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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
220/365

閑話 エリノアの怪我、姉の威厳と過保護 ①

 ある時。エリノアは顎を怪我した。


 ──と、言っても大した怪我ではない。

 顎の先端の少し内側を擦り剥いて、親指の爪1枚分くらいの大きさの薄皮が少し剥けたくらいだ。

 少し血も出たが、ヒリヒリするくらいでそれほど痛くはない。

 何故こんな場所を怪我してしまったかというと……単に、またいつものように仕事中のうっかりが原因だった。

 今日の午前中。王宮で洗って干し上がったカーテンを、大きなカゴに入れて運んでいた時のこと。

 エリノアは、両手でカゴを抱えて歩いていたのだが。そのカゴの縁がちょうどエリノアの顎の位置にあった。それでつい、揺れるカゴを顎で挟むように支えてしまっていたのだが……案の定、その時にうっかりコケて。木のツルで頑丈に編まれたカゴの縁が肌に擦れて、このような有り様になったということだった。


「……やれやれ。またやっちゃったか……」


 休憩中のエリノアは、鏡を覗きこみながらぼやいた。

 “また”と自然に言ってしまうところがなんとも情けない。


「ま……いいか……あんまり人からは見えない位置だし……」


 エリノアは、指ですりすりと傷の傍を撫でさすりながら小さくため息をついた。

 怪我のことは誰にも言わなかった。

 幸い、擦り剥いたのは顎の下で人の目には触れにくい場所である。

 言いたくはないが……エリノアはブレア付き侍女の中では一番チビである。だから顎の下なんて、グッと下から覗きこまれでもしない限りは、多分誰にも気がつかれやしないだろう。エリノアは、少しホッとした。

 やらかしごとの頻度が高いエリノアは、毎年結構こういった怪我をする。コケて擦り剥くなんてことは日常茶飯事。

 そんな姉を──以前の弟ブラッドリーは、病床から悲しそうな顔をして見ていたが……。

 エリノアは、鏡の中の自分に向かって叱るような顔をする。


(……今年は注意が必要だぞ……)


 今年は。弟が魔王になってしまって。エリノアは彼に過剰に心配されるようになってしまった。もし、この怪我が見つかれば……絶対に、過剰に心配され、そして……叱られるだろう……。


「…………」


 エリノアは沈黙する。

 魔王になってからの弟はなんだか少々エリノアに厳しい。いや、普段はとても甘いのだが、うっかり流血などしようものなら……大いに心配された上でこんこんと叱られるもので……

 まるで、いつの間にか弟が兄に変わってしまったかのような錯覚に陥ることもある。

 沈黙していたエリノアは、そうした最近の弟の過剰な愛情を思い出して……

 久々の隠蔽体質を発動した。


(……、……、……黙っとこ)


 聖剣だって世間様に隠しおおせているんだ、こんな小さな傷を魔王に隠すくらい……


「……できる!」


 ……多分。と、エリノアは己の顎を手で覆った。

 だってとエリノア。心配させるのも嫌だが、弟は怒ると闇やら魔物やらを召喚する特異体質(?)だ。

 それに(もう手遅れのような気もするが)あまりうっかりしていると思われると、姉の沽券に関わる。これまで必死で家長をやってきたのに、これ以上、頼りないと弟に思われるのは嫌である。


 ということで。エリノアは己のその小さな傷を、周囲に隠すことにした。


「よしよし。……あ……いけない、」


 ふと時計を見ると休憩時間終了間際。エリノアは慌てて作業場の椅子を立った。

 今日は同僚が数人休みで、ブレアの住まいでは少し手が足りていない。エリノアも代わりを務めたりといろいろ忙しいのである。


(さーて、急がなくちゃ!)


