25 姉上
ブレアが自らを“猫”だと偽った後──
そこから、長々としたお説教タイムが始まった。
その全てが、ブレアにとっては意味の分からぬ他人への苦情ではあったのだが……エリノア・トワインという娘の人となりをつかむ為、ブレアはそれを辛抱強く聞いていたのだった。
娘はとにかくよく喋った。よくもまあそんなに言葉を並べられるなと感心するほどに。
そのほとんどが彼女の弟に関することのようで、話の中から、ブレアは彼女の弟が“ブラッド”と言う名なのだと言うことを知った。
やれ可愛い弟の前で物騒な話をするなだとか、家に住みたいならブラッドの為に自分たちの毛ぐらい自分たちで掃除しろとか。
そうして一頻り弟のことを話し終えると、今度は将軍タガートの話が始まった。
おじ様には大恩があるから、迷惑をかけられない。奥方様にも弟を紳士にするとか言っておいて道を外させるわけには行かないのだと、くどくどくどくど続ける。
それがすむと、ようやく気がすんだらしい娘は少し落ち着きを取り戻して、ブレアをジロジロ見ながら言った。
「よく見たらやっぱりあんまり似てない気がしてきた……」と。
ブレアは呆れてしまった。正真正銘、自分はブレア自身であると言うのに。
「……お前は……一体どこを見ているのだ? どう見てもそのものであろう」
言われたエリノアは首をかしげる。
「そうかしら……ブレア様はもっといつも怖い顔だったような……目も、もっと尖ってたと思うわ」
エリノアの印象では、第二王子ブレアはもっと険しい顔つきだったような気がして。今は、その雰囲気がどこか丸い。
……と、言っても、上級侍女でもないエリノアは、そんなに第二王子の間近に上がったことはないのだが。
「……やっぱり見た目が同じでも、中身がビシッとしてないと引き締まらないのかしらね? 中身、猫だもんね」
「……お前……」
と、呆れたような顔をするブレアに、エリノアが「あれ?」と声を上げる。
「ところで……さっきから、私のこと……“お前”って呼ぶのね? “姉上”って呼んでたのに……」
「!」
その言葉にブレアは口を噤む。
エリノアは黙り込んだブレアを「さては」と、心外そうな横目で見る。
「あなた、今はブラッドの前でもないし、こんな女どうでもいいやとか思ってるんでしょう……? はー全く……気持ちがいいくらい裏表があるんだから……」
そうあからさまだと怒る気も失せるわ、とエリノアはため息をついている。
その顔を見たブレアは、微妙な顔をしたまましばし無言だった。……が、ブレアは、そこで苦渋の決断をした。
それは……偽るのなら、せめて徹底しなければ……と言う彼の生真面目さが出た結果なのだが……
彼は横を向いて、ぼそりとこぼす。
「……あ…………姉、上……」
「……へ?」
その言葉にエリノアが顔を上げる。
見ると、ブレアはどこか渋い顔をしてそっぽを向いている。
ブレアとしては──身内にも姉と呼べる人はおらず、「姉上」などとは誰のことも呼んだ経験がない。ましてや……エリノアは、見るからにブレアよりも年下である。
常日頃、王族として人の上に立つことの多いブレア。そんな彼にとって、まだよく知りもしない娘を、そのように気安げに呼びかけるというのはひどく気恥ずかしいことであった。
……のだが……
エリノアにはそれが伝わらなかった。
何せ、エリノアはブレアの中身が、羞恥もクソもないあの黒猫だと思っている。
だから、その男が、今、何故、何かに耐えるような顔をしているのかがエリノアにはちっとも分からない。
「え……? なんで今更そんな……死ぬほど言いたくなさそうな顔……別にもういいんだけど……そんな顔してまで姉上とか呼んでもらわなくても……」
「……」
そう言ってやると、ブレアは苦虫を噛み潰したように、気まずげな顔をする。
「?? (……何なの?)」
