4 妄執と、衛兵の苦情
なるほど、と……その報告を男は鼻で笑った。
「王女を国外へ逃したか……まったく兄上は……相変わらず実に察しがよくていらっしゃる……」
うす暗い部屋の中、立派な執務机の椅子に腰掛けて。背もたれに身を預け、横柄に足を組む姿は、この世に恐れるものなど何もないと言いたげな様子。
嘲笑に満ちた言葉には棘があり、肉親に対する思いなどカケラも感じられない。
細められた瞳は狡猾そうな色をして。彼は楽しくて仕方がないという顔で、そこにはいない、己の兄に向かって囁いた。
「……もうすぐ……“勇者”が誕生しますよ兄上……」
そこで男はせせら笑って。さも愉快そうに、それで? と続ける。
「首尾は? しっかりやっているんだろうな?」
声が放られると、部屋の隅からはいと応じる声がする。
「“剣”は──すでに殿下のお部屋へ……」
ひそやかな返答に、彼は「そう」と、横目でねめつけるような視線を返す。
「うまくやるように言っておけよ。失敗は許されないんだ。──よく脅しておいて」
冷たい言葉に、声の主は短い返事をして。そのまま影のように音もなく下がって行った。
配下が消えたのを見届けると、くすんだ金の髪の青年は椅子の背にもたれて息を吐く。
「……ふん。やっと、ここまで来たか……」
つぶやく言葉には、しみじみとした感情がにじむ。
その脳裏に浮かぶのは、彼の異母兄たちだ。フッと青年は笑みをこぼす。
「此度は──そう簡単に見抜ける代物ではありませんよ……」
もうすぐ兄たちの驚愕の表情を目にすることができる。──そう思うと、彼は愉快でたまらなかった。それでこそ、自分は満たされるのだと信じて疑わなかった。
低い笑い声は静かに闇に溶け、不意に……彼は椅子に座ったまま天井を仰ぎ、天を睨むような顔で──何かをそらんじはじめる。
それは──彼が彼の母から耳が腐り落ちそうなほどに聞かされ続けてきた呪いのような言葉である……
「──聖剣を……得たものは……女神の加護と民心とを一手に集め、ゆえに──」
──もし──……
金切り声が耳に蘇る。
──もしお前が聖剣を手にすれば……!
──お前は憎い王妃の息子たちを出し抜くことができるのよクラウス……!
母の妄執とも言える、憎しみに満ちた声。──……と、そこで男の顔がいびつに歪む。
危険な色をした視線は薄暗い室内を抜け──窓の外に向けられた。──その方向にそびえるは、女神の大樹。
椅子に身を預けたまま、瞬きもせず、顎だけを上げてそれを睨む男は──続ける。
「……そう、聖剣さえあれば……次の王座は──」
つぶやいて、男はひたりと笑った。
「──きっと、私の手に落ちて来る……」
男は己の青白い手を見下ろして──瞳に愉悦を浮かべた。
何もかもをつかみ取って当然と信じて疑わないその手を、彼は握りしめる。
「そうだ、私が」
「王家に“聖剣”をもたらして、必ず王座を手に入れてやる……」
──同時刻。貴賓室前廊下。
「…………おーい……エリノアぁ……」
男は随分と堪えていたが、もう耐えられんという顔で……声を漏らす。
甲冑を着込んだ男──貴賓室前を警護する衛兵は、拳を握って、目の前のジメジメした塊へ苦情を申し立てた。
「お前! もうやめろ! 泣き止め! 王女の贈り物に鼻水が垂れる!」
男がクワッと目を釣り上げて地団駄を踏むと、同時に彼の重そうな甲冑がガシャッと金属音を立てる。その視線の先でジメジメした塊──彼らに背を向けるようにして、壁に向かい、しくしくしくしく泣いていたエリノアは、泣きながら、訴えた。
「う、ぅ、ぅぅう……そんな、だって悲しみの涙を急に堰き止められます⁉︎ だいたいこれは鼻水じゃ……目に溜まった涙が瞳から出きれずに、中を通って鼻から溢れ出てるだけです!」
