38 ヴォルフガングの帰還
エリノアの証拠探しにも、ブラッドリーの仕事にも、特になんの進展も、問題も起こらずに丸二日が過ぎた。
王太子の気配を追っていったヴォルフガングはまだ戻らない。
相変わらずブラッドリーは(しれっと)王宮で姉の身代わりをしている。
だが、彼はエリノアが尋ねても、『平気だよ』というばかりで、王宮での様子についてはあまり語ろうとしない。
──その代わり……彼に付き従って行動しているコーネリアグレースとマリーたち三姉妹が、どうにもこうにも生温かい目でエリノアを見ていくもので──エリノアは、本当に気が気ではなかった。
「ま、大丈夫。クラウス親子どもとの遭遇もなく、そつなくこなしておいでですよ、……おーっほほほっ! さ、娘たち、お疲れのエリノア様を癒して差し上げなさい」
「!?」
婦人の高笑いには含みがあって。おまけに彼女は唖然とするエリノアの腕に娘たちをポロポロと落としていった。これが──子猫らの愛くるしさを利用したなんらかの誤魔化し行為であることは、エリノアにもすでに分かっている。
「コ、コーネリアさん!?」
まさか王宮でブラッドリーに何かあったのではと、慌てて呼び止めようとすると、
「だめだめ」
「あんまりふかくかんがえちゃ」
「だめよ、ゆうしゃ」
「!? ヒィ!? かわいい!!」
小さな爪をエリノアの服の胸元や袖に引っ掛けてよじ登ってくる真っ黒なマリモっ子たちに──……やっぱりエリノアはちょろ弱かった……。
さて、そうこうしているうちに、ようやくヴォルフガングが家に戻って来た。
ちょうど、エリノアが居間で今後の捜索についてコーネリアグレースに相談を持ちかけている時のことだった。
犬の姿で帰ってきた魔将は、転送で戻ってくるなり身を投げ出すように、ベチッと床に転がりエリノアを驚かせた。
「……帰ったぞ」
「ヴォルフガング!?」
魔将は玄関に引いてある敷物(彼らの足拭き用マット)の上に寝そべって、驚くエリノアに、面倒くさそうにしっぽを振って見せる。その毛並みはボサボサで、とても疲れた様子だった。
「おかえりヴォルフガング! あ、わ……えっと……み、水!」
彼の帰還に、一瞬エリノアは待ちかねたように表情を輝かせた。が、娘は慌てて炊事場まで駆けていくと、その手に水を入れたコップを持って飛んで戻った。それを魔将に差し出し、ずいぶん長旅だったねと心配そうに声をかけると、ヴォルフガングはやれやれと獣人態に戻って、水を受け取りながらため息をついた。魔将の表情は疲れ果てたように渋かったが……
エリノアの顔を見ながらこぼされた彼の息の中には、小さな安堵と、緊張のとけたような気配が感じられた。
居間に移動して。まず、ヴォルフガングは疲労の滲む顔で天井を仰ぎながら言った。
「──向こうで……あの騎士たちを見かけたぞ……」
「え?」
その言葉に──あたふたと、追跡の結果はどうだっただろうか、いやその前にヴォルフガングに何かを食べさせるほうが先ではないかなどと──狼狽えていたエリノアが、一瞬キョトンとした表情をする。
代わりに猫婦人が尋ねる。
「騎士? どれかしら? デカブツの熊? それとものんきヒゲ? それとも──」
「トマス・ケルルとザック・ウィリアムズだ」
「え──」
エリノアの脳裏に、いつでもルンルンしているヒゲと筋肉の騎士らの姿が浮かぶ。
「へ!? 騎士様たち……!? (謹慎中では……)」
「──ああ。どうやら俺とは違う、他の何者かを追っているようだった。……第二王子の勢力も、しっかり調べてはいるらしいな。ついでに様子を見て来たが、奴らも着実に王太子に近づいている」
それを聞いた婦人があらと言う。
「のんきそうに見えて結構優秀だったのね。のんきにしか見えないけれど」
「!」
婦人が意外そうに感心したのと同時にエリノアがハッとする。
「そ、そうだ王太子様……殿下は!? 殿下はご無事なの!?」
必死のエリノアがヴォルフガングの腕を掴むと、魔将は少し面倒そうな顔で──しっかりと頷く。
