22 屋根の上の混乱
堅い屋根の上に片膝をついて。静かに階下から感じる気配を探っていた青年は、その変化にハッとした。
「……おや」
見開かれた鮮やかなオレンジ色の瞳はどこか嬉々としている。綻んだ口元に、それを傍で固唾を飲んで見守っていた少年が表情を固くする。
「⁉︎ どうした⁉︎ 姉さんに──何かあったのか⁉︎」
少年は必死に問うが、銀髪の青年の耳には届いていないらしく、彼は微笑んだまま答えない。
「! お、い⁉︎」
「ふふふ……」
「⁉︎ 姉さんは⁉︎」
「…………」
そんな彼らの傍で──そのやりとりを見ていたコーネリアグレースは。ブンッと大きく金棒を振って「あはん」と呆れたようにため息を漏らした。
ブラッドリーがあれだけ間近でピリピリしているというのに、よくもまあ、あんなにのほほんとしていられるものである。
と、そこでようやく人の目には見えざる屋根の下を眺めていた青年が、ブラッドリーを見た。
「おや、なんですか? ああ……危険はありませんよ。エリノア様はブレアととても仲良くしているようです。うふふ」
青年が含みのある顔で笑うと、今度は少年の顔がぐっと険しくなる。
「な、仲良く⁉︎ ま、まさか……あいつと…………」
青ざめた形相は鬼のようだが、双眸には焦りとも怯えとも取れるような色が浮かぶ。
しかし、そんな彼にも臆することのない銀の髪の青年、聖剣テオティルは、血の気の引いた魔王に、いいえと首を横に振って見せた。
「残念ですが、そういったことでもありません」
“勇者の子供早く欲しい勢”であるテオティルは少々残念そうに言い。続けて片眉を上げて。やや冷ややかな目でブラッドリーを見た。
「ですから──その禍々しい黒刃の群れを、直ちに仕舞いなさい魔王」
「!」
指摘されたブラッドリーがムッとした顔でテオティルを睨む。そんな彼の背後には──いつかの日、側室妃ビクトリアを襲った闇色の短剣が数多空に浮かんでいる。鋭い切っ先は階下に狙いをつけていた。
禍々しいそれらを見たテオティルはやれやれと言った。
「まったく私の目の前でいい度胸ですねぇ」
……と、のんきにのたまう彼の視線の先では──コーネリアグレースが必死に黒刃を止めている最中である。
「ああもう! め! 陛下! 我慢、我慢ですわ! まったく……まったく短気なんだから!」
聖剣と魔王の組み合わせは手に余るわ! ……などとブツブツ言いながら。女豹婦人は、愛用の金棒をぶんぶん振り回し、主君の黒刃をハエでも追い払うように遠慮無く打ち砕いている。
が──しかしそれどころではないブラッドリーは、婦人には目もくれず。尚もテオティルを睨む。
「……じゃあなんなんだ⁉︎ 姉さんは⁉︎」
必死な顔で迫りくる魔王を見て、テオティルは目を細める。
「……ひとまず君は落ち着きなさい。……君は変わった魔王ですねぇ……」
姉のためだからといって、聖剣に協力を要請してきた型破りな魔王に、呆れという感情を見せる。ふむとテオティル。
「姉の無事が知りたいという渇望のために敵をも利用する。魔王らしき横暴と言えばいいのか、愛のためにならば聖なるものの手でも取るという、これは調和のための一歩なのか……」
「何をうだうだ……だから、姉さんは⁉︎」
何やらしみじみしはじめたテオティルに、ブラッドリーが苛立っている。
──そもそも。何故ここにテオティルがいるのかというと。
単純な話、この屋根の上からでは、エリノアの様子がまったく見えないからである。
もしここに老将メイナードがいれば、また別の手もあったのだが……彼は現在、ブラッドリーの身代わりとしてモンターク商店で労働中のグレンを見張るという重要な役割を与えられている。
それでは仕方なしと、姉とブレアの様子を見張ろうと、当然のように病室へ侵入しようとするブラッドリーを、それはならぬと止めたのはコーネリアグレースだ。
そんなことをすれば、姉の青春を邪魔した廉で死ぬまで恨まれるぞと脅されて。しかし、そっと覗こうにも、病室の窓の外や廊下にはブレアの護衛たちがいる。彼らを排除しようとすると、やはりコーネリアグレースが止めるのだ。
『この、魔界一常識人(真偽不明)なあたくしの目の前でそういった面倒ごとはおやめ下さいませ⁉︎ 後からあたくしがエリノア様にどうして止めてくれなかったとか泣かれるんですのよ⁉︎ 元乳母の沽券に関わりますわ! もう! とにかくエリノア様探知機を連れてきますから!』
と──コーネリアグレースが金棒で吊し上げながら連れてきたのが──エリノア探知機こと──彼、テオティルであったというわけだった……。
しかしこの“エリノア探知機”。なかなかどうしてとんちんかんで。いつまでも自分だけが分かったような顔をしている青年に──ブラッドリーは苛立ちを募らせた。
「だからっ! 姉さんがどうしたんだよ!」
さっさと言わなければ、屋根を焼き払うぞと言われ、テオティルがため息を吐き、言った。
「どうやら──エリノア様は、何やら決意を固められたようですね」
「決、意……?」
怪訝そうなブラッドリーを無視し、テオティルはうっとりと微笑んだ。視線は階下にいるエリノアを見ているのか、恍惚とした表情。
「美しい……戦いに向かうような果敢なる気に満ちています。これでこそ我が勇者」
「……戦いって……だけど姉さんは女の子なんだぞ……⁉︎」
ブラッドリーは喘ぐように言い青年を睨みつけ、それから不安そうに階下へ視線を送る。
「……姉さん……」
決意とは。それはいったいどんなものなのか。
ブラッドリー自身は、混乱した現在のこの国を、どこか冷ややかな目で見ている。人間たちの争いなど滑稽なだけ。王権争いなどその最たるもの。勝手に争っていればいい。しかし──
自分とは違い、王国に愛着があり、王家と親しんでいるエリノアは、この国のことをとても憂いている。
「…………」
それを思うと、非常に嫌な予感がした。
姉は、時々思いもよらぬところへ突っ走ろうとする性質である。
「……姉さん……お願いだから無茶はしないで……」
ブラッドリーの拳が、不安げに固く握りしめられた。
──そんな魔王の、深い闇を映す双眸を──……
屋根の縁から、ちみっとふわ毛の頭を出した小鳥──ヴォルフガングが、しおしおに怯えた目で覗き見ていた。
「あ、あ、あ……へ、陛下……」
自覚のある男、小鳥ガングは、分かっていた。すべては自分が転送間違いを犯したせいである。
小鳥はプルプル震えながら、ひ〜……と、嘆いた。
「も、申し訳ありませんんっ、陛下ぁぁぁっ!」
お読みいただきありがとうございます。
人知れず、魔界勢+αが、ガヤついてます。




