40 騎士たちは、鼻歌高らかに。
はーはーふーん♪
ふーんふんふん〜♪
「…………」
鼻歌が聞こえる。……薄暗くじめじめした獄舎の奥から。
石造りの獄舎には、よく声が響くようであった……。
作戦は夜の闇に乗じて行われた。
転送魔法でプラテリア城内の獄舎に侵入したエリノアたち。魔将は目立たぬ場所にエリノアを待たせると、そのまま『行ってくる』ともなんとも言わぬまま姿を消した。──次の瞬間、城は魔物の風に襲われる。
広く豪勢なプラテリア城は、実態のない黒煙のような姿となったヴォルフガングに風のように蹂躙された。その風に当てられた者たちは、黒煙の中に光る爛々とした魔将の瞳すら目にする間もなく、あっけなく床に崩れ落ちる。看守も、衛兵も、使用人も。城主やその家族とて例外ではなかった。プラテリア城は、立派な城壁に囲まれた大きな城であったが……魔将が城の機能を完全に沈黙させるのに掛かったのは、ものの十数分というわずかな時間であった。
そうして賑やかだったプラテリア城は、あっという間に無音の城へと変貌した。魔将は仕事を終えるとすぐにエリノアたちの元へ戻ってきて。小鳥の姿に化けてエリノアの肩にとまり、やれやれと翼を休める。
魔将はダメだなと言った。
『やれやれ。この城は魔法防衛がまったく出来ていない。こんな守りで君主を守ろうとはなんたる貧弱さ。……どうやら城には魔法感知の術がかけられていたようだが、ちんけ過ぎて意味がないな』
と、そんな魔将の言葉にエリノアは、魔法文化の衰退した自分たち人間と、息を吸うように魔法を使う彼ら魔物とで比べられてもなぁとは思ったが。ヴォルフガングにしてみれば、敵ながら同じく誰かに仕える身としては非常に納得がいかなかったらしい。
さて。そのような経緯で、現在この城内で正常に活動しているのはエリノアたち。……と、奥の監房の中にいる騎士たちだけなのであった。その他の者たちは、ヴォルフガングの振り撒いた瘴気に当てられて全員意識を失っているはずだ。
まあそれはいいのよとエリノア。それは、まあ計画通りである。
問題は……奥の監房の中で、この状況にも関わらず、のんきに鼻歌を大熱唱している騎士たちである。
「……あんな人たち……見たことない…………」
──だんだん熱を帯びてくる鼻歌を聞きながら……ボヤいたのは、もちろん物陰に隠れたエリノア。
ヴォルフガングたちに連れられてきたこの獄舎。その環境は、エリノアが思っていたよりも非常に悪いものだった。
薄暗く不気味な獄舎。鼻をつく埃とカビの匂い。エリノアたちがここに侵入した直後は、時々奥のほうから正気も定かでないような怒鳴り声や奇声が聞こえて──どうやら他にも囚人がいるらしく、暴れる者もいてエリノアは怖かった。が……。
なんといっても……そこに響き渡る騎士たちの、場をわきまえないのどかな歌声が──いっそ清々しいほどに気味が悪い。灯りさえ満足に与えられていない暗い監房の中で、よくもまああんなに陽気な調べを口ずさめるものだとエリノア。こっちは敵地への侵入の緊張で、激しく胃が痛いというのに。なんだか初めて牢獄なんかに入ったわ……と怯えている自分が非常に馬鹿馬鹿しく思えた。
城内の敵の一掃を終え、青い顔のエリノアの肩に戻った小鳥ガングも、すっかり呆れ果てていて。憮然と言う。
「……まあ、ある意味肝が座っていると言ってもいいが……しかしやつら──……出てこぬな……」
「……、……、……あぁ……っ」
魔将の言葉に、エリノアが苦悩するように顔面を手で覆った。二人して、何をげっそりしているのかと言うと……
実はすでに──……というかだいぶん前に。エリノアたちは、とっくに彼らの監房の扉の鍵を壊したのである──。
三十分ほど前。城内の敵を片付けて戻ったヴォルフガングは次に、音もなく騎士たちの監房の扉に近づいていった。
魔将は静かな指の一振りで頑丈そうな鍵を破壊した。扉を押せば、もう、いつでも廊下へ出られる。鍵が壊れる音も、軽い音ではあったものの、確かに響いたのだ、が……
悲しくも滑稽なことに。
その音は、騎士たちの陽気な歌声によってかき消されてしまったのだ……。
エリノアが呻く。
「…………もうやだ……もう鼻歌レベルじゃなくなってない!? 熱唱がひどい!」
「……看守を最初に眠らせてしまったからな……」
看守がいれば、彼らの歌声がある程度の音量に達した時点で、怒鳴られる。しかし、現在、ヴォルフガングが看守を倒してしまったせいで、野放しになった騎士らの声のボリュームは、とどまるところを知らない……