「ああ、やつは無事だ。──生きている」
「っ」
それを聞いた途端──エリノアの脳裏にパッとブレアの顔が浮かんだ。
安堵して。力が抜けた。
「──そ──……、ヴォ、ヴォル、あ、あり……ありが──」
エリノアは、ヴォルフガングに感謝を伝えようとしたが、これを“彼”が知ったらどんなに喜ぶだろうかと考えると、ホッとしすぎて言葉がうまく出てこなかった。
そんな、脱力したように口を開けたり閉めたりしている娘を見て、
「……」
無言のヴォルフガングが、彼の大きな手をエリノアの頭に乗せる。
「ぅ、」
どしっとした重みを感じると。その振動がエリノアの瞳の潤みを揺らし、両頬に一筋ずつ涙の跡をつけていった。と、今度は素直に言葉が出た。
「あ──ありがとう……っ! ありがとうヴォルフガング!」
歓喜したエリノアが魔将の胴体に抱きつく。それを彼は眉間にシワを寄せて見下ろしていたが──不意にため息をつき、やれやれと天井を見た。その手が了承したと言うように、エリノアの頭をぽんぽんと軽く打つ。
傍ではのんきな顔の聖剣テオティルが、嬉しそうに両手を叩いていた。
「あ、そ、それでっ、ぐずっ、王太子様はいったいどちらに──!?」
慌てて顔を上げた娘が尋ねてきて。ヴォルフガングは仏頂面で応える。
「隣国だ」
ずしりと重い口調を聞いて。エリノアは、やはりと思った。
「やっぱり……そうなのね……」
「奴らはだいぶ用心していたらしい。陸路は使わず、迂回路として海路を使ったようで──奴らが王太子を乗せた船を港で探し出すのに手間取った」
彼が港にたどり着いた時、運悪くその船は港に停泊していなかった。のちに調べると、王太子たちを運び、また港に戻ったその船は、別の近隣の港へ出ていたらしい。
「俺は匂いと気配を追うからな……王太子が乗せられた船が分からねばその先を追えない」
匂いのする船が戻るまで、彼は数日港で待ったとのこと。魔将が港で荷の影に隠れて過ごしたと聞いて。彼の苦労を慮ったエリノアの眉尻がへにゃリと下がった。
「あ、ありがとうヴォルフガング、大変だったよね!? ごはんは食べれてた!?」
「やめろ暑苦しい。(※ヴォルフ。鬱陶しそう)まあ──船が帰港してからは早かった」
ヴォルフガングは人に化け、船を降りてきた船員を捕まえて脅し、ここ数日間の船の寄港先を聞き出した。
「それさえ分かれば転移でそれぞれの港へ渡り、王太子の気配を探り当てるのは容易かった」
淡々と説明するヴォルフガングの言葉を、エリノアは固唾を吞んで聞いている。そんな娘の前に、魔将は懐から取り出した地図を広げて見せる。
「やつらは、海を渡り、しばしは港町付近に王太子を捕らえていたようだが。今は移動して、ここに監禁している」
ヴォルフガングの指先は、地図の端、ギリギリを指さす。
「ここだ、ここに、城があった」
「…………」
示された土地を見て──……一瞬呼吸を止めたエリノアが──息を吐く……。
「……ビクトリア様のご兄弟の、領地だわ……」
複雑そうな顔を見せるエリノアに、テオティルが問う。
「どうなさいますか? 今すぐリステアードを連れ戻しにいきますか? 転移すれば簡単です」
「…………」
その問いに、エリノアが黙する。ヴォルフガングとコーネリアグレースも黙っていた。
「……確かに…………テオやヴォルフガングの力を借りれば、今すぐにでも王太子様をお助けできる……。けど……でも──そうしたいのは山々だけど………それをしてしまうと……」
「色々と不都合が生じるな」
エリノアの言いたいことを理解したらしい魔将が腕を組んで頷く。テオはキョトンとしていた。
「? 何故ですか?」
「ええと、だって、テオのこともヴォルフガングたちのことも、王太子様に知られてはダメでしょう? 魔法を使ったらバレてしまうわ……」
「正体がバレないように王太子を転移させてとりあえず安全確保する手もありますが、『囚われていたのに突然何故か解放された』ではねぇ、現実的に考えると、いろいろと憶測を呼び面倒なことになりそうですわ」と、コーネリア。
