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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
四章 聖剣の勇者編
212/365

3 見えない不安

 

「…………」


 その時、彼は珍しく硬い表情をしていた。

 静かな眼差しを落とすのは、配下の持って来た報告書。束になったそれらを一枚一枚丁寧に、一字一句見逃さぬようにとする様には鬼気迫るものがある。主人のそんな様子を見てか……執務室の中には数人の使用人の姿があったが、普段は穏やかな空気の流れるこの部屋も、水を打ったように静かだった。

 と、そこへ配下が声をかける。


「……王太子殿下」


 男の声に彼が顔を上げると、扉の方から取り次ぎ役の侍従が机の傍に来ている。侍従は彼に、訪問者の名を告げた。


「分かった。通してくれ」


 王太子が落ち着いた声で言うと、侍従はすぐに扉を開けに戻った。

 戸の開放と共に部屋へ現れたのは、彼の弟王子。青年は、まっすぐに兄のほうへ向かってくる。

 その姿を見た王太子の表情に、少しだけ安らぎが戻った。

 向かって来る弟は、相変わらず颯爽とした立ち居振る舞い。

 そんな彼を見ていると、とても頼もしく思えて。曇っていた彼の心が、いくらかは安堵するのだった。


「ブレア」


 彼が弟に微笑みかける。と、その兄の顔を見た弟は、少しだけ目を細めて怪訝そうな様子を見せた。

 表情は険しいが──怒っているわけではない。どうやら、兄の硬い笑顔に違和感を覚えたらしい。

 と、その間に王太子の傍にいた側近が彼に一礼し、心得た様子で執務室の出入口まで下がって行った。側近と入れ替わりで兄の執務机の前までやって来た弟は、頭を下げて、まずは「兄上」と王太子を呼ぶ。


「おはようございます、急に押しかけて申し訳ありません」


 弟の堅苦しいあいさつに、兄は「いや」と、口元だけで笑う。


「おかえりブレア。昨日は王都を出ていたんだって? 大変だったようだね。勇者を名乗る者が近隣の町に現れたと聞いたけど……」


 問うてやると、弟王子はすぐに苦虫を噛み潰したような顔になる。


「申し訳ありません。またもや偽物でした……」


 苦い思いの潜む声に、兄は弟の苦労を思ってため息をつく。


「何もお前が謝ることではないよ。でもそうか……」


 その報告には、労りの表情で弟を見る王太子もやはり落胆を見せた。


「やれやれ。……本物の勇者はきっとどこかでその役目を果たしてくださっている。と、思うが……こうして偽物ばかりが世に出て民心を惑わすのはいただけないね……」


 これまでも“女神の勇者”を騙った者は幾度か現れた。

 だがそのすべてはただの小悪党であり、多くは騙り行為でなんらかの利益を得ようと目論む輩たちであった。


「まあ……強い力には惹かれる者も多い。利用したいと考える者がいても不思議ではない」


 王太子は、どこか己の立場と重なるものを感じるのか、苦い顔で笑う。そんな兄に、ブレアも気遣うような表情を覗かせた。


「私も……此度こそはと思ったのですが……」


 一つの傾向として、“女神の勇者”を名乗る者は、王都から離れた地方、それも女神教会も置かれていないような場所で出ることが多かった。

 王都やその近隣では取り締まりが厳しいうえに、もしその者が“聖剣”を所持していても、高位な聖職者がいれば、真贋はすぐに見極められる。

 “勇者”を名乗り人々を騙そうという輩にとっては、地方のほうが不届きな騙り行為もやりやすいのであろう。

 ──だが、此度の“勇者”は王都に程近い町で現れたのだ。


「……それで私も希望を持ちましたが──結局は今回もただの不届きな輩だったようです」


 冷え冷えとしたブレアの言葉に、王太子は首をひねる。


「でもおかしいね……王都の近辺でそのような行為を行えば、すぐに捕まると分かりそうなものだけれど……」


 釈然としない様子の兄。それはブレアも同じ気持ちではあった。だがしかし。

 兄に問うべきことがあってここへやってきたブレアは、ひとまずその議論を後回しにし、兄に本題を切り出した。


「あの……それよりも兄上……先ほど、殿下がハリエット王女に急遽帰国を要請なさったとの報告を受けたのですが……まことですか? 王女はすでに帰国準備をなさっているとか……いったいどうなさったのです?」

