9 荒くれと三白眼
その報せを聞いて。
ブレアは一瞬言葉を失くした。
それは彼が長年心底願ったことであり、理想としたものだった。
兄が聖剣を得て、民心と力を手にし、国を強く守ってくれればと──……
しかし彼は拳を強く握る。
彼は、喜びの感情でその違和感を見逃すようなことはしなかった。
ブレアは険しい表情で、つぶやく。
「……いや、そんなはずはない」
彼は重く断じた。
「もし兄上が聖剣の主となられたならば、隠すはずがない。私にも、国民にも」
灰褐色の瞳は確信に満ちた瞳でソルを見る。
王太子は、聖剣の行方を必死で探す自分をいつでも労り、思いやってくれた。その兄が、その裏で聖剣を隠し持っているなどということがあるはずがない。
強い信頼の言葉に、ソルも頷く。
「ええ。もちろん私もそう思います。この話はどこかおかしい。ですが──」
ソルは懸念するような顔で続ける。
「まずいことに、すでにこの話は城下にも広まっておるようです」
「何……?」
ソルの話を聞いて、ブレアはさっと顔色を変えた。
書記官の話では、“王太子が聖剣の勇者となった”という話はすでに城下に及んでいると言う。それを聞いたブレアは、ソルに、その話の発生──つまり、王太子が聖剣を持っていたことが判明した時点から、どれくらいの時間が経ったのだと問う。と、書記官は固い顔でわずかな時間を彼に告げる。
それを聞いたブレアは、眉間のシワを深くした。いくら祝い事だとしても。喜んだ王宮内のものが報せに走ったとしても、それは早すぎる気がした。
「……」
ソルの答えを聞いたブレアは、私室の出入り口に向かって歩き出す。
「……兄上のもとへ」
「はい」
急ぐブレアに、ソルも追随する。ブレアは低い声で言った。
「これは……何者かの力が働いているな……例の兄上の“違和感”が関係しているはずだ」
「……はい、おそらくは。……すでにオリバーたちや他の官たちが情報収集に出ております。大臣たちも、各所に指示を出しておるようですが、宮廷も王宮内も浮き足立って右往左往しており、今は収拾が難しいかと……タガート将軍が念のために王宮内の警備を強化するように手配なさっております」
「……分かった」
ソルの報告で、近しい者たちが皆、迅速にことに対応していることを知ってブレアはわずかに安堵した。
だが、とにかく今は兄のもとへ行き、一刻も早く詳しい事情を聞かなければならない。ブレアはソルを伴って、急ぎ王太子の部屋へ向かおうと──……
(!)
そんな彼の目に、廊下の途中に幾人かの侍女たちが不安そうな顔をして固まって立っているのが見えた。
その端のほうに──目をまるくして、唖然とブレアを見つめている娘の顔が見えた。
(エリノア──……)
駆け寄りたい気持ちを堪え、ブレアは前を向いた。そのまま先を急ぎ、エントランスを出ようとして──
「……」
「ブレア様?」
しかし、数歩進んだ場所でブレアの足が止まる。
不思議そうなソルも彼の背後で止まり、「お急ぎください」と言う男の焦ったような声を聞きながら──ブレアは意を決し、素早く身を翻す。
周囲の侍女たちが息を吞む。
「!」
駆け寄ってきた青年に、エリノアが弾かれたような顔をした。
ブレアはそのまるい両眼を真っ直ぐに見ると、娘に向かって問いかけた。
「──戻ったら、また話の続きを聞いてくれるか?」
ぽつりと沈むような、静かな問いかけだった。しかしどこかに切実さが滲む。
真剣な声音にエリノアは一瞬目を見開いた。──が、彼女はすぐに頭を縦に振った。
──なぜだか……この時は、ほんの一瞬だけだが、彼の分かりにくい鉄仮面の隙間を正確に見つけたように、その心の中が少しだけ覗けた気がした。ブレアの中にある、国に対する使命と懸念、それと──自分に対する小さな葛藤を見て。エリノアはこの時だけは、一切の不安を表には出さず、頷いた。
「はい。もちろんです。──いってらっしゃいませブレア様」
「……ありがとう」
二人の会話はそれだけだった。
エリノアのどこか頼もしい表情を見て、一瞬だけブレアが微笑んだ。が、ブレアが立ち止まっていたのはその瞬間だけで。
彼はすぐに身を翻すと、そのままエントランスを出て行った。
足早に出ていく背中を見送って。しっかりした表情を作っていたエリノアが、ため息をついて少しだけよろめいた。
と、それを隣に立っていた先輩侍女が支えてくれる。
「エリノア、大丈夫?」
「は、はい。すみません、ちょっと……」
ブレアの手前毅然として見せたが……本当は、心の中は動揺でどうにかなってしまいそうだった。ソルの話していた言葉は、もちろんエリノアの耳にも入っていた。
『聖剣が──発見されました』
それは、いったい、どういうことなのか。考えはじめると、身体の芯がだんだん冷たく冷えていく。
と、その耳に先輩侍女たちの会話が聞こえる。
「……大丈夫かしら王太子様……」
「聖剣って……本当に?」
厳しい顔つきで出て行った主人の様子を見て、彼の侍女たちも、どうやら事態が手放しに喜べるものではないと感じたらしい。皆、不安そうな顔を見合わせている。
(…………聖剣が…………見つかった……)
そう心の中でつぶやいて、エリノアはまさかとハッとした。
(まさか、テオティルが──……⁉︎)
青ざめたエリノアは、慌てて廊下の窓を振り返る。どこかで自分を監視しているはずの魔物たちに助けを求めようとして──
「ひっ」
「ん? どうかしたの、エリノア?」
思わずビクッと震えた娘の短い悲鳴を聞いて、隣の侍女がエリノアを見た。が、エリノアは慌てて引きつった顔を振る。
「な、なんでも……なんでもござ、ございません‼︎」
「? そう? まあ、あなたも災難だったわよね」
不思議そうな先輩は、しかしエリノアの挙動不審は、結果的に王子との時間を邪魔されてしまったことのせいだと思ったらしい。エリノアに「ちょっと休んできたら?」と、いたわりの言葉をかけて。そうして別の同僚侍女のほうへと行ってしまった。と、それを見たエリノアは、引きつったままだがほっとして。……もう一度、こわごわと窓を見る……。
……窓の外に──グレンと、その頭にコブのように張り付いたマリモが三つ……。
……うんざりしたような黒猫の顔。マリモっ子たちのお揃いの三白眼……。
……それを見て、エリノアは何とも言えない複雑な気持ちで……、思った。
(……、……、……、グレン……今日は子守の日か……)
荒くれまくったグレンの毛並みが哀れみを誘う。
すべて黒猫たちが持っていく…




