25 決意、転じて
『僕が! 姉さんの代わりに! ──王宮で働く‼︎』
その宣言を聞いて。本人以外の者が皆、ぽかんとしていた。もちろん、エリノアも。あののんき者の聖剣までがキョトンとして、なんだか身体が斜めに傾いている気がする。
──唯一、メイナードだけがいつも通りにプルプルしているように見えるが──若干そのリズムが変わっているところを見ると──どうやら老将は笑っている。
「……え?」
と、声を漏らしながら額を押さえたのはエリノアだ。
ちょっと意味が分からないという表情をしたエリノアの両腕を、必死な顔のブラッドリーがつかむ。
「王族のやつらの為になんか辞める必要ない! 僕が! 姉さんのフリをして働いておくから!」
「えーと……え──……とぉ?」
弟の目はどこかグルグルしている。どうやら、姉の窮状を聞いて精神的に相当追い詰められたらしい。
「ちょ、ブラッド落ち着いて──」
弟の混乱状態を見てとって、エリノアは慌てて弟をなだめようとする。が、どうやら彼の決心はかなり硬くなってしまった模様。ブラッドリーは毅然と言い放つ。
「僕は姉さんに化けて姉さんの留守を守る! ──コーネリア!」
「あ、らぁ? いやだぁ、……あたくしぃ?」
魔王に呼ばれた女豹婦人が珍しくビクッと巨体を揺らして動揺を見せる。
眉間にシワを寄せて周囲を所在なさげに見回す婦人に、ブラッドリーは据わった目を向ける。
「コーネリア、王宮侍女の仕事、所作、情報、注意点。今夜のうちにすべて僕に叩きこんで」
「……やだぁ、陛下ったら本気だわぁ……コワァ、もう……侍女って……なんなのぉ……」
言いながら三角の耳を横に倒しつつも、婦人はブラッドリーに従おうとする。
それに慌てたのはエリノアである。
「ちょ、ま、いやあの⁉︎ フリって……そ、そんな何言って……ブラッド⁉︎」
追いすがる姉に弟は厳しい。
「だって仕方ないでしょう。王宮の人間どもに僕の大切な姉さんが不忠者扱いされる⁉︎ ブレアが愛想を尽かす⁉︎ 冗談じゃない生意気な!」
「⁉︎」
吠えるような怒号だった。同時に家が揺れ、驚いたエリノアが思わず肩を竦める。
爛々光るような目。おどろおどろしい顔で地を這うような声で呻くブラッドリーの口からは、何やら怪しげなドス黒い煙が噴き出している……。
まさに魔王然とした弟を見たエリノアは唖然とし、そんな姉にブラッドリーは薄暗い表情で──にっこりと微笑む。思わずエリノアが身構える。と、弟は言った。
「姉さんが振ることがあっても──振られることなんかあってはいけないんだよ……?」
「は、はいぃ⁉︎」
「──大丈夫、完璧に騙すから」
ギョッとするエリノアに、弟はどこか艶やかに笑う。
どうやらブラッドリーは、何かしらの恐ろしいスイッチが入ってしまったようだ。
エリノアは血の気の引いた顔で慌てた。せっかくブレアのためにと決心を固めたが──突拍子もないことを言い出した弟のせいで精神がグラついた。
「だ、騙……ちょ、いやブラッド無理だって──! 侍女の仕事はそんな一朝一夕にできるようになることじゃ──」
止めるエリノアに、ブラッドリーはスンとした顔。
「何言ってるの。一朝一夕なわけないでしょ。僕がこれまで何度姉さんの職場見学に行ってたと思うの?」
両手両足の指じゃ足りないよと当然の如く言う弟。もちろんそれは──無断での見学である。
どうやら、エリノアが思うよりももっと、彼は魔王の力を使い、ちょくちょく王宮に侵入していたらしい。
「はほぁっ⁉︎」
いつの間にだ⁉︎ と、戦慄する姉に、ブラッドリーは、大丈夫だと微笑む。
「大丈夫、ちゃんとリードの店も手伝ってたよ。休み時間のたびに行ってただけ」
──結構な頻度である。