「だから……それを鼻水って言うんだよ!」
「あぁ……衛兵は話が通じない……だって! ハリエットさまの前で私が泣いたら、きっとお優しいハリエット様が悲しまれるから! だから崩壊しそうな涙腺を抑えてここまで耐えたんですよ私は! ……ぅっ、ちょっとくらい……壁にしか迷惑かけてないでしょ!」
壁に向かって文句を言う娘に、衛兵は面倒そうな舌打ちを鳴らす。
「ちっ、今生の別れでもあるまいに……ちょっとお前こっち向け! ……げ! お、おいおいだから鼻水……おい! おおお前、なんか拭く物を出せ!」
王女との別れを嘆き悲しむエリノアが──ひっし……っと抱えこんだ王女からの餞別に──落ちそうな涙と鼻水を見て、衛兵は慌てて隣の衛兵をど突き、懐から手拭いを取り出させる。
「早くしろ! ……エリノアお前な……別れがつらいのは分かったが、王女様からのせっかくの贈り物を汚す気なのか? だいたい王宮侍女がこんなとこでピーピー泣くな! ほらとりあえずちーんってしろ!」
「ぅほがぁっ……!」
問答無用で衛兵に子供の如く鼻を拭かれる娘。は……思い切り鼻をつままれて正直痛そうだったが──両手に王女からの贈り物を抱えているがゆえに、やや乱暴に世話を焼いて来る衛兵に抵抗することは叶わなかった。……というか、そもそも憧れの君との離別に沈みこんだ心はそれどころではないらしい。
エリノアは悲しみながらキレるという器用なことをしながら衛兵に苦情を申し立てている。
「だから! 一応端っこに隠れて泣いてるでしょ!? もうっほっといてくださいよぉ! 悲しぃぃ」
……確かに。一応エリノアは貴賓室の前に飾ってある彫像の後ろに隠れてはいる。だが……
衛兵はジロリとエリノアを睨む。
「お前がそこで泣いてると、まるで像が泣いてるみたいで気味が悪いんだよ! しくしくしくしくすすり泣くな! もういいから──とりあえず俺らのテリトリー(※警備範囲)外で泣け! アホか!」
「お、追い出される……血も涙もない……ハリエットさま……!」
「! やめろ! 俺たちが泣かせているみたいな言い方はよせ!」
もしそんなあらぬ誤解をされてしまったら、色んな人物(ハリエットとかブレアとかルーシーとか将軍とか……その他諸々)に睨まれそうで怖い衛兵。
エリノアは、そのまま迷惑そうな衛兵らに、いつものように首根っこを掴まれる形で彫像の後ろから引っ張り出され。しっしっと犬にでもするように、手で追い払われた。
仕方なく、とぼとぼと歩きはじめるエリノア。その口が不意につぶやいた。
「……分かっているのよ、きっとハリエット様には何かご事情がおありになって……でも……」
それでもやはり別れは悲しいと娘は肩を落とす。
「……王宮の美しさと可憐さが八割くらい減った気がする……ただでさえ最近はブレア様にもなかなかお会いできないっていうのに……ハリエット様までいらっしゃらなくなられたら、我、侍女人生の張り合いが……ぅ……」
エリノアはすっかりしょげてしまって。ハリエットからの餞別を腕に抱え、鼻をすすりながら己の仕事場へ戻って行くのだった……
お読みいただきありがとうございます。
…どこでも小物扱いされる、も…その事についてはめげはしないエリノア。
多分窓の外とかからヴォルフガング(小鳥態)が、あいつまたやってる的に呆れていると思われます。
【お知らせ】1月30日
書き手なのですが、先日目の腫れで検査をしましたところ、今度は大学病院で再検査となってしまいました( ;∀;)
そのような事情で、しばらくゆっくりめに更新させていただこうと思います。




