11 秘儀
王太子を探すブレアは、ソルと共に王太子の部屋へ向かった。その扉が見える場所までやって来た時、エントランスで、兄の侍従と己の配下が言葉を交わしているのが見える。と、配下が、ブレアに気がついて。侍従のもとを離れ、急いでこちらに駆けてくる。
先に情報収集に走っていた騎士の一人である。
「どうした?」
足を止めて、やって来た配下の騎士に問うと、彼は王太子がすでに部屋にはおらず、聖殿へ向かったらしいと知らせた。
「……聖殿へ?」
「おそらくは神官たちに聖剣の認定をさせるためではないかと……街の女神教会から大神官をお呼びになったそうです」
「……」
ブレアの瞳に戸惑いが浮かんだ。
確かに聖剣は神官たちに認定される必要がある。
だが──兄らしからぬ行動だと思った。
「……まずは聖殿へ? ……国王陛下の、もとではなく……?」
違和感があった。
いつもの兄ならば、真っ先に父王や自分に知らせて来そうなものだが。なんと言っても、王太子が聖剣の所持者になったという大事である。
直接でなくとも使いを出すという方法もあるなかで、それすらもなく、先に聖殿へ向かったということが解せなかった。まだ自分は、兄から聖剣の話を何ひとつ聞いてはいない。
……と、ソルが言う。
「ブレア様、王太子殿下は真偽をはっきりさせてからご報告なさるおつもりなのかもしれません。とにかく一刻も早く殿下と合流いたしましょう」
「……ああ……そうだな」
ここで不思議がっていてもはじまらない。ブレアは来た道をソルと騎士と共に戻ることにした。
が──
ふと──……その視界の端に、兄の侍従の姿が映る。
男は王太子の部屋のエントランスの前に立ち、身を竦めるようにしてこちらに向かって頭を下げていた。肩の強張りが何故かとても気になった。
彼はブレアも幼少期からよく知る男である。弟の目からすると、兄と侍従はいつも一緒で、時に親しげに話す、友のようにも見ていた。
そういえば、と、ブレア。
この大事に──何故この者は王太子の傍にいないのだろうか──……?
と、男のうつむいた口元が、小さく動いた気がして。ブレアの眉がぴくりと動く。
「……?」
──も……しわ……ません……
その口が、そう動いたような気がしたのだ。
下を向いた表情は見えず、距離があるゆえ定かではなかった。声も聞こえなかった。……だが、男の口が微かだが、確かにそう動かされていたような気がして……。
(も──……申し訳ありませ、ん……?)
疑問にブレアの足が止まる。
彼は何を謝っているのだろう。王太子が不在であることか。ブレアに無駄足を踏ませたことか。それとも何かもっと別の……と、ブレアの足先が侍従のもとへ動こうとした。
──だが。
その時。外から大きな歓声が聞こえた。
声高に王太子を称える声の浮かれた賑わいを聞いて、窓際で外を覗いたソルが、不安そうにブレアを急かす。
「……ブレア様、お急ぎを。我らが正確な状況を掴めぬうちに、先に情報が広まるのはまずいかと……もし情報に誤りがあれば……」
現状には何か違和感がある。これがどう王太子に影響するかと案じるソルに……ブレアも一瞬躊躇したが……頷いた。
今は、兄のもとへ。
本当に兄が聖剣の勇者となったのならば喜ばしいことだが、ソルの言うとおり、何かがおかしかった。物事が、まるでブレアの目を掻い潜るように、スルスルと一歩手前をすり抜けていくようだ。大事が起こっているはずなのに、何故か現場にたどり着けないもどかしさが気持ちが悪い。
「そうだな……すまない、急ごう」
「はい」
ブレアはもう一度、一瞬だけ廊下の先の侍従に目をやって。そして身を翻した。
この時はまだ、不安はあったものの、そこまで事態は深刻な様相を見せてはいなかった。だからまさか──……
その兄の腹心の侍従が、共に育ってきたような彼が、自分たちに重大な嘘をついているなどとは、ブレアも思いもしなかった。
彼が、それを知るのは、この数時間後。
女神の大樹が血で染まり、王宮から忽然と王太子が消えたのちのことだった。
──女神の大樹の前で大神官が斬殺された。
唯一現場にいたとされる男はこう言った。
犯人は──王太子だと。
その話を聞いたブレアは思わず言葉を失くし、彼の後ろでは、オリバーが男に軽蔑の眼差しを浮かべた。
男は、街の女神教会からやってきた大神官に随行してきた供の者である。
彼の主張はこうだった。
今朝、大神官は王太子から密かに王宮へ入るようにと呼び出しを受けた。
そしてやって来た彼らに、王太子は一本の剣を見せて、聖剣と認定するようにと言った。
命じられた彼らは驚きつつも、聖剣を文献の記録と照らし合わせてその符合を確認する。形状は確かに文献のものと一致した。大神官は喜んで次の段階へ急ぎ、聖剣はある儀式を行うために、大幕の張られた大樹の前に移された。
その儀式は、女神からの聖剣の下賜を感謝する、勇者と大神官とで行われる秘儀である。内容は大神官しか知らない。ただ、段階的にはこれが二番目の見極めとなると大神官は言ったらしい。