「⁉︎ ⁉︎」
「ね? 大丈夫だよ、僕って結構巧妙だから。魔王時代の知識と経験を総動員するから安心して」
「⁉︎ じ、侍女仕事に⁉︎」
全然安心できないとエリノアは思った。が、ブラッドリーは言う。
「それに、他の者に頼めるようなことじゃないでしょう? 姉さんだって、グレンに自分の身代わりして欲しくないでしょ?」
「へ、グレン……?」
唐突に突きつけられて、エリノアがうろたえる。と、名指しされた黒猫が言う。
「え? 適役じゃありません? 私、すっごく可愛い姉上出来ますよ?」
「…………」
えへ、と、首を傾げる黒猫を振り返り、エリノアは──絶対に超絶嫌だと思った。グレン製のエリノアは、絶対に何かをやらかす気しかしない。
と、弟は今度はエリノアの肩の上に止まっている小鳥を指差す。
「それにヴォルフガングに侍女のフリができると思う⁉︎」
「! わ、私ですか⁉︎」
急に名指しされた小鳥がピヨッと動揺した。エリノアも小鳥を眉間にシワを寄せて凝視する。普段の彼の猛々しい姿を思い浮かべ──。
「た、確かに……」
こっちはこっちで絶対に無理である。このプライドが高く、硬派な魔物では、自分のフリ……というか女装自体が無理だろう。というか可哀想である。そう思ったエリノアは。──もうこの辺りからだいぶん混乱して来ていたエリノアは、つい提案してしまう。
「な、なら──コーネリアさんは……?」
婦人ならソツがなくて、きっと完璧に侍女の仕事ができる。そうよ、少なくとも魔王が侍女やるよりも絶対いいはず──と、エリノアは彼女に助けを求めるような目を向けるが──
「え? あたくし? あたくしだと──子守しながらになりますわよ?」
と、婦人はちらりと床や天井を走り回っているマリーたちに目を向ける。その相変わらずのピンボール娘たちを見て、エリノアは消沈。
「…………」
「だって、あの子たちはじっとしていませんわ。誰が面倒見るんですの?」
黙りこむエリノアに、婦人は指折り、言う。
「あたくしがエリノア様になって、陛下がモンターク商店に普段通りお仕事に行くとして、護衛にはメイナード。エリノア様がヴォルフガングを連れて行くとしたら……グレンが子守……」
「え、絶対いや」
途端グレンが拒絶を示し、コーネリアグレースが、クワッと牙を剥く。
「まったくお前は……!」
婦人は凶悪な顔で息子を睨むが、グレンは知らん顔である。それを見たコーネリアグレースは舌打ちをして言った。
「……やはりその布陣ですと、三匹はあたくしが連れて歩くしかないですわ。この途中で子守を放り出しそうな愚息にマリーたちを預けて、万が一問題が起きても、あたくしがエリノア様のフリをしている間は対処ができませんし」
ブラッドリーに姉関係の命令を受けたとあれば、コーネリアグレースはそれを完璧に遂行しなくてはならない。何故ならば、もし彼女が失敗すれば、シスコン魔王の怒りがどうなるのか分からないからだ。エリノアの仕事を放り出し、途中で迷子捜索になど行っていられないと言う彼女に、エリノアも返す言葉に困る。
「う、うーん……」
「ねえエリノア様。やっぱりあたくしが王宮でエリノア様の代わりを務めるのは無理ですわよ。ここで三匹だけでお留守番させたらトワイン家が崩壊する気がしますし……マリーはリードちゃんの店は(自主的に)出禁(マリーが以前リードを脅したから)ですから陛下について行かせることもできません。かと言って、マリーたちを閉じこめておく……なんてことは──」
「……したくないです……」
エリノアはげっそりと答えた。エリノアには、あの可愛い子猫たちが泣くと分かっていて、どこかに閉じこめるなんてことはできないのである。(「……というか、あの子たちが泣き喚いたら瘴気がバンバン発生します」byコーネリアグレース)