「……ああ、」


 すると兄はため息を細くこぼす。王太子は疲れた様子で己の額に手をやると、すまないと謝罪の言葉を漏らした。


「その件についてはこちらも立てこんでいて事後報告になってしまった」

「いえ……私も王宮を出ておりましたから仕方ありません。……しかし……では、もう決定なさったということですか?」


 ブレアが確認するように問うと、王太子はスッと冷静な顔になる。


「ああ、ハリエットには……表向きはお母上のご病気、ということにして、明日、急ぎ帰国してもらうことにした」

「明日……⁉︎」


 あまりに急な話にブレアが驚いている。けれども、兄は彼にキッパリと「そうだ」と頷いて見せる。決意のにじむ顔で。


「彼女にも、王室にも、いろいろと順序を省略させてしまうことにはなるが……そのほうがいいと判断した」

「……」


 ブレアは、兄の口調を聞いて黙する。普段は柔和な語り口の兄が、今日はなぜか言葉が堅く、強い。なぜだろうと疑問に思った。

 正直、兄の話はずいぶん性急な話だと言わざるを得ない。

 本来なら、大切な客が国を離れる場合、王国は国をあげて送り出すのが通例。

 礼を尽くした送別の会を催し、国王や王妃、王族たち出席のもと、華々しく見送りの儀も行われる。

 当然そのような会や儀式が一朝一夕で用意できるはずもなく……明日、ハリエットが帰国するということは、つまりそれらすべてを省略するということになる。

 国家にとって、他国とのつながりは最重要事項。同盟国との友好な関係を保つためにも、その王女をろくなもてなしもせずに送り出すことはできない話なのだが。

 王太子たる兄は、当然そのことを理解しているはずだし、彼は決して無責任な男でもない。そのような無理を押し通そうとするからには、必ず何か訳があるはずだった。

 それにハリエットは他でもない彼自身の婚約者。彼女を心から愛している兄は、本来なら誰よりも丁重に別れの儀を行ってやりたいはずである。

 ブレアは、慎重に問う。


「……兄上、理由をお聞きしても?」


 しかし──ブレアがそう問うと、それまでは毅然とした様子であった兄が、ここに来てその顔をもどかしげに曇らせる。


「……──分からない」

「? ……それは……どういう……?」


 兄の不安そうな顔に戸惑ったのか、ブレアが眉をひそめた。

 王太子は曇った表情のまま、机の上の書類の束に目を落とす。ブレアはその視線の中に兄の苦悩を見た。


「私にもまだよく分からないんだ……実は最近、身の回りに奇妙な違和感を感じている」

「違和感、ですか……?」

「王宮の私室に戻るとわずかに物が動いていたり、気配がおかしいように感じたり。監視されているような視線を感じたり……まあ……いつものことだけれどね」


 王太子の苦笑は、彼らがいつでも狙われる立場ゆえのものだった。

 王位継承権などというものを握っていると、常に間者や暗殺者といったものと無縁ではいられない。

 王太子は、机の上の報告書の束を指でトン、と、指し示す。


「ただ……こうして調査すれば間者らしき者らは発見されるのだが……どうにも彼らと私の感じる違和感のもととは別なような気がしてね」


 兄はそう言ってブレアに報告書を手渡した。

 受け取ったブレアがざっと中身を確認すると、なるほど、その書類には敵国や政敵による間者の名が連ねてある。

 しかし兄はその調査結果に納得してはいない様子だ。


「調べあげた間者はすべて捕らえたが、しかしそれでもいまだ違和感が消えない……実はその報告書は二度目の調査結果でね。……ということは、私の感じる違和感が勘違いでないとすると、王宮内に我らの調査をすり抜けるような手練れがいるということになる」


 兄はそう言ってため息をつく。


「……もしすべてが私の思い違いならばいいのだ……しかし……何故だか状況が徐々に差し迫って来ているような気がしてならない」

「……それでひとまずは王女の身の安全を確保なさりたいのですね」


 そう言うと、兄は苦悩のにじむ顔で頷いた。ブレアは考えこむ。

 兄の気持ちは分かった。つまり理由はまだ解明されていないが、不安の種があるゆえに、念のためハリエットを国外に出しておきたいのだ。

 しかし、現段階では、王太子の話はかなり漠然としているとしか言いようがなかった。それでも王太子の力があれば王女の帰国は叶うだろうが……他の者たちを納得させられているかは正直怪しい。


(だが──……)と、ブレア。


 彼ら王子は、これまで幾度となく命を狙われた経験を持っている。

 刺客による襲撃や飲食物への毒の混入など。

 幼子の時代から、何度も命の瀬戸際に立たされたからこそ覚えた第六感というものが、兄にも、自分にも確かにあった。それは王太子という地位にある兄はブレアの比ではないはずだ。

 その兄が、日常の中に不穏さを感じ、警戒すべきと感じているのならば、その感覚はけして軽視することはできないものだった。

 ブレアの顔が険しさを増す。


(兄上の周りでいったい何が起こっている……?)


