閑話 酔っ払いたちの女子会①
その日、土産を持ってトワイン家にやってきたルーシーはいやにご機嫌で。
どうやら例の“愛しのジヴ様”と何かいいことがあった模様。そんな義理の姉が心底嬉しそうなものだから、エリノアも、まあ飲んでよと勧められた杯をついついぐいっと空けてしまった訳だ。
そこで当然エリノアも、そのルーシーが持参した瓶の中身が酒であったことに気がついた。……が、まあ、この国ではエリノアはもう飲酒ができる歳だ。明日は仕事ではないし、たまにはいいかと。幸せそうに語るルーシーの話にうっとり耳を傾けていた……。
「……でね、ジヴ様ったらとても紳士なの! それに……『君はとても可愛らしい人ですね』……て!」
言って、ルーシーは堪らないというふうに黄色い悲鳴を上げて。聞いていたエリノアも身体がこそばゆくなり笑う。
「笑顔が♡ 笑顔が素敵すぎるのよジヴ様は♡」
「ほぁ……よかったですねぇ……ルーヒーねへさんいいなぁ」
杯を両手で持ち上げたエリノアが、ニヨニヨ微笑みながら羨ましそうに言う。顔は額まで真っ赤。瞳もどこかとろんとして呂律も怪しい。向かい側に座るルーシーもすでにほろ酔いだ。
エリノアは、くぅっと言った。
「あたひ(私)も! あたひも好きな人に『可愛い』って言われたいれす!」
「そうよね、そうよねぇ! 最近はパパもそんなふうには言ってくれないし」
「や、ねへさん……そりは、ねへさんがタガートのお義父様にあたりが強いからで……」
エリノアがケラケラとツッコむと、ルーシーが「だぁって!」と、力一杯手に持っている杯をテーブルに叩きつける。杯からは赤紫の液体が散ったが、そんなことを気にするものは今このテーブルには着いていない。
ルーシーはムスッとした赤ら顔でプリプリ怒っている。
「パパは暇さえあればブレア様! ブレア様! て、うるさいんだもの! ヒゲのくせに! あたしを差し置いて何が王子よ! あたし……あたしのほうがパパのヒゲが好きなのよ!? パパの浮気もの!」
怒ると余計酒が進むのか、ルーシーはぐいぐい杯を空にしていく。
「……もぉぉ……ねへさんったらヤキモチ焼きなんだからぁ……」
あはははは! ──と……
そんな陽気な二人の様子に──
それを外野から見ていたトワイン家の面々は、困惑したように顔を見合わせている。
「……」
「あらあら……エリノア様ったらすっかり酔っ払ってますわねぇ(面白いわー)。──あ、ダメダメ、聖剣坊っちゃん、良い子は今あっちへ行ってはいけません」
「?」
何も分かっていなさそうな顔でエリノアの傍へ行こうとする聖剣テオティルをコーネリアグレースが止めた。
今、彼の主人エリノアは、明らかに酔っている。あの調子で万が一聖剣など振り回されてはたまらない。
と、婦人の隣に座っていた犬姿のヴォルフガングが、きゃあきゃあと騒ぐエリノアたちを忌々しそうに見ながらブラッドリーへ尋ねる。
「……陛下、お耳障りでしたらあの騒々しい者どもを私が今すぐ黙らせて来ましょうか? まったく……もう陛下がお休みになる時間だと言うのに……!」
「……」
と、黙りこむ主君に代わり、足元の黒猫が駄目駄目と声を上げる。
「やめときなよぉ、ヴォルフガング。あの酔っ払い二人に勝てるわけないよ、あれ絶対強いから! もし犬の姿で捕まえられたら、モフられまくりで大変なことになるに決まってる! あはは! せっかく陽気にやってるんだからさぁ。ま、遠くから姉上の痴態でも見学してるほうがいいって♪ ね、陛下♡」
「お前な……」
愉快そうに言ってブラッドリーの足にスリスリと擦り寄る仲間をヴォルフガングが睨む、が……
その時それまで黙って微妙そうに姉たちを見ていたブラッドリーが、スッと手を上げる。
「……そうだな……放っておこう」
「え……しかし……」
「いや、グレンの言うことにも一理ある。姉さんがせっかく楽しそうなんだから邪魔したくない」
毎日王宮勤めで一生懸命な姉だ。たまにはこうして羽目を外させ、心身ともにリラックスさせてやりたい。魔物や聖剣が家に押しかけてきて生活にも大いに変化があった。きっとストレスも溜まっているに違いないのだ。
それにとブラッドリー。場所が自宅で飲み相手がルーシーならば、弟としてもなんの心配もない。するとコーネリアグレースも同調して頷く。
