29 優しい空色
ヴォルフガングは王宮で王太子の情報を得て、彼を探しに駆けて行った。
エリノアたちがそれに同行しなかったのは、単純に足手まといだったからだ。
魔将は優れた嗅覚と、人間には見えざるものが見えるという魔物の目を駆使し、王太子の痕跡を追う。しかし痕跡を追うということは、地道に対象の移動した道筋を伝い歩くということ。対象の移動距離が長ければ、彼もそれだけ長く移動しなければならない。
それがヴォルフガングだけならば、強化されたという脚力で素早く追跡と移動が可能だが、エリノアたちがいてはそうもいかない。目的地も不明な段階では、それでは効率が悪いということで、ひとまずそちらはヴォルフガングに任せることとなった。
タワシ態のヴォルフガングに『お前のような鈍臭いやつ連れていけるか』と突き放されたエリノアは、一瞬だけ落ちこんだ。それは勇者としての素養がやはり自分には少しも備わっていないと突きつけられているようだったからだ。
しかし今はめげている場合ではなかった。何はなくとも、とにかく精神的にだけでも強くあろうとエリノアは決めた。
そうして残されたエリノアは、テオティルと共にクラウスやビクトリアの周辺で、此度の一件を彼らが企てたのだという証拠を探すことにした。
もしエリノアたちが王太子を探し当てても、彼の『聖剣を偽造し、大神官を殺した』という疑いが晴れなければ元も子もない。彼が国に戻っても、王太子の座を降ろされ、糾弾されてつらい思いをするばかりである。それではブレアもきっと苦しむ。
根から真正直なエリノアは、無断で他者の部屋を探るのには躊躇いもあったが──もし、今この躊躇いの間にも、王太子が命を脅かされていたらどうしようと思うと、それは覚悟に変わった。
必要なら償いはする。もとより自分も無傷でいられるとは思っていなかった。
ただ……そんな覚悟の証拠集めに、一つ心配なことがあった。──テオティルである。
エリノアは、正直テオティルと共に暗躍するのは不安だった。ヴォルフガングにも『聖剣と二人で敵陣に侵入!? や、やめとけ!』と……自分が戻るまでは待つようにとものすごく止められたのだが。一刻を争う現状を考えると、そうも言っていられなかった。王宮を人知れず調べるのならば、テオティルの魔法は不可欠。なんとか、今こそ勇者らしく上手く聖剣の手綱を握ろうと、エリノアは決死の覚悟で王宮へ忍びこんで──……みたのだが。
「……あれ?」
柱の影でエリノアは怪訝な顔をする。
エリノアの肩を後ろから支えるテオティルは、粛々とした様子でエリノアに告げるのだ。
「エリノア様? 後方の角の先に衛兵が二人。前方には二人です。いかがなさいますか?」
「えっと……」
意外にも──テオティルはちゃんと働くのである。
相変わらずぽやぽやはしているが、エリノアが『人に見つからないように』と言えば、周囲の気配を巧みに探りきちんと教えてくれる。魔法で転移する時も、しっかり無人の場所に転移した。ヴォルフガングの魔法とは違い、景色がエキセントリックに歪み狂い三半規管がやられることもない。過剰にエリノアを姫抱きしたがる以外はむしろ快適で。
捜索中どうしても避けられない場所に警備などの者がいた場合は、魔法で眠らせるのもお手のもの。
思わぬテオティルの優秀な働きぶりに──エリノアはつい微妙な心持ちになった。
「……テオって……案外できる子だったんだね……」
「? 魔法はエリノア様の聖の加護を引き出しているだけですよ?」
生命力を一時的に預かり、昏睡状態にしているとのこと。「良い夢を見せてあげています」と、眠った衛兵たちをまるで幼子を見るような慈愛に満ちた眼差しで眺めるテオティルを見て──エリノアは思った。
要するに──エリノアの指示がきちんとしていれば、彼は勇者の道具として結構正しく機能するのである。テオティルがポンコツだったのは自分のせいだったのか……と、エリノアは……
ここでも少し落ち込む羽目となったのだった。
さて、そうしてテオティルの助けを借りつつ、王宮のクラウスらの部屋を調べたエリノアだったが。残念なことに、そこには目ぼしいものは何もなかった。その代わり、彼ら親子の普段の堕落ぶりがまざまざと分かるようなものを多々見てしまい。なんとなく鬱屈した心持ちになった。
「はあ……」
捜索は空振りとなり、夕刻、家に帰宅したエリノアは、居間の椅子に座りこむ。慣れないことをしたせいで、緊張はピークだったし、家に帰ってくるとドッと疲れが身体にのしかかってくるようだった。ため息混じりにこぼす。
「まあ、それはそうよね……王宮はブレア様とお養父様たちが徹底的にお調べになっておられたもの。もし何か証があったとしても、私室になんて残しておくわけはないか……」