ああとエリノア。
「いっそ監房に押し入って、騎士様たちの歌を叩いて止めて、監房からホウキか何かで掃き出したい……!」
「やめとけ」
気持ちは分かるが我慢だと魔将にたしなめられる勇者。
ここでエリノアが騎士たちに見つかってしまっていいわけがない。
しかしそうは言ってもだ。騎士たちの監房から響いてくる歌声は次第に大きくなっていくばかり……
自分たちがもうとっくに解放されているという事実にも気づく様子は微塵もない。
止める魔将にエリノアは、でもと小さく言う。表情が困り果てていた。
「早く王太子様をお助けしないと……あっちは今テオ一人で心配だし……まあもう敵はいないんだろうけど……」
聖剣テオティルは、先んじて幽閉されている王太子のもとへ向かった。
エリノアは彼にそこで待つように言いつけてはあるのだが……早めにあちらに向かわねば、あの気ままな剣の化身が何かをしでかすか気が気ではない。だからこそ早く騎士たちをそこまで誘導したいのだが……歌うことに夢中の騎士たちは一向に牢獄を動こうとしない。
「……」
「──どうしたらいいの……?」
げっそりとエリノアが言う。しかし彼女らも一応頑張ってはみたのだ。石を投げて騎士たちの注意を引こうとしてみたり……しかしダメだった。握り拳くらいの石を投げてもみたが、騎士たちは、『また看守が嫌がらせをしている』くらいに思っているのか、ぜんぜん反応してくれない。もういっそ『出て!』と言いたいエリノアだが……そういうわけにもいかない。……あののんきな騎士たちならば、もしここでエリノアが出ていっても全然誤魔化せそうな気もするが。
「うーん……じゃあ、ここの兵のフリでもして出ろって言うのは? 変……? よね……。ならご飯だぞ! て言って扉にまで誘導してみる……?」
腕を組み、うんうんと考えるエリノア。まさか城を落城させるより、騎士たちのお尻を持ち上げさせるほうが大変なんて思いもしない。と、不意にそんな娘の肩の上で小鳥ガングがボソリと吐き捨てた。
「……、……、……面倒だな……」
「え?」
「ちょっと待ってろ」
「え? ちょ、ちょっと?」
低い声で言ってすぐに、ヴォルフガングはエリノアの肩の上から姿を消した。獄舎の暗がりに一人残されたエリノアはギョッとするが……
魔将はものの数秒で戻ってきた。なぜか獣人態で戻ったヴォルフガングの片手には──
「え……? グレン?」
エリノアがキョトンと目をまるくする。不機嫌そうな顔をした魔将の手には、黒猫が一匹、首根っこを掴まれてぶら下げられている。
「ちょっとぉ……! いきなりなんなんですかもう! 私、仕事で疲れてるのにぃ!」
ポカンとするエリノアの前で、黒猫は暴れてヴォルフガングの手から逃れ、その場で素早く獣人態へ変化する。口を尖らせて文句を並べたてる仲間に、ヴォルフガングが言った。
「お前、ちょっと王太子に化けて騎士たちを誘導しろ」
その言葉に、え? と、言ったのはエリノアだ。
「そんなことして大丈夫? 王太子様は幽閉されておいでなのに……」
「それとなくだ。幽閉されていようがなんだろうが、遠目に後ろ姿でも見せてやれば慌てて出てくるだろう。それでいい(面倒臭い)。まずは閃光か何かで気を引いてから……監房の窓の外に王太子の姿を見せる」
騎士たちがいる監房は半地下になっており、少し高い位置に格子のついた窓がある。その窓は外部の地面スレスレの高さで、狭いがそこを覗くと遠くに城の窓も見えるはずだとヴォルフガングは言う。
「あそこから見える窓に“王太子に化けたグレン”を配置する。必死であの者を探しているのだ、いくらのんきでも……流石のやつらも気がつくだろう」
「そ、うね……」
確かにとエリノア。いつまでも、こうしてうだうだしていてもはじまらない。
大切なのは、騎士たちに、自分たちの存在を気づかれないまま、王太子を発見させることだ。それを達成するためになら。
「よ……よし。この際、その辺の小さな違和感は──王太子様発見の喜びに乗じてドンと忘れてもらいましょう!」
エリノアも、細かいことは無視することにした。
おそらく騎士たちも本国のブレアたちも、王太子さえ無事見つかれば、きっと小さな違和感はなあなあになるだろう。……多分。いやいや、ここまできたら、なんとかかんとかやるっきゃないわよもう! よかった騎士様たちがとんでもなくのんきで──! ……と、拳を握るエリノアに──グレンが冷たい顔。