エリノアは困った。確かに──ここまでの話を聞くと、婦人にエリノアのフリをしてもらうことは無理そうであった。
これまでは、エリノアの護衛をするグレンにくっついて王宮にも来ていた三匹だが、今まで彼女たちの王宮内への侵入は固くエリノアが禁じていた。廊下にですら高価な装飾品が並べられている王宮である。エリノアの年収でも買えないような壺などに、あの三匹のピンボールアタックをかまされたらたまったものではない……
しかし、コーネリアグレースがエリノアのフリをするとなると、彼女たちは絶対に王宮内に踏み入ってしまうだろう……
「…………」
……さて……そうなると残るはメイナードだけなのだが……
エリノアは、わっと両手で顔を覆って嘆く。
「……っメイナードさんに労働を頼むなんて絶対に無理!」
エリノアの認識下では、魔術を使える以前に、メイナードは要介護なご老人様である。
こき使うなんてもってのほか。
「ああああああああっ」
「ほらね、やっぱり僕がやるしかないんだよ。行くよ! コーネリア!」
床にうなだれるエリノアを尻目に、ブラッドリーは気合のこもった顔で居間を出ていく。
「あらぁ、もう、なんてことかしら……陛下が侍女ねぇ……ふふふ、まあこうなったら楽しむしかありませんわね。おーほほほ、お待ちになってぇ陛下ぁ! まずは消し飛んだテーブルを新しく調達しませんと!」
侍女修行に必要ですわぁと、切り替えの早い婦人はしまいにはスキップしながらブラッドリーを追って行った。
「うぅうぅ……」
何故こうなった──と、エリノアは、彼らが出て行った後もしばし床の上で項垂れていたが──不意にハッとする。
「──あれ⁉︎ いや……そも、そもそもっ……だから別に私のフリしてくれなくてよくない⁉︎」
せっかく覚悟を決めたのだから──⁉︎ ──と、顔を上げた時にはすでに弟たちはそこにいない訳だ。
「ちょ──」
「まあまあ」
青ざめるエリノアの傍に、グレンがやって来る。笑いながら。
「あは、もう諦めたらどうですかぁ? 陛下、物凄いやる気でしたし……陛下の女装だなんて、ご褒美以外のなんでもないじゃないですかぁ」
「お馬鹿! 何言ってんの⁉︎ だ、だって……」
「ちょっとくらい失敗したって、どうせ姉上は日頃からドジっ子ですからねぇ。多分誰も気がつきませんよぉ。よかったですねぇ姉上、普段からうっかり者で!」
「⁉︎」
ケラケラ笑う黒猫。それをまだ良識的なヴォルフガングが怒鳴る。
「ば、馬鹿者ぉ! 陛下が! 人間の王族のために労働するなどと……そんなことが許されるわけがないだろう!」
「えーだってぇ、陛下がやりたいっておっしゃってるんだから仕方ないじゃないか」
「ぐ……」
王命は絶対なんだもんと、適当な調子のグレンを見て──ヴォルフガングは苦々しく顔を歪める。
……ブラッドリーもおそらく。この適当な黒猫にだけは、愛する姉の大切な仕事を、絶対に任せられないと思ったのだろう。
──さて。
こうしてエリノアの決意は──華麗に思わぬ方向へと転がってしまったのだった。
お読みいただき有難うございました。
ブラッドリー、国<姉なので。こうなりました。
コーネリアもなんだかんだ方法はあっても、主人の意向に添うためにエリノアを煙にまいている感が( ´∀`;)
さて、書き手ですが、ちょっと書籍関係で仕事が立て込んでしまい、ここから数日間更新お休みいたします。多分一週間程度ですが。集中的にやって速攻で終わらせたい(夏休み宿題溜めるタイプ)ので、しばしお待ちいただけたらと思います。
がんばります!(๑•̀ㅂ•́)و




