44 テオはテオ
──地上では、そこここから怒号が上がっていた。
エリノアが──彼らを見下ろす城壁の歩廊の上へやってきて、目の前の胸壁へ飛びつくようにして下を覗いた時。まず目に入ったのは──負傷した仲間を体当たりで庇った男が、剣で敵の剣を受けている場面だった。
(! 騎士オリバー!)
これまで散々顔を突き合わせいがみ合ってきたのも伊達ではなかったようだ。オリバーは覆面をしていたが、すぐに分かった。
(──あっ!)
エリノアは、心の中で悲鳴を上げて歩廊の上から身を乗り出した。
敵兵とつば迫り合いをしていたオリバーの隙をつき、横から別の敵兵がオリバーに向かって剣を突き出した。騎士はそれを間一髪、腹にかすめるようにして避けて。地面に転がり、敵兵から少し距離をおいた場所で身を起こした。片膝を地に突いて──脇腹を手で押さえていた。どうやら、怪我をしたらしい。眉間に、悔しそうなシワが刻まれているのが見えた。
それを見たエリノアの喉がひゅっと鳴る。エリノアは青ざめた。彼だけでなく、いろんなところで敵味方が互いに血を流している。怒号に混じり響く激しい金属音は、彼らが剣を交える音。殺傷能力の高い刃のぶつかり合う音は、耳にするたび肌が粟立つようだった。
「は、早くなんとかしなくちゃ……」
「エリノア様……」
顔面蒼白で慌てるエリノアに、彼女の背後で、何故かエリノアが見ている階下とは明後日の方向をじっと見ていたテオティルが囁きかける。
「どうやら……こちらは陽動部隊のようです。こことは別に、クライノートの子供たちの気配を感じます」
「え!」
長らく女神の大樹からクライノートを見守ってきたテオティルは、クライノートの国民たちを老も若いも“子”と呼ぶ。
それを聞いたエリノアは、眼下の乱戦に慌ててはいたが、できるだけ冷静に尋ねる。
「じゃ、じゃあ、こことは別にクライノートの部隊がここにきているってこと?」
「ええ、例のクライノートの魔法使いもあちらにいるようです。こちらで敵を引きつけているうちに騎士たちを救出する手筈だったのでしょう。そちらに魔物たちが気がつくといいのですが……」
今いる北門とは城を挟んで向こう側。南門のほうを、何かを見通すような目で見つめるテオティル。その方角では、現在ヴォルフガングとグレンが、王太子と負傷した騎士ケルルたちを誘導中のはず。
もしテオティルが言うことが本当ならば、この荒れた場所に王太子たちを連れてくるよりは、別部隊に引き合わせたほうが安全だとエリノアも思った。
と、テオティルが冷静な顔で言う。
「エリノア様……であるとするならば、彼らが陽動なら、ここは放っておいてもいいのでは? この戦闘も彼らの作戦のうち。王太子たちを救出できれば彼らも撤退するでしょう」
「だ、だけど……」
エリノアはテオティルの言葉に戸惑って下を見た。眼下では、未だ激しい戦闘が続いている。血を流しながら敵兵と死闘を繰り広げているオリバーたちを見て、エリノアの顔が歪む。
エリノアは王宮で、ブレアの供をして何度も彼らの訓練を見ている。その時の快活な彼らの動きをよく覚えている。
負傷したオリバーは、傷が深いのか……足が普段の半分も動けていないように感じた。
──耳のそばに、剣を振るう彼の必死のな息遣いが聞こえるようだった……。
「……テオ……」
エリノアは、蒼白の額に玉のような汗を滲ませてテオティルを見上げた。
「……やっぱり止めましょう。騎士様たちを放って置けない。……テオ、できる?」
エリノアが真剣な顔で問うと、テオティルはなんなく頷く。
「仰せのままに。ええ、できますとも」
クライノートの王宮でビクトリアやクラウスを調べていた時、彼はよく見張りの衛兵たちを気絶させていた。一時的に生命力を預かっていたそうだが、ここでも同じ方法が取れないかとエリノアは考えた。──のだが……
このあとエリノアは、自分が聖なる力の行使について、少しだけ軽く考えていたことに気が付かされる。テオティルさえ補助してくれれば、どうにかなるのだと。魔法については無知ゆえに。
「よし! じゃあ全員眠らせて、クライノートの騎士様たちだけ分別して連れて行こう!」
これ以上オリバーたちに傷が増える前に、と、エリノアは気合十分な顔でテオティルを見上げる。が──朗らかに頷いた青年は、「はい」と言ってから、「しかしですね」と、あどけない顔で言った。
