閑話 “エリノア”と騎士たち
「嬢ちゃーん」
「……」
遠くから呼び止められて、侍女“エリノア”が立ち止まった。振り返ると、廊下の向こうから数人の騎士が手を振ってこちらへ向かってくる。
その様子に片眉をあげる“エリノア”。彼らの鍛えられた腕には何やらぐちゃぐちゃに丸められた衣服が握られていた。
「ちょうどよかった! なあこれまた繕ってくれ!」
「こっちもこっちも! 最近忙しくてろくに隊舎にも帰れなくてさ……着替えを取りに行く暇もなくて……俺のも頼む!」
「よろしくな!」
「…………」
一斉に目の前に突きつけられた衣類を見て、“エリノア”の眉間にシワが寄る。臭い。ということも気になったが、彼らの差し出す衣類から、馴染み深い気配を感じて──。
差し出される衣類からは、何やら猛烈な怒りのような……姉の負けん気のようなものを感じた。
物に作り手の念がこもるように、この騎士たちの衣類には、エリノアの並々ならぬ念がこめられている。
──こいつら……もしかして頻繁に姉さんに針仕事をさせているのか……?
それに気がついて。“エリノア”ことブラッドリーは、とてもムッとした。
やってくれるよな!? と、まるで断られることを考えてもいないような騎士たちの視線も気になった。
この様子では、姉は王宮でこいつらの面倒を散々見させられているようだ。いや……世話好きな姉のこと。想像がつく気がした。まったく姉さんは……と、呆れがこみ上げる。
「………………」
「嬢ちゃん?」
黙りこんだまま喋らない“エリノア”に、騎士たちが不思議そうに首を傾ける。
「どうした?」
「エリノア?」
──と、騎士が彼女の顔を覗きこもうとした時。“エリノア”がにっこりと微笑んで、言った。
「──殺されたいか?」
薄薔薇色の唇から漏れたとは思えない、寒気のするような低い声音だった。
「──へ……?」
睨みつけてくる娘の思わぬ覇気に、騎士たちがポカンとしている。
それは。いつもの彼女の心底迷惑そうな顔とは違った。いつもなら。エリノアは頼めば彼らの頼みをしぶしぶ引き受けてくれたのだ。
『まったく……この不器用な筋肉どもめっ! もうっ! …………仕方ないですねぇ』と。
そうして口を尖らせ文句を言いつつも、結局針仕事を引き受けてくれる面倒見のいい娘の様子と──現在彼らの目の前にいる娘の顔とは、造形はそっくりそのままであるのに、あまりにも何かがかけ離れていた。騎士たちが、唖然と戸惑っている。
「……え?」
「あ、れ?」
「ど、うした? エリノア? 具合でも……悪いのか?」
心配そうな騎士らに、“エリノア”は優雅な調子で言う。少し顔を傾けて、目を細めた微笑みは、何故かとてもあだっぽく見えた。
「ふふふ……ちょっとそんなに無防備な喉元をこちらに向けて気安く名前を呼び捨てにしないでいただけます……? ふふ、切り裂きたくなっちゃう……」
娘は頬に手を添えて。物騒なことをつぶやきながら、くすくすと笑う。騎士を見上げる娘の瞳はひとつも笑っていない。その奥に──深い闇を見てとって。吞みこまれそうな感覚に怯んだ騎士らがのけぞった。
「「「!」」」
と、そんな彼らを嘲笑うように──不意に、騎士たちを風が襲う。
「わっぷ!?」
「な、なんだ!?」
「っ! あっ! お、俺の制服!」
「あらあら……ふふふ」
そこは頑丈な建物の中であるにも関わらず。どこからか吹いてきた暴風に騎士たちは翻弄されて。虚をつかれた男たちの手からは、“エリノア”に差し出していた衣類が見事に風に煽られ飛んで行った。
それを眺めていた“エリノア”が笑う。
「王宮って隙間風がすごいんですね」
「す、隙間風!?」
「あれが!?」
竜巻みたいだったが……と、呆然と“エリノア”を振り返る騎士に、彼女は言う。
「あら? 騎士様方、早く追いかけたほうがいいのでは? くっさいお洋服、飛んでいってしまいますよ?」
「「!」」
「あ!」
にっっっこりと、言われ。騎士たちがハッとする。
「そ、そうだった!」
「ま、待て!」
「俺の服!!」
騎士たちは己らの衣類を追って慌てて廊下を走っていった。それはまるで、誰かに腹立ち紛れにイライラと振り回されるようにして、風に弄ばれ廊下を縦横無尽に飛んで行く。
騎士らも懸命にそれを追うが──服は俊敏な野生の獣さながらに騎士らの手をすり抜けていく。追いかける騎士らはほとほと困り果てて──……が。
「──!」
不意にその衣類が、廊下の向こうから現れた誰かの頭の上に落ちる。
