43 急場のこぜり合い
「ど、どうしよう……」
このままでは王太子たちとオリバーは行き違ってしまう。つぶやいてから、エリノアは、はたと気がついた。
「ちょ、っと待って……? お城の眠らせた人たちも……いずれ目が覚めるってヴォルフガングが……」
そうなると、オリバーたちは目当ての者たちがいもしない敵陣に無駄に突っこんでいくことになってしまう。これだけ大きな城だ。きっと連絡系統もそれなりにしっかりしているはず。王太子や捕虜がいなくなったと知れるのにもそう時間はかからないだろう。
そう考えて、エリノアの顔からサー……と血の気が引く。
「ま、まずい……今度は騎士オリバーたちが捕まっちゃう……」
身をすくませる娘に、テオティルが後ろから聞く。
「どうなさいますかエリノア様」
「それは──もちろん王太子様たちと合流させなきゃ……え、えーっと……」
エリノアは一瞬考えて、グレンを見る。額には汗が浮かんでいたが、表情はしっかりしていた。
「ごめんグレン……もう少しだけ……手伝ってくれない?」
手を合わせて頼みこむと、グレンは横を向いて、くぁっとあくびをしながら応じる。
「いいですけどぉ……何を?」
「本当!? ありがとう! あのね、ヴォルフガングにこのことを伝えてほしいの。私、テオティルと騎士オリバーたちのほうに行くわ。転送魔法ならすぐだし」
「ん?」
「エリノア様?」
真剣なエリノアの言葉に、二人が変な顔をする。
「え? 今もしや、どんくさい姉上様が、騎士と敵兵が命かけてる現場へ行くっておっしゃいました? え? そこは私が熊騎士のところへ行ったほうが早くないですか? あっちは交戦中ですよ? 何度だって言いますけど、ど・ん・く・さ・い! あなたがそんなところへ行って大丈夫なんですか?」
何言ってんだこの人はとグレン。小馬鹿にしたようなその顔に少しムッとしながらも、エリノアは「そうだけど」と返す。
「まずは先行してるヴォルフガングに方向転換してもらって、王太子様たちの足止めをしないと。このままだとあちらがどんどん離れて行っちゃう。でも私がヴォルフガングに追いつくより、グレンのほうが断然早いでしょう?」
風のように縦横無尽に敵を翻弄中の魔将に、エリノアが追いつくのはかなり至難の技だ。というか、無理。
それにたとえ万が一追いつけたとしても、おそらくエリノアが無謀にも突っこんでいけば、ヴォルフガングにもキレられる気がする……。
『急に突っこんでくるな馬鹿者め! 貴様死にたいのか!?』
と──……
耳に声が聞こえるような気がした。
エリノアだって分かっている。自分はそんなに機敏じゃない。悔しいが……グレンが言う通りどんくさいかもしれない。
だからこそ、彼よりも、人間たちの争いをテオティルとともに止めるほうがまだ向いている気がするのだ。
「まあ……確かに、ヴォルフガングの前でいつもの調子ですっ転ばれたりしたら、やつの攻撃に突っこんで自爆する可能性はありますね。姉上だけに」
それには納得という顔のグレンに、悔しい思いをしながらもエリノアは憮然と言う。
「だけど同じ魔物であるグレンなら話は違うでしょ? 私の百倍身軽だし」
「はぁ? 百倍? 千倍の間違いでは?」
「っいいの! そういうの後にして!」
エリノアは、キッとグレンを睨んだが……すぐに頭を抱えて、急場の対応を考えこむ。緊急ゆえに、すぐに決断しなければと気が急いているらしい。
「そ、それで……あ、あとは私たちが騎士オリバーが城内に入るのを阻止して……出来れば戦いも止めて……ヴォルフガングとグレンには王太子様たちの誘導……そうだ! 敵兵のふりして退路を限定して騎士オリバーたちのところまで誘導するのはどう!?」
牢獄から逃げ出してきた騎士たちはろくな装備を備えていない。怪我もしている。王太子を無事逃すためには、無駄な戦闘は避けるはず。どうかな!? と、必死の形相のエリノアに……グレンは一瞬黙する。
「……まあ、いいですけどぉ……」
「?」
どこか不愉快そうに耳を動かすグレンに、エリノアが不思議そうな顔をした。
「だ、だめ!?」
「そうじゃなくて……」
「!?」
突然グレンがグッと顔を近づけてきて、エリノアは驚いてのけぞった。目の前に、グレンの青い瞳が見えた。
「前から思ってましたけど、そんなに私を頼って大丈夫ですか? 私、魔物なんですよ? 信頼させといて、ここぞという時に裏切るのなんか大好きなんですけどねぇ」
「……!」
その言葉を聞いて、エリノアが虚を突かれたような顔をした。グレンがニンマリと笑う。
「陛下を病ませるのには、姉上をどうにかしちゃうのが一番なんだよなぁ……」
