27 聖剣テオティルは、“ほうれんそう”を覚えた。
「…………日常って……儚いねぇヴォルフガング……」
遠い目をした娘が言った。声音は力なく、視線は天井を向いている。肩はげっそり落ちていて、片手は何故か胃のあたりを押さえている。そんな彼女の表情を見て、話しかけられた犬の顔の魔将は、渋い顔。
「何を言っているんだ貴様は……」
腕を組み、彼女の斜め前の席に着席したヴォルフガングから、そう呆れたような声が戻った途端、エリノアは真新しいテーブルに突っ伏した。
「……やっぱり! 止めればよかった……! あ、心配で胃が……! い、痛たたっ」
「……今更がすぎるぞ馬鹿め……」
「だって! ブラッドリーがコーネリアさんを味方につけたら太刀打ちできないのよ!」
姉想いがすぎる魔王と、禍々しい金棒をかついだ元乳母。あの組み合わせに勝てる者はそうはいないだろう。それはなんとなく分かるのか、ヴォルフガングもため息をつく。
「まったく……何故こんな……貴様、もう少し弟離れをしろ! いや……お前だけが離れても仕方がないが……っ」
エリノアが弟離れすることはあったとしても、弟のほうの姉離れは死ぬほど難しそうである。
悲壮な顔のエリノアは、テーブルの上に身を乗り出して、ヴォルフガングの腕をガシッとつかむ。
「お、おいやめろ……」
「ヴォルフガング! ブラッドリーが王宮の廊下で、泣いてたらどうしよう!? お、お皿割ってないかな!?」
「(それはないな)……とりあえずお前は落ち着け。決起したのなら、もううだうだ言うな! 手伝わされるこっちが迷惑だ、覚悟を決めろ!」
「はいぃぃぃ(ブラッドぉぉぉ)」
実は自身も内心ブラッドリーが心配で堪らないヴォルフガングにキレられて。エリノアはハンカチで涙を拭いながら、ひとまず居住まいをただした。
「そ、そうよね、私がこの状況を作ったんだもの……私がしっかりことを成し遂げなくちゃ……」
なんとか立ち直ったエリノアに、イガイガした顔の魔将はふんと鼻を鳴らし。その彼の向かい側の席には、聖剣テオティルがずっと笑顔で主人を見つめていた。
「それで、勇者様! 此度は如何なさるのですか?」
一人うきうきした声音の聖剣に、鼻をすすりながらエリノアが「勇者はやめて!」とハンカチを握りしめる。そして彼女はキッと正面を睨み、宣言する。……エリノア様鼻水出てますよと聖剣に拭われながら。
「──私どもの今回の目的は、王太子様をお助けすることです。私たちは! とにかく急いで殿下を探さなければなりません! あなたたちは王国兵たちとは違って転移する魔法が使えたり、ヴォルフガングは小鳥にだってなれるし、色々侵入可能でしょう? 情報収集だって有利だと思うのよ」
「……具体的には? どこを探る」
目星はあるのかと尋ねられ、エリノアは一瞬黙す。こんなことは、王国の侍女としては言いたくはない。だが、エリノアはこれまで吞みこんできたものを吐き出すように、重く言う。
「──クラウス様と、ビクトリア様周辺を、探って欲しい」
なんの確証もない。ただ、今回の件で誰が怪しいかと言われれば、一番最初に思い浮かぶのは彼ら親子である。
「……証拠も何もないところでお二方を疑うのは心苦しいけれど……ビクトリア様は王太子様をそれはそれは目の敵にしておいでだし……もしあの方たちが王太子様を陥れた犯人ではなくても、何か情報をお持ちな気がするの」
エリノアは、以前オリバーが『クラウス様は悪知恵だけは天下一品』と称していたことを思い出していた。己が意にそまぬ者を処罰することすら、自分の兄を貶めることに使うくらいだ。策謀に長けているという王子が、このような事態に何も知らないということはないはずだ。
「あの方の周辺を探ればきっと王太子様について何か手掛かりが……」
「ふむ、だが偽の聖剣から敵を追うという選択もあるぞ。俺は人や物体の持つ気を目視出来る。偽の聖剣を見れば作り手も探せるゆえ、そこから追えば──」
と、ヴォルフガングが言った時。そんな緊張した面持ちの主人たちに、テオティルが「ああ」と、ほのぼのこともなげに言った。
「私の偽物を作ったのはクラウスですよ」
「え?」