 エリノアはもう一度鏡を覗きこみ、身なりを整えて部屋を出て行った。


 が……


 彼女は、やはり“うっかり”忘れていたのだ。

 自身がとても、隠し事が苦手だということを……。




「…………」

「…………あ、の……」


 強張った顔のエリノアが、寝台の前でジリっと後退る。

 身構えた娘が見上げるのは、目の前に立つ、第二王子のブレアだ。

 青年は、何故か厳しい顔つきで、じっとエリノアを見下ろしている。その微動だにしない男の佇む姿に……エリノアがうろたえ、きょどり、身構えている。

 異性に見つめられても……照れるより先にこう構えてしまうところがエリノアらしい。


 ──それは、エリノアがブレアのリネン類を交換するために彼の寝室に入った時のこと。

 今日はベットメイクもうまく行って。ピシッと気持ちよくきまったアッパーシーツに、エリノアがしめしめと満足げににやけていた時のことだ。


 ──気がつくと──部屋の戸口にブレアが立っていた。


 急な主人の帰りに、驚いたエリノアは、あれ⁉︎ もうお戻りなんですか──? と、慌てて駆けより──……


 その直後が、今だった。


「…………」

「えーと……」


 何故か怪訝に見下ろされて。

 エリノアは考える。

 この不審げなブレア様の顔つきはいったいなんだろう? もしや何か不手際が──と、ハッと寝室内を見回して。しかし、上手く整えられた寝台は完璧なはずだし、取り替えたカーテンも清潔そのもの。あとは先輩のチェックを受けるだけなのだが……。

 エリノアはハラハラした。

 殿下はいったい無言で何を訴えておいでなのか──と、探ろうとする不安げな顔がブレアを見上げる。

 しかし。


(わ、分からない……)


 エリノアは、なんだか自分にがっかりしてしまった。

 端正な顔立ちのブレアに無言で見下ろされると、彼の語らぬ言葉の中に何か重大なことが潜んでいそうな気がするのだが。こんな時──彼の下で長年働くベテラン侍女たちなら、きっといろいろと分かるのだろうと思った。


(……まだ私は主人の視線から何かを汲み取れる域に達していないのね……)


 精進が足らないんだなぁと肩を落としたエリノアは。仕方ない、ここは素直に聞いてみようと顔を上げた。何を訴えられているにしろ、ここでああだこうだと想像しているだけでは時間がもったいない。そうよ! と、エリノア。


(分からなかったら素直に聞けばいいのよ! それで仕事のできない侍女だと思われてしまっても、殿下のご希望を叶えるほうが大事だわ!)


 意気込んだエリノアは、ブレアに向かって背筋を伸ばし、スッと指先を整えて彼を見る。


「あの……申し訳ありません殿下、わたくしめに何か……? ご用命ですか? それとも何か不手際が……?」


 すると、無言でいたブレアは、少しだけ首を捻って。

 不審そうなまま、「……いや」と言った。視線はずっとエリノアを見ている。顎に指をかけ、何かを考えている素振りで言う。


「…………なんでも、ない」

「……、……、…………」


 …………エリノアは思った。

 これは……絶対なんでもなくないやつである。


「⁉︎ ⁉︎」


 いよいよ謎が深まって。どうしていいのか分からなくなったエリノアの挙動不審がひどい。


 しかし、言ったブレアはといえば。

 男は静かな瞳でエリノアを見ると、


「……仕事の手を止めさせてすまなかった」


 ……そう言って。そのまま静かにエリノアから離れて行った。

 けれども……離れたものの、彼はいまだどこか深刻な表情をしている。その様子を見るエリノアは困惑のギョロ目。眉間はかわいそうなほどに強張っていた。


(……ブ、ブレア様……? 何? き、気になる……え? 私何か変⁉︎)


 もしや服装や髪でも乱れているのだろうかと、慌ててエリノアが自分の身体を見回して。と──そこへ寝室の扉がノックされる。

 少しイライラしたような音にブレアが短く応答すると、すぐに扉の隙間からオリバーが顔を出す。……ちなみにその間もブレアは、じ……っと、エリノアを見ている。(ひぃっ⁉︎)※エリノア


