可哀想だと思い──なるべく穏便に帰宅させるべく方法を考えていたのだが。
ブレアが考えていると、唐突にエリノアが『いやだぁ!』などと叫び出した。
ブレアは焦ってエリノアを落ち着かせようと思ったのだが──酔っ払ったエリノアは、ブレアには意味の分からない発言を繰り返し。しまいにはぐいぐいと彼に迫って来た。赤い顔のエリノアに無遠慮に向かってこられると、動揺が先にたち、ブレアもうまく彼女をあしらえなかった。そうこうしているうちに……何故かエリノアはブレアの膝の上へ。
「……、……、…………」
ブレアは、対応に困った。いや、嫌なわけではない。が──
「えへ」
「ぅ……」
エリノアが膝の上で少しでも身動きするだけで、ブレアの思考はストップした。冷静さが羞恥の熱にみるみる溶かされて消えていく……。膝の上には、エリノアの太もも。ブレアは心の中で頭を抱えた。
(──やめろ、考えるな……)
不器用な彼は自分を律するので精一杯だった。気恥ずかしいことこの上なく、苦悩と悶絶が同時にやっくる。とてもではないがうまく頭が回らなかった。
とりあえず……赤らんだ顔のエリノアはひどく可愛かった。
「ぐ……」
己のそんな思考が吐血ものに恥ずかしく、ブレアは見事にダメージを受けている。




