12 エリノアの闘志
ブレア同様、王宮では誰しもが、はじめはその話を信じようとはしなかった。
しかし、様々な痕跡がそれを揺らがせた。
血で汚された女神の大樹。それを清める役目を命じられた者たち。彼女らが大樹を拭き清めたあとの布や血の飛んだ大幕を片付けた者たち。王宮の使用人たちは、それらを目撃して、まさかと思いつつも何かあったことだけは確かだと噂しあった。
現場で血の滴る“聖剣”が転がっていたのを目撃した者もあり、その冒涜的な話は畏怖を持って瞬く間に王宮内に広まり、城下にも溢れかえってしまった。
もとより、直前に王太子が聖剣の勇者であったとの報が広まっていたところにこの惨事である。国民たちの落胆と失望は大きく、王太子の名声は地に落ちてしまった。
もちろん王太子を擁護する声も多々あった。が、しかし。
当の王太子は事件後に姿をくらませて行方知れず。これでは逃亡したと見る者がいても仕方がなかった。
事件直後の時間帯、街中を立派な馬車が駆けて抜けて行ったことを目撃したものがあると……あれは王太子が逃げていったのだと皆が噂した。
そういえばハリエット王女が慌てて帰国したのも怪しいと言われる始末。
議会では、第三王子派がここぞとばかりに王太子を糾弾し、廃位を求める。
王太子を信じる者たちは、彼を探し、彼の潔白を証明しようと奔走したが……そうするうちに、次から次へと王太子には不利な情報ばかりが集まった。
王太子の侍従が幾人か消え、そのうちの一人が王都から離れた街で鍛冶屋に“聖剣”を作らせたという告発文を残した。
今日はその鍛冶屋が宮廷に召喚されて、取り調べを受けるらしい、と、エリノアの同僚の侍女は言った。
「……どうにも旗色が悪いのは……その鍛冶屋が王妃様の領地の領民らしいの」
「王妃様の?」
驚くエリノアに、先輩侍女は頷く。
「これでは王太子様への国民の疑念は深まるばかりよ。報せを聞いて王妃様もついにお倒れになってしまわれたらしいわ……」
「そんな……」
エリノアもため息しか出ない。
無理もない話だと思った。
愛する息子がいきなり殺人の嫌疑をかけられた上に、行方知れずとは。
エリノアは悔しさを漏らす。
「そんなはずないのに……王太子殿下がそんなこと……」
どうしてそんなことをみんな信じるんだろうとエリノアが歯噛みすると、肩を落としている先輩侍女がやるせなさそうに首を横に振る。
「国民は噂に左右されやすいのよ。私たちみたいに、王族の方々と直接触れ合う機会はほとんどないんですもの。王太子殿下の優しいお人柄を知る者がいたとしても、それも噂をもとにしているから揺らぎやすいの。新しい噂を聞いたら、すぐに上書きされてしまうんでしょう。『ああ、本当はそんな方だったのか』って」
確認しようがない遠いお人なんだから仕方ないという侍女。王太子はこれまで積極的に城下で国民たちと触れ合う機会を設けて来たが、それでも勤勉な彼は他にも多くの公務を担っている。すべての民と深く交流するほどの機会があろうはずがない。
と、エリノアが不安げに訊ねた。
「……これから……どうなってしまうのでしょうか……」
だが、同僚侍女も「分からないわ」とため息をつくばかりであった。
聖殿での騒動があった翌日。ブレアの住まい。
エリノアたちは、できるだけいつも通りに仕事をしようと互いに励まし合いつつ、こうして不安を吐露しあっていた。
エリノアたち侍女は、昨日は王宮から出ることが許されず、皆王宮の居所に泊まることになってしまった。王宮内はとても混乱していた。
室内がどこもかしこもひっくり返されたように荒らされているのは、兵士たちが検めて行ったからである。ここだけではなく、王宮はすべての部屋が検められた。探しているのが王太子とあって、王子の部屋といえど彼らも容赦ない。話によると、捜索隊も王太子を糾弾する派閥と、擁護する派閥とで分かれているというから話はまた複雑だった。
「……」
落ちた本を書棚に戻しながら、エリノアはもう何度めになるか分からないため息をこぼした。
王太子が手にしたという聖剣が本物ではないことは分かっていた。が、まさか……こんな事態になるとは思ってもみなかった。
歓喜に沸いた王宮は一転、失意の底に沈むように暗く静まり返っている。
以前、女神の大樹から聖剣がなくなった時よりもさらに状況は悪いような気がした。