エリノアは怪訝そうにしながらも、それで、と切り出す。……話を変えなければ、男は壮絶に居心地が悪そうだった。
「あなたがしたい話ってなんなの? ブラッドのこと?」
「……いや、どうすれば、おま…………姉上の、協力を得られるかと言う話がしたかった」
「私?」
ブレアが咳払いをしながらそういうと、その言葉にエリノアが首をかしげる。
もちろんブレアが言っているのは、“聖剣の勇者”としてエリノアに力を借りたいと言う話である。が、エリノアは、それを“魔王の姉として”と言う意味だと受け取った。
「そうねぇ……ひとまず……ブラッドの安全を確保しないと。何を置いてもそれが第一よ。それを考えると、王都にはもう……いられないかもしれないわね……聖剣のことで国に閉じ込められても困るし……」
疲れたように言う娘に、ブレアは問う。
「……聖剣を、手に入れる気はないのか? 国の勇者として」
すると、エリノアは嫌そうな顔をする。
「だって、ブラッドの傍に置いておけないでしょう? 聖剣ってなんか(ブラッドの)身体に悪そうじゃない……」
“魔王”と“聖剣”、“魔”と“聖”。いかにも相性は悪そうだ、とエリノアは心の中で思った。
しかし、その意味がつかめないブレアは首をかしげる。
「? 身体に?」
「だって、聖てくらいだし……何よ? もしかしてあったら何かの役に立ちそうとか言いたいの? 聖剣を盾に取って国を強請れとか言うんじゃないでしょうね!? 私、嫌よ。家にある刃物は包丁とハサミだけでいいわ。あ、あと草刈り鎌」
ジロリと睨まれてブレアは黙り込む。聖剣の力が強烈そうだから人体に影響がありそう、と、言う意味だろうか、と考えていると、唐突に、娘が地面に寝転がった。
「あーもう、本当になんでこんなことになっちゃったんだろう……」
草の上にごろんと身を投げ出すように寝転んだ娘は、盛大なため息を空に向けて吐き出した。その顔が深い苦悩と疲労に満ちていて、ブレアは思わず問う。
「……疲れて、いるようだな……」
すると彼を未だ“魔物のグレン”だと思っている娘は、両手足を放り出したまま、ムッとして鼻息を噴出す。いかにもやってられないと言った風である。
「ええ、ええ、げっそりですよ。昨日の夜はあなたたちが家にいると思うと怖くてあんまり眠れなかったし……、お給金貰わないと生きていけないって言うのに、王宮ではブレア様が待ち構えていそうで怖いし……その上あんたときたらブレア様の格好になって脅かすしで……寿命が十年くらい縮んだ気がするわ!」
むすっとしてそう言ってから。
ふと……空を見上げたままのエリノアの顔色が沈む。
「……姉上……?」
「……せっかく……試験にも受かったって言うのに……不出来な部下の合格を、ほんのついこの間喜んで下さった侍女頭様に、お暇を下さいって言いに行かなきゃならないなんて……」
それは何年もかけてやっと達成したものだった。伯爵家の娘として育ち、初めは掃除すら上手く出来なくて。そんなエリノアを、独り立ち出来るよう厳しく仕込んでくれたのが侍女頭だった。
──悔しかった。
「……」
それきり黙り込んで。高い空の上を流れていく雲を、ぼんやり眺めている娘を……ブレアはなんとも言えない気持ちで見つめた。その横顔からは、娘の遣る瀬無さがひしひしと伝わってくる。
懸命に取り組んだ物事が無に帰す虚しさは、国の統治の一端を担うブレアにも、よく分かった。
聖剣の勇者は必ず得なければならない、と思いながらも──ブレアは娘を不憫に思った。
何か言わねばと思い、娘の顔を覗き込む。と……
「……おい、姉……」
「ねえ、ちょっと……猫になってくれない?」
「…………は……?」
真顔で見上げられ、ブレアが身を仰け反らせる。言われた言葉の意味が分からなくて、唖然と娘を見下ろすと、娘は「だって」と、口を尖らせる。
