23 ブレアなグレン?と、エリノア
──あの侍女の身元を割り出すのは容易いことだった。
何せ侍女たちの統括をしている侍女頭は、もともとブレアの母、王妃に仕えていた婦人である。
つまり──ブレアは彼女に尋ねれば良かったわけだ。
『昨日、あの時間、女神の大木前を掃除していた侍女は誰だ』と──……
侍女たちをまとめる彼女に、それが分からない筈がない。
おまけにと言ってはなんだが……あの時、娘は王宮の備品である箒をへし折っていた。
王宮内では、そこで使用される備品たちがかなり正確に管理されている。もし破損、あるいは紛失などしてしまった場合、その報告は全てそれぞれの部署の管理者に届け出る決まりとなっていた。あの娘がその服装の示す通り侍女という立場であるならば、その申告先は侍女頭、その人に他ならない。
──案の定、箒の破損の報告は侍女頭の元にきちんと提出されていて──あのように慌てて逃げ出しておいて、なんとも間抜けなことではあるが……こうして娘の身元はすぐにブレアの知るところとなったのである。
その娘の名は──エリノア・トワイン。
家名を聞いたブレアは、おや、と思った。その家名には聞き覚えがあった。
事情を詳しく知る侍女頭に話を聞くと、やはりそうだった。
あの娘は──元伯爵家の娘だったらしい。
彼女の父、トワイン家の元当主は、昔、王太子派の筆頭、現国王軍将軍タガートの側近の一人として活躍していた人物だった。
しかし、彼は派閥間の争いが激化していた十年ほど前に、敵対勢力の弱体化を謀る第三王子の派閥の者たちに巧妙に罠を仕掛けられ、莫大な借金を背負わされてしまう。
そうして当主は領地を手放さざるを得ず、領地と共に地位を失い、その後心労が祟って病死したらしい。
トワイン家当主の妻は早くに亡くなっており、残された彼の子供たちは一時タガートが身元引き受け人となっていたのだが、常に病に伏せている弟をタガートの妻が厭い、二人は将軍の屋敷をも出る羽目となった。
話を聞かせてくれた侍女頭は、困ったような顔でブレアに言った。
『エリノアも負けん気が強い娘なので……溺愛する弟を“病原菌だ”、“疫病神だ”なんて罵られて黙っていられなかったらしく……奥方に、自分がきっと弟を貴女が驚くよう立派な紳士に育て上げて見せると啖呵を切って。それで、将軍が止めるのも聞かず独立すると言い出して。……お困りになった将軍が、王宮で彼女が働けるように取り計らったんです』
『しかし……頼れる親類くらいいたのでは?』
ブレアがそう問うと、侍女頭は首を振り、少し声を潜めてこう言った。
『あの頃は王太子様が初陣で華々しいご活躍をなさった頃で……ご側室様の殿下に向ける嫉妬はそれはそれは酷かったんです。それでトワイン家ご当主のような殿下の派閥の有力者たちがご側室様に睨まれて、次々に失脚させられていて……下手に手を貸して自分たちに類が及ぶのを恐れた親族たちには見て見ぬ振りをされたようです。共倒れになっては当主も無念だろうとかなんとか言って……本当に可哀想なことです……』
『……』
それを聞いたブレアは何とも痛ましい気持ちになった。
己たちの王座を巡る争いに巻き込まれ、人生を狂わせるのは、何も失脚した貴族の大人たちだけではないのだ。が──……
「…………」
ブレアは腕を引かれ、馳せていた意識を現在に引き戻される。
その、哀れな当事者たるトワイン家の娘は──今、ブレアの腕をぐいぐい引っ張りながら、真顔で言う。
「魚で手を打て」と……
「…………(……さ、かな……?)」
訳の分からない事この上ない。そう思ったブレアが思わず押し黙っていると、娘は眉間に皺を寄せて、「何なの、魚じゃ不満ってこと!?」と、こちらを睨む。
……さっぱり意味が分からなかった。
昨日のようすでは、再び己の姿を見ればきっと逃げ出すのだろうと思われたその娘は──何故だか今日は、逆にブレアに掴みかかり、「逃がすものか」と言わんばかりの顔である。