「……そんなことをすれば、君は魔王に消されるのでは?」
うすら笑う魔物に、テオティルが冷たい顔で言う。が、グレンはそれを嘲笑うように、彼に向かっても挑発するような表情を作った。
「そんなことがなんだっていうの? つまらないこと言わないでよ」
「……」
ケラケラ笑いながらのその返しには、さすがのテオティルも呆れたような顔をする。と……
「……グレン……? あのね、あなたさっき手伝うって言ったでしょ?」
「ん?」
エリノアの低い声にグレンの青い瞳が再びエリノアを見る。と、そこには──思いのほか強い、叱るような顔のエリノアがいた。怒れる瞳の色に、覚えのある気配に似たものを感じてグレンがちょっと引いた。※コーネリアグレース
「あ、れぇ……?」
「……あのね」
エリノアは、両手を腰に当てて言う。
「約束は守らなくちゃダメよ。魔物だかあまのじゃくだか知らないけど、よくないと思うわ」
「は……?」
「ふんっ! 信頼させといて裏切るならやればいいでしょ! 私、裏切られたなんて多分思わないけどね! だって、グレンがそういう子だって私もともと知ってるもの!」
「……はぁ?」
ザマァみろと言いたげに、謎に胸を張るエリノアにグレンが嫌そうな顔をする。
「何言ってんのアンタ……支離滅裂なんだけ──……っ!?」
「ふんっ」
半眼で言いかけたグレンの、頬からみょんみょんと伸びたヒゲを、エリノアが数本ずつまとめて鷲掴みにした。そして、横に引っ張った。
「!? な、何!? 痛たたたた! ちょ、ぬ、抜けちゃう……ひげがにゅけちゃうよっ!」
「わー……」
それを見たテオティルが嬉しそうにパチパチと手を叩く。
「エリノア様、強ーい」
グレンはヒゲを引っ張られたまま引きつった。
エリノアの手首を掴んでヒゲから手を解かせると、一気に抗議する。
「ちょ、何、怖、何怖いんだけど! 急にヒゲとかやめてく──」
「分かってない」
グレンの非難をバッサリ切るように言い。今度はエリノアのほうからグイッと顔を近づけられ。グレンが目をまるくした。エリノアの緑色の瞳は──据わっている。
「アンタこそ分かってない。──私、アンタのこと好きよ」
「っ!?」
グレンの顔が唖然とした。鼻先で明かされた突然の告白に、目を瞠り。エリノアの猛々しい……一切の迷いのない顔に圧されたのか──彼にしては珍しく、かかとをつまづかせて尻もちをついた。
「っ」
転んだグレンは──怯んでいる自分に気がついて。咄嗟に、皮肉で反撃しようと思った。
いつも通りに。並べ立てられる皮肉も嫌味も小馬鹿にした言葉も、ありったけ自分の中に用意がある……はずだった。けれども。
「……、……、ば……馬鹿がいるぅぅぅ……」
結局そう呻いて。地面の上で頭を抱え、ほとほとと困惑するので精一杯だった。
皮肉は口から出ていかなかった。言いたくない自分がいた。──多分、他の誰かにならば言えただろうと思うと……げっそりと、天を仰ぎたい気持ちになる。
そんなグレンに比べ、堂々としたエリノアは、押し倒したような形になってしまったグレンの前で仁王立ち。
「ふん! 馬鹿で結構! お手伝いするって言ったんだからちゃんと約束は守りなさい! もう魔王がどうとか関係ないのよ! これはアンタと私の問題なんだから! 保護者(弟?)は関係ないの!」
エリノアは立ったまま腰を折り、再び睨むようにグレンに顔を近づける。
「裏切ろうってならやってみなさいよ! 何度でも再構築できるのが家族だから。絶対に仲直りしてやるからねぇぇっ!!」
ふんっと執念深そうな顔で言って。エリノアは、地面の上でうなだれているグレンに「こんな忙しい時に!」と、キレ気味に言ってから前をむく。
「テオ! 行こう!」
エリノアが勇ましく言うと、それが嬉しかったのか、テオティルがにっこり笑ってすぐに応じる。
「はい、エリノア様」
テオティルはそのまま恭しくエリノアの肩を抱いて、共に消えた。
残されたグレンは──
「な、なんなんだよ、あれぇ……っ」
消えぎわにこちらを見たテオティルの、いかにも満足そうな顔も気に入らなくて。地面に座りこんだまま不貞腐れた顔で呻く。
「……なんだよ! 別に私とアンタ、そんなに仲良くないし!」
グレンはそう悔しげに吐き捨てた。が──どこか言い訳めいた響きがあったのは、どうやら聞き間違いではない。
お読みいただきありがとうございます。
ずっとしっくり行きませんで悩んでいましたが、結果こうなりました。
エリノアは庶民気質なので、素朴で率直な叱り方をします。
多分、もう自分はグレンの姉(?)のような気がしているのでしょうねぇ。グレンのヒゲ、抜けてないといいんですが…