「言わせてもらうけど、私のこの疲れの原因は半分くらいはあなたのせいじゃない!? 私、今物凄く心が荒んでるわ……このままじゃ私、自暴自棄になって、王宮の中を大声で喚き散らしながら走り回ったりしかねないわよ!? そんな事になって私が王宮の衛兵とかに捕まったら、あんただってブラッドに物凄く叱られるんじゃないの!?」
「…………、…………」
まくし立てるエリノアに、ブレアは思わず言葉に窮して押し黙る。と、そんな青年を、エリノアは、「さ、」と促した。
「ほら、ちょっとふかふか猫になってごらん? 豹でもいいわ。ちょっともふもふさせなさいよ」
「な、な、何……?」
普段はかなり冷静なはずのブレアが動揺している。娘の言っていることが1mmも分からなかった。
見れば、うっすら涙の溜まった娘の瞳は思い切り据わっていて。ブレアは思った。もう既に、この娘、自暴自棄になりかけているのでは、と。
すると唐突に、エリノアが……よいしょっ、とブレアの膝に己の頭を乗せた。その行動にギョッとして、ブレアは言葉をなくして固まった。
「…………………」
「さ、今朝あなたも言ってたでしょ? 私、確かに今、人間男性より猫を求めてるみたい。大型犬とか猫の柔らかい腹毛に顔を埋めたら、気持ちよくって超絶癒される……て、この前リードが言ってたの。この際だから私やってみたい。それくらいいいでしょ? さ、どうぞ」
「さあどうぞ!? どうぞとは!?」
ついに戸惑いに声を上げたブレアに、エリノアは真顔で続ける。
「往生際が悪い。どうせあなた達には羞恥心とか常識だとかは関係ないんでしょ? さ、協力していこうじゃないの悪魔さん。ブラッドの傍に居たいなら、絶対私の協力は必要だと思うわよ?」
「っ!?」
さ、頑張って! と……言うエリノアの訳の分からない励ましに──ブレアは気が遠くなった。
──その時だった。
突然二人の周りに暗い影が過ぎって行った。
エリノアは、鳥でも飛んで行ったのかと空を一瞬見上げて──……だが……変化は地で起きていた。
エリノアが放り出した足の傍に、ぽっと小さな黒い炎が湧き上がる。
それは草の上を燃え進むようにして地面を這い、二人の周りに静かに奇妙な紋様を描いていく。
「っ!? これは……」
「え?」
そのことにいち早く気がついたブレアが身構えてエリノアと共に立ち上がろうとしたが──時は既に遅く──……
紋様は一瞬にして二人を囲む円となり。二人は立ち上がる間もなく、次の瞬間──眩暈のするような浮遊感に身を襲われる。
「なっ、に……!?」
渦に飲み込まれるような感覚に、エリノアは呻いて。思わず頭を乗せていたブレアの膝に縋るように顔を埋めた。と、その肩に重みを感じる。
けれども、それがなんなのか確かめる前に、次の一瞬、さっと、周囲の空気が変わる。
「っ……」
浮遊感から解放されたエリノアは、眩暈の名残にくらくらしながらも、恐る恐る……瞳を開く。
と、すぐに己に覆いかぶさっている誰かの身体が見えて──それが、先程まで共にいた、王子の姿に変化した黒猫のものだと察する。
男はエリノアを庇いながら顔を上げて──何かを見ているようだった。
「……何者だ……」
ブレアの低い声がする。
その緊迫した響きに戸惑う。誰かが傍にいるらしいが、庇われたままのエリノアには、それが誰かは見えなかった。
あのグレンが警戒するような相手とは一体──と、エリノアは身を固くするが……──次の瞬間、聞こえてきた、地を這うような声に……彼女は、己が耳を疑った。
「……お前こそ、誰だ……」
冷たく答える声にエリノアが「えっ」と、短い声を上げる。
驚いた──聞き間違えようがなかった。それは──
──ブラッドリーの、声だった……
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