この秘儀に無事女神の応答があれば、剣は晴れて聖剣と認められ、持ち主は勇者と認定される。
儀式がはじまると、大神官と王太子だけが幕の中に入り、外には彼だけが残った。他の神官たちは聖殿の中へ戻り、あたりは無人になっていた。
「……待て」
──と、そこまで男の話を聞いたブレアが、怪訝そうに男の言葉を止める。その強圧的な表情に、男が怯えたような顔をした。
事件の報せを受けてから。ブレアの顔はずっと凍りついたように硬い。無理もない。敬愛する彼の兄が、あろうことか大神官殺しの嫌疑をかけられているのだ。しかもそれは聖剣を巡った争いであり、王太子は王宮から逃亡したという。
相手にするのも馬鹿馬鹿しい話である。そんなことがあるはずがない。
だがしかし、その滑稽極まりない話は、あっという間に王城内を駆け抜けて、城下にまで広まってしまった。勢いづいた王太子の政敵たちが、ここぞとばかりに攻勢に出て、王太子を糾弾しはじめている。
計略──……それはブレアにも分かった。
王太子は誰かに計られたのだろう。
ただ──本来なら王太子本人に表に立って嫌疑を否定してもらわねばならぬところ、その兄の姿がどこにもないのだ。ブレアは兄を想って苦悩する。王太子の身が案じられた。
現在その捜索は、国王やタガートらが兵を使い大々的に行っている。
ブレアが任されたのは、この件の唯一の目撃者である大神官の下男の聞き取り調査である。
その顔はいまだ険しく、重い辛さを耐えていた。それでも冷静さを保たんと、ブレアの言葉は慎重である。
ブレアは男を見つめながら問う。
「……何故そのような重大な儀式の最中に、お前だけがそこに残った。他の者たちは何故聖殿に?」
「そ、れは……」
見据えられた男はあからさまに言葉を濁す。神経の細そうな男である。先ほどから視線はきょときょとと動き、指は忙しなく弄られていた。
「その……聖剣が認定されれば、秘儀の後にも次々に定められた手順がございまして……大神官様の唱える祈りも時間がかかりますし……女神の応答を待つのにも……神官たちは式典やその他の儀式などの準備などで忙しいですし……」
たどたどしく説明する男に、ではそれはどんな手順だと問うと、知らないと言う。
そんな男の様子を見て。ブレアは、これは追及すればすぐにボロが出そうだと思った。だがブレアは急く気持ちを堪える。今まず知りたいのは、男が何を隠しているかということではなく、兄の行方だ。先にその主張を訊いておく必要がある。追及するのはそのあとだった。
話を先に進めるように促すと、男はゴクリと息を吞み、幕の中から言い争う声が聞こえはじめたのだと言った。男の額には脂汗が滲んでいる。
「大神官様は……確かに……聖剣は、本物ではないと……おっしゃったのです。……そうしたら……王太子が、急に豹変して……」
王太子は聖剣が偽物としれるや怒り狂い、大神官に聖剣を本物だと証言するようにと強要した。そして大神官がそれを拒絶すると、幕内側から悲鳴が聞こえて──……
「……次の瞬間、白い幕に血の色が走ったのです……」
「…………」
その言葉を聞いたブレアの拳が硬く握りしめられる。
「大神官様の呻く声も聞こえて、そ、それで、驚いていると……幕の内から王太子が現れて……! 手には“聖剣”が握られていたんです! 剣には血が滴っていました……!」
男はそのまま己のほうへ向かってくる王太子に身の危険を感じ、慌てて王宮へ逃げこんだのだと言って話を終えた。震えながら、その後のことは何も知らないと言う。
椅子に座り、頭を抱えるように縮こまった男を見ながら……ブレアは硬い声で背後の男に問う。
「…………どう思う」
と、すぐに声が帰ってくる。
「戯言ですね」
言い放ったのはオリバーだった。ブレアの背後で腕を組んで話を聞いていた騎士は、話にならないと切り捨てる。
「ありえない話ですよ。馬鹿馬鹿しい」
「そんな!」
にべもないオリバーの言葉に、男が顔を上げて声を荒げた。
もちろんオリバーの主人であり、王太子の弟であるブレアの意見も同じであった。
兄はそんなに短絡的な人間ではない。だが、大神官の供は声を荒げる。
「っ、私が嘘を言っていると⁉︎ あなた方は王太子の身内だからそのようなことを言うのでしょう! 事実……大神官様はお亡くなりになったのですよ!」
「……だが、それを王太子様がやったとするのはお前の話だけではないか」
ブレア様、とオリバーは主人へ言う。
「こんなもの証にも何にもなりません。だいたい、秘儀があったとしても、大幕を張っておきながら、こいつらわざわざ聖殿周辺の人払いまでしています。忙しいからといって、衛兵まで遠ざけたりしますか……? おかしいですよ。そもそも、本当に王太子殿下が現場にいたのかも怪しい」
「っでは何故王太子は姿を消したのですか⁉︎ それこそおかしいではありませんか! 何もなければ逃げる必要などない!」
「黙れ、お姿が見えないからといって逃亡したとは限るまい!」