婦人の言葉を聞いて、エリノアが腕を組んで考えはじめる。
「うーん……たとえば……転送に関する王太子様の記憶をメイナードさんに消してもらうとしても──騎士様たちがすでに隣国入りしているということは、ブレア様たちも隣国に王太子様が連れて行かれた可能性に気づいていらっしゃるということでしょう……?」
隣国は側室妃ビクトリアの生まれ故郷で、クラウス王子とも縁が深い。
連絡を取り合い、慎重に動いているはずだ。
だからそうなると、ここでいきなり王太子が国に戻っては、彼らに疑問を与えることになる。
「つまり、ここで我々の関与の痕跡を消し、つじつま合わせをしようとすると、複雑なことになるのです」
「……王族同士の争いだ、当然派閥をあげての攻防で、関わる者が多いだろうしな……」
「その記憶をいちいちメイナードに消させるのもねぇ……どこかで必ず取りこぼしが生まれるわ」
今回は、以前の舞踏会の時のように、ひと所に集まった目撃者の記憶を改竄すればいいというわけではない。組織とは、指揮者から末端まで、いろいろな人間が連携を取り動いている。共有されている情報も多い。その一部を消せば、きっと綻びが出ると、コーネリアグレースも難しい顔で首を振る。
概ね彼らと同じ心配をしていたエリノアは、うーんと考えこむ。
「……タガートのお養父様に頼んで転送魔法の使える王宮の魔法使いを紹介してもらう……? でもそうなると、どうして私たちが王太子様の居場所を知っているのか説明しなくちゃいけない……」
まさか魔将に匂いを追跡させましたと言うわけにもいかない。どうしたらと頭を抱えている娘に、ヴォルフガングが「まあ──」とつぶやく。
「一番簡単なのは、ブレアの手下たちを導いてやることだな」
「え……?」
「トマス・ケルルらをうまく誘導し、やつらに王太子を発見させればいい」
「!」
その言葉にエリノアが弾かれたように目をまるくする。
「そ、そうか……! あちらにいる騎士様たちに手伝っていただけばいいのね!」
エリノアは手を叩いた。こう言ってはなんだが、トマス・ケルルたちののんきさと単純さは折り紙付きだ。きっと、エリノアたちがこっそり誘導行為をしても、おそらく彼らはなんの疑問も抱かないだろう。
「な、なんという素晴らしい人選……よ、よかった……!」
これがもし、エリノアの天敵オリバーや、鋭そうな(?)ソル・バークレムたちならまた話も違ったが……
「騎士トマスたちなら……私でもなんとかできそう!」
活路が見つかって、エリノアはホッとしたような顔で笑顔を見せる。
その作戦であれば、王太子を少し待たせることにはなってしまうが……ケルルたちが彼にたどり着くまでは、誰かが密かに王太子の身辺を見守っていれば彼の安全も確保できるし、エリノアたちの存在も露見しない。おまけにケルルたちも手柄を立てることになるではないか。
これでなんとかなると、エリノアは心底安堵して。心の中で、王太子と彼らを心配しているだろう人々のことを想った。
(王太子様……もうしばらくお待ちください。ハリエット様、王妃様……わたくしめきっと、殿下を無事王宮にお戻しいたします……)
「…………」
そうして、やはり最後に思い浮かぶのは、ブレアの顔。その眼差しを思い出すと、身のうちに限りない勇気が湧くような気がした。
「よし──……行こう。私たちも、──隣国へ」
顔を上げた時、エリノアの顔はすっきりとした決意を滲ませていた。
聖剣テオティルは主人の勇敢な顔に微笑み、魔物たち二人もうっすらと笑みを見せて……
──が。
しかしその頃──王宮のブレアたちの元には、不穏な報せが入っていた。
行方不明の神官を追って、密かに隣国入りした彼らの仲間。トマス・ケルルとザック・ウィリアムズ。以下、数名の騎士と兵たち。
彼らとの連絡が──
急に、途絶えてしまったという報せだった……
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