26 完璧か、ナルシストか。
王宮の廊下の端を歩く侍女がいた。
編み込んだ黒髪をうなじのあたりでシニョンにし、しっとりとメイド服を着こなしている。彼女は落ち着いた表情で、腕にぴしりとアイロンのかけられたリネン類を抱えているが、それを運ぶ様子も静かでソツがない。凛としていながらも、物静かな表情で廊下を歩く彼女を見て──すれ違った衛兵たちが、一瞬の間ののち彼女が誰なのかに気がついて。幾人もの兵が彼女を二度見した。──が、それでも彼女は表情を一切変えなかった。
それはどこか優美な大輪の花のような、圧倒的な佇まいであった。
「…………どうしたの……? エリノア……?」
ブレアの住まいに帰ってきた彼女こと、エリノアを見て、先輩侍女たちが戸惑う様子を見せた。
「え? どうかなさいました?」
エリノアがにっこり応じると、侍女たちは一層怪訝そうな顔。
「いえ、どうって……ねえ」
「今日はやたら仕事が完璧っていうか……どうしたの⁉︎ 熱でもあるの⁉︎」
と、エリノアが笑う。その笑い方すらしとやかで。先輩たちはギョッとした。
「ふふ、いやだ先輩たちったら。私はいつも通りですよ」
どこか妖艶な眼差しで小首を傾げるエリノアに──先輩たちは慄く。
「そ、う、は見えないけど……(エリノア……ブレア様が心配すぎて熱でも……?)」
「……む、無理しないでいいのよ? (それともどこかで頭でもぶつけた……?)」
うろたえた女たちは、サカサカと素早くエリノアから離れると、彼女に背中を向けてヒソヒソ話をはじめる。
「ど、どうする? エリノアが変よ! 今日は朝から何も失敗してもいないし……ブレア様に報告したほうがいい……?」
「そ、そうだけど。いえ、でも今はそんな……」
「だって、どう見てもあれはおかしいわよ! どうしちゃったのエリノアは! あれではまるでどこかのご令嬢よ⁉︎ あの毎日事あるごとに転けて、床でビチビチ顔を打って、焦ってまた転ぶ……みたいなエリノアがよ⁉︎ 絶対変よ!」
「そ、そうねぇ……ど、どうしましょう……」
──思い切り怪しまれていた。
先輩侍女は尚も同僚に言う。
「忘れたの⁉︎ 私たちには報告義務があるのよ! エリノアはブレア様の……じゃない? 王妃様だって、エリノアに何かあったら『絶対に私に報告しなさいね?』て、厳しくおっしゃっていたじゃない……」
「そ、そうだけど……今はちょっと時期が悪いっていうか……王妃様も先日倒れられたばかりだし……こんな時に……」
王太子が消え、混乱している最中。たとえ王子の想い人であろうとも、単なる侍女の話を上にあげてもいいものか。そもそも変とは言っても、別に粗相をしたわけではない。完璧すぎて怖いという話なのである。どうしたものかと、横目でエリノアの様子を窺う侍女。その気持ちはもう一人の侍女にもよく分かった。けれどと彼女は続ける。
「でももしエリノアがブレア様心配のあまりの神経症とかだったら……? やっぱり可哀想よ!」
「う、うーん……」
「しかも……しかもよ、こんなこと考えたくないけれど……」と、侍女の顔は青ざめた。
「もし──もしも、このままリステアード様が行方不明のままで、ブレア様が次の王太子になられたら……エリノアは、もしかしたら……王太子妃になる可能性だって……あるのよ⁉︎」
「ぅ……や、やばいわ──……」
どうしてこんなことに……と、二人は頭を抱えて困っている。
そうして悩んだ挙句、先輩侍女たちはとりあえず、有事に備え、このブレアの住まい周辺の警護を厳重にして貰おうという結論に至った。
彼女たちは、エリノアにはとにかく今は休んでいろと言って彼女を作業室へ追い立てた。それに不満そうなのは“エリノア”だ。