「……なんなの? なんとなくゴリ押しの面倒なことに巻き込まれる予感……」
「騎士どもが鍵を開けても牢から動かなくてな。困っている」
ヴォルフガングが説明すると、グレンが、はぁ? と片眉を持ち上げる。
「こっちの仕事はお前の役目だろ? なんで私が……ヴォルフガングがやればいいでしょ!」
「私よりお前のほうが他人に変化するのは上手いだろう」
魔将が言うと、途端グレンは愉快そうに口の端をニンマリと持ち上げて笑う。
「あーヴォルフガング別人になるの苦手だよねぇ。なんでしっぽとか耳が残っちゃうんだろうネェ?」
ヘッタクソーと言われた魔性は、牙を見せて唸る。
「うるさいほっとけ! ……どうせお前夜間は仕事がないだろう!」
「えーでもぉ、猫は寝るのも仕事なんですけどぉ」
「……あんた猫じゃないでしょ……」
思わずエリノアがツッコんだ。が、娘は「でも」とヴォルフガングを見上げる。
「グレンは昼間もブラッドリーの代わりにモンターク商店で働いてもらってるし……悪いわよ……ここはなんとか自分たちで……どこからか金髪のカツラとか探してくる?」
私ができるなら……と、言うエリノアに。しかしヴォルフガングは騙されるなと眉間のシワを深め、ビッシィィィッと、グレンを指さす。
「お前、最近のこいつのモンタークでの待遇を知らぬであろう……!」
「へ……?」
ポカンとするエリノアに、ヴォルフガングは、澄ました顔のグレンを睨みながら暴露する。
「モンタークではな、息子はすぐこいつに座って茶でも飲めと言ってくるし、夫人は菓子でも食べろとやってくる。店主は店主で昼寝でもしたほうがいいんじゃないかなどと言い出す始末だ! おまけに忙しくなってくるとモンタークの連中のためにメイナード殿が密かに魔法で手助けをするからだな……! つまりこいつは何も苦労などしていない!」
キッパリと断言する魔将に、エリノアが唖然とグレンを見る。
「……え、そ、そうなの……?」
「えへ、猫には優しい王子様待遇ですよ♪」
キャハハと笑うグレンを見て、モンターク商店の企業実態を知ったエリノアは少々複雑そうである。ホワイトなのはありがたいが……あまり弟を甘やかされすぎもためにならぬような気もする。するとそんなエリノアにヴォルフガングがグレンを指差しながら否定する。
「いや、普段なら陛下はそれに甘んじることはないのだぞ? しっかり働いておられるのだ、陛下はな。だがこいつはモンターク家の甘さをいいことにだな……!」
「何言ってんの? 人間につけ入るのは魔物の十八番なんだけど。それにぃ、だぁって私その分ちゃーんと働いて売上げ上げてるもん」
「あのな……! 貴様が陛下の格好で変に客に媚を売りまくるからモンタークの連中も心配してだな! 待遇が過剰に甘くだな……!」
「待って待って待って……」
今にも喧嘩に発展しそうな二人の間にエリノアは割って入る。
「今それどころじゃないから……それは帰ってからの議題ということで……。えーと、それでグレンは手伝ってくれるの? くれないの?」
エリノアに呆れ顔で問われた魔物は、どうしようかなぁと肩をすくめる。
「えー……猫の睡眠時間を奪うなんて万死に値するのにぃ……はぁもう仕方ないなぁー」
「……だからあんた猫じゃないでしょ……」
ぶつぶつ言う魔物にエリノアしらっとしたツッコミ二撃目。しかしそれを平然と受け流す黒猫顔の魔物は、次の瞬間その場でクルリと回る。するとグレンの黒い毛並みがあっという間に金色の髪に変わり、その場にわざとらしいポーズを決めた高貴な青年が現れた。──エリノアは。侍女職の長いエリノアは、相手がグレンだと分かっていてもついつい王族登場に身体が反応し、ぎくりと身構える。
「ぅ……で、殿下……」
「あは、どうです? 似てますぅ?」
「ひっ、お、お願いだから……! 殿下の格好で弾けたポーズ決めるのやめてよぉ!!」
キャハハと笑いながらウィンクしてくる“王太子なグレン”にエリノアが悲鳴を上げる。
もしこんな王太子の姿を騎士らが見たとして。もし後々彼らがブレアに報告でもしようものならば──……
「ブレア様が泣いちゃうわ!」と──まずはエリノアが嘆いた。
──そんなエリノアたちをよそに。監房の中の何も知らない騎士たちは、のりにのってしまい……鼻歌がすでに大コーラスレベルとなっている。
お読みいただきありがとうございます。
…どうあってものんきにしか進まないですね…( ´ ▽ ` ;)いやぁ…困った。頑張れエリノア。