その言葉に、エリノアがぽかんとテオティルを見る。ヴォルフガングは眉間のシワを深くした。
唖然とした娘を見返して、ニコニコしたまま聖剣は言う。
「あ、エリノア様が知りたいのは剣を作り上げた職人のほうでしたか?」
そちらは分かりませんと申し訳なさそうに謝るテオティルに──エリノアとヴォルフガングが顔を見合わせた。
「え──ちょ、え? な、何? 今なんて……?」
「どういうことだ、説明しろ!」
二人が問うと、テオティルはキョトンとした顔で言った。
「? ええ、あれはいつだったでしょうか……? エリノア様に王宮に召喚された日、禍々しき気配をたどって行くと、クラウスの住まいの奥に、私にそっくりな剣が」
「え? え? ちょ──ちょっと待って私が召喚したって何!? そんな覚えは──」
「待て」
混乱するエリノアをなだめ、ヴォルフガングがテオティルを睨む。
「あの時だな? 人型に化けた俺がこいつに服を剥ぎ取られた時」
と、指さされたエリノアが困惑。
「!? 剥ぎ!? いつよ!?」
「王宮の洗濯場で、騎士どもと洗濯をしたことがあっただろう! やつらの壮絶に汚い制服をつけた桶に俺が落ちたことが。……貴様が俺様の手を拒んだせいでな……」
言いながら何故かヴォルフガングはやや恨みがましそうな目でエリノアを見る。
「へ? え? それってもしかして──テオティルが王宮に突然現れて急に消えた──オフィリア様の婚約指輪を池で見つけた、あの日のこと!?」
それは随分前のことである。
薬剤入りの桶にエリノアが倒れこみそうになり、それを庇ったヴォルフガングが薬剤に浸り、焦っていると、家にいるはずのテオティルが急に現れてヴォルフガングに『聖水でもかけますか?』と──……
それを聞いたエリノアは愕然とした。
「──クラウス様が……聖剣の偽物を、用意されていた? あの頃から?」
そうではないかと疑ってはいたが、そんなに前から計画されていたことだったとは。
ヴォルフガングも呆れた様子で頭を振る。
「……ということは、随分周到に準備をしていたということだな……やれやれ面倒な……それならば情報もかなり厳重に管理しているのだろうな」
そう言い、しかしヴォルフガングは小賢しいと言いたげにフンと鼻を鳴らす。
「だが、我ら魔物にかかれば人間の秘事を探り出すなど造作もない。……目標は定まったな」
「そ──そうね」
魔将の言葉にエリノアも頷く。
それならばクラウス王子たちに遠慮なんていらないわけだ。国に混乱をもたらし、ブレアたちを苦しめる彼らに挑む覚悟を、エリノアは決めた。
……──が、その前に! と、ここでエリノアの顔が、カッと鬼顔に豹変する。
「? 主人さ──」
ま、とテオティルが言う前に、エリノアの手がテオティルの両頬をわっしり掴む。
「──だけどテオ! あなたもうちょっと“ホウレンソウ”を大事にして! そんな大事なことは早く教えてくれなくちゃ駄目でしょう!? 報、連、相! 報告、連絡、相談よ? お出かけする時は行き先報告! 何かあった時は絶対連絡! 聖剣の姿に戻るときも相談よ!? いい? 分かった!?」
「ふ、ふぁい、もうひわへありまへん、あるじさあ……」
絶対よ!? と、エリノアは、いつまで経ってもトンチンカンなテオティルに、必死の形相で言い聞かせている。こんな重大事案を抱えている今、この聖剣にふらふらされていては安心してことに取り組めない。
美しい頬を両側からみょんっと伸ばされた聖剣も、そんな主人の必死さに気圧され、珍しく殊勝な様子。
──そんな勇者と聖剣の、まぬけな主従を見て。
まったく──こちらのほうがよっぽど手に負えないと、ヴォルフガングは頭痛を堪える。こんな二人と連んでいなければならないとは。
「……もしや俺が一番貧乏くじを引かされたのでは……?」
先行きが非常に不安なヴォルフガングである。
お読みいただきありがとうございます。
エリノアは、テオの美形性を完璧に意識していません。もはや主従というより“子”と成り果てています…魔物の方がよっぽど勇者の役に立っています。笑
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