そうしてもう片方の手でガチャガチャと窓の鍵を開けながら、「魚だ」「猫だ」と不可解な言葉を並べ立てていて──……
ブレアは思った。一体誰が、この娘を前にして、彼女が聖剣を抜いた勇者なのだと信じてくれるのだろうか、と。
「…………」
だが、ブレアはひとまず娘のようすを黙って窺っておくことにした。
どんなに信じられなくとも、昨日、この娘が聖剣を抜いて見せたのは動かしようのない事実だった。彼は、王太子の為に、必ずこの娘を味方につけなければならない。
この娘ときたら、一国の王子たるブレアの頭を行き成り掴んできたり、怒鳴ったり……その言動は不可解極まりなかったが……交渉相手の状況をよく知ることは駆け引きにおいてはとても重要なことだ。
きっとこの意味の分からぬ言動にも、何か娘なりの事情があるはず。そう思ったブレアは、それを探りださんと娘を静かに見つめた──……
──と、娘はちらちらと部屋の出入り口の方を気にしながらブレアに言う。どこか苛立ちを感じる声だった。
「あのね……とりあえず、猫に戻ってくれない? そのサイズだといざって時に抱いて逃げることも出来ないでしょう!?」
……私を抱いてどうするつもりだ、とブレアは思う。
「だいたいどうしてブレア様なのよ!? そのお顔が私の好みだから!?」
「……」
「確かに実はブレア様のご容姿って物凄く私好みだけど……金髪も、凛々しい目元も物凄く好きだけど……目ざとすぎる……怖い……人の弱みに察しがよすぎて、本当怖いわあんた……」
さすが悪魔、と気味悪そうに言われて──ブレアは一層意味が分からなかった。
確かにブレアはその剣技や武勇から、敵国兵などに“悪魔”などと呼ばれたりすることもあるのだが……
この娘のこれは、褒められているのか、罵られているのか。猫と言われたり、魚と言われたり、悪魔と言われたり……
一応面と向かって「好きだ」と言われた気もしたが……言い寄られている訳ではまったくなさそうだった。
「……なんなのだこいつは……」
思わず漏らしたブレアに、娘はしらっとした顔を向け、じろりと睨む。その顔の嫌みったらしいことといったらなかった。
「あらぁ……? もうお忘れになった? 今朝寝台で押し倒した相手を、もう、お忘れになった……? ほう、猫殿下、いい度胸ですね……」
「…………」
「あ、開いた」
ブレアの気が若干遠くなった時、娘、エリノアがやっと窓を押し開いた。
「さ、ここから出て。大人しく家に帰って頂戴」
「……家? 私が?」
どういうことだとブレアが怪訝そうに眉を顰めると、エリノアが「まさか、」と目を見開く。
「何……? 家の場所も覚えずにここに来ちゃったの!? あぁああ……なんと言う手のかかる猫かしら……」
「……」
エリノアは両手で顔を覆って嘆き始めた。娘はそれからぐぬぬとうめくと、ブレアの腕をつかんだまま自らも開け放った窓の縁に足を掛ける。
エリノアからしてみれば──このままこの魔物を王宮内をうろつかせている訳にはいかないと思っていた。
「仕方ない……ひとまず出て。王宮の外まで連れて行ってあげるから。ここにいたら侍女頭様が帰って来ちゃうわ」
「……」
エリノアはブレアに向かって「ほら」と手を差し伸べる。
その手の平を見たブレアは一瞬眉を持ち上げて。それから彼は無言のまま、エリノアがやっとよじ登った窓枠を、ひらりと一息に飛び越えた。
「え……」
「……つかまれ」
それからブレアは流れるように、自然にエリノアの身体を支え、外の地面の上に彼女を下ろした。
「あ、ああ……有難う……」
思いがけずスマートに窓枠から抱き下ろされて、エリノアが戸惑っている。が、エリノアは思った。
「(……さすが猫……身軽だわ……)」
……エリノアの迷走は続く。
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この影で笑い転げている黒猫がいるとかいないとか…
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