「……どうしたオリバー」

「どうしたじゃないですよ! ブレア様、用事は終わりましたか⁉︎ もうすぐ会議のお時間です!」

「…………ぁあ」


 オリバーが慌てた様子で言うと、ようやくブレアの視線がエリノアから外れる。よほど時間が迫っているのか……鬼顔で急かすオリバーに、ブレアはため息まじりに寝室を出ていった。その音は、どこか納得できていないと言いたげで。


 ──残されたエリノアは、内心でドキドキしていた。


「え……結局……なんだったの……?」




 ──夕暮れ時。仕事が終わったエリノアは、昼間のことを思い出してため息をつく。

 結局、就業時間中に王子ブレアの行動の謎は解けなかった……。


 帰宅中もその件がずっと頭を離れてくれず、モヤモヤし通しのエリノア。荷物をしっかと腕に抱き、堅い表情で家路を急ぐ。

 と──

 いつも通りモンターク商店の前を通った時。配達帰りのリードと鉢合った。


「あ、リード──……」


 と、片手を上げようとしたエリノアは。こちらを見た青年に──……

 またもや不審そうな眼差しを向けられて──え……? と、言葉を切る。

 その怪訝そうな顔つきは、昼間に見たブレアの顔とそっくりだった。

 すると、目の前まで歩いてきたリードは、開口一番こうだ。


「……エリノア? どうしたんだ?」

「え……何が……?」


 半端に上げた手をそのままに娘は戸惑う。

 と、リードは考える素振りを見せて。それから腕に抱えていた荷物を店の前に置いて、改めてエリノアの前に戻って来る。


「?」

「ちょっとごめんな……」


 と、──うっと、エリノアが息を吞んだ。

 驚いたエリノアをよそに。彼女に向かって手を持ち上げたリードは、そのままエリノアの前髪に触れる。


「ぇ……え、な、何?」


 青年はエリノアの前髪を指でよけて、額を見ている。

 エリノアが驚いて目をまるくすると、リードはうーんと言いながら、今度はそんな娘の顎に手を軽く添えて──


「!」


 ここでリードの接近に唖然としていた娘が──ハッとした。

 顎を持ち上げられそうな気配を察して。エリノアはとっさにグッと力をこめ、顎を下げて“それ”を隠す。必然的に上目遣いになった顔で、エリノアはリードを見上げた。


「な、何? 私……何も隠してないよ!」


 そのあからさまな否定にリードがため息をこぼす。


「…………やっぱりか……」


 エリノア、それ、全然隠せてないぞと心の中で苦笑しながら。青年は優しい顔でエリノアの顔を見る。


「どうしたんだ? また怪我でもしたのか?」

「……して──ない、よ?」


 と──言いながら。服の襟を両手で顎まで引き上げる娘。視線はリードからスイッと逸らされた。あくまでもしらを切ろうという娘のすまし顔に、リードは笑った。


「まったく……」

「な、何? 怪我なんてしてないったらっ! ……でも……ど、どうして?」


 なんで分かったんだと言いたげな娘に、リードはやれやれと思いながら答えてやる。


「だってお前、動きが変だから」


 リードの説明によると──歩いてくるエリノアの動作は、カクカクしていて肩も怒らせているし、顎も奇妙に首のほうに引かれて不格好だったとのこと。


「⁉︎」

「街のみんなに不審がられて避けられてるの、気がついてなかったのか?」

「…………」


 エリノアはハッとした。

 どうやら……

 ブラッドリーに怪我のことを隠さねばと思うあまり、行動がおかしなことになっていたらしい。


 いやいやまだブラッドリーはここにいないだろうと思うかもしれないが……

 大抵の場合、エリノアにはブラッドリーがつけた過保護の象徴……つまり、魔物のヴォルフガング、もしくはグレンが見張りとしてつけられている。

 今もどこからかこちらを見ているだろう彼らの口から、怪我のことが弟の耳に入っては元も子もないと思っていた……娘の顔は、苦悩に満ちている。