がっくりきたが、落ちこんでばかりもいられなかった。
「……よし」
とにかくと、エリノアは椅子を立つ。
今すぐもう一度証拠集めに──……と行きたいところだが。生きている身としては、家のこともやっておかなければならなかった。
いつもトワイン家の食事を作ってくれているコーネリアグレースは、今ブラッドリーの付き添いで王宮にいる。エリノアは夕食を作ろうと台所に向かった。
自分の願いのために、代わりに働くことになったブラッドリーやその他の者たちにも、せめてちゃんとした夕食を用意しておきたかった。そこで、エリノアの腹がぐーと鳴って。そういえば、自身も朝にパンをかじったきり何も食べていなかったと思い出した。
と、ここでエリノアはあることに気がつく。
「あ……そうだった……」
台所へ向かって棚を見回したエリノアは、しまったとつぶやく。
棚にはパンや野菜類がほとんどない。
そういえば、忙しくてすっかり買い出しを忘れていた。ここのところ、ブラッドリーがモンターク商店で働きはじめてからは、彼がついでに買い物をして帰って来てくれるもので、以前のように店に配達を頼むこともなくなっていた。
しかし現在ブラッドリーの代わりにモンターク商店で働いているのはグレンである。とてもではないが……彼にそれは望めまい。
「あー……」
正直、疲れて戻ってからの、再度の外出はつらかったが、台所にある食材だけでは、とても家族たちの腹を満たすことはできないだろう。急がなければ、皆も帰って来てしまう。
エリノアは慌てて自室に戻り、財布と買い物カゴをつかむと、一目散に玄関扉へ。
今なら急げばまだ皆の帰宅前になんとか夕食が作れるはず! と──……扉を撥ね開けて。
勢いよく一歩踏み出した、瞬間エリノアは。例の如く何かに顔面を思い切りぶつけた。
「ぎゃ!?」
「おっと」
何故ここに壁──……と、ふらつくと、肩を支えられた。
ハッとして見上げた先にあったのは、「あれ?」と、驚いたような青年の顔。
「エリノア? 今日はずいぶん仕事が終わるの早いんだな」
「!」
不思議そうな問いに、エリノアは目をまるくする。一瞬身が強張った。
「っ、リ、リード……」
呼ばれた青年はふっと表情を緩め、それからエリノアの動揺には気がつかないフリをして苦笑する。
「お前な、自宅とはいえ扉はもう少し落ち着いて開けなきゃ駄目だぞ」
叱るように言った彼は、支えたエリノアの肩をスッと離すと、いつも通りの顔でエリノアを見た。
「う、うん、ごめんなさい……」
エリノアは、少し気まずそうにしながら一歩後ろに退く。
リードに気持ちに応えられないと伝えたあとから、エリノアは彼に対してはずっとこんな調子だ。
それでもリードは変わらず何かとトワイン姉弟の世話を焼いてくれる。……エリノアに対しては、やはり彼も気を遣ってくれているのか、少し距離を考えているような節はあって。それがまたなんだかとても申し訳なくて。あまり昔のように屈託なく接することができなかった。
「え、えっと?」
落ち着かない様子でエリノアが、どうしてここにいるのか尋ねるような視線で彼を見上げると。そんな娘の手に財布が握られているのを見て、リードはそっと笑う。
「いや、俺は配達のついで。……昨日、珍しくブラッドリーが食材を買って帰らなかったし、もう買い置きもないんじゃないかと思って」
「あ……」
リードが片方の腕に持つ木箱の中には、見慣れた小麦粉やパン屋の袋、色鮮やかな野菜類が詰めこまれている。それどころか、調理済みの食べ物もあるようで。ほらと差し出されたエリノアは、一瞬言葉を失くした。
「──……」
途方もなく──ありがたくて。ありがたくて──切なかった。
「あ──ありがとうリード……」
いつも優しくされてばかりで。何も返すことができていないことを心苦しく思ったエリノアの声が細った。
「いつも、本当に──」
視線も申し訳なさそうに下がり──と。その時、エリノアの額に軽い衝撃。
「!?」
うっと漏らしたエリノアが、両手でそこを押さえながら慌てて顔を上げると。青年が、軽やかに笑っている。
──どうやら、額の衝撃は、彼に指で弾かれたものらしい。ポカンとして青年を見つめると、青年は「まったく」と、尚も笑って、言い含めるようにエリノアの顔を見る。
「馬鹿だな、気にするな。やりたくなきゃ俺もやらないよ。やりたいから……やってるんだ」
そう笑って細められる空色の瞳は、なんともいえないぬくもりと清涼感に、満ちていた。
お読みいただきありがとうございます。
そろそろリードが恋しい頃でした。
誤字報告いただいた方、大変助かります!
評価、ブクマも感謝です!やる気のもとです。頑張ります!。゜+.*(+・`ω・)9