ようやく動きを止めた服に、騎士らはホッとして駆け寄ろうとするが──……
「あ!」
「た、助かった!」
「申し訳ない、その服捕まえといて──」
くれ──と、言いかけた彼らは。途端、全身をこわばらせ、うっと息を吞む。
──彼らの稽古着を三枚、頭に載せた、誰かが言う。
「…………あなたたち……」
「げ……」
その声を聞いて、それが誰なのかを悟った騎士らの顔色が青くなる。“誰か”の声は、怒りを滲ませるように緩慢で、低い。
自分たちの服に頭部から腕のあたりまでを覆われた人物は、本日は紺のドレスを身に纏っていた。それは“彼女”の普段の装いを思えばやや簡素に感じられるものではあったが──それは現在、彼女の息子が行方知れずとなっているせいだと──彼らも重々承知している。
──やばい──……と、彼らの顔面からサー……と血の気が引いた。次の瞬間、その“誰か”の背後でお付きの者が悲鳴を上げた。
「お、王妃様!」
「「「ぎゃ!!」」」
「………………」
騎士らの制服の隙間から、王妃の片目が彼らを睨んでいる。……怖い。
「っ、臭いわ!」
王妃が頭の上の服を剥ぎ取って、怒りのままに床に叩きつける。その結いあげられた金の髪が、自分たちの服のせいで無惨に乱れているのを見て、騎士らが慄く。
「私を窒息させるつもりなの!?」
「ヒィっ!?」
「っも──」
「申し訳ありませんっっっ、お、お、王妃様っ!」
「お黙り!」
王妃は鬼の形相で騎士らを叱咤する。
「このような国が大変な時分に……王宮の廊下で服など放り投げて遊ぶとは……! いったいお前たちは何を考えているの!?」
「王妃様に向かって汚れた服を投げつけるなんてっ! 無礼者ぉ!」
「!?」
王妃付きの年配侍女が、一番前にいた騎士の頬を殴り飛ばした。グーである。
騎士は見事に吹っ飛んで。飛んでいった仲間に、残された騎士らが慌てて駆け寄っている。「だ、大丈夫か!?」と、声をかけている間に、彼らは王妃付きの侍女たちに周囲を囲まれた。目を吊り上げる婦人たちの恐ろしいこと──
騎士らが怯えていると、その囲みを割って、王妃が騎士たちの前に立った。王妃は息子ブレアによく似た冷徹な目で、男らを睨み下ろす。普段は柔和な王妃のその顔に、騎士らが震えた。
「申し訳ありません! ち、違うんです」
「わざとでは──」
「たつ、竜巻のような隙間風がですね……!?」
弁解しようとする騎士らの言葉を王妃はピシャリと跳ね除ける。
「お黙り! この王宮の廊下に隙間風など起こるわけないでしょう! 衛兵! こやつらを捕らえなさい! 仕置きをしてやるわ!」
王妃が命じると、廊下に控えていた衛兵たちが、婦人たちの迫力に気を使いつつ……さっと彼らを捕らえる。衛兵は密かに(こいつら馬鹿だなぁ……)と思った。王妃も彼女の周辺も、今は王太子行方不明の心労で非常に気が立っている。
「お、王妃様!」
「お許しください!」
「ほ、本当なんですよぉ! 本当にすごい隙間風が……」
「お黙り! せめてもうちょっとマシな言い訳はないの!? なんて情けない……!」
そうして騎士らはなす術もなく王妃に引っ立てられていった。
その後ろ姿を──遠くから見ていた“エリノア”が薄くせせら笑う。
「……ふん、ざまあみろ」
もちろん騎士たちを襲った暴風は──彼の仕業である。
──その後、騎士たちは王妃に制服の穴を見咎められて。彼女監督のもと、綺麗にその穴を塞ぐまで何度も何度も繕い物をさせられた。王妃のダメ出しは非常に厳しかった。騎士たち曰く。国母監視付きの慣れない細かい作業は、軍事訓練の百倍きつかったらしい。
しかしおかげで彼らはとても裁縫上手となったのだが……その微妙なレベルアップを、すぐに目敏い仲間たちに気付かれてしまう。
そしてこの時より以降、騎士たちの誰もがエリノアに繕い物を持ち込まなくなった。
そんなことをしなくても、より身近な仲間に裁縫上手がいるのだから、わざわざ遠出することもないと。そういうことになったらしい。
結果、エリノアの周辺はとても平和になったのだが──その変化に、根っからの世話焼き娘エリノアは。嬉しいような寂しいような……非常に微妙な心持ちであったという。
お読みいただきありがとうございます。
…ちょっと寄り道ですが。ここいらで騎士たちと決着をつけとこうかと…。
ブラッドがエリノアのフリをして騎士らと遭遇したらこうなるかな…と。
残念ながら主犯的なオリバーも、のんきなケルルたちも不在ですが( ^∀^;)