「………………」

「あ……」


 けれども。ブレアが渋面で考えこみはじめると、それに気がついた兄が少し慌てた顔になる。王太子はすまないと言い、漂う緊張感を打ち消すように、弟にいつもの顔で微笑んで見せた。


「いや……ブレアそう思い詰めないでくれ……すまなかった、お前も忙しいのにこんなはっきりとしない話をしてしまって……大丈夫、まだ何かあると決まったわけではないのだよ。ただ……現在、王国は聖剣の騒ぎもあって人員を大きく割かれている状態だ。皆が聖剣の件に注意を引かれている今、国家の各所に隙ができやすい。それで取り越し苦労かもしれないが、先手を打っておきたかっただけなんだ」


 ブレアの激務を知っているリステアードは、弟にこれ以上の負担をかけたくないらしい。気にするなと言う兄に、しかしブレアの表情は固い。


「……確かに、このような混乱期ですから、より国家防衛には力を入れているつもりですが……」


 そうなると、今度は内部に隙が生じないとは言い切れない。


「分かりました。殿下の身の回りのことに注意を払うのは当然のこと。御身は大切にしていただかねばなりませんし、ハリエット王女についても同じことが言えます。警戒しすぎるくらいで丁度良いかと。私にできることがあればなんなりとお申し付けください」


 頭を下げるブレアに、しかし王太子は首を横に振る。


「いや──そのような訳にはいかない。お前は聖剣の件で忙しいだろう。勇者を名乗る者は今後も出てくるだろうし……本件はもう一度私が調べてみる」

「しかし兄上とて……」


 王太子は次期国王としての職務を抱えている。

 ブレアは懸念を示したが、王太子はいつものように、朗らかな顔でもう一度首を振った。


「此度は漠然とした私の不安だけで大勢を煩わせてしまう。本当はそれだけでも心苦しい。だから本件は出来るだけ自分で調べをつけたいんだ。まだ何かあるのかも分からないのだし……ハリエットが安全なところへ行ってくれれば、私も安心して今以上に動くことができる。まずは再調査を進めて、それで、何かありそうならお前にも応援を頼むことにするよ」

「……、……、……分かりました」


 ブレアは一瞬逡巡を見せたが……真っ直ぐに己を見る兄の顔を見て、その意思に従う意を見せた。




 王太子の執務室を出ると、固い表情のブレアに、外で待機していたオリバーが近づいてくる。


「……殿下、どうでしたか? 王太子様は……」

「……」


 先を急ぎながら、ブレアはついてくる男に向かってつぶやく。


「……兄上は何やら異変を感じておられるようだ……」

「異変、ですか……」

「兄上が何か感じておられるのならば、きっと何かがあるはず」

「……また刺客がお命を狙っているのでしょうか」

「分からぬ。だが……」


 兄が「分からない」と言ったのは本当だろう。しかし、そんな状態でも、彼は差し迫ったものを感じたからこそ、国家の体面を度外視し、ハリエットを真っ先に逃したのではないのか。

 一番愛する者への対応は、彼の危機感の高さを表している。そう考えたブレアは、退出間際に兄が吐露した言葉を思い返す。


『……本当は……ハリエットは狙われるのは王族の宿命だからと……残りたいと言ってくれたのだけれど。今回の異変は……ただ命を狙われているということではない気がしてね……王族である前に、彼女は私の大切な人。共にいたい気持ちもあるが……危険に出会う可能性からは……限りなく離れていて欲しい』


 心配しすぎだろうかと、そう切なそうに言う兄の言葉を聞いた時、ブレアの脳裏に真っ先に思い浮かんだのは──エリノアだった。

 彼女を思うと……兄の危ぶむ気持ちがとても分かるような気がして。


「……」

「殿下?」


 心配そうなオリバーに、ブレアは廊下の先を睨みながらつぶいた。


「……嫌な予感がするな」










お読みいただきありがとうございます。

少し不穏な空気がたちこめてきましたね。のんきなものが好きな書き手にも実につらいところ…

しかしもう一つの連載は絶賛のんきなラブコメ中ですので、書き手はこれからそちらの創作に逃げ込もうと思います!( ´ ▽ ` ;)(いや、続きもちゃ、ちゃんと書きますよ!)

ぜひ皆様にも「にゃん騎士」の方もお読みいただけたら嬉しいです。

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