「…………(魔物対策をしていたつもりが……人間対策をしていなかったのか……)」


 いや、多分魔物対策もできてはいなかっただろう。

 あ、とエリノア。もしかしなくても、今日の昼間、こちらを見るブレアの視線が不審げだったのはそのせいか。


「…………」


 痛恨の極み──という顔で天を仰いだ娘に、リードが「で?」と、促す。


「それでどこを怪我したんだ? 顎か? 首?」


 見せてみろと頬に手を伸ばしてくるリードに……エリノアは神妙な顔だ。消え入りそうな声で言った。


「……見逃してください……」

「ん?」


 絞り出されるような言葉に、リードがキョトンとする。

 その間にエリノアは、飛び退って青年から距離をとり、防御するような姿勢で訴えた。


「もうこれ以上! 姉の威厳を失墜させるわけには……! ただでさえ最近我が家では私は頼りないと思われて黒猫軍団グレンたちに舐められているというのに……!」

「……猫に…………」※リード。微妙そう。

「ここでまたうっかり怪我したとか言ったら、ブラッドリーがしっかりしすぎて兄化が……! あんまり急に大人びられると寂しいっていうか……! まだもうちょっと可愛い弟でいて欲しいっていうか‼︎」


 訴えるエリノアの形相を見て、リードはしみじみと「……必死だなぁ……」と思った。

 そして青年は。本当にしょうがないなぁというふうに笑って。姉の威厳失墜の危機に打ち震えるエリノアの肩をゆっくりと撫でさすりながら、諭す。


「でもな、お前が怪我したことを後から知ったらブラッドは絶対に悲しむぞ?」

「う……」

「もし逆の立場だったら、どんなに小さな怪我でも、お前は絶対にブラッドリーに教えておいて欲しかったと思うんじゃないのか?」


『どんなに小さな』を強調するリードの言葉に、エリノアは頭を抱える。

 確かに、エリノアは弟のどんなに小さな怪我でも把握しておきたいし、怪我の程度に関わらず心配になってしまう。


「そ、それは……そうだけど……」


 それにとリード。


「ブラッドがお前に優しいのはいいことなんだぞ?」


 言いながら、不意にリードの手がエリノアの頭を撫でた。


「!」


 ふわりと軽い感触に、エリノアは思わず怪我のことを忘れて顔を上げる。と、リードは、優しい眼差しで、ジタバタして乱れたエリノアの髪を整えながら、言う。


「女が困っている時、男が助けるのは当然だ」

「……」


 さらりと爽やかに言われ。な? と、向けられた微笑みに、エリノアは何故だか少しドキリとした。


「……あ、の……」

「お前はブラッドリーを、タガートの奥様がびっくりするような紳士に育てたいんだろ? それならやっぱり女性には優しく接するように教えておかないとな」

「ぇ? ……あ……」


 続けられた言葉に、エリノアが、戸惑い気味に慌てて頷いた。


「そ、そうか……そうだった……」


 そういう意味かとエリノア。つい熱くなった顔を、手のひらで煽ぐ。

 自分は男であり、エリノアは女なのだと、リードに念押しされたようで、妙に恥ずかしかった。そしてそんなことで照れている自分が尚のこと恥ずかしい。


「やばい……免疫がなさすぎて過剰に反応してしまう……自意識過剰……?」

「?」


 何故か突然意味不明に照れはじめたエリノアに、リードが不思議そうな顔をしている。




お読みいただき有難うございます。


ちょっとここでのんきな閑話を挟みます!(*゜▽゜*)(シリアスニ、ツカレタトカジャナイヨ!)小声)

最近少しブレア色が強いので、ややリード優勢めの仕様にしてみました。

②はソルなども出て来る予定。

ガンガンオンラインで言炎先生と山崎先生のコミカライズ版も本日更新されておりますので、そちらもお楽しみいただけたら嬉しいです。


※しばらく後、閑話は上のほうでまとめる予定です。

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