「……なんなんだアイツらは……僕は完璧に姉さんをやっているのに……」
“完璧な姉”ことエリノアに化けたブラッドリーは、不服そうな顔で、侍女たちが目の前に置いていった、気持ちを落ち着かせるという薬草茶を睨んでいる。と、声がした。
「……陛下? お言葉ですが完璧違いですわよ……?」
作業台の上に、トンッと背中にこぶを三つつけた一匹の猫が跳び乗ってきて。呆れたような口ぶりで言う。
「完璧な侍女すぎて、もはやあれでは全っ然! エリノア様ではありませんでした……やはり少しはうっかりしていただかないと……」
猫は『全然』をやたら強調して言う。と、“エリノアなブラッドリー”は、いよいよ憮然とした表情となる。
「ええ? 嫌だよ、どうして僕が姉さんの仕事を失敗させなきゃいけないの? そんなことしたら王宮のやつらから姉さんの評価が下げられちゃうじゃないか。そんな生意気なこと許されると思う?」
「……しかしですねぇ……」
不服そうな“エリノアなブラッドリー”に、猫姿で王宮に進入してきたコーネリアグレースが進言。
「髪型だってお変えになったりするから、余計に別人のような印象を受けますわ……」
猫婦人の指摘にブラッドリーは肩を竦める。
「だって、姉さんは不器用だから、自分の髪は、三つ編みと簡単に括るくらいしか結べないんだよ。……たまには、別の髪型の姉さんも見たいんだもん」
どう? 可愛いでしょ? と、言って椅子を立ち。自慢げにくるりとその場で回って見せる──魔王。普段から彼はやたらと姉の髪を手入れしたがるが、まさかここまでヘアアレンジのテクを持っていたとは、と、コーネリアグレースは地蔵のような顔をした。
「……」
「まおうさま、」
「しすこん」
「ぜんかい」
黙りこむ猫婦人の代わりに、その背中に張り付いていたマリモ三姉妹が恐れを知らぬつっこみ。し! おやめ! と猫婦人。
そんな親子には目もくれず、“エリノアなブラッドリー”は、ふむと壁際に置いてある、侍女たちが身なりを整えるのに使っている姿見を覗きこむ。
「……僕は王宮の騒動なんかどうでもいいけど……こういうの、たまには悪くないな……」
姉さん可愛い……と、つぶやく少年が、はたと、そういえば何もエリノアが危険を犯さずとも、自分が王太子を探してもいいのではと冷静になったのは昨日の真夜中。しかし、そうは言っても、姉の、『自分がブレア様の助けになりたい』『何かしたい』という決意は固かったし、姉が何かを人任せにして、落ち着いていられる気もしなかった。そうなれば、姉は悶々と気を揉み、一層悩むのではないか。それくらいならば、いっそ彼女の希望通り、気の済むようにさせてやるほうが後悔も残らないのではないか。そう彼は考えた。
それに、ブラッドリーだって、正直王太子のことなどどうでもよくて。それよりは、こうして直接的に姉のために働いているほうが身も入る。
「……うん、やっぱり姉さんは可愛い……」
うっとり姿見の中の自分を見つめて、ほつれた横髪を耳にかけるブラッドリー。──に、猫四匹が呆れ果てている。
「……陛下、ちょっともうそれおやめなさいませ? なんだかエリノア様がナルシスト化しているように見えますわ……」
「みえる」
「みえる」
「すごく、みえる」
どうなることやら。先行きが不安だとコーネリアグレースはため息をついた。
とりあえずこのままでは、エリノアに『ナルシスト侍女』という気の毒な評判が立つのは確実であろう……。
お読みいただきありがとうございます。
…今、この時、エリノアとヴォルフガングは、きっとブラッドリーが心配すぎて、物凄い胃痛を感じていることと思います…(グレンはきっとノリノリでしょう。笑)