「ま、そうですわね。あのキャピキャピした女子会を邪魔するなんてちょっと野暮ですわよ。彼女たちは放っておいて、陛下はもうお休みになって? 明日もモンターク商店でお仕事でしょう? ささ、早くお支度しましょ」
「え、でも姉さんたちの様子も見ておかないと……ルーシーも泊まっていくみたいだし……」
ブラッドリーが気がかりそうに言うと、女豹婦人は、はいはいと頷く。
「それは陛下のお手伝いをしたあとにあたくしがやっておきますから、ささ、お早く」
女豹婦人はそう言うと、ブラッドリーの背中を押してそそくさと寝室のほうへ。ヴォルフガングも慌ててその後に続く。
が──……
ここでブラッドリーはミスを犯した。いや、実はブラッドリー、魔王時代は相当酒に強かった。おまけに魔王の前で酩酊して騒ぐような猛者もおらず──ゆえに、酒に酔い潰れた経験もなく、酩酊した人間がどうなるかも知識はあるものの、実はよく分かっていなかった。だからまさか、エリノアとルーシーがそこまで前後不覚になるとは思っておらず、それによって何かが起こるなどとは思いもよらず──……
しかし、彼は釘を刺しておくべきだった。
彼らの背を見送って──ニンマリ笑う、その気まぐれ猫に。
「…………えへ……」
黒猫は、寝室のほうへ行く主君たちを見送ると、居間の中で盛り上がっている娘たちを振り返る。
弓形の目元と口元が、なんとも言えず不穏であった……。
──ルーシーに勧められるままに三杯目の杯を飲み干したエリノア。
ルーシーが持って来た酒は、果実の味がして甘く飲みやすくて。うっかり飲み過ぎたのか、だんだんとエリノアの思考はぼんやりしていく。楽しいと眠いがいっぺんに襲ってくるような、そんな奇妙な感覚だった。一瞬寝落ちしてしまいそうになったが──その頭が急に上がり、娘は叫ぶ。
「あ──っ! いいなぁルーヒーねへさん! あたひも、あたひも素敵な恋がしたひ!」
エリノアは願望を絞り出すように言うが──答える声が消えている。見ればルーシーは、いつの間にやらエリノアの目の前でテーブルに突っ伏し、すよすよと寝息を立てていた。どうやら──彼女もさほど酒に強くはなかったらしい……。
しかしエリノアはルーシーの脱落にも気がつかず、何を妄想しているのか、空になった杯を両手で握りしめたまま、真っ赤な顔でニヨニヨ笑う。
「うふふ、えへ、そうですねぇ、どうせならお相手は──」
と、そんなエリノアのぼんやりした脳裏に、金の髪の青年が思い浮かぶ。
(……そうだなぁ……どうせなら……)
「ブレアさぁ……」
ぼんやりと夢心地の想像をしながら、エリノアはにやけてうっとり目を閉じる。
──この時一瞬周囲が暗転したのだが──……酒に酔っているエリノアは気がつかなかった。けれども周囲はすぐに明るさを取り戻して。
一人にやけていたエリノアは、己の妄想が次第に恥ずかしくなってきたのか真っ赤になって「いやダァ!」と、叫んだ。──と。
そんな娘の気恥ずかしそうな叫び声に、彼女の傍でビクッと肩を揺らした者があった。が、それがルーシーだと思ったらしいエリノアは、照れ臭そうにぶんぶんと片手を振っている。
「もうルーヒーねぇさんったらぁ! 何を言わせるんですかぁ!」
「………………」
「ダメダメ、あんな立派なお方があたひなんか相手になさるわけがないでしょ! うふふ……あれ? お酒、もうからっぽだ……」
空いた杯に気がついたエリノアが寂しそうな顔をする。
と、それがスッと取り上げられて。酩酊状態のエリノアは杯を持つ人物を不満そうに見上げた。
「あえ? ……ルー……ひっく姉さんったら……あたひのお酒まで飲みたくなったったの?」
「……エリノア」
「あはははは、ねへさんその低い声どうしたのぉ!?」
美声! と……謎に笑い出すエリノア。
杯を持った人物は──困り果てたような顔をしている。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと短い話を考えていたのですが、コンセプトがずれてしまい…しかしボツったものの書くのが楽しくなって来たので閑話として公開させていただきます。
時系列としてはエリノアが舞踏会に出た後、聖剣を得たくらいの頃のお話になろうかと思います。
本編の箸休めとしてでも楽しんでいただければうれしいです。