「ん?」
「あのですねエリノア様、今回は対象が一人や二人ではなく沢山です」
「う、うん?」
ほっそりした指を立ててレクチャーモードのテオティルに、階下の争いが気になるエリノアは、そちらをチラチラ見つつ、戸惑い、頷く。
「ということは、一度に大勢を眠らせる、少々大きな技になるということ。しかも対象の精神状態は戦いで興奮しきっています。あれを即座に鎮静化させるには、私は本来の姿に戻らなくては」
「本来の……? ……聖剣……に?」
えっ、と、エリノアは目をまるくする。テオティルは頷いた。
「そもそもすべての技は、私が、エリノア様が女神から授かった力を引き出すことで行使されています。ですから今回のような力を使う場合、私はエリノア様にとっては、魔法使いの杖のような役割を果たすわけです。制御しているのは私ですが、力を振るっているのはエリノア様であります。つまり、些細な力ならまだしも、大きな力を使う時は、エリノア様が正しく私を装備しなくては力がうまく行使されません」
「……え……っと……つまり……私が聖剣状態のテオを握らなきゃならないって、こ、と……?」
「そうです。そしてさらにエリノア様には力の効果範囲に対象を入れてもらうことが必要です」
「こ、効果範囲……?」
エリノアは戸惑った。魔法の類、聖なる力の使い方など学んだこともない。ちんぷんかんぷんである。
が、テオティルはつらつらと続ける。
「分かりますか? 私が誰かを癒す時、対象に触れますよね? あれも対象をきちんと効果範囲に収める行動の一つで……もちろんエリノア様の感情の昂り具合などでのイレギュラーも起こりうるのですが……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってテオ!」
真顔でこんこんと説明しようとするテオティルにエリノアは焦った。
下では戦闘が繰り広げられている。そう長々話を聞いている場合ではない。
「はい、なんでしょうエリノア様」
「あ、の……とにかく今は急いでるから! とりあえず私が何をすればいいかだけ教えてくれない!?」
言われた通りにやるから! と、懇願すると、テオティルは、「おや、そうですか? 分かりました」と、あっさり頷く。そして、エリノアの望み通り、簡潔に言い、こともな気に指差した。──下を。
「では、エリノア様は私を装備し、あの者たちの真ん中に立ってください」
「え……っ………………」
その指示にエリノアはギョッと目を剥き、息を吞んだ。テオティルはにっこりと続ける。
「そうすれば大丈夫。多分全員、エリノア様が力を行使できる効果範囲内に収まると思います。そしたら一発で戦場は眠りで満ちるでしょう。戦いは、終わります」
あっけらかんと、簡単に言われ……
「……、……、……」
言葉を失くしたエリノアは、ギ……と、軋む音のしそうな動作で手を上げる。
「あ……の……それって……戦場のど真ん中って、こと……? え、それ本当に一瞬で……一回で成功させないと、かなりの目撃者が出るような気が……、私の……えっと聖剣持ったところ……」
下の北門前では、オリバーを含めた数十人という戦士たちが交戦中である。
と、テオティルは下を覗いてケロリという。
「ええ、そうですね。でも大丈夫、対象者たちが動き回らないでくれたら、一発で決まると思いますよ。だって私の主人様ですからね、ふふふ」
「え……その信頼はありがたいっていうか、期待がすごく重いんだけれども……テオ、私、そう何度も力を使ったことなんてないよ!? 分かってる!? 言わば素人……それに動き回らないでくれたらって……!? 皆さん敵も味方も血気盛んにあっちこっち動き回っていらっしゃるのに!?」
エリノアは蒼白の顔で、階下でわーわーと行ったり来たりしている人々を震える指先で指差して──が。
テオティルは、やはりテオティルだった。
それがエリノアにとってどれだけ無茶な要望かをまるで分かっていないらしい聖剣は、今日も新米主人にニッコリいい笑顔で微笑みかけた。
「はい。ふふふ、頑張りましょうね! エリノア様!」
「!?」
お読みいただきありがとうございます。
テオはやはりテオでした。