状況から考えて、ブレアたちは王太子が何者かに拉致されたとみている。
王太子が偽物の聖剣の認定を迫り、大神官を殺したなどということはとんでもない話である。つまり、ブレアたちは本件の証言者であるこの男を疑っている。それが男にも分かっているのだろう。オリバーに睨まれた下男は、青白い顔で騎士を睨み返している。今にも互いに食ってかかりそうな二人の間に立ち、ブレアは「いずれにしても」と男に告げる。
「お前は、王宮で取り調べを受けなければならない」
王宮に留まるように、と冷徹な瞳で言われ、男の肩が震える。その視線がブレアの目から逃れるように部屋の入り口の方へ向いた。先ほどから何度もそれは繰り返されている。……まるで、何かを待っているかのように。
(…………なるほど)
それに気がついたブレアは、内心でぽつりとつぶやく。
はっきりと、事態が何者かの謀であるのだということが分かった。
ふと、ブレアが奥歯を噛む。
──現れなければいい。
そう、思った。
この男が助けを求める相手が、そうでなければいいと思い。その耳が、ふと、近づいてくる足音を拾った。
その律動的な音を聞きながら、ブレアが一瞬、願うように瞳を伏せ──……。扉は開かれた。
「待ってください」
「──……」
その鼻で笑うような声に、ブレアが嘆息する。
やはり、そうだったかという思いであった。
「……クラウス」
ゆっくり視線を上げると、部屋の入り口に、弟王子の姿があった。
「そうは行きませんよ兄上」
悠然とした顔で現れたクラウスは、背後に十名ほどの配下を引き連れて、兄に向かって薄ら笑いを浮かべている。
「その男はこちらへ引き渡してもらいます。大事な証人を兄上のもとへ連れていかれるわけには行きません。王太子の犬である兄上なら──王太子のために証人を消すくらいしそうですからね……大神官殺しの王太子のために」
「馬鹿な!」
そう笑う青年に、思わずオリバーが声を荒げる。と、クラウスが鼻を鳴らした。
「黙れ、騎士ごときが。文句があるのか? ならこれを見ろ、議会からの命令書だ。直ちにその証人を保護するようにと書いてあるだろう? まさか字が読めないなんてことあるまい?」
馬鹿にするようなクラウスは、気色ばむオリバーに書簡を放り投げる。書簡を読んだオリバーは、もう一度「馬鹿な……」と、つぶやいた。その間にクラウスの配下たちは、男を強引に連れて行く。引っ立てられて行く男を見て、オリバーが歯噛みする。しかし議会の命令書は本物だ。これではブレアも彼らを引き止めることはできない。オリバーが怒鳴る。
「クラウス様! そちらこそ何か企みがあるのではないのですか⁉︎ 許されませんよ、王太子殿下を貶めるなど! 殿下はどこです!」
と、クラウスは高笑う。
「失敬な。今回の件を起こしたのは王太子だろう、私は関係がない。殺人者の行方など、私が知るわけがない」
クラウスはそうニヤリと笑って、再び悠々と部屋を出て行った。
その後ろを──大神官の下男がクラウスの配下に連れて行かれる。その顔を、凪いだ目で見ていたブレアは、静かな問いを投げかける。
「……よいのか?」
「え……」
引っ立てられながらも、どこか安堵したような表情であった男は、ブレアの問いかけに振り返る。
王子の表情は厳しいままだったが、瞳にはどこか哀れみが浮かんでいた。
「本当によいのか? 今、お前が選び、ついて行こうとする男は、欲しいもののためには手段は選ばぬ。それはお前にも分かるはず。本当に……最後まで守られると思うか?」
それは、ブレアの慈悲であった。
この謀に男が何故加担しているのかは知らないが、このままクラウスについて行って、男が無事でいられるような気が、しなかった。
静かな問いかけに、一瞬男の身がギクリと強張る。戸惑う目がブレアを見た。
「あ……、っ……」
しかし。物言いたげな顔を見せた男は。その傍で何かを察したクラウスたちの配下に、そのまま強引に部屋を連れ出されて行った。
オリバーが慌てる。
「いいんですかブレア様! 王太子殿下が殺人などするわけがない! だとすれば状況から見て、大神官を殺したのは──」
そう言う騎士に、何事かを考えこんでいる様子だったブレアは、静かに返す。
「……だが、それも命じた者あってのことだろう」
大神官の下男などという者まで取り込まれているとなると、計画は周到であったとしか思えない。ここであの男を取り返すだけでは、事は治らないだろう。
ブレアの口からため息が漏れた。
(──結局、こうして戦いをはじめるのだな。クラウスよ……)
ならばとブレア。
己は全力で戦うまでだ。
まずは兄を救出し、必ずやその汚名を雪いでみせる。
お読みいただきありがとうございます。
暗雲立ち込めてまいりました。が、のんきラブコメ書きとしては、小難しいところはコンパクトに行きたい…ので、次話も早めに更新します。
都合によりチェックは後ほど。誤字報告いただいた方ありがとうございましたm(_ _)mありがたいです!