エリノアは悲しくなった。もし、本当に王太子が聖剣の主人なら、こんな事態にはならなかった。
国は幸福に包まれ、きっと国民たちも大歓迎しただろうに。こんな……悪どい謀を巡らせる輩たちも手が出せず、大神官だって命を落とすこともなかっただろう。
申し訳なくて、エリノアは拾った本を握りしめる。
(……私なんかが……聖剣を得たばっかりに……)
思わず涙ぐんでいると……隣でガラスの破片を拾っていた先輩侍女が、不意に、「そうだわ」と、思い出したように声を上げた。
「ごめんなさい忘れてたわ。エリノア、あなた今日は家に早めに帰りなさいね」
「え……? ……でも……こんな時ですし……」
エリノアはブレアの居間の中の惨状を見て言った。
いろいろな物が床に落ち、割れている物もある。普段は美しく敷かれている絨毯も、散々兵たちに踏まれたせいで汚れているし、調度品類も動かされそのままだ。これを元通りにするには人出も時間もいる。
家にいるブラッドリーのことはもちろん心配だが、彼には(壮絶に)頼もしい配下が幾人もいる。
テオティルの件も無事マリーたちがお使いを果たしてくれて、家にいることが確認できた。どうせその辺に監視がいることを考えると……今は、ブレアやその家族たちのために働いていたかった。ここに自分がいても、ブレアは帰ってこないし、できることは少ないが、それでも心配で帰宅は躊躇われる。
だが先輩侍女は言う。
「いいのよ。一度家に帰っていらっしゃい。ブレア様がそうさせるようにって言っておよこしになったのよ」
「……え……」
その言葉に、エリノアがびっくりしたように眉を持ち上げて瞬く。
「……ブレア様が……?」
「そう。他のみんなは王宮住まいだけれど、あなたは城下からの通いだし……ブレア様もあなたの弟さんが病気がちだったことはご存知だから。昨日帰れなかったことを心配しておいでなのね」
「…………」
「王宮がこれですものねぇ……城下もかなり混乱しているはずよ。あなたも、弟さんも、お互いの顔を見るまで安心できないでしょう? ここもこれだけ調べられて何も出なかったのだし、私たちの荷物もとっくに調べられたから。怪しいところのなかった者はいつも通り帰宅させていいという許しをブレア様が議会に掛け合って承諾させたらし──ひぃ⁉︎」
言葉の途中で、エリノアを見た先輩侍女が思わず叫ぶ。
「ふ、ふぐぅぅうぅう……っ」
「エ、エリノア⁉︎」
ギョッとする侍女。
説明しているうちに、いつの間にか隣でエリノアが泣いている。
胸の辺りをグッと掴みメイド服をシワだらけにして。呻き泣く娘に先輩は目を瞠る。
「ど、どうしたのっ⁉︎ 何⁉︎ ガラスの破片で手でも切ったの⁉︎」
「ち……違うんです……だって……こんな……こんな大変な時に、わたくしめら使用人のことまで心配してくださるなんて……先輩! 心が痛いです! ブレア様っ‼︎ ぅぐぅうぅうぅ……」
「……、……、……そうよねぇ……」
一瞬エリノアのあまりの形相に呆れを見せた先輩侍女ではあったが──確かに、と彼女も暗い表情でため息をつく。彼女に背中を宥めるように撫でられながら、エリノアは焦燥感に駆られていた。
(私にも……何か……何かできることはないの……?)
本当の聖剣の持ち主として。聖剣持ち逃げ犯として。
人ならざる者の助けを得られる身として。
そして──勇者として。
(…………何より、)
と、エリノアはギュッと胸を押さえる。
ブレアを想う者としては、黙っているわけには行かないし、黙っていられないと思った。
(……ブレア様……)
ボロボロと涙のこぼれるエリノアの目に、闘志が宿る。
お読みいただきありがとうございます。
…家ではきっとブラッドリーがものすごくピリピリしている…いや、もう実はエリノアの背後にいるのでは…と思いながら書きました。
本作とは違い、ひたすらのんきラブな「にゃんにゃん言ってもダメですよ騎士団長さま! 〜偏愛魔法薬師とワガママな狼の騎士〜」も更新中ですので、箸休めにでも。よろしくお願いいたします(°▽°)ゞ書き手のモフ好きが暴走してます。笑
※細かいのですが、女神教会の聖職者を「神官・大神官」に改めました。なんとなく…死が絡んでしまったので…不敬な気がして…( ´∀`;)なんとなく…
以前のところも近々訂正させていただきます。




